それはきっとおばあちゃんじゃない

宵待なつこ

第1話

 私の母は霊感が強く、よく不思議な体験をしている。

 パート先のお寺の、本位牌になる前の白木の位牌を安置しておく場所で人魂を見たり、家族はみんな身長が低いにもかかわらず、家の戸の隙間、天井近くの所からこちらを覗く男の顔を見たり、風呂場から亡くなった祖母の腕がニューッと伸びてオイデオイデをしてきたのを見たり、といった具合に。

 その母が若いころにとても気持ちの悪い夢を見たことがあるという。


 夢の中で母はとても暗く、狭いトンネルのような場所を這い進んでいた。高さは少しでも頭を上げるとすぐに天井につくほどしかなく、幅は身体の向きを変えることも出来ないくらい狭い。

 どうしてこんな所にいるのか分からなかったけれど、じっとしているのも怖いので、ともかくも匍匐前進の要領で母は這っていった。

 すると前方に幽かな蝋燭のような灯りが見えた。必死の思いでその灯りを目指し、窮屈な身体を懸命に動かしてようやくその場所にたどり着いた瞬間──。

「視界一面、見渡すかぎりの花畑!」

 母いわく、それはそれは美しい光景だったという。何十年かに一度、砂漠一面を覆うほどに咲き乱れる花々のように、何百、何千という種類の色鮮やかで見事な大輪の花が、見渡す限り果てしなく咲き誇っていたそうだ。

「トンネルから外に出たの?」

 と私は聞いた。

「いや、そこもトンネルの中。広場みたいな空間で、そこでようやく立ち上がることが出来たの」

 あれは本当に綺麗な光景だったと、うっとりした顔をしていた母は、しかし急に表情を険しくする。

「でもね、そこにおかしなものがあったの」

「おかしなものって?」

「障子」

「障子?」

 母の言うところによると、その満開の花畑の一角に障子の戸があったという。和室にあるあの障子の戸が、普通に立っていた、と。

「おや、……(母の名前)も来たんかえ?」

「おばあちゃん?」

 その障子の向こうから、母が六つの歳に亡くなった母の祖母(つまり私の曾祖母)の声がしたという。

 よく見ると、慣れ親しんだ母の祖母と、四歳でこの世を去った幼い母の姉の姿が、障子の影越しにくっきりと映っている。

 その祖母が、母の名前を呼びながら言った。

「おまえも楽になりてぇなら、もちぃと奥へ進んでみい。楽に死ねるけぇ」

 母はそう言われて、さらに奥へ足を踏み出しかけた。しかし再びあの狭くて暗いトンネルを進まなくてはならないのかと思うと、怖くてとても先へ進む気にはなれなかった。

「もうエエわ、ばあちゃん。怖ェからよう行かん」

 そう答えた瞬間、母は目が覚めた。

 時刻は午前二時。

 起きたあとでゾッとした、と母は言う。あのまま先へ進んでいたらどうなっていたか分からない、と。

「でもねェ……、ひとつだけ腑に落ちないのは、どうしておばあちゃんがそんなことを言ったのかってことなんよ」

 自分の孫が危険な領域に足を踏み入れようとしたら、止めるのが普通ではないか、と母は怪訝な顔付きで首を傾げる。

 私は母の話を聞いて、以前テレビで見た怖い話を思い出した。


 それは、ある男性お笑い芸人の若いころの話で、彼自身が実際に体験したことだという。

 あるとき男性が仕事から帰ると、同棲していた恋人が、泣きながら何度も自分を指差して「本物?」と問い質してきた。

 男性が事情を聞くと、恋人の女性いわく、朝男性が仕事へ行くため家を出た直後に、その男性が家に帰って来たという。姿も声もまったく男性と同じなのだが、何か嫌な感じがして、女性はずっと眠ったふりをし続けた。

 男性はしきりに恋人を揺すったり声をかけたりして女性を起こそうとしたが、やがて起きないと諦めて家を出ていった。

 十分ほどして再び男性が帰ってきて、また女性を起こそうとする。しかしここでも女性は起きない。男性はまた出てゆく。そしてまた男性が帰ってくる……。

 こうしたやりとりを三、四回繰り返し、最後に男性が家を出る直前、それまでの彼とはまったく違う男の声で「……やっぱりバレたか……」と呟きながら出ていった、という。


「……母さん、それはきっとおばあちゃんじゃないよ」

 私は母に言った。

「本物のおばあちゃんなら、そんなこと言うはずがない。多分、母さんはおばあちゃんに化けた死神に誘われたんだよ」

 私がそう言うと、母は妙に納得したような、さびしいような顔で「ほんに、そうかもしれんなぁ……」と頷いた。














 しかし本当にそうだろうか、と私は最近になって思う。

 きっかけは、つい二週間ほど前に十五年飼っていた愛猫を亡くしたことだ。

 他人にとってはたかが猫かもしれないが、私たちにとっては家族だった。

 とてもつらくて、悲しくて、まるで家の中から灯りがなくなったみたいだった。

 生きている者でさえこれほど悲しいのなら、死んだ者はもっと悲しいのではないだろうか。何故ならば、どんなに愛情が深くとも死者はひとりで旅立たねばならないからだ。

 そのさびしさは、生きている者には比べ物にならないくらい孤独で、冷たいのだろう。

 母の夢に出てきた母の祖母も、そうした虚無に堪えられなかったからではないか、もしかしたら、死神の化けた姿などではなく、──。




 その可能性を、私は母に言わないでおこうと思う。



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