旧公団集合住宅の黒い侵略者
きたひろ
黒い侵略者
部屋が狭い。
1K17平米の狭いで長らく一人暮らしをしていたが、ある日そう思うようになった。
台所は狭くて冷蔵庫も置けないため、居間に置くことしかできないため、寝ているときも動作音が聞こえてきて気になったりする。居間もベッドとパソコンデスクを置いているので足の踏み場もないほどだ。
というわけで引っ越しを決断した。しかし、それなりに広い物件――最低30平米となると家賃がどんなに古い物件でも1.5倍になる。経済状況的にこれは正直厳しい。木造のボロアパートで交通の不便さを無視すればないこともなかったが、どこもろくに管理されていないようなひどい物件ばかり。それに木造では防音性も悪いので住み心地が今より悪くなる可能性もある。
結局、独房みたいな暮らしを続けるしかないのか……そう諦めかけていたときにテレビでとあるCMを見かけた。
『URであ~る♪ キャンペーン中であ~る♪』
なんだか鬱陶しくなるようなフレーズだったが、そこで目を引いたものがあった。
『礼金ナシ。手数料ナシ。保証人ナシも更新料ナシ』
一般的な賃貸物件といえば2年に1回の契約更新でかなり高い更新手数料を取られる。しかも最近は家賃保証会社とかいうよくわからないところと契約させられて毎年1万以上支払わされていた。
それが全くない。これは非常に魅力的だ。
さっそくネットで調べてみたところ、UR――独立行政法人都市再生機構は旧公団であり、巨大団地の賃貸物件の管理運営をしていることを知った。
そして、何より驚いたのは築40年を超える物件はとにかく家賃が安いこと。民間なら1Rの物件の家賃で1DK――33平米の物件を借りることができる。
今まで高い家賃・手数料などを支払って狭い部屋に住んでいたことがバカバカしくなるレベルだった。
収入要件の審査が多少厳しいもののなんとかクリアできることがわかったので、いいと思った団地の仮予約サイトに張り付き、空きが出た部屋を即座に抑える。
これで広い部屋でしかも家賃が下がるという夢の物件を手に入れ、生活が豊かになる。そう感じていた。
しかし、これがヤツ……黒い侵略者との地獄のような戦いの幕開けだった。
――――
引っ越してから一ヶ月。日本全国でもトップレベルに入る超巨大団地にある広々としたUR賃貸の部屋を満喫していた。コンクリート物件なのに隣の声や物音が聞こえる(特になぜか上階の部屋の用を足す音が聞こえるのが辛い)という不満はあったが、概ね満足していた。
問題は突然起きた。
朝起きて台所にいくと、水場にヤツがいたのだ。しかも今までの賃貸物件では見たことのないレベルの巨大サイズだ。
名称を口にするのも嫌なので、ここではヤツのことをコードネーム「BG」と呼称する。他にも「CG」と呼ぶものもいるが、今回現れたのは世間でも突然部屋に出現して騒ぎを起こす「BG」の方だ。
築40年以上の古い建物だったため、「BG」の出現は予想していた。この団地ではなかったが、別の団地には自治会が掲示板で対「BG」兵器としてホウ酸団子の販売のお知らせを載せていたので出現率は高いのだろうと思っていた。
しかし、引っ越したのは12月。ピークではないが、それでも朝方は冷え込む時期だ。この時期に、まさかこんな巨大な「BG」が現れるとは――古い団地の恐ろしさを初めて感じた瞬間だ。
とにかく放置するわけにもいかず、寒いせいか動きも鈍いので噴射式の化学兵器でさっさと始末しておいた。
それからしばらくは何も起きずに平和な日々が続いた。
――――
地獄が始まったのは春を過ぎつつあり、暑さを感じる時期になってからだ。
まず和室に毎日1匹ずつ「BG」が現れる。とはいっても巨大なものではなく数ミリしかない若齢「BG」だ。おそらくどこかに「BG」の卵が残されていて、暑くなってきたことにより孵化してしまったのだろう。
仕方ないので毎日潰しつづけることになった。いくら孵化したとはいえ数は無限ではない。それに不快感はあるが、大型「BG」に比べればティッシュでさっと潰してしまえばいいのでそんなに難しくはなかった。とにかく成長させないのが重要だ。
しかし、いくら潰してもなぜか1日匹ずつ現れる。まるでこちらの精神的疲弊を狙うようなゲリラ戦を仕掛けてくる。
それでも毎日毎日潰しまくった結果――突然一日に6匹ぐらい出現した。いくら若齢「BG」とはいえ、突然の大規模侵攻に流石に驚いてしまう。
これはまずい。若齢だからといって「BG」の力を甘く見ていた。
同時にこの部屋ちょっとやばいんじゃないかとも思うようになりつつあった。しかし、引っ越してきたばかりだし、家賃の安さと広さはとても捨てがたい。「BG」の侵略に屈して撤退などありえない。
そこで評判高い毒エサタイプのものを配備することにした。「BG」がそれを食べ死ぬと、別の「BG」もその死体フンを食べて死ぬという連鎖的殲滅が可能なスグレモノだ。
とりあえずサイズの大きい「コンバット」を和室や台所に実戦配備してみた。すると、若齢「BG」は現れるもののすでに死んでいる状態で発見されるようになったのだ。
そして、数日後には全く現れなくなった。
いける。いけるぞ。効果は抜群だ。侵略者は撃退され、勝利したのだ。
しかし、これは悪夢の始まりでしかなかった。
若齢「BG」の侵略を排除してから2ヶ月後、季節は完全に夏になった。
ある日夜中にトイレに起きた。1DK物件は風呂トイレ共用物件だったので風呂場の扉を開ける。
そこにはヤツ――「BG」の姿があった。しかも、若齢ではなく一段階成長した中齢だ。
古いUR賃貸物件の最大の問題として風呂場に窓はあるが、換気扇がないということがある。その為湿気やすく「BG」が好む環境になりがちだったが、今まで現れないのが不思議だったが、ついに現れてしまった。
とりあえず化学兵器攻撃によりあっさり始末し、コンバットを一つ置いておいた。
これで大丈夫だろう……と思ったのが甘かった。翌日の夜中にもまた現れたのだ。しかも中齢一匹と若齢数匹の混成部隊だ。
慌てて化学兵器を大量散布して殲滅したが、また翌日も同じような編成で現れる。その翌日もだ。まるで指揮官が兵隊を引き連れて侵攻してきているようだ。
何よりの問題はコンバットが効かないことだ。すでに風呂桶の脇とトイレの脇に配備したが、「BG」編成部隊は毎日侵攻してくる。
ここで疑問に思ったのはなぜ中齢タイプがいるのかということだ。和室に合われているのは若齢ばかりで、風呂場には今まで現れていないので生き延びて成長したとは考えにくい。
ならばどこからか侵入してきているとしか考えられない。UR賃貸の古い物件には網戸がないという特徴があるため、害虫が侵入しやすい。管理会社に言えば有料で設置してくれるが割りと高かったのでホームセンターで網だけ買ってきてテープで風呂場の窓に貼り付けてある。この隙間から侵入してきているのかもしれない。
というわけでこれ以上の「BG」部隊の侵攻を防ぐためにUR賃貸物件を管理しているJS――日本総合住生活へ網戸設置の依頼を行ってみた。
が、設置には3~4週間の時間がかかるという。現在繁忙期らしく、どこの家庭も「BG」の侵略に苦しんでいるため網戸の設置依頼が多いのだろう。
とはいえそんなに待っていたらこちらの身が持たない。仕方ないので今回はテープで網に隙間がないように補強して対応した。
しかし、それでも現れるのだ。台所側から扉の隙間を通って侵入してきているではと考えたが、それなら台所で遭遇するはず。一つだけある排水口はしっかり閉じているのでここから入っては来れない。なら一体こいつらはどこから現れているのか。
そこでふと思い出した。古い物件といえば風呂場などで排水管がむき出しの特徴があるが、この物件も風呂場にはトイレや風呂場の下水管がそのまま上から下に貫通するように伸びている。
問題は下水管が通っている床に大きな亀裂が入っていることだ。おそらく過去の大地震で入ったものだと思っていたが、コンクリートの表面だけで下水管には問題がなく水が漏れるわけでもないので放置していた。
もしこの亀裂が床下まで続いてそこから侵入してきているのだとしたら?
これは厄介な問題だった。隙間を埋めると言っても床部分のため勝手にやるわけにもいかない。管理事務所に言えばなんとかしてくれるかもしれないが、どちらにしても時間が掛かるだろう。猛烈な「BG」の侵略が続いている以上、早急の対応が必要だ。
ここで気になったのはコンバットが効いていないことだ。元々外部から侵入した「BG」が巣に戻ったところで他の「BG」も殲滅するのが特徴なのに効果が見られない。コンバットは数日前にすでに下水管のひび割れ前に置いてある。入ってきているのなら食いついているはずだ。
ふとネットで検索してみたところ同タイプの兵器である「ブラックキャップ」のほうが評判がいいことに気がついた。なんでもコンバットの方は巣に戻る効果や赤ん坊の誤飲の危険を避けるために毒性が弱いらしい。実際の比較実験でもコンバットは効くまで数日掛かるが、ブラックキャップは数時間で効果が出るとされていた。
新たな兵器を投入するしかない。そう決めてホームセンターでブラックキャップを購入した。ついでに最終手段として風呂場を浄化するためのバルサンも買っておく。
そして家に戻り、ブラックキャップをコンバットと同じところに置こうしたときだった。
――ない。置いてあったはずのコンバットが。
唖然とする。数日前に置いてあったはずのコンバットが忽然となくなっている。なぜ? どうして? 動かした憶えなんてまったくない。
混乱気味考えていたが、やがて視界にコンバットの一部が入ってきた。風呂桶と床の間にある僅かな隙間がある。そこになぜかコンバットが置かれているのだ。そんなところに移動した記憶はまったくない。
当たり前だが、コンバットがひとりでに動くはずがなく、湿気を取るために風通しを良くしているが、風で動くような場所でもない。
……何なんだ一体。
しかし――しかしだ。ここである推論が頭のなかに浮かんできた。
コンバットはブラックキャップに比べて平べったくサイズが大きいが、非常に軽い。そして、基本的な機能として「BG」を呼び寄せての中にある毒エサを食べさせる。
もしも。もしも、この狭い風呂場に潜んでいる何匹もの巨大な「BG」が一斉にコンバットに集ったらどうなるだろうか。餌に本能で勢い良くたかりつづければコンバットの位置が移動しても不思議は――
即座にバルサンの使用を決意し、風呂場に放り込んだ後、入り口の隙間を養生テープで塞ぐ。
殲滅だ! 一匹も残さない!
しばらくして浄化作戦が終わり、風呂場に入っていく。
だが、そこには「BG」の死体はなかった。若齢も中齡も大型も。
……一体どうすればいいんだ。この時築古UR賃貸物件の真の恐ろしさを実感したと思う。
仕方なく、ひび割れのまえにブラックキャップを設置してその日は寝ることにした。
それから2週間。風呂場に単独でも編成部隊でも「BG」が現れなくなった。コンバットが効いたのか、バルサンによる浄化で見えないところで死に絶えたのか、ブラックキャップが功を奏したのかわからない。
未だになぜコンバットが勝手に動いたのかはっきりとした原因はわからないままだ。
完 ~黒い侵略者との戦いは続く~
旧公団集合住宅の黒い侵略者 きたひろ @kitahiroshin
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