後編
季節は進み、冬がやってきた。
ばあさんは相変わらず、ベンチに座っていた、
前編でも言及したが、シカゴの冬は厳しい。連日マイナス十度以下は当たり前というくらい厳しい。
雪はまるで片栗粉のような粉雪で、雪だるまどころか、雪玉すら寒くて作れない。
だが、大量に降る雪の中でも、ばあさん愛用のベンチは、家の住民によって常に雪を払われていたので、快適に座る事が出来ていたのだ。
まるで、ばあさんの存在を知っていたかのように思えた。
一度か二度、華氏マイナス二十度、つまり摂氏マイナス三十度近くになるという危険な程の低温になった日があった。
そんな過酷な日でも、ばあさんはずっとそこに座っていた。
春になって雪が溶けても、ばあさんには変化がなかった。
シカゴの郊外は、春になっても危険な場所だ。
中心部は誰もがイメージする高層ビルが立ち並ぶ大都市ではあるが、一度郊外へ出れば、映画ホームアローンの舞台となった高級住宅街があり、もう少し足を伸ばせば、巨大な森林地帯が広がっていた。
頭の高さまで二メートルはある巨大シカが住宅街を闊歩していていたり、ホグジラという通称で呼ばれる、超巨大イノブタの目撃例があったりと、想像もつかないような大自然が広がっていたのだ。
一度なけなしの勇気を振り絞り、愛犬を盾にばあさんへと近付いてみた事がある。
当時飼っていた愛犬はやたら直進したがるので、ばあさんへ向けて行けと指示すると、思った通りそのまま道を挟んで向こう側にいるばあさんへと向かって行った。
もしかすると、愛犬にも見えていたのかもしれないが。
私が近付いても、ばあさんは何の反応も示す事は無かった。
七十歳か八十歳くらいの、普通のアメリカ人のばあさんにしか見えなかった。
少しだけ斜め上を眺めるような目で、同じ言葉をただただ繰り返していた。
しかも、その顔はなんだか嬉しそうに見えた。
間近で見たばあさんに、なんともいえない感情になった事を今も覚えている。
また季節は進み、エアコンがない我が家の窓を開けっぱなしにしなくてはならない、暑い時期にさしかかった。
その間も、ばあさんはずっとベンチに座っていた。私が見えない時期にさしかかった時は全く見えたり聞こえたりはしなかったので、ずっといたとは言い切れないのだが。
一年単位で考えると、私は見える時期の方が短いため、ばあさんの繰り返す声は、それ程苦痛に感じなかった。
しかも、その年は偶然、十七年ゼミという、十七年間土の中で幼虫として過ごすセミが大量に羽化する年だった。
街はまるで、ヒッチコックの映画の世界に迷い込んだかのように、セミだらけになってしまった。
白い木はセミで黒く染まり、庭も歩道も足の踏み場が無いほど、セミに埋め尽くされた。
立ち止まれば、十を超えるセミが体に止まる。もう、どこもかしこもセミ。虫が嫌いな人には耐えられない世界と化したのだ。
ばあさんの声はちょうど良く、筆舌に尽くしがたいセミの大合唱にかき消された。
高緯度のため、八時まで日は落ちず、セミは長く泣き続けた。
夜になれば夜の虫も鳴き、夜行性の動物たちが奇声を上げながら、十数年に一度のセミビュッフェを楽しんでいたので、やはりばあさんの声はあまり耳に届かなかったのだ。
その混乱をもたらした夏を過ごしてすぐ、私は別の家へと引っ越してしまったので、ばあさんの姿はそれ以来、見る事も無かった。
私は、このばあさんに感謝している。
霊が見える周期と見えない周期がある事を教えてくれたのは、他でもないこのばあさんだったからだ。
もちろん、ばあさんがあの場から立ち去っていた可能性も無くは無いが、ばあさんはずっと、あのベンチに座っていたのだと私は思っている。
そして何より、すべての怪現象が恐ろしいものではない事も実感させてくれた。
今、ストリートビューでばあさんがいた家を見てみると、歩道の前にあったばあさん愛用のおしゃれなアンティーク調ベンチは、無くなっていた。
きっとばあさんも、やっと自分が在るべき場所へ還ったのだろう。
私はそう願うと共に、別の可能性も想像している。
アメリカの霊はもしかすると、日本とは全く違う形で霊になっているのかもしれないという事だ。
ばあさんはきっと、スティービーさんという、ばあさんにとって大切な人がいたのではないか。
毎日帰ってくるスティービーをそこで待っていたのか、それとも、長い時間を経て再会する事が叶ったのか。
ばあさんはずっとその人に会いたくて、朝から晩まで、あのベンチに座って待ち続け、すっかり歳をとってしまったある日、ベンチへと近付いて来る同じくらい歳老いた人影に気付き、その気を惹くために歌ったのではないか。
今までの会えないもどかしさと、大きな喜びを噛み締めながら。
「Oh Stevie~, where have you bee~n?」
(おお、スティービー、どこへ行ってたのかしら?)
きっとベンチの前でスティービーさんに会えた、熱烈な喜びの残滓が、あの同じ言葉を繰り返すばあさんだったのではないか。
勿論これは私の願望に過ぎない。
ただ、友達が少なくて退屈だった日々に不可思議な彩りを与えてくれて、大切な事を教えてくれた感謝を胸に秘めつつ、ばあさんとの思い出をこうして回想し、その後のばあさんの幸福を祈りたくなった次第である。
ばあさん、ありがとう。また、いつか。
シカゴ ― 追憶のOh Stevieばあさん アイオイ アクト @jfresh
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