第一節

 この話を教えてくれた彼との出会いは、ある年の秋半ばのこと。

 時は昼過ぎだった。

 編集者との打ち合わせを終えての帰り道、私はこれといった目的も持たずに街をぶらついていた。

 手には買ったばかりのケバブを持っていた。味はまぁまぁ美味しくて、次また立ち寄ることがあれば必ず買おうと、頬張りながら思っていた。

 台風がまるで一家のように、現れては去り、去っては現れを何度となく繰り返して、ようやく末っ子が駆け抜けてくれた翌日だったため、まさに台風一過。その日は朝から晴天で雲一つ無く、陽射しは温かくて風は涼しくて、そのまま真っ直ぐに帰宅してしまうのは、もったいないと思えた。

 部屋に閉じこもってパソコンを睨む毎日に嫌気が差していたし、運動不足の解消にもなる。ということで駅前をうろついて、店々を外から覗いていたのだ。

 そこでふと、あるチラシに目が留まった。

 近所の公園で行われるフリーマーケットのお知らせだった。

 開催日はその週の土日で、なんと本日。場所は駅前にある大通りを越えた向こうにある公園で、歩いてすぐのところだった。

 出不精な私は、フリーマーケット、略してフリマを覗いたことが一度も無かったので、これは良い機会だと思い、見聞を広めるためにも覗いてみることにした。

 開催場所の公園は想像していたよりも大きくて、フリマも賑わいを見せていた。

 てっきり、近所にお住いの方々が不用品を持ち寄ってのファミリー向けなタイプと思いきや、業者から仕入れているとしか思えない店がところどころに見られ、本格的な“蚤の市”だった。

 せっかくだから、なにか気に入ったものがあれば買ってみよう。

 そう思いつつも、足を止めることはなく店々を覗いてまわっていたときだった。

 背後からこんなつぶやきが聞こえてきた。

「ここにも無かったか……」

 残念そうな声だったので気になり、足を止めて振り返ってみると、後ろには古い絵画を売る店があり、その前に青年が一人立っていた。

 年の頃は十代の終わりから二十代の始めで、カジュアルな格好をしていたので、どこぞの大学生だろうか、と思った。

 私はそっと隣に移動し、絵を物色するふりをしてその“彼”の顔を覗き込んでみた。

 すると彼は、何故か微笑んでいた。

 声の調子や言葉から残念そうに聞こえたのに、その顔には安心感があった。それでいて、なにかを諦めているような、切なさなんてものも見てとれた。

 つまり、いくつかの感情が入り混じった、複雑な表情を浮かべていたのだ。

「……なにか、絵をお探しなんですか?」

 興味をそそられた私は、もしかしたら面白い話が聞けるかもしれないと思い、そう声をかけてみた。

 警戒されるかもしれないと不安を抱いたが、杞憂だった。彼は気さくにも応じてくれて、ある絵を探しているんです、と素直にも教えてくれた。

 その絵こそ、この話のタイトルでもある『寝転がった少女とリンゴ』なのだ。

 安直な名前だが、それは彼が本当の名前を知らずにつけた仮名だからで、しょうがない。そういう絵だったそうだ。

 中学の頃に一度見た限りで、それ以来ずっと探していると言っていた。

 私は、彼やその絵のことをもっと知りたいと思い、身分を明かして、事情を説明して、よければ詳しく教えてほしいとお願いした。

 彼は少し迷ったものの、私を通じて情報を得られるかもしれないと応じてくれた。

 そのまま店先で話し込むわけにはいかないので、近所にあるというモダンなカフェに場所を変えることにした。

 その店はなんと、コーヒーをウォータードリップで淹れるところだった。

 コーヒーが特別好きなわけではないのだが、それでも一度は飲んでみたいと思っていたので、若干興奮したよ。

 で、とりあえずまずは、そのウォータードリップで淹れられた苦みや酸味が控えめなコーヒーの美味さを堪能して、それから話を伺った。

 さすがはウォータードリップ。久しぶりに美味いと絶賛できるコーヒーを飲んだよ。

 近いうちにまた行くと思うね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る