第五節
私が最後に質問したのは、先ほどのフリマでの様子についてだった。
「そういえば、どうしてその絵を探しているんです? 焼けてしまったのでは?」
多分、そんな風に尋ねたと思う。
憶えているだろうか、彼がフリマの店を覗いていたのは、燃えて失われたと思われる例の絵を探すためだ。
すると彼は、こう言った。
あの絵が焼失しているとは限らない。
教室は火の海だったが、あの絵が燃えていたかどうかは覚えていないという。
だから、もしかしたらあの絵だけは無事かもしれない。先生が火をつける前に運び出していたかもしれない。
無理があると、おかしなことを言っていると自覚はしているらしいが、しかしそれでも、あの絵が燃えてなくなってしまったと思いたくないのだそうだ。
今でも残っていると、そう信じていたい。真実かどうかを確かめたい。もう一度この目で見たい。
だから、今でも探し続けているのだそうだ。
私が質問と記録を終え、お代わりのコーヒーに手を伸ばすと、彼は一枚の名刺をテーブルに置いた。
話を最後まで聞いてくれたことへの感謝をされ、もしも例の絵に関する情報を掴んだらぜひ連絡してほしいと、そう頼まれた。
感謝するのは教えを乞うた私のほうなので、少々面食らってしまったのだが、名刺に書かれていた彼の職業を見て、さらに面食らった。
なんと、彼は探偵業を営んでいたのだ。その道に進んだのは、例の調査がきっかけらしい。
ついでに宣伝までされて、「なにかお困りのことや、調査をお望みのことがあれば、ぜひともご連絡ください!」と言われたので、私は思わず笑ってしまった。
負けてられないと私も名刺を取り出して、本の宣伝もしっかりした後、彼と握手をし、情報を得たら必ず知らせるとの約束を交わして、そして別れた。
店を出て彼を見送った私は、とりあえず駅に向かった。
フリマを行っている公園に戻り、そのまま通り抜けようとしたが、ふと思うことがあったので、ちょうど近くにあったベンチに腰を下ろして、手帳を取り出した。
そしてこう記した――。
彼は、真実を確かめるためにもう一度見たいと言っていたが、あれは本音、本心ではないと思われる。
絵について語っていたときの彼の目は、まるで少年のようだった。しかし好奇心に駆られた者の目ではなかった。あれは恋する者の目だった。
彼の恋はまだ終わっていないのだろう。だから探し続けているのだ、初恋の君を。
もしかしたら、先生もそうだったのでは……。
――と、私はわざわざ三点リーダーまで使って書いたところで手帳を閉じ、席を立とうとした。
だがそこで、ふと、あることに気がついた。
「そういえば、どうして死体のそばにリンゴがあったんだ……?」
そう、つい声に出してしまった。
そのときまで何故か忘れていたが、リンゴについての質問を一切していなかった。
本当に、あのリンゴはどうしてあったのだろう?
先生があらかじめ用意していたとか?
では、始めから死ぬつもりだったということになるが、果たしてそうだろうか?
だいたいそんなものを持っていれば、彼やクラスメイトがさすがに気づくだろうから、あらかじめ用意してあったとは思いにくい。
しかし、だとすると、どうして……?
そう疑問を抱いたとき、私はつい、いつもの調子で想像を飛躍させてしまって、不思議な話を“怪談”として考えてしまった。
なにかしら、目には見えない力でも働いて、先生を死に追いやったとしたら……?
先生はリンゴを用意してはいなかった。だが、死体のそばには転がっていた。まるであの絵の通りにするために。
だとすると、犯人は彼女だろうか?
それとも、絵そのものか……?
そんな風に想像を膨らませて、早速手帳にアイデアとして書き込もうとしたところ、足になにかが当たった気がした。
ふと覗いてみると、赤々としたリンゴが一つ、転がっていた。
人間、恐怖すると背筋が凍りついたような気がするというが、あれは本当のことだった。背後からキンキンに冷えた氷水をぶっかけられたような、そんな衝撃が、電流のように全身を駆け巡った気がしたよ。
まさかのことに、私は無様にも悲鳴を上げ、ベンチの上に飛び乗ってしまった。
するとまもなく、「すみません!」という声がして、誰かが慌ててやってきた。ほとんど覚えていないが、多分若い男だ。
その誰かさんは、ベンチの下に転がっていたリンゴを拾い、「すみませんでした」とまた謝って、そして引き返していった。
その姿を目で追うと、すぐそばの、露天商のように商品を広げている店の前へ行き、店員と思われる相手に渡してまた頭を下げていた。
どうやら、商品を落としてしまったらしい。その店で扱っているのは置物のようで、先ほどの赤々しいリンゴもその一つと思われる。つまり、偽物のリンゴだったのだ。
それを見て、私は考えをあらためた。
死体のそばにあったリンゴは美術室にあったものかもしれない。
本物ではなく、例えば粘土とかで作られたものだった。昔の生徒が作ったもので、そのまま仕舞い込まれていたものとか。
先生がそれを見つけて、その後かその前に絵に再会し、それでふと、あの絵の通りに死のうと思い立ったのかも。
都合の良い話だが、可能性が無いとは言えないだろう。
だから、リンゴの存在について深く考えても仕方が無いのだ。
私はそのようにメモを取ると、足早に公園を後にして、そのまま駅へ向かった。
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