嘘憑きな十円玉

RAY

嘘憑きな十円玉


 クラスで「狐狗狸こっくりさん」が流行はやったのは、ボクが小学五年生のときでした。


 こっくりさんというのは狐などの動物霊を呼び出す降霊術の一種で、複数の者が気持ちを一つにして霊の出現を念じることで、その思念を受けた霊が自らの存在を示すというものです。

 十九世紀、西洋で始まった儀式「テーブル・ターニング」が起源だと言われており、一九七〇年代に小中学生の間で大流行し、放課後の教室にはこっくりさんに没頭する生徒が数多く見られました。


 ボクたちのこっくりさんのやり方としては――

 まず、教室の窓を開け、机の周りに四脚の椅子を並べます。

 次に、窓側を除く三つの椅子に三人が座り、机の上に「鳥居の絵」、「五十音図の平仮名」、「0から9までの数字」、「はい・いいえの文字」が書かれた紙を置きます。

 さらに、十円玉を鳥居の上に置き、三人が人差し指を十円玉に軽く添えます。

 その状態で、「こっくりさん、こっくりさん、〇〇県◆◆市の△△小学校▲階までお越しください。もしいらっしゃいましたら、十円玉を『はい』の上に移動させてください」と、三人が念じます。

 すると、不思議なことに十円玉がひとりでに動き出し、参加者の質問に霊が答えてくれるのです。


 ただ、こっくりさんの存在を肯定する者がいれば、その存在を真っ向から否定する者もいます。

 こっくりさん否定派が参加したとき、十円玉が動かないことが圧倒的に多かったみたいで、納得のいかない否定派からは「参加者が集団暗示に掛かっているだけ」、「参加者自身が十円玉を動かしている」といった意見が数多くありました。

 これに対し、こっくりさん肯定派は「参加者に信じない者が混じっていれば、こっくりさんは警戒して降霊してくれない」といった反論を繰り返し、両者の溝が埋まることはありませんでした。


 そんなをボクたちのクラスに持ち込んだのは、クラスメイトの森 真奈美もり まなみでした。

 理由は至って単純。こっくりさん世代である母親の話を聞いた真奈美が、好奇心を掻き立てられたからです。放課後になると、彼女はクラスメイトを誘って、毎日のようにこっくりさんに明け暮れていました。


「RAYちゃん、今日の放課後、やらない? こっくりさん」


 そんな真奈美の誘いをボクが二つ返事で承諾したのには、理由が――嘘つきの真奈美を懲らしめるといった理由がありました。

 最初は、真奈美がこっくりさんをやっていることに口を出すつもりはなかったのですが、あることを知ってから胸のあたりにモヤモヤが湧きあがり、喉に引っ掛かった、魚の小骨のように気になって仕方がなくなりました。

 十円玉が動くのは、決まってメンバーに真奈美が入っているときだったからです。


★★


 小さい頃は、誕生月が一月違うだけで心と身体の成長に大きな個人差があります。

 それは小学五年生になっても例外ではなく、当時は誕生月が力関係を決めると言っても過言ではありませんでした。


 真奈美は四月上旬生まれで、クラスで一番体格が良く、小柄なボクと並ぶとまるで大人と子供みたいでした。さらに、頭の回転も早く口も達者で、自信満々の顔つきで繰り出すマシンガン・トークは威圧感と説得力に溢れていました。真奈美の前ではクラスメイトは黙って相槌あいづちを打つしかなく、まさにクラスのボスのような存在でした。


 しばしば見せる、他人を見下すような態度からも、真奈美自身が「自分は優位な立場にある」といった認識があるのは明らかでした。もう少し言えば、彼女には「道理に合わないことでも通すことができる」といったおごりがありました。

 実際、気に入らないことがあると、クラスメイトを丸め込んで自分の考えに従わせようとしました。ただ、そのことがわかっていながら、ボクは真奈美に抗うことができず、いつも悔しい思いをしていました。


 真奈美を懲らしめたいと思ったのは、一義的には、嘘をついているのが許せなかったからですが、その根底には、普段から真奈美に対してやりきれない思いを抱いていたことがありました。

 正直なところ、ボクは真奈美に恥をかかせて鼻っ柱をへし折ってやりたいと思っていました。


★★★


 放課後、教室に八人の女子が残りました。

 ボクと真奈美と彩乃あやのがこっくりさんとの交信係として椅子に座り、他の五人がボクたちの後ろに立ちます。

 彩乃というのは、ボクとそこそこ仲良くしていたクラスメイトで、真奈美といっしょにこっくりさんに参加して十円玉がひとりでに動く体験をしたの一人です。彩乃に話を聞いたところ、十円玉は想像以上に素早い動きをした。まるで誰かが動かしているみたいだったそうです。


「十円玉がひとりでに動くなんて、何だかドキドキする」


 右隣に座る真奈美に、ボクは、事前に準備した、わざとらしい台詞を呟きます。


「信じていれば十円玉は動くよ。RAYちゃんは信じてる? こっくりさんのこと」


 真奈美がいつもの笑顔――目は笑っていない、偽りの笑顔で答えました。


「ボクは、小さい頃、幽霊を見たことがある。だから、こっくりさんのことも信じられる」


「それなら大丈夫だよ。こっくりさんは絶対に来てくれる」


 真奈美の口から自信あり気な言葉が発せられた瞬間、ボクは心の中で歓喜の声をあげました。「これで十円玉が動く」。そう確信したからです。


 ボクがこっくりさん否定派であることを明らかにすれば、十円玉は絶対に動きません。真奈美が十円玉を動かさないから。動かさないことがこっくりさんの信憑性を高めることになるからです。裏を返せば、こっくりさん肯定派だと言っておけば、十円玉は必ず動き、そして、質問に答えてくれます。

 しかし、そこは切れ者の真奈美のこと。質問の内容によっては答えをはぐらかしてしまうことが考えられます。つまり、自分が答えられない質問に対しては「わかりません」と答える可能性が高いのです。


 そこで、ボクは自分自身のことを質問することにしました。

 とは言っても、ボクの名前、年齢、誕生日、住所などは真奈美をはじめクラスメイトのほとんどが知っていることから、訊いても意味がありません。

 逆に、クラスメイトには話していない、両親や兄弟のことを質問すれば「わかりません」といった答えしか返ってきません。そうであれば、クラスメイトに誤って伝わっている情報について訊くのがいいかと思いました。きっと真奈美は自信を持って回答します。誤った情報に基づく回答を。


 真奈美が十円玉を動かしていることが明らかになれば、嘘つきのレッテルが張られ、彼女の求心力ががた落ちする。それがボクの描いたシナリオでした。


★★★★


「こっくりさん、こっくりさん、A県N市のT小学校四階までお越しください。もしいらっしゃいましたら、十円玉を『はい』の上に移動させてください」


 真奈美と彩乃とボクは十円玉に右手の人差し指を添えると、目を閉じてこっくりさんとの交信を始めます。

 バカバカしいと思う反面、日頃の鬱憤うっぷんを晴らせる瞬間がそこまで迫っていると思うと自然と口元が緩みました。


 そんな中、一分が経過したあたりで変化が現れます。

 鳥居の上に置かれた十円玉が「はい」と書かれたの文字の方にスッと動き、再び鳥居のところへ戻ったのです。確かに、彩乃が言った通り、誰かが動かしているようなスムーズな動きでした。

 横目で右隣の真奈美の方をチラリと見ると、彼女は特に驚く様子もなく真剣な眼差しで十円玉を見つめていました。言い換えれば、十円玉を思った通りに動かせる状態にありました。


「あなたはこっくりさんですか? もしそうなら、私達三人の名前を言ってください」


 真奈美が静かな口調で告げると、それに呼応するかのように十円玉が再び動き出します。

 「あ・や・の」の三つの文字を順番に指し、一旦鳥居のところへ戻って、同じ手順で「れ・い」、「ま・な・み」と名前を指し示します。


 ボクたちの後ろに立つ五人から驚きの声があがりました。

 確かに十円玉のスムーズな動きを目の当たりにしたら、普通の人は驚きを隠せません。ただ、もともと真奈美を疑って掛かっているボクは、すでに胡散臭いと思いながら見ていました。問い掛けを行った真奈美の名前が最後に示されたことについて疑問を抱いていました。


「真奈美ちゃん、ボクから質問してもいい?」


 ボクは視線を十円玉に向けたまま真奈美へ話し掛けました。


「どうぞ」


 間髪を容れず、素っ気ない言葉が返ってきました。

 ボクは、左隣の彩乃に視線を向けると、乾いた唇にペロリと舌をわせます。


「こっくりさん、教えてください。ボクのお母さんは何県の出身でしょうか?」


 少し間が空いて、十円玉が「いいえ」の方へ移動しました。


「では、ボクのお兄ちゃんの趣味は何でしょうか?」


 同様に、間が空いて十円玉は「いいえ」を示します。


「家族のことはわからないのでしょうか?」


 怪訝そうに尋ねると、今度はすぐに十円玉が動き始めます。


ほ・ん・に・ん・た・け本人だけ


 「やっぱりそうだ。真奈美は自分が知らないことは答えない」。ボクは、十円玉を動かしているのが真奈美であることを確信しました。


 真奈美は、我関せずといった様子で十円玉に真剣な眼差しを向けています。ただ、質問に答えられなかった後の機転の利いた答えは、まさに真奈美のそれでした。

 ここまでは、ボクのシナリオ通り。そして、ここからが本番。真奈美はボクが仕掛けた罠にまんまとはまったのです。


「では、ボクのことをお尋ねします。将来ボクがなりたいものは何でしょうか?」


 ボクがなりたいもの――その場にいる七人の中でそのことを知らない人はいませんでした。

 当時、ボクは文芸部に所属して小説や詩を書いていました。今思えば単純で稚拙な文章でしたが、小学五年生としてはレベルが高かったようで、作品を読んだ友だちからよく褒められました。

 そのたびに、ボクは得意気な顔で「大学で文学の勉強をして作家になるんだ」などと豪語していました。ただ、本当のことを言うと、それは表向きのなりたいものでした。


 小さい頃から、厳格な父と馬が合わなかったボクは、いつも「家を出たい」と思っていました。具体的には「高校を出たら家を出て上京したい」、「女一人でも生きていける資格をとりたい」、「できれば法律を勉強して弁護士になりたい」といったものです。

 ただ、そのことは、家族にはもちろん、仲の良い友だちにも話したことはありませんでした。


 鳥居の上の十円玉はピクリとも動きません。ボクは顔がにやけそうになるのをグッと堪えます。

 すると、おもむろに十円玉が動き始めました。


さ・つ・か作家


 「掛かった!」。思わず心の中で大きな声が出ました。思っていた以上にことが上手く運んだからです。真奈美がこれほど見事に引っかかってくれるとは思いませんでした。

 真奈美は、相変わらず、表情のない、真剣な顔で十円玉を見つめています。


 しかし、次の瞬間、鳥居の中に戻った十円玉が再び勢いよく動き出します。

 十円玉が指し示す言葉をイメージできなかったボクは、眉間に皺を寄せて訝しい表情を浮かべました。


そ・れ・は・う・そそれは嘘


 背筋に冷たいモノが走りました。不安な気持ちが胸を覆い、心臓の鼓動が速くなっていくのがわかりました。見えない何かがボクを嘲笑い、見下しているような気がしました。


 ボクの変化に気付いたのか、彩乃が心配そうな顔でボクの方に目を向けます。

 ただ、そんなことはお構いなしに十円玉はさらに動き続けます。


い・え・て家出

と・う・き・よ・う東京


 ボクは、目を見開き、口が半分開いたままの状態になっていました。

 すると、そんなボクの様子を見透かしたかのように、十円玉が慌ただしい動きを見せます。


 「は」の文字の上に止まったと思ったら、すぐに文字の無いところへ移動し、再び「は」の上に戻るといった動作を繰り返したのです。






『は・は・は・は・は・は・は・は・は・は――――――』






 こっくりさんの笑い声がボクの脳裏に響き渡りました。

 身体の震えが止まりませんでした。


 理由は二つ。一つは、その発想がとても小学生のモノとは思えなかったから。もう一つは、突然真奈美が首をカクンと折り曲げるようにボクの方を向いて、大きな声をあげたから。


「はははははぁ! 嘘はダメだぞぉ! ばれてるんだからよぉ!」


 いつもの真奈美でないことは明らかでした。

 男性のように野太い、その声は地の底から響いてくるようで、大きく口を開け血走った眼で笑う、その顔には狂気さえ感じられました。 


 そのとき、ボクは自分が二つの大きな勘違いをしていることに気付きました。

 一つは、真奈美が嘘をついていること。もう一つは、こっくりさんの降霊先が十円玉であること。


★★★★★


 しばらくして、真奈美は学校に来なくなりました。

 担任の先生ははっきりとは言いませんでしたが、話を総合すると、真奈美は重い病気にかかって長期の療養を余儀なくされ、特別な病院に入院したそうです。


 あれから、真奈美には一度も会っていません

 それから、こっくりさんには一度も参加していません。



 RAY

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