祖母の面影

 私の母方の祖母は、私が幼い頃他界した。


 ところが、私には祖母の記憶が明確にある。


 明確に、というと語弊があるかもしれない。


 どういう人で、どのような思い出があるか、などということは一切覚えていない。


 だが、祖母に確かに会った記憶がある。


 その記憶のために、私は中学生まで、祖母に会った事実を信じて疑わなかった。


 


 晴れていただろうか。小雨が降っていた気もする。私が住んでいたのは父方の実家で、盆や正月には、母の実家に親戚中が集まる。


 寒いという記憶はないので、おそらくは盆の時期であろう。私は家族総出で、母の実家に向かった。


 母の実家は、川沿いの国道に面している。


 奥に長い家で、私もそのすべての間取りは知らない。探索もしてみたいと思っていたが、機会を見つける間に建て替えられてしまった。


「こんにちは」


 母が代表して声をかける。


 私が後から続いて、その家の玄関をくぐると、


「はーい」


 と、語尾が上がった声で、祖母が返事をした。


 そして、トタトタと足早にやってきて、私たちを迎えてくれるのだった。


「あれ、いらっしゃい! 坊も大きくなったじゃん?」


 そう言って私を見つめ、嬉しそうに笑う。


 私は素直に喜ぶ。


 祖母は薄桃色の着物を着て、髪は昔の結い方をしていた。


 子ども心に、大きな人だと感じていた。それは身長が、という意味なのか、体格が、という意味なのか、はたまた心がとか懐が、という意味だったのか、今では判別しようもないが。


 そして、ここまでである。その後はいつも、畳の部屋に上がり、親戚一同で大量のごちそうに舌鼓を打つのだが、そこで食卓を共にした記憶はない。


 ただ大きな家の奥から、着物で迎えてくれて、私の成長を喜んでくれる。


 祖母の唯一の記憶である。


 しかし、不思議なことに、母にこれをいうと笑われてしまう。


「おばあちゃんは、お前が赤ん坊の頃に一度だけ抱いてくれただけだよ。あとは会ったことがない。だって、そのあとお前は入院しちゃったじゃないか」


 その通りである。私は幼少期、長期の入院生活を送っていた。


 ゆえに、物心つくまでに、母の実家に行けたわけがない。


 そして、入院生活といえば、もう一つ、不思議な記憶がある。


 入院中に、私は熱を出してしまった。結果としては単純な風邪だったのだが、楽しみにしていた外泊の予定が消滅してしまった。


 その後、症状が落ち着いて、完全に治った日、母から祖母が亡くなったことを聞いた。


「きっとおばあちゃんが引き受けてくれたんだね」


 誰かが言っていた。



 結局、私は赤ん坊の時以来、祖母には会ったことがないらしい。




 ではあの記憶は何だったのか。


「お前がそうあってほしいっていう想像じゃない?」


 とは、母の言葉である。


 なるほど、人間の記憶は作られたものが大半だ、とも聞く。


 しかし、と私は考える。


 しかし、その記憶は私自身が作ったものなのだろうか?


 誰かが、私にこう思ってもらいたい、という“誰か”が、この記憶を作ったのではないだろうか。


 もしそうなら、それが祖母であればいいな、と夢想する今年のお盆であったが、果たして……



 

 そんな孫の夢想も知らず、遺影の中の祖母は、今日も、あの記憶の中の顔で笑っている。

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奇談数編 黒崎葦雀 @kuro_kc

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