2階の人影

これは知り合いの方から聞いた話である。その方は長年、教員生活を送っていた。したがって便宜上、先生と呼ぶことにする。



 先生が教師になりたての頃の話というから、かれこれ4、50年前の話になるだろうか。


 教師という仕事は想像以上に大変らしい。授業はもちろん、生徒指導にも関わらねばならない。部活動を監督し、それから授業の準備や雑務をこなす。残業という概念もなく、定時などあってないようなものだ。


 先生もそれは例外ではなく、新任当時ということも相まって勝手が分からず、仕事運びもスムーズにいかない。おかげで10時、11時−−下手をすると日をまたぐことがよくあったという。


 さて、当時先生は、富士山に近い村の学校に勤めていたという。そのときもご多分に漏れず、学校を出たのは夜中の12時近くだったらしい。


 富士山といえば樹海が有名であるが、当時の時代も時代なので、そこかしこに未墾の林が、それこそ原生林のような林がよくあった。街灯も十分に整備されておらず、夜の道行は危険なものだったという。


 もっとも自動車も普及し始めたときだったので(特に田舎はほぼそれが足となるので)先生も通勤は自家用車で行っていた。だから少なくとも後ろから襲われるような心配はないし、豪胆な性格も合わさって、特に「恐怖」を感じたことはなかったという。


 話を元に戻そう。夜遅くに学校を出た先生だが、何かの理由で(そこのところは覚えていないようだ。普段の道が工事だったか、生徒の家庭での様子を見に行ったか、とにかく大したことではなかっただろう、という。)遠回りをしなければならなかったらしい。


 そうなると山道を通らねばならないのだが、その山道に入ろうとするカーブの内側に、一軒の民家があった。2階建てのごく普通の家である。


 先生はその家をなんの気なしに見ながら運転していたが、近づくと普通ではないことに気がついた。


 かなりの「オンボロ」なのである。壁はすすけており、窓ガラスもところどころなく、屋根も瓦がはげているところが多々あった。


(こんなところに人が住んでいるのか? 空き家ならさら地にでもすればいいものを……)


 などと考えながら車を走らせていき、いよいよその家の前を通ろうとしたときである。


 先生は、おや? と思った。その家の2階には道に面して窓があり、そこから人影が覗いていたのだ。


(こんなボロい家にも人が住んでいるのか……)


 先生は変に感心しながらその家の前を通り過ぎる。


 人影は、まるで見張りでもしているかのように道行く車を、つまり先生の車を、異様に大きな目で、その家から離れるまで睨み続けていたという。


(こちらが変に観察するように見ていたから、気を悪くしてしまったかな……)


 先生は少し申し訳なく思いながらも、それ以降、その道を通ることはなく、オンボロの家もそこから覗く人影も、記憶の彼方へ消えてしまった。


 そして数年が経ち、先生は学校も変わり、運動系部活動の顧問になっていた。


 ある年の夏休み、その部活動で合宿が行われ、久しぶりに以前の学校近くを訪れた。


 不意に、あのオンボロの家と人影が、記憶の中から顔をのぞかせた。


 先生は、夜、そういえば……と部員の生徒たちにそのことを話した(別に怪談をしていたわけではないらしい)。


 すると、生徒たちの顔がみるみる青くなっていき、「それは具体的にどんな外見だったか」「それは何年前のことか」など、執拗に聞かれたという。


 不審に思った先生は、なぜそんなことを聞くのか、と尋ねると、生徒の一人が言った。


「先生、笑えない冗談はやめてくださいよ……その家、一家惨殺事件があった家じゃないですか。先生が見たってときは、事件後間もないときで、すでに人なんか住んでなかったはずですよ……」


 へえ、と豪胆な先生は、特に恐怖を感じるわけでもなく、そういうことがあったのか、と納得しただけであった。


 そして先生は少しいたずらっぽく、生徒たちに聞くのだった。


「じゃあ、あの人影は何だったんだろうな? 犯人が家に入るものを監視していたのかね? それとも家族が犯人を探し続けているのかね? どのみち、あれ以上観察し続けていたら、俺もただではすまなかったってこんかね?」


 生徒たちからの返事はなく、その場はヒヤリと冷たくなったという。

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