いつもの特別な夕餉

拾捨 ふぐり金玉太郎

本編

 ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がしたので、私は読んでいた本に栞を挟んでソファから腰を上げた。


「ただいま」


 革靴を脱ぎながら、彼はいつもと変わらない一言。

 私も軽く頷いて「おかえり」と一言。


「アキオ君、最近遅いのね」

「同僚が体調崩しちゃっててね。ミカさんの方は、大丈夫?」

「うん、こっちは最近、新人さんも仕事に慣れてきたから」

「それはよかった」


 返事からは、「お互い、お疲れ様」という心の声が読み取れた。

 かく言う私も、定時帰りとまではいかない。

 そこは彼も理解わかっているのだ。


 時計の針は21時をすこし回っていた。


「ね、どうする?」

「簡単に済ませちゃおう」

「ん。そうだね」


 私が台所へ向かうのを見て、アキオ君は手前のリビングへとゆるゆる歩いていった。


 疲れがどっと来たのだろう。

 ふぅぅ、なんて溜息をつきながら仕事着を脱ぐ音が、背中越しに聴こえる。


 私は、目星をつけておいた食材を冷蔵庫から取り出して、彼の言う通り“簡単な”ことに取り掛かる。


 まず、鯵の干物を出してきて、グリルにかけた。

 その間に、冷たくなっているご飯を二膳分、レンジにかけて暖め直す。


「ハァ、なんだろ、ここに座ってると体の力が抜けてくみたい」

「なぁに、それ?」


 いつの間にかテーブルに座っていたアキオ君が、わざとらしくだらけて見せる。


「ご飯作ってる音って、癒しなんだなァ」

「ふふっ」


 思わず、口の端から笑いが漏れてしまった。

 彼は時々、こうやって突然しみじみと言ってくるものだから、可笑しくてこそばゆい。


 二人分の茶碗にそれぞれ軽くご飯をよそい、焼けた鯵の身をほぐして乗せる。

――いけない。

 二尾も焼いたらちょっと多過ぎた。片方は皿によけておく。


 煎りゴマと刻み海苔を散らし、湯気を噴出し始めたヤカンの火を止めたところで、思い付きひとつ。

 春先に何となく買って飲みきれなかった、インスタントの梅昆布茶を、手に取った。


「お待たせ」


 テーブルに運んだ『お茶漬け』を見て、アキオ君はホゥ、とすこし目を丸くした。


「どうしたの?」

「……お茶漬けだァ」

「お茶漬けだよ」

「思ってた以上に、フクザツなお茶漬けが出てきたんで感動してる。今」

「大げさね。魚焼いてお湯かけただけだもの。作るのも食べるのも簡単でしょ」

「うん、食べるのは簡単だァ。食べやすくていいよね、お茶漬けは」


 今日の“しみじみモード”は、ちょっと長いな。

 アキオ君は、すぐには箸をつけず、私の作ったお茶漬けを嬉しそうに眺めてから食べ始めた。


「ほぅ……梅昆布茶ですか。やりますねェ」


 食べている間も、時々妙な口調でコメントしている。


――――そんな彼の様子を、できるだけ長く見ていたくって。 


 私は、自分のお茶漬けを、少しずつ口に運んだ。


 それで気がついたのは、ってこと。


 静かなダイニング・キッチンのテーブルで、お互いの存在を感じながら、二人。

 私たちは、幸せな空気に包まれていた。

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