愛のお茶漬け

れなれな(水木レナ)

愛のお茶漬け

「ハイ、今日の日当」

 バイト代を渡そうと手をさしだしたら、その腕の中にやわらかいものが飛びこんできた。

 ミカ、無言で抱き着く。アキオの作業衣から土方の汗のしみこんだ臭いがする。芳しい。

「どうしたんだよ、ミカ」

 実は見当がついている。オーディションの結果がはかばかしくなかったのだろう。大丈夫。ミカには才能がある。時代が追いついてこないだけだ。信じてる。

「大丈夫。次は大丈夫だよ」

 がばっとアキオの胸から顔を上げると、目じりのしずくを払いのけて、

「うん!」

 と震えながら笑んだ。澄んだ瞳をしている。ミカなら絶対世界の女優になれる! ハリウッドだって目じゃない。

「アキちゃん、遅かったから、心細くなっちゃってね」

 そんなことを口に出していうほど、ミカはショックで心細かったんだ。アキオは強いて太く笑った。

「今夜は、一緒に寝る?」

 ミカはふるふると首を振り、

「悔しいから、レッスンで汗を流してから寝る」

 アキオはふいに寂しいような気持ちがしたが、フッと笑う。そりゃそうだよな。

 ミカはすすすっとまたアキオのそばへ寄ってきて、

「服、脱いでよね」

「そうかよ」

 暗に臭うと言われているのがわかり切っているだけに、アキオはミカを抱きすくめる。

「いや、汗臭い~~」

 顔を見合わせて微笑みあう。 

「おかえりは?」

 ミカ、すぐそばにあるアキオの瞳を見上げて、とろんとした声で応える。

「ん……おかえりなさい」

 元気が出たのか、うって変わって弾んだ声でしてほしいことはないかと聞いてくる。

「あたしばっかり、励まされちゃって……でも感謝してます。なんでもいいよ! 言ってみて!」

「よっし! そうときたら、夜食だ」

「え~~一日に三食以上食べると太るよ?」

「ここで酒なんか飲んでビールッ腹になったら、おまえ、どうするんだ?」

「それは嫌だけど……」

「だから、な! 軽いもんでいいから!」

「ん、わかりましたー」

 仕方ないなという風情で、ミカがうなじに落ちるポニーテールのおくれ毛をなでつけながら、台所に去っていく。普段飾り気のない彼女のどこに惹かれたかって、その後姿だったりする。見送ってから、心の中で呟く。

(やっぱりうちの嫁は世界一かわいいぞ)

 自然と笑みが浮かんで、そのぶん安心感で集中力が分散して、体の疲れがどっとでる。

(あ~~癒されたい。けど嫁さんは演技のレッスンか)

 アキオは足を引きずるようにして簡略式のドアに向かう。以前マルチーズを飼っていたときに、逃亡防止にとりつけたものだ。今では用をなしてないが、物理的に仕事場と家庭とを隔てている、精神衛生上、重要な役割を果たしているのだ。

 上着だけリビングで作業衣を脱ぎ捨て、腰掛に座る。それでも小さなちゃぶ台を前にすると膝がのぞいて開いてしまう。

「今日は~~アキちゃんの好きな~~桜デンブた~~っぷり!」

 台所でガサガサ冷蔵庫の中身を物色するのが聴こえて、思わず頬がほころんだ。

 そのまま気分よく口笛を吹いた。

 デンブか。そういえば、ミカの弁当、ハートのデンブが入ってる日って、激しいんだよな。気のせいかな。

 ミカは目元を赤くしながらドンブリを盆にのせて持ってきた。

「どうしたんだ? 泣いてたのか?」

 ときどきミカはこういうことがある。突然、情緒不安定になるのだ。

「ううん、ちょっと役に入りこんでいただけ」

「食事作りながらかよ」

「うん、今日すごく悔しくて、どこが悪かったのかなって思って」

「さすが、世界の女優……の卵。ぶっとんでるのは今さらか」

「うん、いまさらだよ」

 泣いたカラスがもう笑った。

 うんまあ、味はともかくとしてチャレンジャーな逸品が出てきたぞ。デンブ茶漬けか。甘そうだな。将来糖尿かな。

「ビールより糖分ありそうだよ」

「ピンクは幸せの色なの!」

 ――世界の謎がひとつとけた。  

 そばにある電子ポットからデンブでいっぱいのドンブリに湯を注ぐ。アキオは自然と腑に落ちた。ミカは自分を幸せにしようと一生懸命尽くしてくれていたのだ。それにしても……なんと、真ピンクなお茶漬けだ。こんなもの食べられるのはオレだけだぞ……心の中でそうごちる。ニヤニヤ笑いが止まらない。

 そそっと直接ドンブリに口をつけると箸でかきこむ。何とも言えない……いや、これがミカの愛情だ。

 今度の劇の台本だと言っていた冊子を開きながら、ミカはアキオの正面にそのままペタリと座りこむ。

(やっぱ嫁さんの顔見てるだけで幸せだな)

 そう思って顔を上げたら、ミカが台本越しにじっとこちらを見ていた。

「おいし?」

「う、うん」

 ミカはすすっとちゃぶ台の下からアキオのベルトに手をかけ、

「こちらもくつろげてあげる」

 声音がいかにも艶っぽくてやや驚いた。

「……そういう役柄なの? 今の……セリフ?」

「うん……」

 ミカは眉をハの字にして、顔を赤くしている。横目でこちらをちら、と盗み見ている。

(そうか、そういうことなら!)

 アキオはドンブリを空けてしまいながら、

「よっしゃ! こい!」

 いつも通りのノリ。

「アキちゃん……明日の朝遅くなっても知らないよ?」

「どんとこいだ! 夢のためなんだろ?」

 ミカの表情が華やいだ。ぎゅっと抱き着いて離れない。


 しあわせの定義こそ様々あるが、二人にとって、今が蜜月なのだった。


               END

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