遺書

キュバン

遺書

 とても良い一年だった。1月1日朝0時、除夜の鐘が鳴り響く。

 家族で過ごそうと思っていたにもかかわらず、大惨事が起こってしまった。

 私の家は埼玉の県北、加須にある。

 ここは交通の便と治安が悪いが、落ち着きのある街だ。名物といえば「城」「うどん」「鯉のぼり」。再開発のおかげで街には公共施設も増え、休日も過ごしやすくなった。歳は40を迎え髪は薄くなり始め、妻は韓流ドラマにハマった。その妻は空港からすでに家へ帰っているはずだ。日記を綴るようになったのはごく最近のことで、クセをつけるためにも暇があれば書くようにしている。
 大晦日には部下たちと過ごし、元旦には親族を迎えて一杯やろうと思っている。

「少し涙もろくなった」「一回のタブレットの量が増えた」と忘年会では言われてしまった。新年会ではなんと言われるのか、今から気になってくる。2週間ほど前から来なくなった部下、春日部幸手の席も予約はしておいたが、ついに使うことはなかった。

 今私は職場でこれを書いている。部下たちが酒を飲むことがわかっていたので、ハンドルキーパーになるために酒は飲まないでいた。彼らは車で家まで送り届けたが、今日の呼び出しでちゃんと仕事場まで来られるのだろうか。運転中にあったことを綴るとすると、あの信号からだろう。

 信号待ちにカーナビのテレビをつけてみる。ニュースキャスターの声と効果音が静かな車内に響き渡り、映像が私とその周囲を明るく照らす。しかし、数秒たって車が走り出したため画面に「安全のため表示されません」と映されていた。とりあえず途中に見つけたコンビニに車をとめ、映像を見る。
「こちら武甲山、現在、大きく火が燃え広がっていることがわかります!」

 映像には山が映っている。いや、山だけではない、山の中腹あたりに赤く光っているところがある。武甲山ということは、これが今回我々が担当する事件になりそうだ。そろそろ呼び出しを食らうだろう。私はタブレットを口の中に放り込み咀嚼した。軽快な音を3回鳴らしたケータイを開き、耳に当てる。こちら大宮と素直に応える。ガムを噛みながら電話を取るなと怒られそうだが、そんなことは気にしない。名前を確認せずとも、相手などわかっていた。間違いなく上司だ。そして、私には端的に要件が伝えられる。ここまでわかっていたからだ。聞こえた言葉は「初出勤だ、埼玉県警察署まで」と、これだけだった。「元日に初出勤とはなかなかめでたいですね」と皮肉を込めて言葉を返したことは記憶にある。しかし、これがこの時点で覚えている最も正確な記憶である。そのあとのやり取りは正直はっきりとは覚えていない。ただただ大きな怒り、ただただ強い悲しみがあったということを除いては。

 私を含めた「特殊事件捜査班第三係」が呼び出されたのは、間違いなく秩父の件である。あれはただの爆発ではなく、ソウル発で9時ごろに到着するはずだった飛行機の墜落事故である。妻は友人と共に12月24日から12月31日までのソウル旅行を楽しんでいたはずだ。メッセンジャーを確認すると、「9時頃に空港に着くね」という着信が1通あった。

 まさかそんな偶然があるはずないと自分に言い聞かせ、車を法定速度は守りつつ飛ばして一時間。いや、実は法定速度を超えてしまったのかもしれない。道中雪が降り出し、前が見づらくなってしまった。私は本庁前に車を停め署に乗り込んだ。時間は1時20分、話を聞くと、どうやら今日は消火作業で手一杯らしい。なんでも、火が燃え広がりすぎ、山火事になってしまっているそう。しかし、雪が降ってきたと言うこともあり、予想より早く消し止められるだろう。

 今こうして私が仕事場で書いていると、目の前には1羽の蝶が舞っていた。その蝶は私の周りを回り続けるように飛び続けた。羽は純白のように透き通り、まるで宙を舞う白雪姫のようだった。そうして感慨に浸っているとそれが私の机にとまったのだ。冬の蝶は珍しい。そう思い指先で触れると、冬に無理して出てきたからか簡単にくずおれてしまった。蝶というものはここまで脆かっただろうか。

 幸先の悪い一年だ。1月1日朝1時、世間は浮かれきっている。


 私たちは日記帳を託されました。ここまで読んでくださったあなたは勘違いしてしまっているのかもしれませんが、これは大宮係長ではなく、わたくし、北川辺利根男がアップロードしたものです。大宮伊奈男係長は私の大切な上司でした。私たちが失敗しても全力でフォローしてくださり、常に見守っていてくれました。私は、その日記のコピーをいただき何度もなんども繰り返し読んでいます。どれだけ悲しくても、不思議と涙を流すことはありませんでした。どこかで彼を憎んでいたのでしょうか。どこかで彼を恨んでいたのでしょうか。

 私はこれを遺したあと、彼の下へ行こうと思っています。私の同僚たちもどうやら共に行きたがっているようですが、勝手ながら先にいきましょう。


 1日は結局消火作業で終わってしまった。吹雪いてきたこともあり、どうにか20時間程度で火は消えたそう。

 今日は2日、緊急対策本部が設置され本格的な調査が始まった。

 特殊事件捜査班第三係。ここで働く私たちは、列車や飛行機の事故など、特殊な事件・事故を扱っている。現在午後8時、遺体を数え終えおかしな点に気がつく。乗員乗客180名のこの飛行機、そして周囲から見つかった死体の数は175。では、残りの5体はどこだ?爆風などで飛んでいくことは考えづらい。しかしありえない話ではない。

 同時に、もう一人部屋に飛び込んでくる。報告によるとブラックボックスが両方とも止められていたそうだ。両方とは、CVRとFDRということかと尋ねると、その部下は「はい。」と短く返事をした。CVR、コックピットボイスレコーダー。FDR、フライトデータレコーダー。音声記録も、飛行時のデータも残っていない。見つからないとあればビーコンが発する電波を辿ればよかった。しかしそうじゃないとなるとどうしようもない。しかし本来止められることはない。自然に止まることもない。であれば誰かが何かの目的のために止めたと考えるほうが自然で、とてもあり得る話だ。もし、これが墜落と関係があるならば。私は最悪の選択肢を思い浮かべた。「機長の自殺」。この時、私の中で何かが外れた。それは私を抑える最後の鎖だったのかもしれない。それは最後の鍵が開く音だったのかもしれない。あるいは、最後の歯車が合ったと形容するべきだったのかもしれない。

 死体はもしかしたらどこかに飛んで行ったのかもしれない。それか雪に埋もれてしまったのかもしれない。捜査範囲を拡大だ、周囲3kmまで広げろ。私はそのように指示を出した。見つかればいいのだが、どうなるのだろうか。

 そして部下は落ち着いて応える。「はい、わかりました。現場にはそのように指示を出しておきます。」

 時間は17時。あとは若い者に任せて私は家へと帰る。駐車場に止めた車を一周し、異常がないかを確認することが私の日課だ。新築の一軒家、ローンはまだまだ残っているが、幸せな日々だ。いや、現実から逃げてどうするんだ大宮。こうして文字でも綴っているのに逃げてはいけない。もしかしたらどこかに開くれているのかもと希望的観測を自分自身に振りかざし、自らの精神を傷つけてどうする。

 部屋に入りテレビをつけニュースを見る。チャンネルを回しても同じ話題、同じ内容。航空機の墜落、ただそればかりを報道していた。気を紛らわすこともできないのかと落胆したが、冷蔵庫を開きビールがあることを確認した。親族たちは急遽別の家で新年会を始めたようで、今からくることはないだろう。いや、きっとこない。そう思った私はビールを手に取りプルタブを持ち上げ口につける。この苦味はどうも忘れられない。体の力を抜きソファに深く腰掛ける。手が震えてきた、酔いのせいもあるだろう。何せ、飲み始めてからもう数分たっているのだから。

 全く私は酒に弱いな。なぜだろう、涙が。


 先日、初めて大きな事件を担当することになり、不謹慎かもしれませんが、半ばワクワクした気持ちで事件に臨んでいました。調査の最中、先輩は突然に姿を消しました。おそらくはあの場所に。

 その後、この日記帳が回収されたのです。無断で私のサイトにアップロードするわけですから、どれだけ叩かれてもおかしくはありまあせん。しかし、これはここを訪れた全ての人がが読むべきだと思っています。

 私がなぜそれほどまで大宮さんに執着しているのか。そう思った方もいるでしょう。私には、妻も子供もいませんでした。これといった趣味もなく、学生時代は「受験こそ全て」「大学に受かることが目標」「就職することが目標」と目先のハードルを越えること以外考えてこなかったのです。いざ就職すると世間一般にホワイト企業と言われているのもかかわらず満足に働けもせず、女性とおつきあいすることもなく、全くつまらない生活を送っていました。そんな私を「刑事」という道に進ませたのは間違いなく大宮さんです。

 大宮さんとは偶然居酒屋で出会いました。

 にいちゃん、風情があるね、そう言いながら私の隣の席に座ったその人は、辛気臭い顔をするな、若いうちを楽しまなくてどうする、と私を励ましてくれました。その後も何度かお会いすることがあり、その中で、今の仕事を辞めて警察の仕事をしてみないかと私を誘ったのです。たったそれだけの、されど私には大きな7年前のお話です。


 1月3日。現場の捜索をしたかったのだが、吹雪いてしまったために捜査を一時中断した。どうしても人員の安全確保が優先されるからだ。それまでに回収されたものは乗客たちのパスポートの残骸が複数程度。捜査の進展はこれといってなかった。

 今日は室内でこの事件の話をすることになった。酒の席だけは準備するなと釘を刺したから大丈夫だろう。捜査の情報が外部に漏れてしまってはいけない。

 部下たちも私も、これほど大きな事件は初めてであり、気だるげな者、悲観する者、興奮する者もいた。残念だがこれほどの事件になると、私もどうすれば良いのか皆目見当がつかない。部下たちはそんな私を励ましてはくれたが、それがどれだけプレッシャーになったのかは胸の内に秘めておこうと思う。

 午後になり解析班から資料が2つ手渡された。

 1つ目に、FDRとCVRはともに飛行機内部で止められたというものだ。飛行直後までは飛行中のデータと会話記録が残っているらしい。だが、当然それでは事件に関係する部分が全くわからない。これはやはり期待できそうにないな。

 2つ目に、現場の写真を解析すると、少し離れたところに人の、それもおそらく複数の人間の足跡があったというものだ。それは事故現場から北北東の方角にある。吹雪が終わったらその方向を調べてみようと思う。何か発見があるかもしれない。

 捜査に関して今日は以上だろう。これ以上の進展はあまり望めそうにない。こうして書いていると、私の部下の一人、利根がこちらを覗き込んでいた。何を書いているか気になったらしい。だが、これは少なくとも今は見せられるものではないな、そう考え追い払った。全く、警察に入ってから元気になりおってからに。

 今コンビニにいるのだけれど、大好きな漫画のコラボレーション商品を大量に買ってしまった。妻に怒られてしまいそうだ。ああ、忘れるところだった。今日は昨日飲んだ酒の缶などを処分しなければ。思ったこと、考えていることをこうして書いていると、忘れなくて済むな。これこそ日記のいい特性なのだろう。せっかくだ、枝豆でも買っていこう。酒のつまみには丁度いい。

 家に帰ると酒の匂いで充満していた。どうにか処分は終わったがなかなかやっかいなものだった。妻がいなくなるだけで私はこうなってしまうのか。しっかりせねば。今からラジオを聴く気にはどうしても慣れない。今までの日課だったにもかかわらず、昨日、いや、一昨日からどうしても聴く気には慣れない。今までもそんな日は度々あったが、3日も続いたのは初めてだ。

 妻はいつ帰ってくるのだろうか。


 大宮さんは先月ほどから日記を書くようになりました。私はそれを知っています。毎日のように「今日何があったか」と尋ねられれば気がついてもおかしくないでしょう。

 そんな大宮さんには大宮菖蒲という名前の美しい妻がいらっしゃいました。モデルなどをやっていたわけではないそうですが、モデルだと紹介されても全く疑問に思えない容姿をしています。いかにも「和服美人」という印象を私たちに与えてきます。同僚の春日部は、「あれいいな」と性的な目で見ていました。

 2週間ほど前、春日部は私に「俺、あのババアとやったわ」と、冗談交じりに不倫状態にあることを言ってきました。私は、それがどうしても許せなかったのです。手を出したわけではないのですが、いつのまにかナイフで彼を脅していました。そして絶縁状を書き彼に渡しました。実際のところ、仕事に支障が出てはいけないので、仕事などでの会話もできないように書いたわけではありません。

 私のこの行動を理解してくれた他の同僚のうち何人かも私と同様の行動をとりました。その後、春日部は仕事には来なくなりました。


 1月4日。吹雪は収まり、あの写真に写っていた足跡を調べることにした。吹雪の影響で足跡はほとんで消えていたが、何かを引きずっていた痕跡があるため、とりあえずこれを辿ることになった。降り積もった雪で体温が奪われ、早く帰りたいなと思いながらも歩き続けて15分程度、引きずった痕跡も、足跡も、どちらも消えてしまっているポイントがあった。仕方ないので、ここを中心に右に90度、左に90度、周囲3kmの範囲を捜索することになった。

 このポイントには目印をつけ、次の日まで捜査を延期をすることになった。さすがに吹雪いてしまっては捜査を続けられない。今年は例年より吹雪が多いようだ。

 この吹雪を車の中から見たとき、思い浮かんだのはあの白い蝶だった。白銀の世界、もうじき降り続ける白に覆われる世界に1羽舞う蝶。とても美しく、どこか儚い光景。私はその光景に憧憬した。いや、私が憧れたのはその光景ではなかった。あの白い蝶だ。その白い蝶のことを考えていると、どこからともなく、あの「白雪姫」が飛んできて、渋滞に引っかかったこの車の周りを待っていたと言わんばかりに飛び続けた。窓を開いてやるとそこから入り込んできて私の肩に留まった。しばらくすると、その蝶は満足したかのように、しかしどこか物寂しげに、雪の世界に戻っていったのだ。私はあの光景が忘れられないだろう。

 今日はいい気分でひとり酒ができそうだ。それも寂しさなく。


 大宮さんとは月に1度酒を酌み交わす仲でした。その中で私が普段アニメを見ていることを伝えると、彼は少し渋い顔をして、悪いイメージしかないということを伝えてきました。そこでオススメの軽いものを教えると、早いうちからハマったのです。最近では重い内容のものでも見られるようになっていました。しかし、それでも彼は絶対に他の人にそれをいうことはありません。警察内部では未だに白い目で見られるからでしょう。

 彼は勇敢な戦士でも、万能の勇者でもありません。それでも、私が彼に惹かれるのはなぜでしょうか。

 それはひとえに、「彼に救われた」からです。それ以上に何かが必要でしょうか。


 1月5日、快晴だ。

 ポイントに到着すると、目の前からあの白い蝶がやってきた。その蝶は、私を誘うかのように白銀の世界を進み続ける。私はそのあとを追うが、どこに行くのかが全くわからなかった。もしかしたら、別世界に飛ばされたりするのかもしれないと馬鹿げた考えさえ浮かんだ。30分ほど歩き続け、たどり着いたのは1つの山小屋と思われる建物た。ポイントから直線にして2km、北北西の方向。所有者は誰か、調査を急がせている。

 中からは強烈な異臭がしていた。それは血の匂いと死臭が混ざったような、いや、ようなではなくそうだった。あれは間違いなく血液の臭い、そして死臭で間違いない。すぐにそれは扉を開けることで証明された。

 4つの死体が発見され、1人の生存者が保護された。名前は浦和桜、妻の友人だ。桜は手足が壊死していた。すぐに切除しなければ助からないことは明白だった。死体はとても酷い姿で発見された。1つは首が割かれ、1つは壁に背をもたれ、頭から血を流していた。1つは生存者に抱えられ、1つは服がはだけていた。

 服がはだけていたのは、間違いなく私の妻だった。そして、首がかき切られていたのは間違いなく春日部だ。なぜ春日部がここにいるのか。春日部と連絡が取れなくなったのは1月16日、20日ほど前だ。

 もしや、この旅行は・・・。いや、そんなの信じられるわけがない。


 1月6日。と続けたいのですが、残念ながら6日の分はありません。大宮さんは自らそのページを破って捨ててしまいました。それだけ気に入らない内容だったのでしょうか。それとも妻に関するなんらかの内容なのでしょうか。

 私たちは、その6日の分を入手できませんでした。ですから当然、文字に起こすこともできません。ご容赦ください。彼が予想したことを推測しますと、1つ目に「この事故は機長、または副操縦士の自殺である」ということ。2つ目に、「この旅行はただの観光ではなく不倫のための旅行である」ということ。これらの疑問は当たっているのでしょうか、まるで謎解きですね。しかし、ここにあるのはエンターテインメントではありません。全く、私は不謹慎なことを考えるものですね。

 今日は休日に当たるのですが、我々に休日など用意されていませんし、今はされるはずもありません(本来はありますが)。大きな事故があれば当然解決されるまで駆り出されるのですから。しかし、その日の仕事が終わればそのあとは自由です。この日は我々は大宮さんの家で飲み会を開きました。ビールや焼酎、おつまみなどは各自持参ということでしたので、皆がそれぞれ持ち寄り、会話を楽しみました。

 菖蒲さんがいないことに気がついた1人がそのことを質問すると、大宮さんは大声で泣き出し、語り始めたのです。

 その後、大宮さんは喋り疲れたのか子供のように眠ってしまいました。いっそ、私が大宮さんのお側にいられれば良いのですが、そんなことはまだできません。皆が片付けている間に私はこの家の鍵を回収しました。そして、大宮さんをソファに寝かせたあとは解散ということになり、私が最後に家を出ました。戸締りをし、「夫婦の鍵の隠し場所」である玄関の植木鉢の下に置きました。そのことはしっかり連絡しておいたので、大宮さんが鍵をなくすということはないでしょう。


 1月7日、なんとなくテレビをつけてみると、相変わらずこの事故のことを報道していた。それだけ今回の一件が世間の関心を集めていることを改めて思い知らされる。

 テロップには「雪山で消息不明 遺体が発見」と書かれていた。テレビには重く口を開くアナウンサーが映っている。彼女が「現場の川越さん」というと、映像が切り替わった。映像には黄色いテープと警察、そして一面の雪、複数の木が写っている。わざわざ向かっても現場には入れないことを彼らも知っているはずだというのに。

 おとといの5人だが、そのうち4人は私が身元を知っていたということで、私が事情聴取されることになった。 

 まず保護された浦和桜について。浦和桜は私の妻、大宮菖蒲の学生時代からの友人だ。彼女はとても快活で、誰に対しても人当たりがいいというわけではないがねはとても優しい人間だった。彼女は秋葉原のカジノバーに勤務した過去をもち、賭け事はこれがなかなか強い。勝てたことがあるのは唯一、ポーカーだけである。勤務態度は良好で、とても給与もよかったらしい。

 次に栗橋入間。浦和に抱えられていた人だ。腹には刺し傷があった。彼は浦和の夫であり銀行員だ。性格は暗めの印象があるが、とても聡明かつ慎重な人間だ。浦和とはあまり釣り合う印象はないが、彼女曰く「カジノで五分五分の戦績で気に入った。惚れたのはそのあと」とも。もっとも、彼自身は彼女をとても好いていた。プロポーズの準備は万端で、いつでもできたが機会がなかったようだ。

 3人目に我が妻、大宮菖蒲。和装美人で落ち着きがあり、和やかな雰囲気をもつ人だった。いつでも私に気を使っていてくれて、しかし私に率直に意見を言ってくれる良き妻だった。もっとも、その影はもはやない。今思えば、少し私を尻に敷いていたような気もする。私はあの生活を取り戻したい、時間を巻き戻したい。戻れるならあの時に。まだ若かったあの時から。

 最後に、春日部幸手。こいつは首がかき切られた状態で発見された。彼は私の部下だった。どこか凶暴さを隠しているような、そんな印象を受けた人間だ。最近は仕事にも来なくなり、クビを検討していた人物だ。今思えば、良いエピソードも浮かんで来ない。そういえば、他の部下から絶縁状を渡されていた気もする。いや、北川辺からだけは何か違ったか。しょうもない部下だ。

 ここに上がっていない、私の知らない5人目は、服装から見るに機長で間違いないだろう。

 浦和桜の意識が完全に回復したら、話を聞こうと思う。


 私は大宮さんを尊敬しています。お慕いしています。いえ、これだけでは言葉に表すには足りません。そう、もっと大きな、もっと大きな何か。それが私の大宮さんに対する感情です。

 私は大宮さんの誕生日も、細かい住所も、知っています。小中学校も、高校も、大学も、実家の場所も、好物も、子供の時の夢も、学生時代にお付き合いしていた人も、学生時代の友人も、寝息のパターンも、体重も、身長も、普段のシャンプーも、家の寸法も、下着の色も数も、何もかもを知っています。

 大宮さんについて知らないことなどもはやありません。なぜ、私が大宮さんの隣にいないのでしょうか。私こそがふさわしいのです。私が隣に立たなければ、私が隣に座っていなければ、私が隣に寝ていなければならないのです。これらは全て大宮さんのためで、そうすれば全てがうまく行くのです。

 私が大宮さんの隣に行くためには何が必要でしょうか。何をすべきでしょうか。まずは菖蒲、あの人間を引き摺り下ろさなければなりません。


 1月7日、浦和桜を保護して3日。目を覚ましたという一報を聞き、私は秩父市内の病院へ駆けつけた。

 面会の手続きをし中へと通された。場所は2階、210号室。数回ノックをし部屋の中へ足を踏み入れる。窓際のベッドに横になり、外を眺める彼女はとても絵になる姿だった。久しぶりの対面に緊張してしまったのか、私は声が裏返ってしまった。それに気づいた彼女は吹き出したように笑い出し、「まだ私にこんな体力があったとは」と腹を抑えた。

 さすがに耐えられなくなり、私は咳払いをし、本題を切り出す。今、別の質問をして徐々に傷つけるくらいなら、最初から傷つけた方が優しいだろうという私なりの配慮のつもりだったのだが、実際はどちらがより救われていたのだろうか。あの状況を思い出させる時点でどちらでも変わらなかったのかもしれない。

 彼女は一瞬真顔に戻り、作り笑顔か、それとも自然にできたものかはわからないが、口角をあげて私を賭け事に誘った。彼女は、最初はコイントスで勝ったら教えてやるといっていたが、必死に頭をさげると教えてくれた。

 落ち着くまで7秒。彼女は話始めた。

 彼女はまず旅行前のことから話始めた。菖蒲と春日部は付き合いたてのカップルのような雰囲気だったということを。

 しかし、旅行中の出来事は、私に配慮してか省いたようだった。

 そして、本題の事故のあとである。

 私の妻は事故の際に既に死んでいた。シートベルトをし忘れたために、飛行機の中を転がり回っていたらしい。全身を打っていて、もう助からない状態だったそうだ。

 事故直後は、彼らの他にもいきていた人がいたということも話してくれた。それに関しては、こちらでも検死で大方把握している。そして、そのあと、自らを機長だという男が、山小屋まで案内したこと、その際に妻を山小屋まで頑張って運んだことを教えてくれた。

 1日目は食料があったそうだが、次の日に回す分を春日部が全て食べてしまったこということもあったらしい。

 2日目は、機長が「自殺のために墜落させた」ということを3人に話したらしい。パチンコで作った借金が原因だったそう。そして、その話を聞いた春日部が自暴自棄になり、機長を壁に殴りつけたそうだ。その様子に腰が抜けてしまった二人は部屋の角に固まっていたそう。当然だ。大の大人がまるで子供のように暴力を振るっている。怯えないはずがないのだ。そしてその後、春日部は既に冷たくなった私の妻の服を破り捨て、自らのものを出し、もうこれで俺のものだと全身を舐め回し挿入しようとした。その時に、入間が荷物からナイフを取り出し、春日部を切りつけようとした。しかし、春日部はこのナイフを奪い、入間にの腹に刺してしまったのだ。それでも入間は諦めず、隠し持ったもう一本で春日部の首をかき切り、そのままお互いに倒れてしまったようだ。浦和は、そんな彼を3日の間抱きかかえ続けたということになる。

もっと話を聞くことはできなかったが、十分すぎるほどの情報は得られた。これ以上彼女に負担はかけないよう、私から他の人に配慮するよう伝えてはおいた。

 ああ、紙が滲んでしまうよ、情けない。


 大宮伊奈男さんは、もしかしたら、最初からそのつもりだったのかもしれません。話を聞いてからそう決断されたのかもしれません。しかし、彼が妻思いだったことは事実であり、疑う余地はありません。なぜ、私は彼の隣にいる権利が得られないのでしょうか。この計画は完璧だったはずです。春日部には菖蒲を寝とってもらい、離婚の話になってから私がその心のケアと生活のサポートに回る。完璧だったはずだというのに。なぜ失敗したのでしょう。全てはあの機長とかいう奴のせいです。あいつがあのタイミングで自殺なんて試みなければよかったのに。あいつがあの飛行機を操縦しなければよかったのに。あいつがあの時にあの席に座っていなければよかったのに。あいつがそもそもこの世にいなければよかったのに。あいつのせいで、あいつのせいで、あいつのせいで、あいつのせいで!

 そうです。世間もあの機長を許せないはずです。そうでしょう?皆があの機長を批難すべきなのです。あの機長は自らのために他の人を巻き込んで自殺しようとした愚か者です。

 奴は、誰にも許されることはないでしょう。


 1月8日。私は最後に市内のいろいろなところを回ろうと思っている。今来ているのは、駅の向こうの商店街だ。

 市の大きな図書館を横切るとトイショップやざわが見えた。ここで、まだ若かった時はカードゲームで遊んでいたな。

 更に北に進んで、2つ目の交差点を右に曲がって数メートル進む。私の好きな菓子屋が見えてくる。新井屋だ。そこで久しぶりにいがまんじゅうを食べた。薄皮が歯に挟まったが、とりあえずどうにかはなった。私はこれから反対側、玉敷神社へ行こうと思う。

 玉敷神社にお参りし、隣の玉敷公園で休憩する。この辺りは梅雨の時期になると紫陽花の名所になる。玉敷神社は分社も存在する歴史あるものだ。ああ、雨が降って来た。葵寿司にでも寄ろうかな。

 他にも、今日はたくさんの場所によって来た。さすがに書ききれないな、これは。

 明日、全てが終わる。


 私は、彼がすでに何かを企んでいることを知っていました。ついていくと、いろいろな場所を回っているようです。何か行動を起こすつもりなのでしょうか。でしたら私に言ってくださればいいというのに。

 今回のドライブコースはどうやら適当に思い立ったところに行っているようです。これではさすがにどの順番かわからないので、あらかじめ行きそうなところにはカメラを仕掛けておきました。そして、その仕掛けた20箇所全てに大宮さんは映っていたのです。さすが私、これでまた大宮さんのことを知ることができる!ですがこの様子だと、明日には自殺しそうですね。だったら私も身を投げればいい、それだけの話ですが。


 1月9日、快晴だ。透き通るような空だ。私は秩父の現場付近に来ている。この日記はこの机に残しておけばいい。ここから数km の場所に崖がある。下見なんて、今更する必要がない。せっかくだから、部下のみんなにこの日記を公開してもいいかもしれない。あとは自由に使ってもらって構わない。あとは崖の下ににふらっと消えればおしまい。

 妻とは大学で出会った。必死にアプローチをしてようやく掴み取った幸せだった。妻は不妊治療をしても子供を授かることはなかった。それでも楽しい日々に間違いはなかった。きっと、不倫に走ったのはその負い目などもあるのだろう。だとしたらそれは私の責任だ。全ての原因はきっと私にあるのだ。であれば私が償わなければならない。

 今までみんなありがとう。私に楽しい人生をありがとう。私に素晴らしい人生をありがとう。

 私は私にできることをした。あとは若い者に任せて私はここを去ろう。

 私の遺言はただ1つ、「この日記を特殊事件捜査班第三係の部下たちに公開すること」だ。

 君たちに幸運を。殉職者より敬礼を。


 「捜査中の事故により、大宮伊奈男係長は殉職されました。彼の遺言により、日記をあなた方特殊事件捜査班第三係に公開致します」

 そう言われて日記を渡されて納得ができるわけがないでしょう?大宮さん。このサイトを見ているあなたは、この事件をどうお考えですか?私は大宮さんを苦しめたひどいものだと考えています。あの事故を当然あなたは知っています。なぜなら、なんどもニュースで既に見ているはずだからです。

 ちょうど目の前に蝶が飛んでいますね。なんども出てきた白い蝶が。二度と人の前に出てこられないよう、丁寧に燃やしておきましょう。一体、羽から燃やされる気分はどうなのでしょうか。しっかり触覚も体も反対側の羽も燃えていく、さすが「白雪姫」のような蝶ですね。燃えている姿も美しい。大宮さんも、この姿を想像していたのでしょう。きっと燃えてもこいつを愛する人はいるのでしょう。童話に出てくる王子のように。その姿が魔法なら、こいつはシンデレラなのかもしれません。しかし、今のこいつは灰被りではなく灰そのものですが。あなたも、この「白雪姫」のような運命を辿ってはみませんか?いえ、さすがに冗談です。

 そのうち、事故のワイドショーや特集番組で私の話題が軽く触れられるでしょう。

 そうすれば、きっとこれを読むあなたはこの崖に来るでしょう。そして、崖に引きずり込まれるのです。

 その時まで、しばしのお別れです。

 それでは崖の下でお会いしましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遺書 キュバン @cubane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ