最終話 高校生の時の話

 帰ると美優は、どこにもいなかった。

 

 いつものように美優に見送られて、朝練へ行った。そのあと受けたくもない授業を受けて、本練は休みだったから、数人の友達と少し遊んで帰った。

 

 そうしたら、家のどこにも、美優がいない。私の部屋にもリビングにも、どこにもいない。

 

 昨日も一昨日も、いつも通り過ぎるほどで、愛し合ったりしてたのに。

 

 それが今日になってなんで、いきなり。

 

 「美優、美優、ごめんね、なんか気に障ったんなら謝るからさ、お願いだから、顔を見せてよ。声が聞きたいよ。美優がいないと、よく眠れないんだよ…」


 そんなことを言っても、もう美優には届かないと、私は何となく気づいていた。


****


 「今日、ちょっと遅くなるかも」


 起き抜けに、雫は言った。私も雫も裸で、あのあと寝ちゃったのかと気づく。

 雫はベッドから降りて、着替えを始めた。


 「遅くなる?」


 私は寝転んだままで訊く。


 「そ。なんか、友達とは、一緒にカラオケへ行く人を指すらしい」

 「なにそれ」

 「昨日、美咲に言われた」


 美咲とは、雫が高校生になって友達になったという子だ。


 「へえー…」私はなるべく嫉妬を隠して言った。「そっか。わかった。楽しんできてね」


 「うん」雫は嬉しそうに笑う。


 あーあ、と少し残念になった。昔は私だけの雫だったのに。親しい人は私しかいなくて、ずっと構ってくれていたのに、最近では置いてきぼりを食らうことが増えていた。


 悪いことではないし、雫に友達ができるのは私としても嬉しい。


 けれど、寂しくないと言ったら、嘘になる。


 ずっと私に笑ってくれていればなあ、と思う。


 「あ、でも」雫はふと声を出した。「それが友達の定義っていうなら、私たちは最初から友達じゃなかったねえ」


 むっとして、聞き返す。「だったらなにさ」

 すっかり高校の制服に着替えた雫は、ニヤリと笑って言った。「最初から、恋人」

 「う…ふしゅー」


 そんな不意打ちは、ちょっとズルい。


****


 美優は確かに笑ったはずだ。美優は私を求めていたはずで、私は美優を求めている。


 それなのに、どうして。


 「…なんかあった?」


 美咲が心配そうにする。


 「ああえっと…なんでもないよ」


 美優のことは、友達には言っていなかった。昔、結構な失敗をしたわけだし、言わないのが得策だと思ったのだ。とはいえ、恋人がいる、ということは言っているけれど。


 「うそつけ。何もないのにそんな顔するわけないでしょ」

 「…私は憂色の貴公子と呼ばれているけれど」

 「そうだけど…それ自分で言って恥ずかしくないの?」

 「恥ずかしいに決まってるでしょ」


 そんな会話をすることでさえ、美優がいない今、なぜだか後ろめたかった。 


 「…恋人が、急にいなくなった」

 「あらまあ。メールは?」

 「携帯持っていないの」

 「ああ…その人がってこと?」

 「そう」

 「そりゃあ本格的に…」美咲は目を伏せて言った。

 「でも、原因が分からない。その前日まで全然ラブラブで、むちゃくちゃイチャついてたのに」

 「聞いてない」美咲は言ってから、こういっちゃなんだけど、と言う。「えっと…その、あんたの愛が重過ぎた、みたいなことだったりして」

 「……」


 盲点だったような、と思う。

 確かに、私は美優へ、過剰に好きだとか言っていた気がする。けれど、それは美優の方だって同じであるし、そんなことで引いてしまうような子じゃないと思う。


 だって、それならとっくの昔にいなくなっていたと思うから。


****


 「美優が寂しいなら、別に出かけなくたって」


 なんて、雫がそんなことを言った。ある日の休日だった。

 はは、と私は笑ってごまかす。今にも、じゃあ一緒にいて、と言いたくなってしまったからだ。


 「いやあ…別に寂しかないし」

 強がって見せたけれど、雫は少し笑った。「いやいや」

 「なにさ」

 「可愛いなと思って」

 「んな…!」


 なんか、高校生になってから雫の発言に王子様感が出てきたな。


 「えっと…いやうん、寂しくないよ。雫が楽しければ、私も楽しいから」私はどきどきしているのを隠しつつ言う。「…あと、出かける前のキス、結構楽しみだし」

 「…そんなん、今するけど」

 「いやいや、風情がね、大事なんですよ。玄関でするキスに意味があるんですよ」

 「そういうもんかね」

 「うん」


 納得いかなそうな雫だったが、結局、その日も出かけて行った。


 「……」


 家に一人、残って思う。


 雫、完全に私が人から見えないこと、忘れているよな。いや、忘れているわけでは無いのだろうけれど、実感が薄れている感じがする。


 私の為に実生活の予定を変える、なんて、馬鹿げている。


 私はだって、いないのだから。


 存在しないのだから。


 雫の生活に悪影響を及ぼすのは、何かが違う気がする。


 「…私は、本当はいないんだよ、雫」


 そう言ったら、雫はきっと悲しい顔をするのだろうな。


 愛してくれるのは嬉しい。両想いになれたことは嬉しい。


 けれど私は、雫のために、いなくならなくてはいけないのかもしれない。


 「もうそろそろ…」


 私なんか忘れて、誰からも見える人と結ばれないといけないのだろう。


****


 その日の私は、真っ直ぐ帰ってきた。というか、その周辺の数日間、あまり遊んでいなかった。

 美優との時間を潰すのは勿体ない、という思いが出てきたからだ。


 「あ、おかえり、なんか最近早いねえ」ふんわり笑った、美優が言った。

 「ああうん、なんとなく、ね」


 美優に言ったら、気にしないで、と気を遣ってくれるだろうから、本当のことは言えなかった。

 しかしまあ、わざわざ言うほどのことでもないさ。


 「ふいー、疲れた」


 呟きながら、浴室の方へ向かう。帰ってすぐシャワーを浴びるのは、中学で陸上部に入ってからの慣習である。

 浴室の扉を隔てて美優と会話をするのも、そうだ。


 「…ねえ、雫?」


 美優が早速、話してくる。


 「ん?」

 「高校生活、たのし?」

 「え…うん、まあ」

 「そっかそっか…それなら良かった」

 「…? どうしたの?」

 「んーんー、なんでもないよ」


 楽しそうに美優は言った。


 「ねえ、私は、雫のこと大好きだよ」

 「…うん、私も美優のことが好き」

 「ずっと、ずっと、一緒だったもんねえ」

 「生まれたときから、今までずっと、多分これからもね」

 「……」


 美優は答えなかった。今思えば、美優はこの時点でもう、出て行くことを決めていたのかもしれない。


 「もう、時間だよ」


 「え?」

 「晩ご飯の時間ですよ」

 「そんな時間、特に決めてないじゃない」

 「そうだっけ」


 あはは、と美優は笑った。


****


 ああ、私もう消えるな。


 そう分かった。


 でももう、雫には私が必要ないどころか、私は雫にとって足かせの様でもある。


 だから、これで良い。


 これが正解だ。


 「じゃあね、雫」

 「…? うん、行ってきます」

 帰ってきたら私がいない、なんて、雫は泣いちゃうかもなあ、と少し心配になった。


 けれど私は、雫が好きだから。


 さようなら。大好きだったよ、雫。家の扉が閉まってから、そうつぶやいた。

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あなたと二人で生きていたい 成澤 柊真 @youshi

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