番外編 駒門飛鳥の変身

 あたしは昔から、自分のことがあまり好きではなかった。

 小学校の頃からすでに胸が人一倍大きかったあたしは、何かと男子にはからかわれたし、同性の女子からもいい顔はされなかった。


 中学生になれば男子達の目はさらに厭らしくなり、女子達からもますます嫌われて……虐められるようになるまで、そう時間は掛からなかったと思う。

 それでもジッと我慢してさえいれば、立ち向かわずに逃げ続けていれば、いつかは終わるはずだと……自分をずっと慰めていた。


 それが間違いだと思い知らされたのは、中学2年の夏休み。お盆の半ばを過ぎた頃だった。


 天気予報に裏切られ、土砂降りの雨に晒されていたあたしは――ずぶ濡れになりながら、いつも利用しているバス停に駆け込んでいた。

 傘も持っていなかったあたしのブラウスは、ぴっちりと肌に張り付いていて――ピンクのブラも何もかも、透けていたのを覚えている。


 それでも普段から人気の無いバス停だから、あたしは大して警戒することもなく、いつも通りに帰りのバスを待ち続けていた。

 ――それがどれほど致命的な過ちだったのか、知る由もなく。


「おっほー! ウワサの巨乳中学生はっけーん!」

「今日は寝ずに一晩中お楽しみターイム!」


 確か、そんなことを言っていたような覚えがある。見慣れないハイエースが通りがかった瞬間、あたしはいきなり男達に連れ込まれ――誘拐されかけた。

 なくはない、とは聞いていた。危機感の薄い少女を狙って、暴行を企てる輩に襲われるという話も。それが原因で、命を絶たれるという話も。


 ニュータントと呼ばれる超人達が跋扈するこの時代においては、さして話題にもならないというだけで。そんな現実は、確かに在るのだと……あたしはその時になって、ようやく理解していた。

 ジッと我慢したところで、あたしが思っていたような「終わり」など来ないのだと。


「待てッ! そこで何をしているんですかッ!」


 その時だった。ハイエースの中に消えて行くあたしを見つけた、1人の男の子が声を上げたのは。


 土砂降りのせいで辺りに霧が立ち込めていたこともあり、どんな子だったかはあまり覚えていないが……確か、同級生くらいだったと思う。

 彼はあたしを連れ込もうとしていた男達を見つけるなり、眉を吊り上げていた。まるで、悪戯を見つけた学校の先生みたいに。


「あぁん? ……アッハハハ! ボクちゃん、ヒーローごっこかい? カッコいいねぇ!」

「見なかったことにしてくれたら……半殺しで許してあげちゃうぜ?」


 もちろん、こんな犯罪を犯すような悪人が、子供1人に見咎められたところで引き下がるはずもない。

 彼らは男の子に下卑た害意を向け、あたしは……あまりの出来事に、悲鳴を上げることすら出来ずにいた。逃げて、と叫ぶことさえ出来なかった。


「なんでその子、ずぶ濡れなんですか……! さては、あなた達!」

「ふへへ……」

「その子に風邪を引かせるつもりですね! 許せんッ!」

「……へ?」


 の、だが。次に飛び出してきた斜め上の発言を受けて、男達と一緒に固まってしまったのを覚えている。

 しかもこの男の子、やたら喧嘩が強くて……男達はあっという間に、彼1人にのされてしまったのだ。


 ただ、あたしにとっては誘拐されかけたショックの方が強過ぎて……結局、差し伸べられた彼の手の振り払って、その場から逃げてしまった。

 彼の目にはさぞかし、礼の一つも言わずに立ち去る、失礼な女に見えたことだろう。……実際、あたし自身もそう思っている。


 その理由は、至って単純。……あたしが、あまりにも弱かったせいだ。

 黙ってジッと我慢してさえいれば、やり過ごせる。そう信じて疑わず、立ち向かうことを考えもしなかった。

 そして、情け無いことに……そんな私が自分の愚かさを知ったのは、この件を通して「見ず知らずの他人」を巻き込んでからのことだったのだ。


 あれからあたしは連日、両親や兄妹達に心配されながらも。危険を承知で、現場に足繁く通い……なんとかもう一度、彼に会おうと試みたのだが。

 それから再び、彼に巡り会える日は来なかった。会いたいという想いが、日増しに募るだけ。……今にして思えば、あれがあたしの初恋だったのかも知れない。


 そして、その初恋は……あたしの弱さのせいで、苦い幕引きとなってしまった。


 ――あたしの弱さで傷付くのは、あたし1人では済まない。その現実に直面して……あたしは、男を恐れない自分に「変身」しようと空手を始めた。

 それなりに才能はあったらしく、始めてから僅か1年で、全国大会にまで出場出来るくらいの実力は身に付いた。あの時のようなただの悪漢如きなら、一捻りできる。もう、それまでの私とは違う。


 だけど。それはただ、「力」を「力」で返しているに過ぎなかった。気がつけばあたしは、自分の拳で周囲を怯えさせていたのだ。ただあたしより弱いというだけで、悪い人なんかじゃない男子達まで。

 あたしはただ、弱い自分を変えたかっただけなのに……そのためだけに、周りの人を何人傷付けて来たのだろう。そう思うと、怖くなり……あたしは教師達の勧めを振り切って、高校進学を機に空手をスッパリ辞めた。


 そして出会ったのが……グラビアだったのである。誰も傷付けることなく、コンプレックスだった自分の胸も武器にして、男嫌いを克服した自分に「変身」できる道。それが、この世界だった。

 派手過ぎる、過激過ぎると言う人もいるけれど。父さんも、あまりいい顔はしなかったけれど。それでもあたしにとってこの世界は、変わろうとする自分を受け入れてくれる、最後の「居場所」なのだ。


 だから、その「居場所」を守ってくれた彼……橋野架には、本当に感謝している。最近事務所に入ってきた、乃木原佳音のぎはらかのんという可愛い後輩が出来たのも、ひとえに彼のおかげだ。

 出来ることなら、もっと深い仲に……とは想うけれど。今はまだ、そんなワガママは言えそうにない。


 でも、いつか。いつの日か、彼の背にのし掛かる「荷」が降りた時は……あたしが、支えになってあげたい。

 それがきっと、弱くてダメだったあの日のあたしを……本当に乗り越えることだって思うから。


「そんじゃ、撮影入りまーす! 飛鳥ちゃん、準備いいー?」

「はーい! いつでも行けまーす!」


 だからあたしは――駒門飛鳥は。過去の自分を振り切って、前に進むために。今日も際どい水着姿で、カメラに向かって微笑むのだ。


 ……そういえば。

 あの日、あたしを助けてくれた男の子……。彼、ちょっと架に似てたような……?


 い、いやいや。ないない。だって……架は日本に来るまでずっと、アメリカにいたはず。

 日本に来たのだって、つい最近って話だったし……確かにあたしと架は同い年だけど、あの時のあたし達に面識なんてあるわけがない。

 あんまり天然なセリフを吐くもんだから、記憶の中で彼と混ざっちゃったんだ、きっと。うん、そうに違いない。


 ……違いないのに。なんなのだろう、この……もやもやは。

 ええい、余計なことは考えるな! 仕事しろ、グラビアアイドル・駒門飛鳥っ!


 ◇


 ヒーローによるヴィラン退治の現場は、常に開けた場所であるとは限らない。むしろ全体的に見れば、入り組んだ場所での戦いになるケースの方が多いとも言われている。


 神嶋市の中央に位置する、大手ショッピングモールセンター。快晴に包まれた真昼の空の下、多くの市民で賑わうこの施設で――今日も「大捕物」が繰り広げられていた。


「架さん、そっち行きました!」

「わかった!」


 ブランド品のバッグや靴等を抱えた女型の怪人が、2階から飛び降り噴水場に駆け込んで行く。その後を追いながら、「レッドブレイズ」こと火野元気ひのげんきの叫びに応じて――キュアセイダー2号が、白血砲をその両肩から撃ち放った。


 だが、噴水場の水柱を目眩しに使い、ヴィランは巧みに逃げ続けている。エスカレーターを素早く駆け上り、パニック状態の市民を掻き分けながら、「彼女」はひたすら2人のヒーローの追走をかわしていた。

 ただでさえ高低差が激しい上に、人通りも多い中では、ヒーロー側は飛び道具を多用できない。地理的な条件を味方に付ける事で、女型のヴィランは数的不利を覆さんとしていた。


「こんのッ……!」

「ダメだ、元気君! ここでの『火炎弾』は周りの人を巻き込むッ!」

「……あぁもうッ! ラチがあかねぇな!」


 真紅の肌に、橙色の髪と瞳。不動明王の如き、猛々しい外観。燃え滾る炎を纏うその容貌と違わず、レッドブレイズは火炎を操る能力を武器としている。

 だが、民間人が数多く行き交うこのショッピングモールにおいては、その力は余りに強過ぎた・・・・


 巧みな体術と、狭い場所を自在に駆け回れる脚を武器に、ショッピングモールを縦横無尽に移動するヴィラン。

 彼女を捕まえるなら、足を止める一瞬を突くしかない。その絶好の好機が訪れたのは――駐車場まで逃げ込んだ彼女が、通りがかったハイエースを奪おうとした時だった。


 車を使って体力の消耗を抑えながら、追跡を振り切る。2階に上がっていた際に、その意図を掴んだキュアセイダーは頭上から白血砲を構えるが――そこからでは、ハイエースごと破壊しかねない。

 中にいるであろう運転手を傷付けることなく、ヴィランだけを撃つには……地上から狙う必要がある。


 そこまで思い至る瞬間。彼女を追って駐車場まで飛び出して来た、レッドブレイズを目にして。

 キュアセイダーは――橋野架は、砲口を地上にいる・・・・・彼の方に向けた。


「元気君! 縄ッ!」

「……! はいッ!」


 2階にいる架から、その指示が出る。それが意味するものを一瞬のうちに察して、レッドブレイズは火炎の縄を顕現させた。

 刹那――彼目掛けて撃ち放たれた白い砲弾が、レッドブレイズの「火炎縛り」に絡め取られてしまう。


「そぉお……らァアァッ!」


 白血弾を捕らえた彼は、そのままハンマー投げの要領で砲弾を振り回し――やがて真横・・の位置から、ハイエース目掛けて投げ飛ばしてしまった。


「きゃあぁあぁっ!?」


 空を裂き、地を這うように飛ぶ白血弾は。そのまま――運転手を襲っていたヴィランに炸裂。

 甲高い悲鳴と共に、彼女の「異形」は溶かされ……人間の・・・「ブランド品泥棒」だけが、その場に残されたのだった。


 ◇


「なんでよぉっ! あたしは……あたしはニュータントなのよっ! 選ばれた新人類なのよっ! ――ブランド品くらい、いいじゃないのよぉおっ!」

「……聞くに耐えんな。新見、さっさと連れて行け」

「ハ、ハッ!」


 それから、程なくして。現場に駆けつけた警官――浅倉茉莉奈と新見眞彦によって捕らえられたヴィランは、此の期に及んで泣き喚き、抵抗を続けていた。しかし、人間に戻った女性の力では警官に太刀打ち出来るはずもなく、そのままパトカーに押し込まれていく。


「いでっ!?」

「おい、新見ッ!?」


 それでも、彼女は諦めてお縄につくことを良しとせず――自分をパトカーに乗せようとする警官に噛み付き、その隙に逃げようとしていた。

 彼女の凶行に気付いた、爆乳の女刑事はすぐさま取り押さえようとするが……ニュートラルの残滓だろうか。「元ヴィラン」は手錠をされているにも拘らず、かなりの速さで駆け出していた。


「……」

「あっ……危ない! そこの君、逃げッ――!?」


 やがて、彼女が逃げ続けて行く先には――Tシャツにホットパンツという、露出度の高い私服に身を包む、1人の美女が居合わせていた。

 このままでは、無辜の民間人が巻き込まれてしまう。その可能性を危惧した茉莉奈が、Hカップの巨峰と黒のロングヘアを、上下に揺らしながら――声を上げた瞬間。


「そこのあんたぁあ、どきなさっ――ぶげぇえッ!?」


 ホットパンツ故に露わにされる、白く艶やかな美脚が。弧を描くように、鋭く振り抜かれ――元ヴィランの頬を横薙ぎに打ち据える。

 それは元空手部主将の肩書に恥じない、鮮やかな上段回し蹴りであった。衝撃に揺れる黒髪のボブカットと、たわわに弾むFカップの巨乳が……彼女の美しさに、彩りを添えている。


 逃亡犯を一瞬のうちに撃沈させた、彼女の蹴りを目の当たりにして……茉莉奈と新見は暫しの間、唖然とした表情で固まっていた。

 その正体が「顔見知り」であると気付いたのは、彼女の一撃が決まってから、約数秒後のことである。


「きっ、君は……駒門君か! ありがとう、助かった! ……すまない、我々警察の落ち度だ」

「あはは、気にしないでください。今日はもう撮影も終わって、明日はオフですし……久々に『いい運動』にもなりましたから」

「そうか……しかし、驚いたな。グラビアアイドルになる前は、空手を嗜んでいたとは聞いていたが……まさか、これほどの蹴りを持っていたとは。ヒーローでないことが惜しまれるほどの鋭さ――」

「うっ……うっひょおぉお! 飛鳥ちゃん、すっばらしくナイスな一撃でしたね! なんと艶やかなハイキック! なんと美しい御御足! 是非、是非僕のことも蹴ってくださっ――んがッ!?」

「――お前は少し反省しろ。元を正せばお前の手落ちなんだぞ」

「ぐっほぉお……! 浅倉先輩の御御足に踏んで頂けるこの至福ッ! グリっと刺さるヒールの痛みッ! タイトスカートから覗く、しなやかな柔肌ッ! 不肖この新見眞彦、絶頂を禁じ得ませんッ!」

「……こいつは、こいつは全く……。すまんな駒門君、根は悪い奴ではないんだが……」

「あ、あはは……」


 そんな「いつも通り」な彼ら2人に、苦笑いを浮かべつつ。華麗な上段回し蹴りで、悪を成敗して見せた駒門飛鳥は――自分の足元で昏倒している元ヴィランを一瞥する。


「……下らないことしてないで、あんたもさっさと診て・・もらいなさい。ブランド品よりもずっと……自分のことを、好きになれるから」

「駒門君……」

「大丈夫よ。……人は、変われる。あたしもいつか、変わって見せる」


 そして。毅然とした面持ちで、その一言を残すと。茉莉奈に微笑を向け――さながらヒーローの如く、この場を立ち去って行くのだった。


「……おっ……お姉様……っ」


 いつの間にか、意識を回復させていた元ヴィランが……恍惚の表情で、自分の背中に見惚れていたことなど、知る由もなく。


 ◇


 ――その頃。捕らえたヴィランを茉莉奈達に託し、現場を後にしていた橋野架と火野元気は。キュアセイダーの専用車である「マシンエイドロン」に乗り、帰路についていた。


 真紅のオープンカーは颯爽と風を切り、東京都某区の城北大学付属病院を目指している。……実は架は今回、昼休憩だったところを抜け出して来ていたのだ。

 可及的速やかに職場まで戻らないと、患者達や専属看護師ナースの藍若楓に、心配を掛けてしまう。法定速度ギリギリを攻めつつ、エイドロンは市外を目指して高速道路を駆け抜けていた。


「しっかし、今回はまた随分としょっぱいヴィランでしたね。人間を超える力を手にして、最初にやりだしたのがブランド品泥棒とか……」

「いいことだよ。ニュータントになってまでやることがそれ……ということは、その程度の悪事しか思いつけないくらいに、根が優しい人だったということさ」

「……あっははは! やっぱ架さんって、変わってるっすね。神威教官が言ってた通りっす」


 そんな中でも、敵対していた「ニュータント」と言う名の「患者」を慮る架の横顔を目にして……助手席から風を浴びる元気は、朗らかに笑っていた。


 新人ヒーロー達に鬼教官と恐れられる神威了から、「バカにつける薬はない、という言葉の見本」とまで言われている橋野架。

 そんな彼が、そこまで揶揄されている一方で。その教官かむいから信頼されてもいる理由を、垣間見た元気は――「バカ」と言いたくもなる架の優しさに、満面の笑みを浮かべている。


(……そういえば6年前の盆、施設に一度だけ「里帰り」する途中で……あの子・・・を助けた時も、あんな感じのハイエースだったっけ)


 そして、そんな元気をよそに。

 今回の事件で目にしたハイエースから、6年前の「一悶着」を思い出した架は――紆余曲折を経て再会・・した「彼女」の現在いまに、独り頬を緩めていたのだった。


(彼女はオレのこと、全然覚えてないみたいだけど……元気そうで良かったよ、駒門さん)

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白十字仮面キュアセイダー オリーブドラブ @HAWK

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