番外編 在りし日の聖天使
「
「ごっ……ごめんなさいっ!」
――昼下がりの校舎裏で、もう何度こんなやり取りを繰り返しただろう。私は今日も、交際を申し込まれ……お断りしていた。
今日私に告白して来たテニス部の先輩は、校内にファンクラブが出来る程の美男子。本来なら、喜んでOKする所なのだろうが……残念ながら、私にそんな余裕はない。
17歳になり、専門学校の受験を来年に控えた今、私は看護師としての勉強に備えなければならないのだ。
……兄のような
◇
「まーた断ったんだって? さっすが男子の人気を独占しちゃう『学園の聖天使』様、私共とは見る目が違いますなー」
「も、もうやめてったら」
その日の放課後。私は友人の|凪沙
《なぎさ》と2人で、帰路についていた。彼女はにやにやと笑いながら、いつもこんな調子でからかってくる。
「全く、いつまでも勉強勉強じゃあいざって時に彼氏出来ないぞー。好みのタイプとかいないわけ?」
「こ、好みって言ったって……わぷ!」
「あっはは、何してんの楓!」
「私のせいじゃないよっ! ――あ、これ今朝の新聞だ」
そんな時だった。ふと、風に吹かれた1枚の新聞が飛んできて、私の顔面に覆い被さってきたのだ。
慌ててそれを取り払った私の眼前に、一面を飾る記事が飛び込んでくる。それは、今世間を賑わせている「天才」のことが書かれていた。
「18歳の若さで医師免許を取得した稀代の天才、
「……」
「……え、何。もしかして橋野クンがタイプってこと? いやーさすがお目が高いわー」
「え、ちょ、なっ、何も言ってないでしょ!」
「目が語ってますー、キャー私の王子様ーって顔してましたー」
「な、凪沙ーっ!」
私がその記事を眺めていると、隣で見ていた凪沙がまた茶々を入れてくる。私は思わず新聞を振り上げ、彼女のことを追いかけてしまったのだが――彼女の言葉を、否定できないでいた。
こんな人とならきっと、より多くの患者を救っていける。兄のような悲劇を、止められる。自然と、そう思えてしまっていたから。
――だけど、この日から僅か2年後。その橋野架先生と同じ病院で働くことになるなんて、当時の私は想像すらしていないのであった。
◇
病や怪我に倒れた人に手を差し伸べ、その未来を明日に紡ぐ医師。彼らは紛れもなく、人々の笑顔を守ってくれる「ヒーロー」なのだと、私は今でも信じている。
だが、それは世間にとっては違っていた。街の人々が常に「ヒーロー」と呼び、讃えているのは――ニュータントと呼ばれる超人達。感謝と称賛はいつも、その力を善に生かす勇敢な人にばかり集まっていた。
無論、私は彼らを否定するつもりなど毛頭ない。未だに感染経路も予防法も判然としていない病に罹り、それでもなお人として正しく在ろうとする生き様の、なんと気高いことか。
曲がりなりにも、医療関係者として病と向き合って来たからこそ。彼らの素晴らしさを、実感することができる。……ただ、誰よりも理解されて欲しい人の功績が、おざなりにされているように感じてしまうことも、事実だった。
ヒーローとヴィラン……つまりはニュータント同士による戦いが及ぼす被害は、生半可なものではない。著名なヒーローの活躍を生で観ようとしたがために、命を落とした民間人も少なくないのだ。
彼が……橋野先生がいなければ。そうした「余波」で未来を絶たれてしまう人々は、数多く居ただろう。だが、その成果が取り沙汰されるようなことは決してない。
私にとってのヒーローはいつも、テレビには映らない
『現在、連続強盗の容疑で指名手配中のヴィランは、未だ品川方面を逃走中であり……周辺住民の被害が懸念されております。中継の荻久保さん!』
『はい! こちら品川駅前では、既に警官隊がヴィランの出現に備え、迎撃体勢に入っている模様です!』
『――犯人は必ずこの地点を通過するはずだ。ヒーローだけに市民の安全を任せるわけにはいかん! 気合いを入れて行けッ!』
『ハッ!』
東京の大都市に建ち並ぶ、高層ビル群。そこに設けられた街頭ビジョンには、もはや日常的な風景である「捕り物」の様子が中継されていた。私を含む大多数の人にとっては約束された休日である、日曜日の午前であっても……その光景に変わりはない。
澄み渡る声と圧倒的なプロポーションで人気を呼ぶ、人気女子アナの荻久保瞳。彼女の背後では、品川駅前に展開された警官隊を従える――顔見知りの浅倉茉莉奈さんが、たわわな巨峰を激しく揺らしながら、部下の人達に檄を飛ばしている様子が窺える。
『……! 来たぞ! 総員、射撃用意ッ――!?』
それから、間も無くして。ヴィランの接近に気づいたらしい茉莉奈さんが、勇ましく号令を上げた。
その叫びに合わせて、カメラも彼女の視線を追うのだが――そこに映されていたのは、街道を疾走する猟犬のようなヴィラン。だけでは、なかった。
『おおっ! あれは……! 滅多に公の場には現れないヒーローとして知られている、レアな2人の登場のようですっ!』
街を脅かす怪人を追う、赤一色のオープンカー。その運転席でハンドルを握り、眼前のヴィランに肉薄しているのは――近頃噂になっている、真紅のヒーロー「キュアセイダー」だ。
彼の隣の助手席に立ち、威風堂々とした佇まいでヴィランを見据えている黒尽くめのヒーローは――「バンカライザー」と呼ばれている。
どちらも謎が多く、メディアでもあまり扱われていないヒーローであり――それ故に、荻久保アナも興奮気味に注目しているようだった。
全身を覆う、真紅に統一された無骨な重装甲。両肩に搭載された砲台に、金色に光る両眼。そして、顔面に刻まれた白十字の意匠。
黒い制服。目深に被られた学帽。口元を覆う黒マスクに、レーシンググローブ。そして、あまりに特徴的な高下駄。
赤と黒、謎のベールに包まれた2人のヒーローが、ヴィランを執拗に追い掛けている。キュアセイダーの方を見つめている茉莉奈さんの挙動が、ちょっとソワソワしてるようにも見えるけど……気のせいかな。
『……ッ! 彼らを援護する! お前達、間違っても彼らには当てるなよッ!』
『了解ッ!』
やがて気を取り直した彼女の号令により、警官隊の一斉射撃が始まった。
進行方向から迫る弾丸の雨を掻い潜り、猟犬のような姿のヴィランは、外見通りの素早さで警官隊に迫って行く。
『ぐわぁっ!?』
『待てッ! ――私の部下に、手出しは許さんッ!』
そのまま警官隊に飛び掛ったヴィランは、鋭利な爪を1人の警官に突き立てようとする。だが、パワードスーツを着た茉莉奈さんのタックルがそれを阻み、双方は激しく揉み合いを始めた。
周囲の警官隊はそこに銃を向けるが、誤射を恐れて引き金を引けずにいる。そこへ、ヒーロー達を乗せた赤い車が追い付いて来た。
『――当てるッ!』
次の瞬間。茉莉奈さんを組み伏せて、とどめを刺そうと爪を振り上げたヴィランの背中に――キュアセイダーの白い砲弾が炸裂する。
そして。茉莉奈さんには掠りもせず、ヴィランだけを正確に砲撃した彼に続き、バンカライザーが車上から一気に飛び出した。
『バンカライザー君、今だッ!』
『――芯通しッ!』
刹那。キュアセイダーの叫びに応え、唸るように飛ぶ鉄拳がヴィランの頬に減り込み――牙を丸ごとへし折りながら吹っ飛ばしてしまった。
人間の姿に戻りながら地面を転がり、敢え無く昏倒してしまう
『ヴィランが倒れたぞ!』
『確保ぉおー!』
『……やりました! キュアセイダーとバンカライザー……謎に包まれた2人のヒーローによって、ヴィランがついに退治されました! 早速彼らにインタビューを行いたいと思――えっ!? ちょ、ちょっと待っ……!』
『ま……待ってくれ! まだ礼の一つも――!』
一連の戦いを見届けた荻久保アナは、スクープを引き出すべくヒーロー達に駆け寄ろうとする。が、カメラを向けようとした瞬間――2人のヒーローは、瞬く間に何処かへと走り去ってしまうのだった。
呼び止めようと声を上げる荻久保アナや茉莉奈さんには、目もくれず。
キュアセイダーとバンカライザー。事情は分からないが、どうやら2人とも余りテレビには映りたくないらしい。食い入るように中継を見つめていた通行人の群れも、ヒーロー達が大画面から消え去るや否や――蜘蛛の子を散らすように、方々へと歩み出して行く。
そんな中。その群衆の1人である私は、彼らが続けている戦いの厳しさと、尊さを目にしながら――それでもなお、「彼」のことばかりを想うのだった。
キュアセイダーやバンカライザーのように、ヒーローとは決して呼ばれない――私だけの「ヒーロー」を。
「橋野先生……今頃、どうしてるのかな」
◇
――その頃。戦いを終え、報道陣の前から素早く走り去った真紅のオープンカー……「エイドロン」の車内では。
「へくちょ!」
「……橋野先生。その気が抜けそうなくしゃみ、どうにかならないのですか」
「あ、あはは……」
運転手の橋野先生が、可愛らしいくしゃみをしていたのだが。当然ながらこの日の私には、知る由もないのであった。
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