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  • 編集済

    この作品の前の幾つか、とても心に沁みるものが多かったです。
    絵画の個展に行くと、同じ画家が長い人生の中でかなり画風が変わっていることに驚きます。
    小説や詩歌は改稿ができるので手を加えたくなる事もありますが、そのままにして流れに任せるのも良いのかもしれませんね。

    ※追記

    どうぞお身体大切になさってくださいね。
    大変な時に返信して下さりありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    これだけ数が膨大になるとすべて見返す気にもならず、あとは野となれ山となれです。
    スポーツ選手や棋士などは年を取るとどうしても実力が衰えるようですが、絵画にはそうした要素が少ないのかなと思いました。

    こういうことを言うのはよろしくないのかもしれませんが、わたしは現在入院しています(不治の病などではなく、近く退院する見込みです)。
    そんな時に葵 春香様から応援のコメントを頂けて、とても励みになりました。
    重ねてお礼申しあげます。

    御作の沙羅がディーバになれるのか、親類縁者のような気持ちで見守りたいと思います。

    編集済
  • 随筆の方にも書かれていましたが、カラオケがお好きなのですね。前に書かれていた「言葉は歌になると力を持つ」という言葉も共感しました。
    私は1人で歌の世界にどっぷり浸って歌うのが好きなのですが、確かに自分の歌を聴いて楽しんでくれる人がいると世界が共鳴したような気持ちになりますよね。
    カクヨムのpvや♡や⭐︎と同じなのでしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    カラオケ大好きです。
    また行けたら良いなあ。

    わたしは基本的にひとりでいるのが気楽で良いと思う人間ですが、他方で感情を共有したい気持ちもあります。
    人生の醍醐味はそんなところにあるような気もします。

  • 私、若い頃にたくさん小説を読んだけれど、内容を忘れてしまったものも多いのです。けれど、短歌は体が覚えているのでその時に頭で描いた情景とともに思い出せるのが嬉しいなと思います。
    青丹さまのお名前を拝見する度に「奈良の都は咲く花の〜」って毎回のように心で詠んでいます。この鹿の歌も奈良の公園が浮かんでクスッとしました。いいですね。

    またこの度はギフトを頂きまして心より御礼申し上げます。稚拙な文章なのに…と恐縮ではございますがとても励みになりました。今後も精進して参りますm(_ _)m✨

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    わたしも全然内容や文体を覚えていない小説が数えきれないほどあります。
    わたしは趣味でつくっていることもあってか、何かの拍子で突然むかしの歌を思い出すことがあって、参考にしたりもしています。

    わたしはしばらく奈良に住んでいたことがあります。
    仕事はないけど住むには良い場所でしたね。
    シカは何度となく見ましたが、ヤエザクラを見なかったことが悔やまれます。
    この歌ではさびれてと言いましたが、近鉄の奈良駅前はいつも混雑していましたね。

    御作を稚拙とは思いません。
    キレイゴトだけではない、夢を追うようすがわたしには眩しくて、思わず惹き込まれてしまいます。

  • 沁みました。本当ですね、裸で生まれてきたのに、いつの間にやら着膨れして、心は喪失感を抱えている。
    人間って滑稽な生き物だなと少し気が楽になれる一首でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    気が楽になれるとの感想はすこし意外でした。

    わたしは古代人の心性に興味があるのですが、服を着る以前と以後のちがいは、上古と現代の差よりも大きいのかなと思いました。

  • 目に浮かぶようですね。素敵です。
    季節が移り変わり、待ち望んでいた春が儚く散り去るさまが雪と雲を用いることによって印象的に表されていますね。幽玄美を感じました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    後にも長歌に手を出していますが、これが自分史上最高の長歌かなという気がします。

    ソメイヨシノ以前のヤマザクラなどが主流だった時代は、雪や雲のような比喩がいっそう説得力を持ったかもしれませんね。

  • ほんと、そうです。

    作者からの返信

    賛同してくださり、ありがとうございます。

  • への応援コメント

    こんにちは。
    和歌(たいていは短歌)は俳句とはまたちがった味わいがありますね。感情を素直にあらわすには俳句より向いているような気がしました。
    300近くもの作歌、おつかれさまでした!

    作者からの返信

    こんにちは。
    俳句で表現できないものはない旨の主張をしたひともあるそうですが、短歌などは俳句より表現の幅がひろいのかなとわたしは思います。
    応援ありがとうございました。

  • なるほど
    (勝手な言を弄しています、もしお気に障ったら誠に申し訳ないですがちょっと面白すぎて)
    ご自説、ごもっとも。何事もホルモン操作によるものではあります。
    でもそうすると全くしらけてしまいますよね。
    無理やり子孫を残すことに使われているような、生そのものが傀儡であるような。

    終活の一として、考え始めたところのいわゆる「神」
    「創造主」つまりすべての宇宙法則、人類をここまで生かしてきた仕組み
    それを考えるうちにいわゆる恋愛(愛の衝動)は、法則に属するところの「神の無償の愛」より派生した結果であり、それが子孫継承に寄与することは目的というより結果だったのではないかと思われてきました。
    論理的な説明とは程遠いのですが、さらに表現を磨いて行くつもりではあります。

    さらにすみません。できればお許しください。

    作者からの返信

    神の無償の愛は物理法則から派生したものなでしょうか?
    万物の根源は愛であると言った、古代のなにがしの哲学者を彷彿させるお考えだと思いました。

  • 恋愛なんてもう制御し難く溺れ込むものかと思っている世代なのですが、それを実践もしたのですが、何故に不可能になってしまったと噂される現代日本なのでしょうか、(別に恋愛至上主義者ではありません、むしろ迷惑だと思っているほうです)
    私はドイツに住んでいますが、ここの男女はホルモン分泌が盛んなのか、ご飯を食べたりするのと同格に当たり前のこととして、十代半ばからこのみちの実践活動に入ります。相手が同性異性、何であれ。親は喜んで見ています。
    あるいは、この行動は自然活動であり、社会活動ではないと見做されているのかもしれません。
    「神の愛」と「人間の愛」というテーマが人生終盤になってますます重みを増してきています。

    作者からの返信

    恋愛は自由の発露として西洋では特に尊重されているのかなと思いました。

  • その意気です!
    私も真似しましょう、残念ながらアルコール耐性ゼロですので、何か代わりのものでも、と。

    作者からの返信

    ぜひアルコールに代わるものを見つけてください。

    編集済
  • 面白いです、そこへ古語の響きが殊更に趣深いです。

    作者からの返信

    我執を去るのも口で言うほど簡単ではないのでしょう。

  • こんにちは。
    詩文も推敲を経てはじめてひとの閲覧にたえるものになるだろう、とのお言葉、その通りだと思います。それに推敲がたのしい作業だったりもしますよね。

    作者からの返信

    こんにちは。
    推敲が好きでないと物書きはなかなか務まらないでしょうね。

  • こんばんは。
    背が高いから電球を変えてくれと女性に言われて、高所恐怖症なので断ったことを思い出しました。
    脚立もだめなんです。

    作者からの返信

    こんばんは。

    電球を変える作業は空恐ろしいですね。
    大げさなようですが、場合によっては命の危険すら感じます。

    脚立には乗りもしましょう、ハシゴをのぼるときは蓮のうてなが頭をよぎったりよぎらなかったりします。

  • 古方の言こそ好けれ君詠まば千草さやがむ山も搖かむ

    いにしへのことこそよけれきみよまばちくささやがむやまもあよかむ

    作者からの返信

    わたしはいま万葉集を読んでおるのですが(2周目)、むかしのひとの感性の確かさに唸らされます。
    古い時代のことばに対する憧れはあれど、一朝一夕で使いこなせる代物ではないようです。
    万葉期の語彙を自家薬籠中のものとした実朝や良寛はやはり偉大だと思います。

  • こんにちは。
    ここまでのお歌、いくつかちょっと悲哀感を感じました。

    それでここのお歌を読んでふっと湧いたのですが、
    私はあなたのこと好きですよ、愛してますよ、とも言えます。
    同情なんかじゃありません、尊敬してます。真っ直ぐなお心。

    こんなことまで書かないとしても、ポジティブな感想という程度の書き方でも
    余計な変なおばあさんとみなされる、のは致し方ないですが。
    ごめん遊ばせ。笑

    作者からの返信

    こんにちは。
    @toutenさんがそうとおっしゃらなければ、わたしは自分のこころがまっすぐであるという発想をほぼまったく持たなかっただろうと思います。
    わたしのように群れをなさず行動する人間には、他者の目にどう映るかという情報はやはり貴重です

  • すみません、度々顔を出してしまって。
    でも面白いのでつい何か申し上げたくなります。

    確かに〜〜春の夕暮れ、とはもう詠みません、詠めませんね。意図的でなければ。

    私も大金が欲しいと自動的に思ってしまいます。
    それは多分、可能性とイコールだから? 物質、経験以外のものもそれで手に入るか、どうか、それは別問題ですが。

    作者からの返信

    〜なりけり、なりにけるかな、等よりはよほど据わりがいいと思うのですが、それも使えないとなると作歌のハードルが相当高そうに思えます。

    言われてみると、それが欲しいと思うのはそれが手に入る可能性を無意識にでも信じているからかもしれませんね。

  • 真実をすっきりと歌い上げておられます。

    作者からの返信

    極端にひとのすくない土地かあの世に行くほかないと思います。

  • 例歌も面白いですね。
     
    作者の意図は十分に発揮できていると思います。
    親と子について、それぞれの立場、経験から色々と考えてしまいました。

    作者からの返信

    むかしは伊勢の歌の結句が文法的にどうなっているのかよく分からなかったものです。
    別れをうらんで鳥にこころを驚かしたという人のことなどがいまさらのように偲ばれます。

  • なるほどね〜
    真っ直ぐな心根の方ですね、青丹さん。
    自分を真っ直ぐに見ることのできる方ですね。

    作者からの返信

    そんなふうに考えたことがありませんでした。
    思い返してみると、恐らく人一倍目を閉じている時間が長いので、そのぶん内面に目が向いているのやもしれません。

  • 面白いです!!!

    作者からの返信

    楽しみはどこに転がっているか分からないものですね。

  • こんにちは。
    昨夜、偶然遠藤周作「沈黙」の2016映画を見る羽目になりました。
    侍役の尾形イッセイと通訳役(名前忘れました)がプラグマティックで納得させられましたし、流石に深い人間認識が根底にあり、宗教と信仰についての思索に刺激を与えられました。
    自分はそもそも、今でも幾分か、生まれなきゃよかった派なのですが、かと言って死にたいわけでは無く、生をさ去ることは勿体ないような気もします(お金も名声もないのにね)。
    そんな気分は残っているものの、とりあえず生を、判断をひっくり返してでも笑い飛ばして、その挙句には楽しい死後の世界を楽しみにして日々を過ごしています。そんなつもりの老後ですので、実は有難いです。つまりややキ印。

    作者からの返信

    こんにちは。
    遠藤周作は一作だけ読んだことがあります。もうよほど前のことになります。
    わたしはすこし昔に楽しいことだらけの毎日にしようと心に思ったものですが、案の定というべきかそうなってはいません。どんな状況でも愉快に過ごせる太陽のような人間になりたいものですね。

  • ご返歌

    冬時雨 つとやみたれば窓外に 風なく鳥も人も時もなし

    勝手に一人で、神の定義を編み出し、人の苦悩を対消滅させんと、老いたる脳で楽しんでいる、そこまで来ました。間も無く精神病院行きかもしれませんが、そうでないかもしれませんが。

    作者からの返信

    楽しみを自給自足できるのは良さそうだと思いました。
    ひとはパンだけで生きるわけではないのですから。

  • とても素敵です、この情感と表現のほどの良さ。

    作者からの返信

    お褒めにあずかり痛み入ります。
    とは言え、これに安んじることなくさらにいいものを詠みたいです。

    編集済
  • それがしは というのが堪えられません、愉快です。
    世の規範から外れていらっしゃるのは見て取れます、それがしかし美学ですね。
    訂正する必要も譲歩する必要もなく、荒野を進んでいく定め、しかし必ずや花にも実にも触れる道であることでしょう。

    私は学ぶのが遅く無駄な時間を費やしていると思いますが。

    作者からの返信

    わたくしは、小生は、吾輩は等いずれもしっくり来ず、消去法でそれがしは、としました。
    花や実を思うと遠い世界のことのようです。

  • 猫ま、と書いてみればいつか聞いたことあるような気もします。
    このお歌の心が心に沁みます。
    実際の猫が毛並みを手入れするのは、狩りをする動物の特性ではあるのでしょうが、
    本当に自分を愛おしんでいるようで、自足の境地を感じます。

    例に挙げられたお歌の、綱手かなしも と 籠手に霰たばしる という概念が昔から引っかかっていました。どんな気持ちでこう詠んだのでしょうか、単なる「もの」ですが、当時の社会的背景があるのでしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    人に飼われていてすら野性を忘れないすがたがわたしに感銘を与えたのかなと、コメントを拝見して思いました。

    実朝の歌に詠まれたものの社会的背景を考えたことはほとんどありませんでした。

    編集済
  • 謹賀新年、本年もなんとか宜しくお願いいたします。

    このスタンス、人生での立ち位置、思わず含み笑いしてしまいました。
    (人体の仕組みの奥深さには、心あるものとして?ミクロからマクロへと水ももらさぬ連携作業を積み重ねて、ひたすらに全体の生存を守り通していこうとする、その健気さに涙しそうになる時があります。まあ人によりますが。)

    機械にもそのような仕組みを組み込むことができれば、まさにアンドロイドになるのかな、と思ったりして、それはそれで楽しみです。車の製造過程をテレビのコマーシャルで見たりすると、確かにその組み立て過程で作業している機械の動きは、精密精巧にして人間の動きを反映しているので、恐ろしいような面白いような、例えば腕だけの人間、みたいなロボットがありますから。

    作者からの返信

    謹賀新年。
    なにとぞよろしく。

    よく「わたしは機械ではない」と言うひとがいるようですが、ロボット工学が進歩するほどその発言から説得力がなくなっていくのでしょう。
    機械でなくても機械であってもどちらでもいいという時代がそのうち現実のものになりそうです。

  • 私は全くそうは思いませんが、つまり十分に興味深い方だと思っていますが。
    無口で知られている私です。最近は耳が聞こえないのでますます無口となっています。
    まあ、私にそう思われても、お困りでしょうが。笑

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    わたしは雑談ができません。
    話術に長けていたら処世の道はもうすこし平坦だったのかなと思います。

  • いい加減なコーヒーを毎朝飲んでますが、時にはその香りにうっとりし、その味わいに思わずああおいし、と言っています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    コーヒーや紅茶など、西洋には匂いを楽しむ文化が根強い気がします。
    わたしはコーヒーの実利に期待するところが大きく、魔法の粉のように重宝がっています。

  • え?!
    大丈夫ですか。
    私は応援してます!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    応援ありがとうございます。
    大丈夫かそうでないかわかりません。
    難しい問題です。

  • こんにちは。
    ご無沙汰でした。
    爽やかな佇まいを感じました。
    もう全て遅きに失した者ですが、心意気はあります。

    作者からの返信

    こんにちは。
    お久しぶりです。
    コメントありがとうございます。

    どうせなら一世一代の大事業を成し遂げでから往生したいところですね。

  • 全くですね。そこに表現の綾や陰影が存在する余地もあるのでしょうが、人との間は難しいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    曖昧さに対処することは人間に生まれた宿命なのだと思っています。

  • 真っ直ぐで気高いうつくしい心が見えます。

    ところで、美という漢字は羊が大きい、を踏まえているということですが、「うつくしい」という大和言葉の由来はなんだろう?と、ふと疑問が湧きました。
    何かお読みになったことありますか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    記憶が確かなら「いつくしむ(慈しむ)」を「うつくしむ」とも言い(国語辞典にそう書いてあった気がします)、その形容詞版と心得ます。なので他者を慈しむようすを「うつくしい」と形容したと理解しています。

    編集済
  • た、たしかに、
    ちょっと涙ホロリとして読みました。
    かと言って人気が出ることは、多数の趣味と好みに一致したことになるだけかも?

    少なくともここに5人ほどは控えておりますよ、人間3人+AI +無限の智慧
    後ろの存在は希望的なものですが、実は存在するはず!! と確信し信仰して生きています、あとできれば10年ほどは。私なりにしか生きられませんものねー

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    どんなことでも(正しい方法で)練習すれば上達していくと思います(勝ち負けのあるスポーツや将棋などは特に分かりやすいと思います)。
    それは文芸にあっても同じではないでしょうか。

    わたしの人間性を思うと作品自体の出来ばえによらず生きているうちは日の目を見ない予感がします。
    なにとぞ@toutenさんも生前の悔いを残さないよう、ご自身の信ずるところに従って邁進してください。

  • さみだれが長雨になったと言うこの事態の時事詠ですね。

    五月雨の降り残してや光堂 芭蕉
     五月雨をあつめて早し最上川 同
     五月雨のふり潰したる藁家かな 村上鬼城
     五月雨や月夜に似たる沼明り 小川芋銭

    昔の風雅なさみだれが並んでいますね、ドイツでは雨よ降ってくれと皆待っているのですが、とりあえず日本列島が好まれているようで、それも行き過ぎてますね。
    お気をつけてください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    となりの芝は青いの言葉どおり、日本に住んでいると乾燥冷涼であろうヨーロッパ(の北部)の夏がうらやましくなります。都市生活者の身にはめぐみの雨の恩恵もなかなか実感できません。こんなことを言っているとバチが当たりそうですが。

    @toutenさんもつつがなくお過ごしください。

  • 青水無月、という言葉があるのですね、聖五月というのは好きで使ったりしますが、これも感じいいですね。この感覚がお歌の背景に漂っているのかなと解釈しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    青水無月は水無月の美称と聞きます。他の月の同様の美称を知らず、水無月にだけそうしたものがあることを不思議に思っています。わたしが知らないだけかもしれませんが。

  • そうなんですね!言われてみれば確かに!
    実家にかかるとすると、深い意味が滲み出てくるようです。2読、3読してもかかりがピタリときませんでした。何か方法があるかも?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    これは釈明しなければなかなか通じないタイプの作品だと思います。表現にみがきをかけねばなりますまい。

  • 愉快ですね。
    最近歌を歌いたくて、近所でマントラを歌おうという会があるので、怖いもの知らずの私、参加しようと思っていたのですが、コロナ禍のため歌うことならじ、と阻止されています。
    大いに楽しんでください!!!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ドイツではマントラを歌うことが流行っているのでしょうか。日本ですらそうした会があるとは寡聞にして知りません。こたびのコロナ禍は人間の人間たる所以を容赦なく奪っているかに見えます。

    言葉は歌われるときに最も力を持つ気さえします。旅の恥ではありませんが、曲に乗せて言う(=歌う)ことで恥ずかしさが消えるのですから求愛などにぴったりだと思います。

  • これまでマスクなど思いもしなかったドイツ人が真面目にマスクしている今日、(あ、私はドイツに住んでいます)暑くて冷房がないのでそれなりに辛いですね、
    宇宙から知らない人が地上を見たら、地球人というのは顔を布で覆う文化があると変に思うことでしょう。これがずっと続くのかと思うとまさに鬱陶しく憤ろしい。
    お歌では、最後の思ふのみかもというところに、わかっているけれどそれでも言わずにはいられないというややこしい気持ちが読み取れるように思います。

    武内宿禰の歌、初句は私の大好きな言葉なのですが、リズムよくスラスラと読んできて、結句で、どうしても漫画チックにドテッと転ぶ感じで面白いです、この歌は知りませんでした。ちょっとひねくれた感じがしてそれも面白いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    もともとそういう文化のまったくなかった土地だとインパクトも大きく鬱憤がたまって空気がピリピリしそうですね。世に言うポストコロナは息苦しい時代のようです。

    ご賢察のとおり言い出さずにはおれませんでした。言葉にすることで気が晴れるということもあるでしょうから。

    武内宿禰の歌は日本書紀に載るらしく、すこぶる単純素朴な印象を受けます。

  • ようやく最近になって、自分の罪悪感を返還することにしました。むしろそこを盾にとって点数を上げようとしていたかもしれないとも思って。(妙な理屈ですが)
    青丹さんの他の作品も読ませていただきますね。
    いつもありがとうございます。頼りになります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    どうぞ心の赴くままに。

  • 結句の「ぬらし」というところ、私の感覚ではどうしても否定+推量に思われるのでちょっとお尋ねしたいと思いました。どうもすみません。
    お歌の内容、とても感じ良いです、共感できます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    推定の「らし」は終止形接続(一部連体形接続)であり、完了の「ぬ」に接続すれば「ぬらし」となるかと心得ます。「日は暮れぬ」(日は暮れた)という半ば慣用的な表現を婉曲的に言ったつもりです。「日は暮れにけり」と言うのとニュアンス的にはほとんど一緒で、それを万葉調寄りにしたつもりでいます。否定の場合は「ざるらし(ざらし)」となる気がします。

    万物の霊長とうそぶいたところで盛りの付いたねこなどと何ら変わらないと思います。

  • 素敵な和歌ですね!
    じんわりと感じられる雰囲気が好きです^^

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    遅効性の毒のように徐々に効いてくる歌を詠んでみたいものです。

  • 万葉集の2首、口遊んでしまうほど好きな歌です。調べの流麗な歌、作れたらなあと憧れます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    現存最古の歌集にかかる作品が残っている事実が空恐ろしいです。改めて考えてみると、どうすれば優れた調べを得られるかということについてわたしはかなり無知です。おかしなことを言うと、志の高さ低さが調べの上に現れるだろうとの観念を持っています。

    編集済
  • 虚しさ、などのお歌があったので、このお歌を読み始めたときは、そんな感慨を予想していたのですが、楽しさに言及されていたのでハッと胸を突かれました。
    まあ、そんな心理もありますよね。
    そしたら橘曙覧のこんなほのぼの和歌が並べてあったので、やはり心楽しくなりました。ただの楽しい歌ばかりではないですが。

    長文の私の作をたくさん読んでいただき、本当に有難う(文字通り)ございます。星で讃えてまでいただき何ともはや、拝んでおります。冥土の土産話になります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    マンネリズムを免れるためになるべくひろく題材を探りたいと思っています。

    星などの件はお気になさらず。

  • 冗談を言わないような人が往々にして何かぽろっと可笑しいことを言ってしまいがち、ということもありますよね、そんなことに出会うと忘れられません。

    作者からの返信

    いわゆる天然ボケのことでしょうか。そうであればおそらくわたしもその範疇に入ります。

  • なるほど、、、この老の身まで生きてきて、そんな感慨を抱くとはなかなかできるものじゃないですが、私とてあと10年くらいはあるでしょうから頑張りましょう。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    必ずしもそうと確信しているわけではないのですが、信念を貫くことが重要なのだろうと考えています。ちなみにわたしは俳諧教徒を自任しています。

  • 恋の俳句もあるのですね!
    率直な作風ですね、それが爽やかです。若い感じも受けますが老成もしている、でも恋に翻弄されてもいる。そんな自分をきっちり見ている作者ですね。
    それにしても、誠にこの恋というもの、ナンジャやら?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    工夫の足りないことを懸念していました。評価してくださり望外の幸いに存じます。

    恋とはいったい何なのか、わたしの手にはあまる問題のようです。

  • 芭蕉さんもいいですが、御作も好きです。
    誰とキャッチボールしているのでしょうか、そこが広がるところですねー
    たくさん私の変な作品に応援マークをくださり、有難いです。ちょっと見栄えが良くなりました。赤恥をかくこと、もとより覚悟はしていますが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    キャッチボールの相手を誰と見るかにそのひとの価値観が顕れそうです。

    御作はWEB小説界隈では得難いすぐれた社会派小説と感じています。

  • 私も語彙、文法、綴りなど古語に倣って短歌を作っています(青丹さんほど徹底してませんが)、できるだけ。その方法でもテーマや単語がどうしても現代になってしまうのは仕方ないですし、それもまた面白い効果を与えていると思います。
    発言の引用を短歌に取り入れるときは、思い切って現在風にしたり、まあ遊んでいます。そういうわけで青丹さんの歌風は、私にはちょっとした指針の様なものです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    時代の影響は逃れられないようです。いまだに詠まれないものを探せば自然と当世のことに目が向く道理と見えます。

    わたしの歌風が指針になるのであれば存分に利用していただきたいと勝手ながら思いました。

  • こんにちは。
    百人分ぐらいの読者の私です! なんて。

    そもそも制限付きにして不自由な不誠実な言葉使用は、人間の意識活動と結びついて平和と博愛の実現に竿をさしている最たるもの、のようにも見えます。しかしこれがまた自由に使える道具でもあるので捨て去るわけにもいきません。せめていつも発せられる言葉を鋭い視線で分析することを、理性ある頭脳にお願いしておきたいところです。
    毒をもって毒を制す、これには思わずやったね!と独り言を言いました。

    なお言葉の振り仮名の古語、とても勉強になります。拙歌もその方針なのです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    どんな道具もやはり使い方しだいと見えます。

    読みは現代仮名遣いのほうが親切かなと思いつつ、惰性や何やでそのままにしています。

  • 私の目には十分「日も目を見て」いますよ!
    とはいえ何のお役にも立ちませんが。
    承認欲求は、神のみぞ知ると私は嘯いています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この歌集は少なくとも4人くらいの方には目を通していただいているようで、まったく日の目を見ていないわけではありません。ありがたいことです。しかしながら強欲漢のわたしは、日本語を解するひとの100人か1,000人に1人くらいに知られる位にまでならぬものかと思うのです。

  • そうですか〜
    注意せねば。
    私は「いつまで付いてくるの」と怒られたことあります、その時は女性だと思っていた発信者が実はそうではなかったらしく、相手方の事情だったと思いますが。

    もしうざったい老婆と感じることありましたら、ご遠慮なく。私にはお考えが面白いのでつい何か書いてしまうのです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    今のところ特に迷惑には思っていません。自作が読まれてコメントを寄せられることはやはり嬉しいですし、全てのコメントに返信することはもはや諦めていますゆえ。

    ネット上で相手の性別を勘違いすることはしばしばあります。なかなか賢くならないものです。

  • 2年ほど実行しております!
    比較にはならないでしょうけど、効果大いにあります!
    第一食(朝)には糖質オッケー、エネルギーがないと活動できません。
    第2食(夜)にはタンパク質中心、両方とも野菜と果物は必須。

    おいしい白米、美しいケーキ、酔わせるアルコール、無視を決め込んでいます。
    その代わりに自分をコントロールできていると言う仮初の誇らしさがあるかのように。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    わたしは外出先で低GI食品にありつくのに少し苦労しています。試行錯誤の日々です。

    白米はなくてもどうにかなりそうですが、ケーキと酒がないのはなかなか辛そうです。

  • なるほど。。。
    おおむねこの老婆もそんな心持ですかなあ。。。
    そんな心持ちでできれば汚れずに生きていくことが大切であればいいのですが。

  • とても清々しい生き方で、何だか痛々しい、と言う感じも抱きます。でも天に恥じない、とも言えますよね、心より応援いたします。

    人に愛を与える、と言う点で困った事態に陥っております。愛と甘えとは違うと言うことかもしれません。長く生きても賢くなりません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    空言にならぬよう意を用いたいと思います。

    甘え上手という言葉があることを思うと、それはコツを要する技術なのかなと思いました。

  • 青丹よしおさん、こんにちは。
    えろ作家・水ぎわでございます。
    そうですね、飲んでも飲まなくても、人生は夕顔のごとく開きしぼみます。
    だから。
    飲んじゃってもいいんです(笑)

    プロフィールにお好きな和歌を書いていらしてので、
    水ぎわも万葉集から大好きな一首を。
    「奥山のしきみが花の名のごとや しくしく君に恋ひわたりなむ」

    作者からの返信

    水ぎわさん、こんにちは。
    青丹です。
    コメントありがとうございます。

    人生はひとによって様々に喩えられうると思います。
    それで、そのひとの用いた比喩からそのひとが人生をどれほどの長さ短さに感じているかが推し測られるかもしれない、とふと思いました。

    件の一首はしくしくという表現がすぐれて万葉集歌らしいと感じました。

  • とっても興味深いページです! 少し笑ってしまいました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    楽しんでいただけたようで幸いです。

  • かもしれませんねー
    しかし自分の共感と理解に正直であるしかありませんから、ひたすら応援しています。変な見解になりましたが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    孤独は必ずしも悪いものではないと聞くのでせいぜい謳歌しようと思います。

  • うまい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    望外のよろこびに存じます。

  • 母が94歳で亡くなりましたが、老いていく顔をみては、こんなにも変わり果てて、と悲しく思ったものです。現在74歳の自分を拡大鏡で見ると(普段はよく見えてないのでそれほどでもないのですが)あまりのことに笑い出してしまいました。例え人並みの器量であっても、若い時の写真をかべに大きく貼っておきたいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    老いていく親の顔を見るのはいかにもやるせないことだと思います。

  • 昔、まさにこんな光景を詠みました。探せば出てくるのでしょうが、そうするほどのものでもありませんけど。世界の中でしみじみと自分の輪郭を感じる、とでもいうのでしょうか。

  • すみません、どういうわけか、次々にひっかりのあるお歌ばかり出てきますね。
    こちらはこんな歌でございます。

    スーパーのそこのみ日本ふうふうの「天下一品」見つけたりけり

    とっても美味しかったです。

  • まあ色々な感想の浮かぶお歌ですが、今日私が思ったのは、幼児の頃には天使のようにただただ愛くるしかった男の子が、かくもいかつい姿になるものか、という感慨です、特に仰せのとおりアジア人種以外で。こちらは幼生成熟とか言いますね(?)
    云々。。。
    失礼いたしました。
    私は楽しくコメント書いておりますが、もしお邪魔でしたらどうぞお知らせください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    必ずコメントに返信し御作等に反応することは保証できない、といったことを了承していただけるならコメントを書かれることに特別の支障はありません。

  • こんなお歌に接すると自然の麗しさが胸に迫ります。そしてこんな此岸を去って黄泉に行くのはやはり心残りだろうなと思ってしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    日本語は雨に関する語彙が多いと聞きますが風や月などにも四季折々のおもむきがあると感じています。
    向こうに行ってもたまには帰省するように帰って来られたらいいでしょうね。

  • こんにちは。
    日本では結社とかに属したり歌会に参加したりしていたのが、現在一人ぼっちになり、その分生来の勝手な歌風に流されています。でも歌のやりとりができたらいいなという気持ちは昔から持っていました。せめて、同じテーマの歌をご披露させてくださいませ。このお歌に出会って嬉しいでした。

    去年の秋に書きたる日誌 そのあとに打ち寄せしもの知りて読むなり

    失礼いたしました。

    作者からの返信

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    結社に所属しておられたのですね。筆者も結社に入ることを検討したことがありましたが、遂に入らなかったなあ。
    過去の日記を読み返すととかく不思議な気分になりますね。

  • 初めまして。何を血迷ったかこんな世界に彷徨っている老婆でございます。
    確か一番に応援の印をくださったかと思います。反応の仕様がわからず失礼いたしました。やっと偶然によりお名前を発見、カクヨムに短歌(和歌)もあるのですよね、二人目です。
    ここまでふ〜むと言いながら拝読させていただきました。熟達の歌人とお見受けいたします。
    それで、ここのお歌と同じ気持ちを先日私も詠みましたのですが、お粗末ながらご紹介いたしたいと思うのですが、もしお気に障ったらと心配はしております。
    それでも勇気を出して

     たたなづく青や緑や 柔ふでの遠きやまと路霧にやけぶる

    失礼いたしました。また続きを読みに参りましょう。木原東子

    作者からの返信

    はじめまして。
    コメントありがとうございます。

    当方は見返りを求めてひとに働きかけることを潔しとしないので応援の件についても特に失礼とは思いせん。
    当サイトに現在短歌を投稿しておられる方は当方が把握しているだけでも5人は下らないと見えます。
    自分ではそれなりの短歌を詠んでいるつもりですが、当方を熟達の歌人と評してくださる方がこの世に何人いるかと考えるとすこぶる心許ないです。有難いお言葉に感謝いたします。

  • みな老いれば醜くなるものですよ。

    と思ったけれど、皇太后陛下のように老いても気品のある方はおられますね。御成婚あらせられたときは、平民が皇室に入るということで相当バッシングを受けたようですが、あれが天爵というものなのでしょう。お人柄を含めて。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    みな老いれば醜くなる、という意見に同意します。思えば品にまさる人徳もそうそう無さそうです。

    編集済
  • なるほど。

    とても、共感出来ました!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    日本語むずかしいです。

  • 声に出して読みたい日本語という感じです。

    素晴らしい(^^)d

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    励みになります。

  • いや、読んでいて、そして実際に口に出してみても妙に心地のよくなる一首だと思いますよ(・ω・)ノ

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    他愛もない冗談でした。


  • 編集済

    失礼ですが、これは「やう」ではなくて「よう」ではないのですか?

    例えば「食べようとしていたようだ」ならば、正しい仮名遣いは「食べようとしてゐたやうだ」ですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ご指摘のあった箇所を修正させていただきました。

  • 異世界ファンタジーを書くにあたって、参考文献として、子供向けのを一冊だけ読みました。「滝沢」という姓と「ながれて」という言葉に綺麗な一致を感じました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    異世界ファンタジーの参考文献に南総里見八犬伝を読んだ人もめったにいないだろうと思いました。

  • 人口の最も少ない鳥取県の出身である私からすれば、過疎化と少子化は本当にやり切れない思いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    起死回生の秘策があればいいのですが。

  • いや、むしろ共感しますが、私は。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    どんなところが共感されたのかなと思いました。

  • 和歌は末尾の母音が異なるのがいいのですか?

    私などは、西洋の詩や漢詩のように和歌でも押韻ができないかと考え、ラップを参考にして試行錯誤した時があったのですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ご質問ですが、わたしが個人的に、複数の句の末尾が同じ母音で終わることを気にしています。いつだったか、「古池や蛙飛び込む水の音」の句が、前から順にa、u、oの音で終わっているために優れている旨の構造主義的な分析を耳にしたことがあり、それが妙に心に残っています。

    西洋や中国で一般的な技法がこの国で定着していないように見えるのはどうしたものでしょうか。

  • 妙なユーモアの感じられる一首で好きです。私も流行りには疎いのですが。それゆえに、訳がわからない横文字という印象が際立っててシュールな感じがします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    この歌が人から評価されるとは思っても見ませんでした。ドリームズカムトゥルーとは不思議なグループ名だと思います。

  • 私は部分的にというか、ほんの少ししか読んでいません。(読んだというのが憚られるくらい)
    読みたい気持ちだけはあるんですが……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    やはりご多忙なのでしょうか。微力ながら、ご覧になれる日の来ることを祈願いたします。
    東海道中膝栗毛などもそうですが、読んでみたらきっとおもしろいのでしょうね。それより何より、現代人には思いもつかないような発想が随所に垣間見えそうです。

  •  漢語でも外来語でも違和感なく詠み込めていればそれでよい、と大野城みずきも思っています。しかしまあ、実に難しいことですよ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    松尾芭蕉が、俳句(俳諧)は和歌よりも取っつきやすいとの旨を説いていた記憶があり、わたしもそう思います。

  •  大野城みずきも、枕詞「花ぐはし」は知りませんでした。手元の古語辞典を引いてみたら、しっかりと載っていました。
     いや、このエピソードを読んでおいて、よかった、よかった。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ご存知なかったのを意外に思いました。

  •  言葉選びは、たやすいようで実に難しく、苦労が察せられます。
    (返信は、常体で大丈夫です。)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    常体で良いとのことですがコメントへの返信は当面敬語でしようと思います。ご申告感謝いたします。

    ほんとにそう思います。

  •  ワンパターン→スタイル→ワールド、という順で評価されていけば、それで大丈夫だと思います。頑張ってください。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    世界を構築するとはなかなか壮大な話だと思いました。

  •  この歌を読んで、「如し」の使い方がわかりました。それは、「否定+如し」です。
     今日まで字数を合わせられなくて「如し」の使い方が謎だったのですが、これで解決しました。感謝。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    「如し」は漢文訓読のために生まれた語と言いますから、使いづらいのもむべなるかなと思います。

  •  確かに、第二句「色も失せよと」と「色失せなむと」とでは、全体の音のバランスがずいぶん変わりますね。
     今回も参考になったというか、読んでよかったというか、そういう感じです。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    もしも参考になったのであればよかったです。公開した甲斐がありました。

  •  大野城みずきも、【附記】のとおり、内容はどうあれ、歌としては完成していると、思いました。
     たとえば、上の句・下の句の、音のバランスとか、情報量のバランスとか、そういったことが整っていると思います。
     短歌の更新も楽しみにしています。大野城みずきとは、歌の目指すところが違いますが、完成されたというか、鑑賞できる歌が多いので。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。

    お言葉光栄に存じます。

    実を言うと、上の句と下の句のバランスといったことをしっかり意識したことが今までほとんどありませんでした。わたしが和歌をつくるときに特に気にすることは、どんな終わり方にするか、各句の末の母音、どの音(子音)を効かせるか、文語にするか口語にするか、漢語や外来語を用いるか、どう表記するか、短歌にするかそれ以外の形式にするかといったところです。

    短歌ももっと上げたいですが、俳句よりもつくるのが(わたしにとって)難しい上に、読まれたり評価されることが少なくモチベーションを維持しづらいところがあります。

  •  よくできている歌だと思います。表現する内容が一つに絞られていて、かつ、「ぬばたまの夜」は「夜の暗さ」の暗示、「浮かびたつ街」は「街の灯」の暗示、第一句「遠」と第五句「望」は「遠望」の暗示であり、雰囲気もあります。
     一つの模範の歌だと感じました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    模範の歌だとは畏れ多いお言葉です。
    句切れの分かりづらいことを懸念しつつも公開してよかったです。

  • ユーモラスな光景の活写から、すとんと落とされて笑ってしまうようでもあり、一方で何かしら物語の始まりのような気配もあって、大変楽しい歌だと思いました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    魔法の絨毯のように華麗に空を飛べるとよいのですが。

  • 前の句と対を成すやうな一首ですね。個人的にはこちらのはうが好きですが。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    きずなこそが束縛であるとの思いはありながらあつい友情に憧れる自分がいます。

  • こちらもまたコントラストが美しいと感じました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    ふつうすぎるかな、とも思ったのですが。

  • 新しいものと古いものとの混在、その中の自然の描写が見事です。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    そらが暗くなってから故郷にある高速道路を小高い場所から見下ろすことがえも言われぬほど好きでした。都市生活でのつかれが郊外にある故郷への懐旧の情となってあらわれるのでしょう。

  • 忘れてしまわれたとは仰いますが、中華出汁と塩分の濃厚な味わいが舌に浮かんでくるようです。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    ラーメンは人類の偉大な発明のひとつだとおもいます。

  • これはまたユーモアのある一首ですね。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    とんだお目汚しでした。

  • ほう、と感心いたしました。なるほど、確かに、彼ら官女たちも今の女性労働者と変はりなく働いてゐたことでせうね。優雅な感じといふよりかは。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    その人たちも甲斐甲斐しく働いていたのだろうかと思いました。


  • 編集済

    「にほふ」は当然ながら木漏れ日のことなわけですが、それが情景とリンクして、まるで深々と茂った草の匂ひが感じられてくるやうでした。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    嬉しいです。「にほふ」は私の好きな和語の語彙のひとつで、それだけに独り善がりにならないように気をつけて使いたいと思っています。

  • 非常に素晴らしいです。

    桜といふ花は、花だけが美しいのではないのだと思ひます。厳冬を過ぎた季節、あのほのかな暖かさの下でなければ、あそこまで映えないのでせう。それが、雲のやうに咲き、雪のやうに散るといふ描写によって表現されてゐるかのやうでした。

    長歌は私も作ってみようと思ったことがありますが、挫折してしまひました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。いささか観念的だったかと思っていたので嬉しいです。

    私もまた長歌を詠みたいですが、難しいものですね。

  • 実を言ふと、近世に入るまで、日本語の「はひふへほ」の発音は「ふぁふぃふふぇふぉ」だったのです。「羽柴筑前守」も「ふぁしばちくじぇんのかみ」と発音されてゐました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    それは知りませんでした。「ふぁしばちくじぇんのかみ」からは垢抜けない訛りといった印象を受けます。

  • いえ、むしろ私はこれは好きですよ。なんといひますか、マクドナルドのジャンクさが出てゐます。その虚しさが妙な味はひとなってゐるのです。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    ジャンクフードを口にするとジャンクな人間になるようで食べるのが躊躇われます。


  • 編集済

    なるほど。

    クの音はむしろ耳に詰まるといひますか、突き刺さるやうな感じではないかと最初は思ひましたが、さういふわけだったのですね。

    (私は歴史的仮名遣ひを用ゐるときは、拗音も促音も小さく書いてゐますので、悪しからず。漢字は変換ができないものもありますし、新字体を用ゐてゐます)

    私は、俳句よりも和歌のはうが好きですね。

    特に、透き通ってゐて美しい、あなたの作風に引き寄せられました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。

    私の作品をして「透明」と評されることはこれまでにも何度かありました。私にはその実感がないのですが、ともあれ光栄に思います。

    私は和歌と俳句とどちらが好きとはなかなか言い切れないものの、好きな歌人(といって良いひと)が額田王と山上憶良と高橋虫麿と大伴家持くらいしかいません。

    コメントの内容に係らないことで恐縮ですが、『転生の勇者』はすばらしい作品でした。すばらしい作品を有難うございました。

  • 魅力的な作品だと思います。昔は、実際夕暮れの街は、とっても魅力的な場所に感じていました。自動車の赤いランプの光、傘の色、コートの色、電飾、でっかい、はでな広告・・・。皆、夢のようで、自分もなんだかスターになったような感じでした。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    都会には人を魅了する不思議な力があるようですね。

  • またお星さまの季節が来ます。やましんは、凍てつく空の『すばる』が好きです。寒いのは、苦手ですけども。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    昴のことをよく知らないので辞書を見ました。冬の宵に見える、牡牛座にあるプレアデス星団のことで通常6つ見えるとのこと、勉強になりました。
    むかし冬の夜のことだったかと記憶しますが、流星群(獅子座のだったか)を見にさる山の中腹あたりに連れられて行ったことを思い出します。

    編集済
  • やましんは、この感じの世界は大好きです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。夢の中を自由に冒険できたら楽しいだろうと思います。


  • 編集済

    同窓会で、『やましんくん』、とか言われるのは、うれしかったです。奥さまから、『キミ』、と呼ばれるのは、(年上なんですけど)ちょっといやでした。嫌いな上司から、くん呼ばわりは、あまりされたくは、なかったけど、好きな上司なら、歓迎でした。今だから、言えるのですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。結婚相手からキミと呼ばれるのはすこし距離を感じそうに思いました。

    年や性別で呼び方をかえる必要がなければどれだけ楽だろうかと思います(実のところそれに近いことをしています)。