盆栽

 私は祖父が大好きだった。物心ついた頃には両親共働きで、家に居る時間が少なく、祖母も内職に勤しんでいたため、遊び相手はいつも祖父がしてくれた。竹馬を作って乗り方を教えてくれたり、河原で水切りを教えてくれたり。折り紙の折り方やおはじき遊びも祖父が教えてくれた。色々なものを作り出して、世の中の多くを知っていて…私にとって、祖父は頼もしい超人的なおじいちゃんで目標としての憧れもあった。

 高校に進学し、勉強が思うように上手く行かなくなった時期があった。友達は皆、何か裏技を使っているのではと疑ってしまうほどに模擬試験の成績が安定していて、志望校合格に向けて一直線に進んでいた。対して私は、全国模試を受ける度に成績が振るわず、担任との面談で目指すべき道のランクを下げることを余儀なくされていた。決して勉強をサボっているわけではないのだが、やり方が悪いのか、下り坂のように勢いよく下に向かっていく。家に帰って縁側で麦茶を飲みながら溜息をついていると、庭で盆栽をいじっていた祖父が心配して声を掛けてきてくれた。

「花子、最近浮かない顔をしているが、どうかしたかい?」

両親には言いづらいことでも、祖父になら不思議と話すことができる。今回も思い切って祖父に打ち明けてみた。

「実は、勉強が思うように上手く行かなくて…。勉強以外でとりわけ抜き出た長所もないし、勉強自体も良い所ないし…そう考えてたら凡人な、下手したらそれ以下の私は、この先やっていけるのだろうかって、不安になっちゃって…。」

勉強以外のところでも、資格を既に持っている友達もいるし、スポーツ特待で進めそうな運動技術の高い子もいる。勉強でも、全国10位以内常連の人もいれば、コンクールで入賞経験のある人だっている。周りに何かしらの「天才・秀才」がうじゃうじゃ居る中で、私は地に這いつくばって彼らを眺めていることしかできない。そんな感覚に襲われていた。

「花子は駄目な子じゃないよ。じいちゃんの孫だもの。まだ蕾が花開いていないだけさ。」

そっと頭を撫でられる。身内特有のよくある励まし方ではあるが、祖父の口から発せられると、妙に納得できた。

「つっても、やっぱり花子自身は自分を凡才と思ってしまうよね。だったらさ、」

祖父は棚から一つ盆栽の鉢を持ってきて、私の隣に置いた。しゃがみながら園芸用のはさみで枝の選定を始める。

「凡才でもいいじゃないか。この盆栽の鉢みたいに、こまめに手入れしてやれば、凡才にも次第に魅力と価値が備わってくる。焦らずじっくり、まだ時間はあるんだろう?」

手を止めて、優しく微笑む祖父の顔には、どんなことでも信じさせてくれるような説得力があった。確かに、落ち込むのは早過ぎるのかもしれない。凡才でも手入れをすれば輝きを得られる。気付けば、祖父に向けて私も元気な太陽を見せていた。

 嬉しい時は共に喜び、悲しい時は辛さを分かち合い…祖父と過ごした日々は全て、私にとってかけがえのない時間だった。その大切な時間が永久に失われる時が来てしまった。19歳の夏、体調を崩して入院していた祖父の容態が急変。家族に看取られながら、その生涯を終えた。夫を亡くした祖母や片親を失った父は、相当ショックだったと思う。でも、それ以上に私は祖父の死による衝撃に耐えられなかった。しばらく大学を休み、仏壇の前で泣き続ける日々を送った。祖母や母が宥めてくれはするものの、瞳の奥から湧いてくる悲しみの水粒を止めることはできなかった。

 半年が過ぎ、新年を迎えて数日。精神的に落ち着きを取り戻せた私は、自分が成人を迎えたことに気付いた。祖母と母に促されて着物に着替え、玄関で家族皆と記念写真を撮る。晴れの日を楽しみにしていてくれたであろう、祖父の写真を大切に胸に抱え持って。それから一旦着替えて、縁側で庭をぼんやり眺めていると、祖父が大事にしていた盆栽の棚の方から何かが割れて落ちる音が聞こえてきた。靴を履いて庭先に出て、棚の盆栽を一つ一つ見て回ると、一つだけ、鉢の下部が割れて根が剥き出しになっているものがあった。その鉢には見覚えがあった。高校時代に、悩んでいた私を祖父が元気付けてくれた時に、私の隣に置いて彼がいじっていたあの盆栽だった。

「あっ!」

鉢の土に刺さった名前を書いておく小さな立て札に目が行く。白塗りのそこに書かれていたのは「花子」の文字。私の名前だった。

「おじいちゃん…。」

『盆栽のように人の手で大事に育てられるのはここまで。成人したこれからは、一人前として大地に根を張り、自分の力で厳しい環境でも生きていく必要がある。凡才を抜けて、立派な大樹になりなさい。』

あくまで自分の妄想でしかないが、この割れた鉢には、祖父からのお祝いと応援のメッセージが込められているように思えてならなかった。

 今でもこの鉢に植わっていた盆栽は、別の大きな鉢に植え替えて大切に育てている。祖母や父が祖父の後を継いで鉢の管理をしている中で、この鉢だけは、私が自分で世話を続けている。


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短編集:でんでん虫 夕涼みに麦茶 @gomakonbu32hon

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