第12話 クーラエのルール

 戦い。それも、命を奪えるほどの力を振るう戦いとは、途轍もないエネルギーを消費する。人が知恵をもって戦うのは、生物本来としての身体能力が他の種よりも劣る為だ。武器、罠、地形を利用し、連携するのが人の戦法。つまり、人は身体能力に頼らずに戦う事を得意とする動物である。


 しかし、相手が同じ人間となればそうはいかない。敵も知恵を弄し武器を駆使して戦うのだ。一人倒すのも容易ではない。全力で立ち向かわねば生き残れない。では、人はどれくらい全力を出せるのか? なんの訓練もしていなければ、せいぜい3分くらいのものだ。


 相手が圧倒的に強いと分かれば、絶望の中で足掻かねばならない。その肉体的、精神的疲労は、そのたった3分をさらに縮めることになる。だが。


「はあっ、はあっ、はっ」


 クーラエを倒そうと足掻く男は、そんな限界などもうとうに超えている。汗は滝のように流れ、口からは泡が飛ぶ。振り回す腕は、ハエが止まれそうなほどになっていた。


「うっ、ううっ」


 対象的に、クーラエは益々余裕をもって攻撃をかわせるようになっていた。だが、その表情は相手の男よりも辛そうだ。しつこく襲い来る男の目は、自分の向こうにある希望の光を映している。男は、その光を掴み取ろうと必死に手を伸ばしているのだ。それを、自分が邪魔している。人を救うのが自分の使命だと信じるクーラエにとって、こんな矛盾は堪えられない。


 今、クーラエは自身の正義を探し、葛藤している。騎士ユールとリルガレオは、この男を打ち倒すことこそが正義であると主張した。この状況を創り出したアルコンは、全力をもって戦えと言う。どちらも勝敗はその先にある、と言いたいのはクーラエにも分かるのだが、これだけ実力差があっては、どうもその理論は釈然とせず、腑に落ちない。


「分からない。分からないっ。僕は、僕の、正義、を。僕にとって、どうする事が正しいんだっ……」


 クーラエの目に、涙が溢れる。この人を助けたい。なのに、どうしたらいいのか分からない自分が不甲斐ない。クーラエは無力な自分に嫌気がさした。人を助ける為と信じて磨いた技が、逆の方向に作用していることにも失望していた。


 そんなクーラエを見かねたのか、それともしびれを切らしたのか。ずっとこの戦いを静観していたマールームが、野太い声でクーラエに問いかけた。


「ちいっ。おうい、クーラエ。てめぇ、それが全力だってえのか?」

「えっ? マ、マールームさん、までっ」

「かっ、情けねぇ、んな恨めしそうな声で人の名を口にすんじゃあねぇよ。おめぇ、勘違いしてんだろうからちっとヒントを出してやるけどよ」

「は?」

「いいか。戦うってえのは、何も殴る蹴るばっかじゃあねぇんだぜ。人が勝手に決めたルールに縛られて、自分を見失ってんじゃねぇよ、このボケが!」

「殴るだけじゃない? 人の、ルール……? ……あっ!」


 クーラエは何かに気がついた。悲愴だった顔は悲壮へと変わり、目に力が宿り出す。クーラエが腕でぐいっと涙を拭うと、マールームは意味が通じたことを確信し、「お。ふふん」と笑った。


「なるほど。さすがは地下組織の首領です。ルール無用は専売特許、ってやつですね」

「そりゃあ褒めてるつもりかよ、クーラエ。ぶっ殺すぞ、てめえ」


 男の攻撃をバックステップでかわしたクーラエに、マールームが凄んだ。しかし、マールームの表情は明るい。


「に、逃げるなあ、このやろおおお!」


 退がったクーラエに、男が拳を振り上げて突進する。すぐに振り下ろされた拳は、まっすぐクーラエの顔面を目指した。大振りもいいところな上に、スピードもキレもないパンチだ。これならばそこらの子どもにでも避けられる。はずだった。


「ぐうっ」

「なにっ?」


 しかし、クーラエはその拳をモロに受けた。文句なくきれいに入った自身の拳に驚いたのは、それを放った男自身の方だった。


「わ、わああああ!」


 なぜ攻撃が当たったのか。男にそれを勘考している余裕は無い。男は、ここがチャスとひたすらに闇雲に拳を繰り出した。


「うぐ、くっ、うう、つ」


 クーラエはその悉くをその身に受けた。避けない引かない退かない。クーラエは回避も防御も反撃も一切せず、男の攻撃をひたすら受けた。


「ふふん。いい男になったじゃねぇか、クソガキが」


 マールームは目を細めた。


「こら、クーラエ!」


 アルコンは当然にしてクーラエへと注意しようとした。


「これが、僕の全力です!」

「な、なにっ?」


 アルコンの切先を制し、クーラエが怒鳴った。


「僕はいまだ修道士ではありますが、それでも聖職者の端くれです! ならば、教義に従い、無為な暴力は振るいません! それでも戦わなければならないとあらば、僕は僕の全力をもって相手の力に耐えるまで! これが、僕の戦いの”ルール”です! アルコン様の指示にも背かない”ルール”です! 見ていてください、アルコン様! 僕は、この人が力尽きるまで絶対に倒れません! 僕は、必ず勝ってみせます! 僕は、負けない!」


 仁王立ちのクーラエは、男に打たれるがままアルコンにそう大見得を切った。


「おっ、なるほどな。そりゃあおもしれぇ。それなら手加減なんざしようがねぇよな」


 リルガレオが手を打った。


「なっ……、クーラエ、きみという男はっ……」


 ユールは呆れ果てたのを通り越し、感動すら覚えている。


「あ、ははっ。わたし、そういうの好きだよ、クーラエ」


 アルコンの懐で、ウィンクルムがにししと笑った。その笑いには、アルコンへの嫌味が含まれている。


「ふ。よかろう。その覚悟がどれほどのものか。見せてもらうぞ、クーラエ!」


 アルコンが手を振り払い、黒い法衣をひるがえした。




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もはや伝説となった大司教は、現在美少女に懐かれて困っています。 仁野久洋 @kunikuny9216

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