第11話 テネリタースの弟子

 クーラエが進んで暴力を振るうことなどまず無い。あるとすれば、自衛の為、或いは人を守る為で、やむを得ない場合に限られた。


「今の技、そして、キレは……!」


 騎士ユールはしばし倒れた男をじっと見つめていたが、ようやく驚きを口にした。それは何かを思い出すのと同時だった。


 騎士は剣術を磨く者。体術は剣を持たない僧侶達に伝えられる。そして、僧侶は滅多に戦わない。従って、その技を見る機会など普通は無い。ユールが多少の間呆けてしまうのも当然だ。


「テネリタース様……、今の流れるような連続技は、大司教テネリタース様が使っていた。それを、まさかクーラエも使えるとは」


 ユールにとっても、それは一度だけしか見た事の無い体術だ。にも関わらずその内容を詳細に思い出せるユールの記憶力、観察力はかなり優れている。


「うげえ。やなやつを思い出させる技だぜ」


 リルガレオは苦々しく呟いた。


「はっ。つい、技が。だ、大丈夫ですか? すいませんごめんなさい」


 突然襲い掛かられたクーラエだ。謝る義理など無いのだが、足下で大の字に転がる男を見て罪悪感に苛まれた。


「大丈夫に決まっている」


 意識はあるものの、予想外のクーラエの反撃で呆然として倒れている男の代わりにアルコンが答えた。


「いや、結構派手に地面に叩きつけられてたよ?」


 ウィンクルムはアルコンの答えに懐疑的だ。


「ふふ。あの技は、相手を後頭部から地に叩きつける為、一撃で殺す事も可能なのだよ。そう、わざと当たり所を悪くする事でな。だが、今のクーラエの技は、男を肩から落とした。もちろんわざとだ。従って、それなりのダメージは受けただろうが、動けなくなるほどではないのだよ」

「そうなの? え、わたし、そんなの全然分かんなかった。凄いスピードで倒れたって事しか……」

「クーラエは、俺と同じ師に見出された男だからな。天賦の才は折り紙つきだ。大司教テネリタース……俺ですら"怪物"だと思う武の達人、だ」

「そうなんだ……クーラエって、凄い子だったんだね……」


 アルコンの説明に感心したウィンクルムが倒れた男を改めて見ると、ちょうど起き上がろうとしているところだった。


「この、やろう、クーラエっ……、てめえ、ひょろいフリして妙な技をっ……」

「ごごごご、ごめんなさい。体が勝手に……、も、もうやめましょうよ。僕は殴られるのも殴るのも好きじゃないんです」


 肩を押さえてよろりと起き上がった男の目は、まだ死んではいなかった。その鋭い眼光に、クーラエはぷるぷると手を振って後退った。


「知るかよ。どっちも嫌いなら、大人しく殴られときゃいいだろうがっ!」

「そそそそ、そんなああ!」


 男が再びクーラエへと突進する。クーラエは半泣きでアルコンを見て、目で救いを求めた。


「やれ」


 が、アルコンは首を親指で切るような仕草をした。殺せという意味らしい。


「なななな、なんでえええ!」


 迫る男。後ずさるクーラエ。しかしここは教会内、建物の中だ。どこまでも逃げる事は出来ない。すぐにクーラエは背を壁に着ける事になった。


「負けられねえ! 俺は負けられねえんだ! クーラエ、すまねえがやられてくれ! 後で礼も謝罪もいくらでもするからよお!」

「そそそ、そんな事言われてもお!」


 クーラエは本当に困ってしまった。この男のアルコンの加護への執念は肌でびりびりと感じている。余程の事情がありそうだ。それならば、わざとやられてあげるのもやぶさかでないと思うのだが、


「ひゃあああっ!」

「ちっ、てめ、避けてんじゃねえ!」


 男の動きがド素人過ぎて、攻撃を受ける前に体が勝手に逃げてしまう。例えるなら、のんびりと自分の目へと迫る、鋭利な突端か。じっとしていればもちろん刺さるが、避けるのが容易であればつい避けてしまうのが本能というものだ。


「おい、クーラエ。わざとやられようなどと思うなよ。それくらい俺には分かる。そして、それで勝たせてやったところで、俺はその男の願いなど聞くつもりはない。長引かせれば、ただ疲れるだけになる。それは、お前にとってもその男にとっても、何の益も無いと思うぞ」


 ひらひらと攻撃をかわすクーラエに業を煮やしたアルコンは、そう焚き付けた。


「……アルコン、冷血」


 懐のウィンクルムが、ぷくっと頬を膨らませた。ウィンクルムにも、この男の必死さは伝わっている。せめて願いを聞くだけでもしてあげて欲しいとウィンクルムは思い始めていた。


「ふああ、退屈な戦いだぜ。おうい、クーラエ。そうやって実力差のある相手を延々と甚振るのは楽しいかあ? おめえって酷えやつだったんだなあ。ぐはははは」

「ええっ? そ、そんなつもりは」


 リルガレオにじっとりとした目で見られている事に気付いたクーラエは心外そうだ。


「リルガレオ殿の言う通りだ、クーラエ。私も、今の君の戦い方には義憤を禁じ得ない」

「ユ、ユールさんまで!?」


 とうとう、騎士ユールにまで非難を受ける事となったクーラエの心中はやるせない。そもそも自分の望んだ戦いでは無く、クーラエはアルコンの不条理を被っているだけなのだ。リルガレオもユールもそれは当然分かっているが、口頭とはいえ契約に基づいて始まってしまった戦いである以上、後は礼や敬意を払うべきだと二人は考えている。


「はあっ、はあっ……、ちくしょう、ちっくしょおおおっ……!」

「あ……」


 ぶんぶんと拳を振り回す男の息がかなり苦しそうになってきた。良く見れば、男は悔しさのあまりなのか、泣いていた。涙を拭う事もせず、ひたすらに自分を倒そうと足掻く男は、間違いなく全身全霊を以て戦っている。


 それなのに、自分はどうか? クーラエは息一つ切らしていない自分が許せなくなってきていた。そして、リルガレオとユールの言う事が、身を持って分かり始めていた。


「で、でも、でもっ……」


 この人を殴るのか? 自分が? 何の恨みも無い、名前も知らない男の人を? そんな事が許されるのか? 自分の方が強いからと言って、こんなに必死に頑張っている人を、打ち倒してもいいのだろうか?


「ふん、所詮はガキだな。命の遣り取りをした事のねぇやつの、甘え迷いだぜ」


 リルガレオはクーラエの動きを見ただけで、心の裡まで見透かしている。それはユールも同様だった。なぜなら、戦争に出た者ならば、殺し合いをした事がある者ならば、誰もが一度は経験する迷いだからだ。


「クーラエ! それ以上その男を辱める事は、この私が許さない! 倒せ、クーラエ! その男の誇りを、倒す事で守るのだ!」


 堪え切れず、ユールが叫んだ。騎士であるユールこそ、このクーラエの戦いは侮辱としか映らない。騎士とは守る者であり、時として敵の名誉すら守るのだ。


「何が、侮辱だ。甘かろうが何だろうが、倒されてたまっかよお。くそ、くそ、くそくそくそくそくそおおおおおっ!」


 だが、この男にはそんな気遣いなど無用だった。砂を握りクーラエに投げ目潰しを試み、床板を剥がして振り回し、やられてくれと懇願した。その悉くをクーラエは捌いてゆくが、形振り構わずクーラエに襲い掛かる男は、まだまだ戦いを諦めてはいない。


「アルコン……」


 ウィンクルムは悲痛な顔でアルコンを見上げた。少なくとも、ウィンクルムはこの男の"願い"を聞きたくなっている。


「…………」


 アルコンは、動かない。表情すら、全く変化は見られなかった。



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