第10話 クーラエの力
「お。活きの良いやつがいるな」
積み重なる人の山に立つ大男を見て、アルコンがにやりと笑んだ。そんなアルコンに、ウィンクルムは「?」と思った。アルコンはこの人たちの相手が面倒だから、こんな乱暴な行為に及んだはずだ。こんな見るからに面倒臭そうな大男に絡まれるのが嬉しいのかな、と。
大男は、フードの付いた足まで隠れる黒い外套を羽織っている。フードから覗く鋭い眼光は、明らかに只者では無かった。
「黙って聞いてりゃあ、勝手な事ばっか吐かしおって。てめえ、何様だあ!」
大男が外套をばさりと脱ぎ捨てた。露わになったのは、輝くスキンヘッドと、口元にたくわえられた、黒々とした立派な髭だ。そして、目に鮮やかな黒地に赤のピンストライプのジャケットとパンツ、パールのような艶を持つ先の尖った靴など、とにかく派手な服装が、ウィンクルムの度肝を抜いた。
「うっわあ! すっごい服! 見て、アルコン! ジャケットの下、何も着てないよあの人! 胸元丸出しだあ!」
「うむ。シャツが無いな。きっと貧乏なのだろう」
「え? そーなんだ? てっきりお洒落なのかと思って……ごめんね、おじさん。わたし、酷い事言っちゃった」
ウィンクルムはしょんぼりと項垂れた。
「謝ってんじゃねえ! 貧乏人がこんな上等なジャケットやら着てるわけねえだろうがあ!」
大男は憤慨した。ウィンクルムの謝罪は心外過ぎる。この手のファッションはとある人種の定番なのだが、元々は姫であるウィンクルムには分からない。そう、この男は。
「あ、あわわ。マママ、マールーム、さん?」
クーラエが震えている。違っていて欲しいとの願いを込めて、一応確認の為にその名を大男に投げかけた。
「なんでえ、クーラエ。おめえよお、確認しなくちゃならねえほど、俺と疎遠だったかあ? 水臭え話だなあ、おい」
「ひゃあああ。すすす、すいませんんん。いやでも、まさかマールームさんがこんな所にいらっしゃるとは思いもしませんから、それで」
「ふん、そりゃそうか。まあそれはいい」
この大男こそ、地下世界を支配する者。
"血溜まりのマールーム"と呼ばれる、闇の世界の首領である。クーラエは、主に下町に暮らす孤児たちの件で、このマールームとは何度も会談していた。普段はエディティス・ペイでも指折りの高級ホテルのワンフロアを借り切って暮らしているマールームだ。こんな所に自ら出向くのは確かに珍しい事なので、クーラエの言うことも尤もだった。
「ほう。お前があの悪名高いマールームか。初めて会うが、妙に見慣れた感じがするな……ああ、そうか。帝都にいた時にも、お前みたいなやつがわんさかいたな、そう言えば。地下世界の住人というやつらは、どこでも同じような服装をしているという事か。不思議だな、ははははは」
ベスティア討伐後は、帝都で大金を使い果たすまで堕落しきった生活を送っていたアルコンは、自然と無法者たちと付き合うようになっていた。マールームは、それらと同じ色をしているようにアルコンには見えている。
「馬鹿にしやがって。えらく見下してくれてるようだが、あんまナメてると酷え目に遭うかも知れねえぜ、アルコン様よお?」
「見下す? それこそ馬鹿な、だ。お前の方が上にいるのだ。俺はお前を見上げながら話しているのだぞ?」
マールームは人の山に立っている。確かに、見下しているのはマールームの方だ。
「そう言う意味じゃねえ。はっ。聞いてた通り、かなりとぼけた男らしいな、てめえは。こんな野郎に頼み事をする為に、一週間も部下に帰りを見張らせていたのが嫌になるぜ」
「見張ってた? 俺の帰りを? ははははは。それはご苦労」
アルコンは甲殻魔獣の群れを蹴散らした後、そのまま提督府にウィンクルムと共に招聘された。そこでサピエンティア提督と何事かを議論していたのか、それとも何か依頼でも請けたのか? 昨夜教会に戻ったアルコンは、その内容を誰にも話していない。もちろん、ウィンクルムも。
「で、俺に何の用かな?」
「はっ。決まってんだろうが。てめえの加護ってやつに興味があんだよ」
「ふふん。それは都合が良い」
「何? そりゃあどういう」
「まあ、待て。実は俺も、お前には用があってな。だが、もうしばらく待て。もうすぐ選別が終わる」
「選別?」
マールームは、アルコンがくいっと小さく顎で指し示した所へ目をやった。それはマールームの足元だ。何人かが、折り重なる人の中から這い出て来る所だった。
「な、なんて酷え神官だ」
「ちきしょう。もう二度と来ねえぞ、こんなふざけた教会なんて」
「覚えてやがれ、アルコン。この借りは、いつか必ず返してやる」
よろよろと起き上がった者たちは、口々に呪いの言葉を吐いて立ち去ろうとしている。マールームは、自力で床下から出られない者に手を貸した。そこでマールームは気付いた。見た目こそ派手に亀裂に飲み込まれたが、怪我をしている者は皆無だということに。最下部で下敷きになっていた者ですら、擦り傷ひとつ負ってはいない。こんな事が有り得るのか、とマールームは驚いた。そして、すぐに有り得ると考え直した。この人々は、アルコンの加護で守られていたのだ、と。
「精神的にやられただけ、か? あまりの仕打ちに、みんな冷静に自分の状態を認識出来ていないってか。はは。はははは」
マールームは、ほどなくしてほぼ全員が退去した礼拝堂を見回してから笑いだした。皆、アルコンに脅かされただけだ。この野郎、とんだ詐欺師だ。マールームは、そう思うと腹が立つよりも可笑しくなったのだった。
「面白いか、マールーム? さて、残ったのはお前を含めて三人だな。おおい、クーラエ」
「は? はい、何でしょうか、アルコン様?」
おもむろにアルコンから手招きされたクーラエが、自分を指差した後、アルコンの元へと駆け寄った。クーラエに取り残されたユールは、何がなんだか分からないという体で、礼拝堂入口に立ち尽くしている。アルコンは手元にクーラエを引き寄せると、肩を抱いてこう言った。
「いいか、クーラエ。今から、お前はここに残った三人と戦うのだ」
「は? はあああああ!?」
またわけの分からない事を言い出したアルコンに、クーラエが頓狂な声を上げた。
「な、なんで僕が!?」
「なんでもクソも無い。いいからやれ。あ、そうだ。今朝の組手はまだだろう? その代わりだ。いいか、手加減はするなよ。思い切り、殺すつもりでやるのだ」
「えええええええ!?」
「よし、一番目はお前だ。見事この俺の一番弟子たるクーラエを打ち倒せば、お前の願いを聞き入れよう。まあ、内容次第では聞くだけになるが、クーラエを倒さずば願いすら俺に届けられんぞ。さあ、やれ」
アルコンはクーラエの意志など無関係に、一番手前にまで来ていた男を指名した。いかにも土建屋といった浅黒い肌と隆々とした筋肉を持つ、いかつい容姿の男だ。
「くそがっ。俺はこんな坊主と喧嘩しに来たんじゃねえぞ。だけど、だけどよ。そうしなくちゃあ、話すら聞いてもらえねえんじゃ! やるしかねえなあ!」
「は? うわ、うわわわわ」
土建屋風の男はすぐに肚を決めていた。対して全く心の準備も無いクーラエは、拳を振り上げて猛然と迫る男に気圧され、手を前に突き出して後ずさる。
「危ない、クーラエ!」
ウィンクルムがアルコンの法衣の懐から飛び出そうとしてもがいた。ところでウィンクルムがここに収まっている理由は、アルコンが「どうせ離れられないのならここにいろ。これなら安心だ。俺が」と言い出したところによる。
「暴れるなウィンクルム。法衣が破れる」
「でも!」
「お前、クーラエを舐めているな? 忘れたか? あいつはお前を守る為、オスティウム・ウルマの打撃を受け流したのだぞ? まあ、流し切れずに腕を折ったが、それは俺も同じだった。これがどういう事か分かるだろう」
「え? え? まさか」
「そうだ。あいつは」
アルコンが言い終わる前に、クーラエは。
「ややや、やめて下さいっ!」
「なっ! うおわああああ!」
男の拳をひらりと躱し、その腕を掴むと、そのまま引っ張って足を払った。男は宙高く舞い上がると3回ほど回り、床に叩き付けられた。
「あいつは、強い」
アルコンが満足そうに頷いた。
「ええっ! クーラエ、凄い!」
興奮したウィンクルムが叫んだ。
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