第9話 ゴミと呼ばれて
人々が礼拝堂に殺到した。まるで飢えた獣のように雄叫びを上げ、前へ前へと手を伸ばす人たち。整然と並べられた長椅子は乗り越えられ蹴り倒され、蹴り躓いて倒れた人を踏み台にして更に前へと邁進する人波が、ひと塊の生物のようにアルコンへと迫る。
「ははははは。来たな、愚か者どもが」
祭壇上に仁王立ちしたアルコンは、救主教のシンボルである黄金に輝く日輪のオブジェを背に、悪魔のような笑みを浮かべた。
「う、うわあ……アルコン、悪い顔してる」
アルコンの法衣の懐から子猫のように顔だけ出したウィンクルムが、口元を引き攣らせた。
「ふふふ。まあ、これからやつらに試練を与えるのだからな。ついこんな顔にもなる。力を貸せ、赤手甲」
アルコンは言いながら赤手甲を装着した。腕が赤く煌めき、赤手甲が現れる。だが。
「む? 右腕だけか?」
何故か左腕の赤手甲は現れない。こんな事は初めてだ。しかし、それを考える時間は無い。暴徒と化した下町の同胞は、すでに目の前まで迫っていた。
「まあいい。右腕だけでも十分だ。とおりゃあっ!」
「わっ」
アルコンが赤手甲を祭壇の床に叩きつけた。突然の奇行に、ウィンクルムが目を丸くする。山をも砕く赤手甲の破砕力が、今、解放されたのだ。赤手甲を中心に板張りの床に亀裂が走る。
「ぎゃあああ」
「あわ、わああああ」
「お、落ちるう!」
自然、人々は亀裂に飲み込まれていった。目の前の床がぱっくりと大口を開けていると分かっていても、勢い急には止まれない。後ろから詰め寄せる人間には、床の状況は分からない。そして、分かった時にはもう遅い。皆、続々と床下へと吸い込まれるように消えてゆき、湿った砂塵だけがもうもうと礼拝堂に蔓延った。
「うわあーっはっはっは! これは愉快!」
アルコンは腹を抱えて笑っている。折り重なるようにして床下に倒れた人々は、笑えないダメージを受けている。
「え、ええー? これ、笑えないんだけど」
ウィンクルムはアルコンに白目を向けた。
「こんな事する気だったのか、この人!?」
礼拝堂入口では、クーラエが仰天していた。クーラエは、てっきり何か大司教ならではの方法で騒ぎを収めると思っていたのだ。まさかこんな力技で止めるとは信じられないという面持ちだ。
「あ、ああ、え?」
クーラエの横では、ユールが目を点のようにしている。礼拝堂はアルコンの一撃でめちゃくちゃだ。教会のシンボルである日輪も傾き、今にも掛けられた壁から落ちそうになっている。ここに来た人々は、皆体の悪い所を治そうと思っていたはずだが、これでは怪我を増やしただけになるだろう。
「よし、これで片付いた。クーラエ、あとは頼む。床を直しておいてくれ。上から板を打ち付けとけばそれでいい。体裁は悪いだろうが、贅沢は言わん」
「は? いやあの、人がいますけど」
さらりととんでもない指示を受けたクーラエは、頭を混乱させている。
「だから、その上から板を、と言っただろう。二度も言わせるな面倒くさい」
「こ、こここ、殺す気ですかっ、アルコン様! それ、いいんですかっ!?」
「いいさ。俺の加護に群がる奴等など、大抵ろくでもないからな。ゴミを埋めるのと大差は無い」
「ゴ、ゴミっ、て……」
「ゴミ……」
クーラエは絶句した。ウィンクルムはぽかんとした様子で床下で蠢いている人たちを見た。クーラエは、アルコンに何か深い考えがあるのかと思っていたが、どうもそうではなさそうだ。アルコンは、普通に、本気で思った事を口にしているだけだ。クーラエはそう感じた。
「がっはっはっは! 違いねえ! ゴミなら床下に埋めといてもいいだろ! がはははは!」
リルガレオはアルコンの処置が気に入っているようだ。人間には仲間の獣人たちが酷い目に遭わされてきているからだろう。リルガレオにとっては、人間などどちらにしろゴミ同然だった。
「ア、アルコン?」
「うむ? どうした、ウィンクルム?」
アルコンは懐から自分を不安げに見上げるウィンクルムに気がついた。
「え、えっと。あの人たち、あんなとこに埋めたら、そのうち腐臭とか放ったりするんじゃないかな? そうなると困る、よね?」
基本、ウィンクルムはアルコンの全面的な味方だ。アルコンのやる事を否定したりするつもりは無い。が、これはさすがに見過ごせなかったウィンクルムは、それとなくやめさせようとしてそう進言した。だが。
「おお、良く気がついたな、ウィンクルム。なるほど、それは困る。だが、何も心配はいらん。そうなる前に、あの辺りの時を、俺の加護で止めればいいのだ。どうだ? これなら、何も問題は無いだろう」
「あ、あー……な、なーるほどねー。あは、あはははははは。で、でもさ、あんなに人が死んでたら、夜にお化けとか出たりして」
「ふっ、やはり子どもだな、お前は。そんなものが怖いのか? いいか、お化けなどおらん。よしんばいても、俺が撃退する。お化けなど、所詮は霊体。俺の敵では無い」
「わ、わーい。さすがはアルコンだなー。頼りになるんだねー。はは。あははははは」
「当然だ。金の事以外であれば、俺は大概何とか出来る。俺は六英雄の一人。誰が呼んだか、赤手甲の聖魔法士、アルコンなのだからな! ふわーっははははは!」
ウィンクルムは諦めた。あれだけの人たちを見捨てるのは心が痛むが、自分ではアルコンを止められないのだからやむを得ない。
「あ、クーラエ。そこに残った二、三人はそのまま逃してやれ。そいつらがこの事を街で言いふらせば、もうこんなやつらは来なくなる。それで全て解決だ。ああ、やれやれ。これで爽やかに朝寝が出来る」
「……はあ。でも、アルコン様の悪評も鎮火不能なレベルで立ちますが……」
「構わん。元々、俺はぐうたら神父だの無能司教だの言われている。その上強くて無慈悲で残酷だ、と付け足されるくらいだろう」
「それ、凄い違いじゃないのアルコン!?」
ウィンクルムが突っ込むも、アルコンは「そうか?」と言って気にしていない。
「悪魔……あれは悪魔だ……!」
クーラエはがっくりと膝をついた。同時に教会から出奔する決意を固めた。その時。
「アホかあああ! ふざけんじゃねええええ!」
床下に折り重なる人塊を跳ね除け、一人の大男が飛び出した。
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