第8話 繁盛の理由

 エディティス・ペイは平和だった。

 謎の甲殻魔獣襲来から一週間、街は平穏を取り戻し、人々は日常に生きている。騎士ユールは身軽な平装に見を包み、松葉杖を頼りに、下町をのんびりと見回っていた。無茶な戦いをしたせいでかなりの重傷を負っていたユールだが、ある程度はアルコンに治療してもらっていたので、外を出歩く事が出来ている。


「お前はもっと自分を大事にしろ。頑張っていた事は認めてやるし、その勇気に免じて、しばらく戦えないくらいにまでは治してやる。傷が癒えるまで、その痛みを噛み締めろ。それが、お前を心配する人たちの痛みでもあるのだ」


 そうアルコンに諭されたユールは、自分を大事に思っていてくれている人たちを失念していた事に気がついた。ユールが家族や民を思うのと同じように、自分も気にかけてもらっている。戦いに死ぬのは怖くは無いが、その人たちを悲しませる事になるのは怖くなった。


 獏とした思いに駆られたユールは、アルコンを訪ねようと下町に出向くことにした。こんなにゆっくりと歩くのは、いつぶりだろう。鳥の囀りや猫の欠伸、呼び込みをかける商人の声など、今まで気に止めなかった街の音が、こんなにも愛おしい。


 平装のせいもあるが、常とはあまりにも違う穏やかなユールの表情が、誰にも彼だと気付かせない。ただ、すれ違う若い女性たちが皆立ち止まり、頬を赤らめて振り返るだけだ。鍛錬に訓練、騎士としての業務に忙殺されていたユールは、こうして立ち止まる時間も必要なのではないか、と感じていた。


「さて、そろそろ教会だが……突然訪ねてしまっても良かっただろうか? 私とした事が、ついふらりと来てしまったが……、おや?」


 教会が見えるようになる角を曲がったユールは、そんな気遣いなどすぐに忘れた。いつも閑散としていて人気の無いアルコンの教会が、門からはみ出すほどの人で溢れていたからだ。軽く100人はいるだろう。この全員が断りを入れて訪ねて来ているとは思えない。


「な、何があったのだ、一体?」


 ユールは足を引き摺りながらも、人だかりに沸く教会へと急いだ。近付くほどに、人々の喧騒がはっきりと聞き取れるようになる。どうも良い感じはしない。教会に詰め寄せた人たちは、どうも何かを求めているようで、必死に手を伸ばし、救いを懇願していると言うよりは、恐喝に近い体で怒鳴っている。


「助けてくれよお、アルコン様よお!」

「あんた、あの六英雄だったんだってなあ! 知ってりゃ、もっと早く助けてもらってたんだよお!」

「痛え、痛えんだ! 治してくれよ、アルコン様あ! ほら、寄付ならするからあ!」

「子どもが熱を出したんです! どうかなんとかしてください!」


 貧乏人の多い下町だが、それもかなり底辺の人々だ。つぎはぎだらけの衣服に、痩せこけて真っ黒な顔をした中年を主とした群衆が、アルコンに助けを求めている。みな、どこか病んでいるらしく、ひとり一人が普通では無い印象を受ける。ユールはすぐに理解した。


「アルコン様が、ついに本物のアルコン様だと知られたのか……」


 昨日、甲殻魔獣の群れを相手にして、あれだけの大立ち回りを演じたのだ。その圧倒的な強さを目の当たりにした数人が、興奮冷めやらぬままに誰彼構わず話しまくったに違いない。素人独特の熱弁が、あっという間に熱波のごとく噂を広めたのだろう。


「ここは病院ではありませーん。怪我、病気の方々はお引き取り願いますー。そろそろ朝の礼拝を執り行いたいと思いますので、参加者以外はお帰りくださーい」


 ひょこひょこと杖をつき、そうっと群衆の後ろからユールが教会を覗くと、壊れて開けっ放しだったはずの鋼鉄の門扉の向こう側で、クーラエが大声を張り上げていた。


 門は前夜、アルコンが時の加護を用いて直していた。こうなることを予見していたのだ。


「開けるつもりか、クーラエ? これだけの人がひしめき合っているのだ。クーラエの言う事を聞くとも思えないが……」


 門扉の閂に手をかけたクーラエを見止め、ユールが不安を募らせた。あれだけの人が押し寄せたら、クーラエなど一溜まりもなく押し流されてしまうだろう。怪我が無ければ人員整理に一役買うところだ。ユールは自分が歯痒かった。


「おう、礼拝するする。なあ、クーラエ。アルコン様がやるんだよなあ?」

「もちろんです。あ、もちろんでも無いですけど。普段は僕がやってますし。でも、今朝はアルコン様が、有り難い……かな? まあ、人によっては有り難いかも知れない講話などもしてくださいます」

「よし、分かった。さあ、早く開けろクーラエ。早く、早く」

「はいはい、ただいま。少々お待ちを」


 どう見ても講話など興味の無さそうなむくつけき大男が、早く門を開けろとクーラエにせっつく。それが分からないクーラエでも無いはずだが、素直に門を開けようとしているのが、ユールには不可解だった。


「さあ、どうぞ」


 門が開いた。


「うおおおお! 俺が一番だ! アルコン様ー! 俺を一番に治してくれえー!」

「はひい、はひい。ああ、ああ、こんなお婆ちゃんを突き飛ばしてえ」

「てめえ、走ってんじゃねえよ! どけえ!」

「ぎゃあああ! いたたた!」

「おい、押すな! 押すなあ!」


 ユールの想像した通り、堰を切った水が暴れ出すように、人々が教会に流れ込む。クーラエは開けた門扉の内側にさっと隠れてそれを躱した。常に人の役立つ事を考え行動するクーラエにしては、腑に落ちない態度だ。ユールはそう思った。


「おはよう、クーラエ」

「あ、ユール様。おはようございます。出歩いて平気なのですか? そんな体でこんな所まで……さあ、僕に掴まって下さい。礼拝でしたら、中までお連れいたしますから」

「あ、いやいや。大丈夫、自分で歩ける」


 ユールは人が入り切ったのを見計らい、門に立ったままだったクーラエに話しかけた。殺気立った人々の対応を心配しての声掛けだったのが、逆にクーラエに心配されてしまい、ユールは恐縮した。


「それより、凄い騒ぎだね。アルコン様は、どうするおつもりなんだ?」

「さあ? 僕は、アルコン様に全員招き入れろ、と指示されただけですので。きっと、何か良い考えがあるのでしょう」

「……良い考え、ね」


 ユールは眉を顰めた。先日の門衛隊とオスティウム・ウルマとの戦闘の際には、自分もアルコンを頼ったばかりなのだ。この人々は、その時の自分だ。厳しく自らを律する騎士の訓練を積んだ自分でさえ、アルコンの力を諦めるのは苦しかった。それを、一般市民が承知できるのか? ユールは甚だ疑問に思った。


「それにしても、何故これほどまでにアルコン様の事が広まっているのだろう? ケントゥム門での戦いを見ていた者など、数人だったはず。我々は戦いで見聞きした事を、進んで口外したりはしないのだが」

「ああ、それなら」

「ん? あ。あー……」


 クーラエがぴっと指差す方を見て、ユールは納得した。


「ぐはははは! 大盛況じゃねえか、アルコン! これなら、お布施もたんまり頂けるだろうぜ!」


 リルガレオだ。礼拝堂の入口付近で大口を開けて笑っている。


「信じられん……。獣人族の使命は、秘密裏での情報管理が主であるのに。その王が、まさかあんなに軽々口を滑らせるとは」

「ケントゥム門戦の後、飲みに行ったらしいです。酔った勢いで、自分の武勇伝と一緒にアルコン様の事もぶちまけて来たんでしょうね。あはははは」


 クーラエは力なく笑った後「はあ」と小さく嘆息した。


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