第7話 ハスタのうわ言

 ――15年前。グラディオら六人の加護使いは、世界連合軍の多大な犠牲を払ったものの、魔獣王ベスティアの居城にまで辿り着いた。


 便宜上居城と呼んではいたものの、そこは単なる山だった。岩肌がむき出しになった、草も生えない荒涼とした山岳地帯。その中の、一際高い山の頂に、ベスティアは座していた。


 ようやくにして対峙する事の叶った六英雄たち。アルコンを中央に星形の隊列を組んだ六英雄は、誰も一言も発さぬまま、ベスティアを見上げた。ただ一人、アルコンだけは振り返り、いまだ山麓で強力な魔獣たちと戦いを繰り広げているリルガレオ、ゲオルギウス、メディオクリスらを、感謝とともに俯瞰した。


「きる? きるるるるる?」


 鳥の鳴き声か? アルコンは皆と共に上を見た。しかし、鳥などいない。視界に有りし生ける物は、間違いなく自分たちとベスティアのみだ。


「ほほう。魔獣王とは、随分と可愛らしい声で鳴くのだな。不思議そうに小首を傾げおって、我等を愚弄しておるのか?」


 ベスティアへのファーストコンタクトで、口火を切ったのはアーカスだった。アルコンは、やはりあれはベスティアの声だったか、と驚いた。


「……ベスティア、目をぱちくりさせてるんな。もしかしてとは思うけど、こいつ、言葉が通じないん? ……だとしたら、こいつは自分で名乗れないのんな……じゃあ、誰がベスティアって名付けたん……?」


 ハスタは油断なく槍を構えている。その疑問は核心を突くものだったが、この時の六英雄は、誰もそれに気付いてはいなかった。


「ううむ……見た目も、俺が想像していたものとはかけ離れ過ぎている……。これは、本当に魔獣王、なのか? ベスティア、なのだろうな? これは、まるきり……」


 アルコンは戸惑いを隠せない。


「ただの、少女ではないか」


 ベスティアはちょこんと岩に腰掛けて、アルコンら六英雄を興味深げに見下ろしていた。


「青い肌、青い髪。人では無い、か。グラディオ」

「ああ、うん。分かった。やってみるよ、アルコン」


 アルコンに促され、グラディオが聖剣フレイをベスティアに向けた。加護の力を向けたのだ。そして、グラディオは驚愕する。


「……な! なんだ、こいつ、は?」

「どうした? そんなにもヤバイのか、やはり?」


 グラディオは首を振った。


「違う。弱過ぎるんだよ、アルコン。この子、次の僕のひと振りで、あっけなく絶命してしまうんだ……」

「……なにぃ?」


 これが、六英雄と魔獣王との、死すらぬるいとさえ思えた戦いの幕開けとなった。ベスティアに触れてはならなかった。戦いを挑んではならない相手だったのだ――



「あぎゃああっああっあーっ!」

「ハスタ!」


 アルコンが叫ぶ。ハスタの右腕が引き千切られ吹き飛ばされ、岸壁に激突し、真っ赤な花が咲くように破裂した。


「うぎぃ、っいいいっいぃ!」


 激痛にのたうち回るハスタの左脚太ももを、ベスティアが踏み潰した。


「ハスタ! ハスタァッ! フロウス、時間を作れ! 一瞬でいい!」

「はい、お兄ちゃん! 飛んで! 岩石ちゃんたち!」


 ハスタの元へと駆け出すアルコン。フロウスが手を振り払い、ベスティアに向けて無数の岩石を飛ばした。いまや超人的な、アーカスにも匹敵する速度で移動するベスティアだが、避ける隙間が無い。岩石は何発かベスティアに命中し、少しだけ動きを止めた。


「しっかりしろ、ハスタ! 今、俺が直してやるからな!」


 アルコンがハスタを抱き起こす。二人とも血塗れだ。アルコンの黒い法衣ですら、赤く染まっているのが分かるほどだった。


「い、痛いぃ! 痛いぃーん! 助けてぇ、助けて、アルコンン!」

「ああ、ああ! すぐだ! 楽になるからな! 頑張れハスタ!」


 泣き叫ぶハスタに、アルコンは加護の力を行使した。それは時の加護。ハスタの体を、怪我する前に戻すのだ。


「信じられん。ハスタの空間の加護すら打ち破るようになるとは……どうしてこんな事が出来るんだっ……!」


 アルコンはハスタの治療に専念した。常ならば、これくらいは一秒もかからず元通りにしてしまう"時の加護"だ。だが。


「……治りが、遅い……まさか……」


 アルコンは切れ切れの呼吸の中、呟いた。こんな事は初めてだった。アルコンの脳裏を、嫌な考えが過ぎる。これは、加護の使用限界なのではないか、と。過去、どれだけ使おうともそんな兆候は一切感じた事は無かった。そこまで使う事態に遭遇していないからだ。しかし、このベスティアとの戦いでなら、それが起こってもアルコンは不思議だと思わない。


 ベスティアと戦い始めてから、もう七日が経っているのだから。


「い、いつまで……いつまで、こいつとの戦いは続くんだよお……」


 腕を押さえ、岸壁に寄りかかるマレフィ・キウムが恨めしそうにベスティアを睨んでいる。限界だった。食事も休養もなく、ぶっ続けで戦うなど、いくら六英雄と言えども無理がある。特に水分補給が出来ないのは深刻だ。ただじっとしているだけでも、普通の人間であれば3日で死ぬ。


「そうか。ハスタ。お前、もしやもう加護が使えなくなっているのではないのか?」


 アルコンは治癒の遅れを悟られまいと、ハスタにそう問いかけた。アルコンの治癒能力は、この戦いに於ける絶対の支柱となっている。アルコンが力を失った時、六英雄の精神力は崩壊するだろう。そして、後には死という敗北が、全滅が待っている。六英雄の敗北は、全世界の敗北をも意味している。ベスティアに抗せる者は、他にもういないのだから。アルコンはそこまでを容易に想像していた。


「お兄ちゃん、危ない避けてぇ!」

「むうっ!」


 フロウスの岩嵐を弾いて間隙を縫ったベスティアが、瞬時にアルコンの眼前に迫り、細い腕を振りかぶっていた。これを躱せば、今度こそハスタが死ぬ。しかし、今重傷のハスタを抱えて動いても死ぬだろう。アルコンの選択肢は一つしか無い。だが、アルコンにそれだけの余力があるのか? アルコンにベスティアの攻撃を受け切る自信は無かった。


「逃げて、アルコン! ハスたん、もう戦えないん! 守ってもしょうがないのん!」


 ハスタは残った力でアルコンを突き放そうとした。だが、もうそうするだけの力も無かった。


「ぬおおおおおお!」


 ベスティアの振り下ろされた腕を、アルコンが赤手甲で受け止めた。時の加護を行使する核となる赤手甲。それは触れた瞬間、その対象の時間を止める。物理力も魔法力も"ゼロ"とするのが、これを「絶対防御」と呼ぶ理由だ。だが。


「うお、おお、おおっ! と、止まらんっ!」


 めきめき、めきめきと音を立て、赤手甲が歪んでゆく。ベスティアの時間を止めきれていないのだ。ベスティアの力。それは、無限の"自己強化"だ。力、速さ、耐久力。その全てが、戦えば戦うほど、敵を上回るまで上昇する。あまりにも原始的な、だからこそ小細工の通じない、圧倒的な強さ。ベスティアは、すでに六英雄の加護すら上回る強さにまで達していた。


「アルコン! アルコンも、もう限界だお! ハスたんなんか、もう見捨てていいのん! やだあ! アルコン、死んだらいやだおおお!」


 ハスタは泣き叫んだ。その悲痛な叫びは、懇願であり哀願だ。しかし、ハスタの心情は、そんな言葉では伝え切れないものだった。


「ぐ、う。はっ、知るかよ。戦えないからなんだってんだ? 加護が使えなきゃ、もうハスタじゃ無いのかよ? 俺はなあ、ハスタ。俺は、お前を! そんなつまらねえ理由で守ってんじゃねえんだよお!」


 アルコンは必死でベスティアの腕を減速させると、それにより作り出された僅かな時で、ハスタを抱えて真横に転がった。直後、ベスティアの拳がアルコンたちのいた地面を叩き割る。岩盤に幾筋もの亀裂が走り、山頂を崩落させた。


「……アルコン……アルコンッ……!」


 落下してゆく六英雄たち。アルコンの胸に包み込まれたハスタは、その赤黒く染まった法衣に顔を埋めた。涙が止まらない。アルコンは、加護使いとしての、ベスティア討伐の戦力としてのハスタではなく、ただのハスタを助けてくれた。アルコンにとって、自分はそれほどに価値があるのだと怒ってくれた。嬉しかった。これほどに絶望的な戦いの中に、こんな幸せが待っていた。


「ハスたんも……守るん。アルコンは、ハスたんが守ってみせるん!」


 この時、ハスタの中に、アルコンへの忠誠心にも似た気持ちが確立された。男とか女とかでは無い。人間として、友として。ハスタは、アルコンを必ず助けると決めたのだ。



 


「……へへ。だから、ハスたんはね、必ずアルコンを守るんな。グラディオ、絶対アルコンのとこにも行くはずだって思ったん。ねえ、聞こえてた、ゲオじい? グラディオ、ルート10000まで使ってたん。加護の、力を。あんなの、ハスたん、初めて聞いたん。ベスティア相手でさえ、グラディオはルート1000くらいまでしか使ってなかったのんな。ハスたん、やっぱり凄かったん」

「これ。喋るで無いよ、ハスタ。お前、体中ズタズタなのじゃ。わしら竜族の薬膏がどれだけ効くのか分からんのじゃ。とにかくじっとしておれ。ベスティア戦だのルートだの、話があちこち飛んで聞いてる方が疲れるわい。全く、なんなんじゃ、ルートとは」


 ゲオルギウスは、ハスタを自身のねぐらへと連れて来て匿っている。そこはまさにねぐらと言う風情の、ただの洞穴だ。老人の姿をした精神体ゲオルギウスは、横たわるハスタにせっせと傷薬を塗り込んでいる。人を助けるなど何千年ぶりの事か。ゲオルギウスは思い出そうとして、すぐやめた。


 そんな二人の後ろに、竜王ゲオルギウスの本体が眠っていた。赤銅色の鱗に覆われた竜の体は、かなり広いその洞穴の半分ほども塞ぎ、長い首を垂れている。


 ハスタはベスティア戦の時の事などを、うわ言のように話し続けていた。虚ろな目はゲオルギウスを映していない。ハスタは、ただ話したかったのだろう。聞いてくれれば誰でも良かったのだ。


 リアルな"死"が目前にまで迫ったハスタは、今まで誰にも言わなかった事を、話したかった。この気持ちを、誰かに知って欲しかったのだ。


「グラディオ……技も、加護も、そして何より心が強かったのんな……ハスたん、尊敬してたん……でも……でも……アルコンやみんなを虐めるなら、ハスたん許さないん……絶対、絶対、ゆる、さ、ない、ん……」


 ハスタは瞼の重さに耐えきれず、目を閉じた。



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