第6話 魔人グラディオ
「じゃあ、始めようか」
グラディオがそう言ってから、すでに10分は経過していた。しかし、二人とも最初に構えた位置から全く動いてはいない。時間が止まってしまったのだろうか、とゲオルギウスが訝しむほど、何も起こっていなかった。ただ、風が木立を揺らすさわさわという音だけが、時が動いている事を教えてくれた。
「静か過ぎる……」
堪らず、ゲオルギウスが呟いた。爽やかな朝日に照らされた二人は、瞬きすらしていない。そして、表情は鬼神の如し。二人は、今、確かに戦っているのだ。何が起こっているのかは分からないが、ゲオルギウスはそれだけは理解していた。
「ゲオじい」
「む?」
不意に、ハスタが呼びかけた。神槍はかたかたと震え、体は尋常では無い汗でびっしょりと濡れている。ドワーフ族特有の頑丈な衣にまで染み渡る汗は、ハスタの異常事態を示している。
「……逃げて。このままだと、ゲオじいも危ないん」
「なんじゃと?」
「ハスたんの集中力、もう限界なん。グラディオ、隙があったらゲオじいも斬ろうとしてるん。そろそろ守るの無理そうなんな」
「なっ……!」
ゲオルギウスは己を恥じた。傍観者たる自分が、ハスタの枷になっていたのだ。それに気付けない間抜けさが、ゲオルギウスの竜王たるプライドを傷付けた。しかし、ゲオルギウスはそれよりもハスタに負担を強いていた事が許せない。ハスタの言うままにこのまま去る事は、ゲオルギウスには耐えられない。
「うっ……!」
「ハスタ!」
直後、ハスタの右腕がぱっくりと裂けて、そこから鮮血が噴き出した。槍を突き出す重要な右腕だ。ハスタの攻撃力は減衰した。
「うっ、く」
それを皮切りに、ハスタに裂傷が増えてゆく。左腕、頬、脇腹、次々と切り刻まれてゆく。どれも浅い傷ではあるが、少なからぬ出血を伴う傷だ。
「な、何が……何が、起こっているのじゃ?」
ゲオルギウスはハスタを助けたかった。しかし、目の前で起きている事が理解出来ない。動こうにも動けない。ゲオルギウスは歯を鳴らした。
「竜王として君臨し、人に畏れられてきたわしがっ……二千年の叡智を積んできたはずのわしがっ……!」
情けない。ゲオルギウスはそこまで言うことは出来なかった。それはプライドが止めていた。
「グラディオッ……」
ゲオルギウスは5メートルは離れた所で剣を構えているグラディオを睨んだ。そして、ゲオルギウスは更に不可解な現象を目撃する。
「くっ、う、むう、う」
それは、苦しげに呻くグラディオだった。ハスタ同様、グラディオも無数の傷を負っている。最低限装備されていた甲冑など、全て砕け散っていた。
「なんで? なんで、なのん? ねえ、グラディオ? ハスたん、こんなに、こんなにも、グラディオに、憎まれてたのん?」
「…………」
グラディオは答えない。
「これ、憎しみの剣なん。ハスたん、グラディオは国の為とか、フロウスの為に、きっとやむを得ずハスたんと戦うことにしたんだと思ったん。でも、違うん。この剣、ただただハスたんを殺そうとしてる剣なん。なんで? なんでなのん、グラディオ? ハスたん、グラディオは友だちだって思ってたん。血よりも濃い絆で結ばれた戦友なんだって、信じてたん。でも、それはハスたんだけだったんな? ねえ、ハスたんが、ハスたんが、一体、何をしたって言うのんなー!」
ハスタは思いの限りに叫んだ。涙をぼとぼとと落として叫んだ。同時に裂けたグラディオの額から、血が流れた。少しだけ心を動かしたグラディオの口は、直後、信じられない事をハスタに告げた。
「……安心しろ、ハスタ。憎んでいるのは、きみだけじゃないんだ。僕は。僕はね。もう、フロウスもこの手にかけた。フロウスだって、もう殺して来ているんだよ……」
「な、なに……? グラディオ? 今、なんて……なんて、言ったのん……?」
ハスタは耳を疑っている。
「殺したのさ。フロウスを、ね。僕の妻、そして、僕の親友、アルコンの、大事な人を! フロウスはもういない! 僕が、殺したんだから!」
「そんなの嘘なんっ!」
「ぐっ!」
グラディオの胸が裂けた。ぱっくりと開いた傷口は、斬られた事に気付いていないかのようだ。血はしばらくしてから噴き出した。
「嘘、か。そうだね。嘘だったら、どんなにいいだろう。でもね、本当なんだよハスタ」
「なんでっ!」
「うぐうっ!」
グラディオの右肩が出血した。血はぼとぼとと大地を叩いた。
「なんで? フロウスが、僕の言う事を聞いてくれなかったからさ。フロウスは、僕の味方でいてくれるって、僕はそう思ってた。信じてた。なのに」
「そんなっ……、フロウたん……! グラディオ、おまいは、何をしようとしているのん? フロウたんを殺してまで!」
「何を? はは。それは、ハスタだってやらなくちゃならない事なんだよ。アルコンも、アーカスも、マレフィ・キウムも! みんな忘れているだけなんだ! 六英雄は、その為にこの世界に出現した!」
「グラディオ……、おまい、記憶が!」
六英雄は、皆等しく五歳以前の記憶が無い。アルコンも、その記憶が六英雄を始めとする加護使いの存在理由なのではないかと考えていた。
「ああ。戻った。思い出したんだ。僕が何をする為に生まれてきたのか。それは、とても、とても大事なことなんだ……」
「だからって、だからってえええっ!」
グラディオの沈痛な面持ちは、ハスタにその理由の重さを知らしめた。しかし、だからと言ってフロウスを殺していい事になるのか。いや、許せない。ハスタには、グラディオが許せなかった。
「何じゃ? 二人は、何の話を……? はっ!」
ゲオルギウスは不穏な動きをしているバルバロッサに気がついた。グラディオの後方で、大樹の根元に座り込んで寄りかかるバルバロッサは、拳銃をハスタに向けて嗤っていた。
「ハスタ!」
ゲオルギウスが叫んだ。刹那、拳銃の乾いた発砲音が鳴り響く。弾丸は真っ直ぐハスタへと閃光のように疾走っていた。
「きゃうっ」
弾丸はハスタに命中した。肩だ。右肩を貫通した弾丸は、ハスタの血を引いて飛び去った。
「しまっ……!」
グラディオが声にならない叫びを上げた。
「きゃあああああああっ!」
弾丸の音が消えぬうちに、ハスタは一瞬でボロ雑巾のようにズタボロになっていた。剣だ。グラディオの剣が、ハスタを獰猛に食い破ったのだ。ハスタは前のめりに斃れた。
「あ、うあ、」
だが、まだ意識は残っている。重傷を負いながらも、ハスタはまだ立ち上がろうと足掻いている。
ハスタに、弾丸を避ける余裕など無かった。グラディオとの対峙で、加護を限界まで使用していたハスタには、そこに割ける力など無かった。
「卑怯なり、グラディオォッ!」
ゲオルギウスがトネリコの杖を天空にかざした。
「バルバロッサ! 貴様あっ!」
グラディオはゲオルギウスの行動など斟酌しない。ハスタが斃れたのを見届けると、すぐに振り返ってバルバロッサへと詰め寄った。敵に背後を見せたグラディオは無防備だ。ゲオルギウスは意外なグラディオの行動に、杖を振り下ろすのを躊躇った。
「はは。わあっはっはっは! み、見たか、グラディオ卿! 仕留めた! 仕留めたぞ! あの六英雄、ハスタを仕留めたのは、この俺だあ! わあっはっはっはっは!」
「てめえ……」
グラディオのスイッチが入った。
「て、てめえ? おい、俺は大尉なのだぞ。口に気を付けたまえ。それより、ほれ見たことか。やはり、剣だの魔法だのは、もう時代遅れなのだ! ハスタを仕留めたのは俺の拳銃! ざ、ざまあ見ろ。俺が、俺が手塩にかけて育て上げた砲兵たちを、あっさり皆殺しにしやがって。報いだ! これは当然の報いだろう! なあ、グラディオよ! がははははははははははははは!」
「おい。おいおい。おいいいっ!」
「ぎゃあああああ! な、何をするのだグラディオ! 気でも触れたか、貴様あっ!」
高笑いするバルバロッサの太ももに、グラディオの剣が深々と突き立った。剣の切っ先はバルバロッサの太ももを抜け、地面まで到達している。バルバロッサはグラディオの剣に縫い付けられた。
「うるせえよ。てめえ、俺たちの真剣勝負に横からしゃしゃり出てきやがったんだぜ。覚悟は出来てんだろうがよ? ああん?」
「ぎゃああああ!」
グラディオは身動きが取れないバルバロッサの髪を鷲掴み、剣を更にぐりぐりと太ももにねじ込んだ。
「何が砲兵だ。何が新兵器だ。何が科学だ。そんなもん、歴史をトレースしているだけだ。それも知らず、間抜けどもがあ!」
「ぐあっ、ぐあああああ! い、痛い! 抜け! その剣を抜かぬか、グラディオオ! き、貴様、俺にこんな仕打ちをして、後でどうなるか、分かっているのだろうなあああ!?」
グラディオは別人のような口調と顔になっている。事実、このグラディオはアルコンやアーカス、ハスタの知るグラディオでは無い。こんなに乱暴なグラディオなど、誰も見た事が無かった。
「ああーん? どうなるっつーんだよ? つーかよお、誰が剣を抜くかよお、このヌケ作があ。どおおおおすんだよおおお、もしもハスタが死んじゃってたらよおおおお? 拳銃なんかで死なれちゃあ、俺の立つ瀬もハスタの立場もねえだろおがよおおおお? 脳味噌あんのかあ、てめえはよお? もしもーし? もしもーし?」
「ぎゃ、ぐ、が、や、やめ、やめ」
グラディオはバルバロッサを両の拳で交互に殴りつけた。バルバロッサの顔が左右に弾け、血はおろか歯すら飛ぶ。バルバロッサの顎は砕け、もはや閉じる事も出来ない。バルバロッサはそれでもなんとかやめさせようと、ぐずぐずになった顎を必死で動かし話そうとしていた。バルバロッサは血と汗と涙でぐちゃぐちゃだ。
「……信じられぬ……これが、あの優男だったグラディオ、なのか? 分からぬ。が、これは好機、か」
ゲオルギウスは静かにハスタの傍らまで駆け寄り抱き上げた。息はある。意識も、朦朧としているが確かにある。ゲオルギウスは一先ず撤退するが上策だと判断した。
「ア、アーカス……アルコン、アルコン、に」
「ハスタ? なんじゃ? これは、星屑?」
ハスタを抱き抱えたゲオルギウスがふわりと宙に浮くと、ハスタが何かを訴えた。同時に、どこからかアーカスの星屑が現れた。ハスタがうるさいから閉じ込めたと言っていた星屑だろう。ゲオルギウスはそのうわ言のようなものと星屑で、ハスタの意思を察した。
「星屑よ。今、見たままを主のアーカスに伝えよ。急げ」
星屑は了解を示すように一度瞬くと、エディティス・ペイの方角へと飛び去った。それに、グラディオが気付いた。
「おおおうい、竜王! てめえも、一体何をしてやがるんだあ!」
「ぬあっ!」
殺気に反応し、咄嗟に体を捻ったゲオルギウスだったが、それも及ばず。ゲオルギウスは右足を失っていた。
「なんと……、さすがは聖剣フレイよな!」
ゲオルギウスはトネリコの杖を振りかざした。ゲオルギウスの足下に火炎の嵐が吹き荒れる。空から降り注ぐ火炎など、誰も見た事はあるまい。広範に降る火炎を躱す術はグラディオには無いはずと、ゲオルギウスは確信した。
「ぬりぃよ、竜王!」
「なっ!?」
しかし、その火炎を割って、グラディオが現れた。聖剣フレイは全てを斬り裂く。物体も、魔法も、精神すら斬る剣だ。それにしても凄まじい跳躍だ。グラディオの剣は、ゲオルギウスに届く間合いにまで迫っている。
「ゲオ、じいっ」
「くっ!」
火炎の中、神槍フラガラッハが四方八方から突き出された。ハスタにまだ加護を振るう力があるとは思っていなかったのか、グラディオはそれを全て受け切るのがやっとだった。グラディオはハスタの攻撃を防ぐと、重力に引かれて落下していく。
「今じゃ!」
その隙を、ゲオルギウスは逃さない。精神体の力を振り絞り、ドラムフォルス連峰に向けて加速した。
「……ちぃっ、くしょおおっ!」
着地後、駆け出そうとしたグラディオは、すぐに諦めて砂利を蹴り上げた。
「ここで、ハスタを殺れなかったのは痛え。くそっ、くそっ。痛えぜ、クソったれがよお!」
「ぎゃああああああああーっ!」
腹いせか。グラディオは、バルバロッサの側頭部を剣で貫いた。そこは即死はしない部位。激痛に叫ぶバルバロッサは、自分の状態が正しく認識出来ている事が恨めしかった。
「けっ。まあ、いい」
「ぴっ」
グラディオは剣を抜くと、バルバロッサの頭部をスイカのように輪切りにし、とどめを刺した。
「あれだけやりゃあ、ハスタはしばらく動けねえ。その隙に、アーカスかマレフィ・キウムを殺っちまうとするか。アルコンは最後だ。ったくよお、話して分かってくれりゃあなあ、こんな面倒臭えやり方しなくてもいいのによおおお」
グラディオは剣をひと振りし、付着したバルバロッサの血を飛ばした。
血に塗れたグラディオの姿は、悪鬼か悪魔か。剣聖と呼ばれたグラディオは、もういないのだ――
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