第5話 赤い槍先
「おーい、グラディオー! 久しぶりなーん! 元気そうで何よりなんなー!」
ハスタは笑顔でぶんぶんと手を振った。亜空間から取り出した神槍フラガラッハを持った手だ。短いながらも一応は槍なので、多少なりとも見つけやすくなるかと思ってだろう。そんな事をしなくても、大河の高々とした堤にぽつんと二人だけ立っているのだから、十分に目立っているのだが。
「おおーい、ハスター! 君も、相変わらず元気そうで何よりだねー!」
グラディオが口に手を当て大声で応えた。こちらも満面の笑みだ。そんなグラディオは、どこからどう見ても遊びに来たようにしか見えなかった。
「グラディオ卿。これから戦う相手、なのですな? 戦うつもり、なのですな?」
「え? やだなあ、もちろんですけれども」
二人のあまりにもほのぼのとした挨拶に不安を覚えたバルバロッサは、一応念の為に確認した。迷い無く答えたグラディオは、まだ手を振っている。
「……元気そうで何よりとは……。問答無用に迫撃砲を撃ち込んで、殺す気満々だった者が言う台詞とは思えんのう」
「え? それで死ななくて良かったね、って事じゃないのん? グラディオ、とぼけた所があるのんな」
「もしそうだとして、それを素直に受け取るお前も、相当すっとぼけておるが。わしはついていけんわい」
ゲオルギウスは人差し指で額をぐりぐり押している。ハスタといると、良く頭痛を発症するゲオルギウスだった。
「まあ、良いわ。これハスタ。今から、わしがグラディオと話をする。攻撃はしばし待て」
「それでいいのん? もしグラディオと戦うなら、先制攻撃するしか勝機無いん」
「勝機は無くとも負けねば良い」
そう言ってハスタを制したゲオルギウスが、一歩前に踏み出した。ハスタは「それ、どういう事なん?」と悩んでいる。
「貴殿らは帝国軍とお見受けする。グラフストリア領に踏み込むはわしの預かり知る所では無いが、この堤より先は竜の国。それ以上の進軍は、わしをも敵に回す所業となる。それを望まぬならば、まずはそこで止まるが良い」
ゲオルギウスは地の底から響くような声音で呼び掛けた。赤い両眼を見開いた姿は、一気にその場を喉のひりつく戦場の空気へと一変させた。
「う、おお。く、苦しいっ……!」
「あ、あれが? 竜王、ゲオルギウス?」
「気圧されるな! それでも無敵のバルバロッサ大隊兵士か!」
ゲオルギウスの不意に繰り出された圧により、バルバロッサ隊の若い兵は恐慌状態に陥りかけた。それを、バルバロッサの喝が押し留める。兵一人ひとりの目を睥睨したバルバロッサは、隊が落ち着いたのを確認すると前に出た。
「我が名は、バルバロッサ! 神聖パラディエス帝国特殊攻撃大隊隊長、バルバロッサ大尉である! 竜王ゲオルギウスよ! お初にお目にかかる!」
自慢の迫撃砲が無力を晒そうとも、バルバロッサの胆力は萎えていない。ゲオルギウスはバルバロッサの剛毅さに感心し、無能とした評価を胸の裡で少しだけ改めた。
「我が方に、竜王と戦う意志は無い! 当方の狙いは、六英雄の一人、七頭竜の神槍ハスタである!」
「ほう。わしにも迫撃砲の砲弾は落ちて来ておったのだが、これは何と説明する? ハスタの加護により、砲弾は全て河で破裂しておるが、この河の中央より向こうが我が国じゃ。もう少しズレておれば、わしは一も二も無くお前たちを殺しておる」
びりびりと大気と大地が震えている。竜王の怒りが、全てを震え上がらせた。いつの間にかゲオルギウスの姿は漆黒の衣をなびかせる輪郭のみとなり、その中では、両眼だけが赤黒く輝いていた。
「それは当方の意図した事では無い! 事故である!」
バルバロッサは怯まない。
「しゃあしゃあと、良くぞ吐かした。それでは、何故ハスタを狙うのか? ハスタはグラフストリア領の庇護下にあるが、兵でも騎士でも貴族でも無い平民じゃ。グラフストリアが敗戦しようが、ハスタが裁かれる理などあるまい?」
戦争に於いて、敗戦国の首長や将兵、官吏などはその抵抗の度合いにより裁かれるのが通例だ。占領後の反乱分子の一掃、及び残存反抗勢力への見せしめでもある。これ無くして占領国の統治は成り立たない。しかし、ハスタはただの領民だ。今後占領国の統治下で保護されるべき市民である。保護よりも搾取される場合の方が圧倒的に多いのだが。
「ああ、それはですね」
「ぬっ? グラディオ卿!」
その控え目な物言いとは裏腹に、グラディオはバルバロッサを押しのけて進み出た。
「ハスタが帝国軍を気に入らなかった場合、何をするのか? きっと、帝国兵を追い出そうとするでしょう? 元のグラフストリアに戻そうとするんじゃないか、と思うんですけれども」
「そうじゃな」
「うん。ハスたんなら、そうするん」
ゲオルギウスもハスタも、グラディオの想像を肯定し頷いた。
「そうなったら、たった一人のハスタ相手に、我が帝国兵は全滅する事になりますよね。それ、困るわけなんですけれども。だから、ハスタには居てもらっては困るんですけれども。だから、ハスタには出来れば死んで頂きたいな、と。そう思うわけなんですけれども、ね」
「……ちっ。あんなガキ一人にっ……」
グラディオの説明に、バルバロッサが忌々しげに舌打ちした。握った拳がぶるぶると震えている。歯はぎりぎりと鳴っていた。
「そして、ゲオルギウス様と敵対するつもりはありません。ですので、ゲオルギウス様にはそのままお帰りいただければなー、なんて。はははは」
「分かったん。ゲオじいはお家に帰るん」
「何? しかし」
「いいのん。グラディオたちが用があるのはハスたんなん。ハスたんの村も心配だし、逃げるの無理なん。ハスたん、戦うしか無いみたいなんな」
ハスタは槍を背中に回し、ぐいぐいと伸びをした。それから槍を腰へ、腰から肩へと凄まじい速度で回した。その槍の残像が、まるで蛇が這い回っているかのようだ。
「じゃあ、始めるん」
ハスタが何の前触れも無く槍を突き出した。
「うわあ!」
「ぎゃあっ!」
「ぐああああっ!」
ほんの一瞬の出来事だった。迫撃砲が粉々に砕け散り、帝国兵の胸にぽっかりと風穴が開いた。その刹那の後、100人以上いた帝国兵と、全ての迫撃砲や軍備が消えた。跡形もなく、まるで夢だったかのように何もかもが消え去った。
ハスタは、怒っていた。おそらくは、自分の知り合いも何人かは殺して来ているはずの帝国兵が許せなかった。なぜ、こんな非道をするのか? その答えはハスタには必要無かった。理由などどうでもいい。ハスタは、ただ、報いを受けてもらうだけだと思い、そして、そうした。ハスタは、初めて人を殺したのだ。鮮血で染まった槍先が、ハスタの胸を締め付ける。ハスタはぎゅっと唇を噛み締めて、涙を堪えた。
「が、あ、ああ……! し、七頭竜……こ、これが、七頭竜の神槍かあっ!」
ただ、一人だけ、バルバロッサだけが残っていた。ぺたりと力なくへたり込んだバルバロッサは、ハスタの槍を、七頭竜という呼び名の理由を理解した。いたる所から支離滅裂に現れ襲い掛かるハスタの槍は、牙を剥いた竜にも似ていた。ただ、その数は七頭どころでは無い。
「数えられない、からだ……七頭とは、数え切れないほど多い、という意味だったのだっ……!」
たったの一秒足らずで手塩にかけた自慢の迫撃砲大隊を失ったバルバロッサの心は、完全に折れていた。
「……ありがとう、ハスタ」
グラディオは、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「さあ、これで心置きなく一騎打ち出来るのん。ハスたん、グラディオとは一度、本気で戦ってみたかったんな」
ハスタが槍を低くして身構えた。それは、獲物に襲い掛かる直前の猛獣さながらに、静なる躍動美を作り出した。
「……僕は、そうでも無いんだけれど。君の加護、僕は苦手なんだよね」
グラディオは、聖剣フレイを鞘からすらりと抜き放った。黄金の柄に紺碧の宝玉が嵌まるその片手剣は、いまだグラディオが敗北する姿を知らなかった。
「ハスタの空間の加護は、防御に於いてほぼ無敵。攻撃に於いても、とてつもない優位性を持っていると思われるが……"不可視の剣聖"グラディオとは? その加護は、一体どのようなものなのじゃ……」
片手剣を半身に構えたグラディオを注視するゲオルギウスは、固唾を呑んだ。
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