相手の都合も考えて行動する

「課長、今日、一文社の帰りに四郷食品に寄ってこようと思ってるんですが」

午前の商談へ出かける準備を終えた菊夫が工藤に行動予定を報告した。

すると工藤は、書類を見ていた目を上に上げると

「あそこは今日は行かない方がいい。別の日にしておけ」

と指示した。

工藤にしては珍しく「行くな」という指示に菊夫は少々戸惑った。

普段はどんどん得意先に顔出してこいというのに、今日はどうしたのだろうか。

「・・・わかりました」

理由を問いたいところではあるが、アポの時間もあるのでひとまず一文社へと向かった。

一文社での打ち合わせを終えた菊夫は四郷食品の前を通りかかった。

打ち合わせも思ったより早く終わり、昼までに中途半端に時間がある。

このまま会社に戻って打ち合わせの報告書類を作成することも必要だが、そもそも今日は四郷食品に立ち寄るつもりで午前中は時間に余裕をもたせていたのである。

悶々とした気持ちを抱いたまま菊夫は四郷食品の前を通って駅へと向かった。


帰社した菊夫の様子を察した工藤が昼食に誘った。

馴染みの天ぷらをメインにした定食屋、今日の日替わり定食は穴子の天丼である。

工藤は即決してご飯を大盛りに、菊夫も少し悩んだが結局同じにした。

「今日は7月5日で『あな(7)ご(5)』の日だって知ってたか?」

「『あ』はどこに行ったんですか?」

「・・・さぁな」

バツが悪そうに新聞を広げる工藤に菊夫は尋ねた。

「今日の四郷食品の件なんですが・・・」

四郷食品は惣菜の生産工場で、菊夫の勤める会社から食材を仕入れている。

「なんで行くなと言ったか理由が知りたいんだろ?」

「はい」

工藤は読みかけた新聞を畳むと鞄から書類を取り出し菊夫に差し出した。

「これを見てみろ」

受け取った書類は四郷食品の取引資料だった。

しばらく資料に目を通す、その間に工藤はグラスの麦茶を飲み干して、テーブルの上にあるポットから注ぎこんだ。

「これを見てどう考える」

いきなり説明はしない、とりあえずは菊夫が考えたことを聞くのが工藤のスタンスだ。

「先月からウチへの発注量が多くなってますよね。なので、お礼挨拶をしておこうかと考えていたのですが・・・」

「そこだ、四郷食品は増産期に入っている。ということは忙しいわけだ」

菊夫が理解しているか簡単に確認する。

「つまり、その忙しいところに君が訪問すれば、先方は担当者が対応することになる。たとえ君がかしこまっていくわけではなくても、相手は取引先の人間が来たとなればそれなりの対応をしなくちゃいけない。自分だって事務所に自分が担当する取引先の人がみえたら最優先で対応するだろ?」

「確かにそうです」


注文した穴子天丼が運ばれてくると、工藤は熱いうちに食べるように促し、そして続けた。

「お客さまは王様とすると、前工程、つまり仕入先は自分たちの仕事をするための材料を与えてくれる神様だと考えてみたらどうだ」

「え?そもそもお客さまが神様じゃないんですか?」

菊夫は「なんで」という表情で聞き返した。

「この辺は人それぞれの考え方になるが、神様は創造してくれたり、頼みごとに対して助けてくれたりする存在なのが一般論だろ?」

「確かに困った時の神頼みですし、神様が世界を作ったとはいいますけど」

「俺の考えでは自分たちはお客さまにとっては神なんだ。これは別に偉いという意味じゃなくて、神様のような対応をしようという意識を持つことが大事ということだ。神対応って言葉があるだろ」

「はい、ありますね」

「芸能人やスポーツマンは夢を売る仕事だ。売り手なんだ。ファンはお客さま、買い手なわけだ。その売り手が良い対応をするから神対応なわけだ。一方王様に対しては忠臣でいなくてはいけない。王のために尽力をつくすが、ときに指摘もしなくてはいけない」

「なるほど」

言われてみればと菊夫も納得する。

「っと、神と王様の話はここまでにして話を戻すが、つまり先方さんは君が来たらそれなりの対応をすることになる」

「はい」

「『一日作さざれば、百日食らわず』という言葉がある。これは一日作業をしないと、百日分の食料がなくなるという意味だ。今回の場合、四郷食品さんは生産工場だ。もし担当さんが現場で作業をしていたら、挨拶程度に短時間でも作業を止めさせてしまうことは、先方の生産性の低下になってしまうことになることを考慮しなくてはいけないということだ」

工藤はそう言うと、丼から4分の1程度はみ出ている穴子の天ぷらを箸で持ち上げて口に入れた。

菊夫も同じく持ち上げたが天丼のタレが染みた穴子天は柔らかくなっていて、口に入れる前に真ん中辺りで折れてしまった。

「ああっと」

慌てる菊夫を工藤はニヤニヤしながら見ている。

「ちなみにこの穴子は二尾乗ってるけど、揚げ方が違ってるんだ。わかるか?片方は背にあまり衣がついてなく腹側に多めにつけてある。それで背の方から油に入れて上げるから背の皮がはっきり見えて、腹の身の方は厚みがあって噛みごたえがある。もう一本は背に衣を多くつけて腹側は少なめにしてあるから噛めばすぐに身の歯ごたえがする。同じ穴子天だけど、ちょっとだけ違う食べごたえを楽しめるんだ」

確かに丼に乗っている2本の天ぷらは衣付け具合が違っている。だが菊夫にとってはあまり関心をそそるものではなかった。


「以前にな、部長が君と同じようにこの時期に四郷さんに挨拶に行きたいということがあったんだ。俺も担当だから同行したんだ」

残り一口分ほどの穴子を持ち上げたところで工藤の箸が止まった。

「行ってから気がついたんだ。この時期にここへ来ては行けないんだって。ところが部長はそんなことはお構いなし。社長と担当者相手に結局夕方まで居座ってしまった。帰り際は部長を先に行かせて平謝りだよ。先方は気にしないでって言ったけど、申し訳なくってな」

「あらら」

菊夫もどういう反応をしていいか分からず、苦笑いをしつつも丼に目を落とし、残しておいたしその葉の天ぷらを口にした。一口目はパリッとしていたそれは、タレを吸って歯ごたえなくしなっっとしていた。

「こちらの都合だけじゃなくて相手の都合も気にするようにしないとな」

そう言うと丼に点々と残っているご飯を一粒一粒つまみ上げて口に入れた。

「今回は会社という組織の代表、大将として君が先方に出向く形だ、それに対してサポート役の俺が行くのを控えるように諫言、つまり進言したわけだ。行ったほうが良かったと思っているかもしれないが理解してくれ」

お椀のみそ汁を飲みほすと満足そうな顔をした。

「いえ、課長のお考えは理解できたつもりです。次から気をつけます」

先に食べ終わった菊夫はリング手帳にメモした。


『一日なさざれば、百日食らわず。相手の都合も考えて行動する』

『自分にとって買い手のお客様は王様、売り手の前工程は神様。自分は王様にも神様にもなる』

そして書き加えた。

『王様に対しては言いなりになるだけでなく、思い留めるように指摘することも大事』

『だからといって偉いわけではない。王様も一人では何もできない。神様も頼ってくる人がいないと存在の意味がないかもしれない』

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故事つけ(仮) なるぱら @narupara

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