第2 椅子のある風景と時間


 列車で、あるいは映画館で、整然と並ぶ椅子を眺めながら、「連続すること」について考えていた。場面はどちらでもよい、規格化された簡素な座席が、縦横に規則正しく並列する空間であればその他の場所でも差し障りない。通常なら同一性は、物質にその根拠を求めて見出だされる、と説明できよう(厳密には、ヒトなどの生物は代謝し、絶えずオーバーホールしつつ動いているのであるし、機械や自然物についてもそうで、物質の同一性に還元できないが、とりあえずここではそのことは置いておこう)。

 自己の同一性を中心とした時間があるわけだが、これが時間を形成する無二の方法ではないようだーー椅子から椅子へ、視線を移しながら思った。座席は規格化され、隣合う座席と同一性を有している。そのそれぞれが切り取られた時間の一つ一つであるとき、たとえば各個座席を同じ構図で一枚ずつフィルムに記録し、これを映写するなら、このとき個別の座席は経時的な前後関係、連続性をもち時間化する。こういう空間にいるとき、こういうフィルムを脳裏に映写している。そして思う、人の了解する時間もこのような人のバリエーションが並列された空間の個別の人が、なにかしらの"力"が、ある順列に導いているのではないか。……これはバベルの図書館(ボルへス)だ。

 あらゆる可能な文字のバリエーションを一挙に所蔵するバベルの図書館。その蔵書のある書籍と別のある書籍には、一字だけ違うものがあり、さらに別のある書籍はまた一字を違える。これを繰り返していくと、全ての蔵書は一字違いの連続性のもとに順序だてることが可能となる。その一冊目と最終冊はまったく文字配列の重ならないものだろう。それがこの二冊の間に一字違いの法則によって並べることで、まったく別の二冊を連続性のもとに同一性を帯びる。

 そうした順列をバベルの図書館は考慮していない。アルファベットの並びで蔵書が整理されているのでもない。すべてのある本は他のすべての本に隣接し、そして隔絶している。ここは時間以前の状態を保存している、といえるかもしれない。本はなんらかの法則によって順列組合せ可能であり、またなんらの法則にもよらず順列組合せ可能である。

 列車の、映画館の、整列した椅子が、規格化されたものであり、一望できるという性質によって、バベルの図書館的イメージを可能にしている。やがて椅子は、列車の、映画館の、……という限定を越えて、あらゆる椅子へと展開していく。

 さっき書いたように、まったくどのページにも同字の使用がない二冊の書物が、その間隙をうめる図書によって連続性を得、連続性がそのまま同一性として見出されることを、ヒトに置換して考えると、他者と思われていたヒトが、別のしかたで自己であると言える。また別の見方をすれば(実態それは同じ観点かも知れないが)、それは以下のようなことが考えられるだろう。一冊の本が、時間を伴わない瞬間のエネルギー配置(様態の1バリエーション)であると捉えるなら、複数冊がなんらかの関連によって連続することは、ヒトが、いや世界がある瞬間からある瞬間へと移行することの比喩である。時間を最小単位にスライスしてみる。いや、時間がスライスされるのではなく、バリエーションの幾つかのサンプルが並んで、金太郎飴(?)を形成しているのだが、それをバリエーションに還元してみるのだ。すると各瞬間は各書物のように別々のものである。不可思議の力によって整列させ、連続性を与え、時間化することは可能だが、そのうえでも一冊目の書物と二冊目の書物は別個の書物であると依然言い得るように、この世界観から見ると人格の同一性を与える連続性も、個別へと還元されていく。過去の自己が現在の自己と連続的で同一的であるのは、時間化の網の一経路でしかなく、時間以前の視点からは同一でもなく、連続もしていない。しかもすべてと同一であり、すべてに連続している。


 思いつきに、別の例を出してみよう(。あるマンションがある。各部屋の間取りは規格化され、交換可能な空間である。これを一個の部屋について時間的に変化を追うことができるのと同様に、ある瞬間のマンションにおける各部屋をランダムに訪問するとしても、これも一つの時間と言い得る。そしてこの二つの見方を混合して時間化することも可能である。

 こうした観点からヒトの同一性というものを考えてみると、それは時間化に伴う副産物でないだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失同一性 湿原工房 @shizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ