失同一性
湿原工房
第1 二冊の書物
いましがた購入してきたその書籍が、自室の書棚の一画をすでに占めているのを発見したとき、思わず「アッ」と声を漏らした。買うか買うまいか、遅読の私はしこたま逡巡して、とうとうその一冊を今日手にしたのだった。しかし、この逡巡は二度繰り返されていたというわけだ。いや、二度といわず、このところこのタイトルがことあるごとに脳裏をよぎっては誘惑し、そのつど私を逡巡させていたのだったが、じったい所有物となってしまえば存外読まないもので、いつのまにか一度目の購入を失念していた、これはそういうことだ。
消沈したに変わりなく、いまも拭えないまま消沈している。しかし、どうだろう――同時にある趣を、感じてもいるらしい自分に気づいた。ここに、二つの、同一の、書物が別の物としてある、ということ――もちろんそんな状態は処が書店ならざらにあるし、むしろそれが常態ではあるが、常態であるがために見過ごされた趣が、自室においてはじめて意識されてくるようだ。書物が二つ、別の仕方で、ある。その書物は"同一のもの"である。このかすかな面白味を逃すまいと、繰り返し唱えながら、その情感へと焦点を合わせていった。
……二冊あることを逆手にとることは可能だろうか。つまり二冊性によって可能な書籍の利用法。まず浮かぶのは一方を手もと用とし、他方を布教用として他者に貸し出すという方法だ。二冊あることによって、こちらが読み終わらないうちにも気兼ねなく貸すことができるし、最悪借りパクされても喪失感は希薄であるはずだ。しかし、これはあまり面白くない。次に思いついたのは自宅用/出先用として使用する方法である。自宅に一冊あることにより、外出時持参する鞄にお守りのように入れておく。これは好い。これにより不便を伴うのは、しおりの位置を手動で同期する手間ぐらいのものだ。あるいは同期の度に遅滞側をリロードすることにしてもいいかも知れない。時間は二倍近くかかることになるが、その分内容の読みこみを助ける機構ともなり得るだろう。
そんなことを考えながら、いましがた購入したそれをまだ手にしたまま、「ああ」とまた声をもらす。趣の出所は、どうやらこの"しおり"に符合するようだ。当然しおりも二枚用意することになる。二冊の本と、二枚のしおり。このふたつの二つは同期されている。別々の実体としての本、そしてしおりはしかし、相互に進捗を補完し、同一性を得ることになりもはや、本質的に一冊の本であり一枚のしおりでありはしないか。
同一であること。私が読後のある日「こういう本を読んだ」と言う。相手が「それわたしも読んだ」と言うなら、それもまた同一性をもつということ。それでいて、物質的には二つ。例えば私が次に「でも、37ページのシミはいただけない」と言っても、通じないはずのものだ。
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