第10話

「いったい何があったんだ……。」


人頭の傷跡の断面は、切り取られたというより無理やりちぎられた形状をしていた。吐きそうになるのをこらえる。


とにかくこの階から離れよう。マヒルに相談したいが、大事になれば事情聴取される。そうなれば身元がばれるから、マヒルには言えない。


フロアには誰もいないのかと前に目をやると、一つ奥にある部屋の扉がギイイと掠れた音を鳴らして開いた。誰かが中から出てくるようだ。


「誰だ?」


警戒心をマックスにあげる。


出てきたのは、髪の長い、10歳前後の少女だ。ぱっちりとした目に黒目が印象的で、整った顔立ちだ。黒いワンピースを着ている。家族とはぐれたのかもしれない。僕は、少し安心する。


「どうしたの? ここは危険だ。一緒に逃げよう。」


少女が僕に顔を向ける。表情が感じられない。怖いとか、泣きたいとかが伝わってこないのだ。それが、少女の美しさと相まって、不気味さを醸し出していた。


手を差し伸べても、近寄ってくる気配もない。恐怖でなにも考えられなくなってしまったのか?


「僕がおんぶするから、つかまって。ほら、早く。」


膝を曲げてポーズをとる。ようやく少女が口を開いた。つたないしゃべりだった。


「ネエ、オナカスイタ。タリナイ。タリナイ。」


無表情だった少女の表情が予兆もなくおぞましいものへ変わる。顎が、顔の真ん中を起点に左右の両耳までぱっくりと開く。学校の図鑑で小さいころに見た、アリの顎そのものだった。人間のものとはおもえないほど開かれた口には、無数の鋭いとげが生えていた。口からはぼたぼた血がこぼれている。


一瞬の出来事にフリーズしたが、僕は、自分の顔をひっぱたく。思考を止めるなと自身を奮い立たせる。


こいつが3階のフロアの査察官を殺したんだ。違いない。黒いワンピースだから気に留めなかったが、よく見ると赤色がこいつの衣服についている。化け物だ。


「イタダキマス。」


背中を向けている僕に、そいつが飛びかかってきた。とっさに両手を前につき、左足を軸にして右足を思いきり後ろに蹴りだす。そいつの頭頂部にもろに後ろ蹴りが入り、ふっとんだ勢いで横の壁に激突した。衝撃で、壁に飾ってある絵画が何枚か落ちる。額が割れてガラス音が響く。


「なんなんだよ! お前は! 」


体勢を立て直してそいつにに問う。当然答はない。


壁にぶつかったにもかかわらず、そいつはけろっとして立ち上がる。壁からおちた絵画を拾うと、僕の顔面を狙って放り投げてきた。紙一重で絵画をかわすと、足元にそいつの顔があった。早すぎる動きだ。ついていけない。顎が一層大きく左右に開き、僕の足を狙う。


そいつの顎が不協和音の金属的な音をたてる。僕は、なんとか後ろに飛び跳ねたが、顎のとげがふとももをかすった。強烈な痛みた。血もかなり出た。直撃したら、マジで死ぬ。


立っているのがやっとの状態の僕に勝ち目なんてあるのか。地上に行けると思ったのに、いきなりでてきた謎の生物に殺されるとかやるせなすぎる。


とどめを刺そうと機会をうかがっている。いつとびかかってきてもおかしくない。やけくそになり、僕は、特に意味もなく持ってきていたアニマ鉱石をポケットから取り出した。そいつに向かって力の限り投げる。鉱石で倒せるとは思っていないがほかに武器もなかった。


不思議なことが起きた。投げた鉱石はそいつの体に当たって地面に落ちる。ダメージはない。正真正銘丸裸になり観念した僕は、目をぎゅっとつむる。こんな形で終わるとは、チナツ、ごめんよ……。



あれ? 襲ってこない。



一分は立ったが僕は生きていた。そいつを見ると、夢中になってアニマ鉱石をしゃぶっている。満足そうに鉱石をなめ回し、僕のことなど眼中にない。この光景が、僕に一つの可能性をあきらかにさせた。


僕たちの仕事は、こいつのえさを運ぶことだったんではないか。アントと呼ばれていたのは、皮肉だと思っていた。推測通りならまさに働きアリじゃあないか。ぜんっぜんっ笑えない。


チャンスだ。鉱石に夢中になっているそいつの横を、足を引きずりながら通り過ぎる。奥の部屋の前に落ちている査察官の護身用ナイフを手に取る。



まだアニマ鉱石に夢中だ。そいつの後ろからナイフをつきたてようとしたとき、エレベーターが到着するベルが鳴った。エレベーターについた窓から、マヒルが乗っているのが見えた。同時に、そいつが鉱石を食べ終え、僕と同様にマヒルの存在に気付く。


「マヒル! エレベーターから出てきちゃだめだ! 」


僕の叫びもマヒルには聞こえず、エレベーターのドアが開く。マヒルからは見えていないんだ。そいつはすっと立ち上がると、マヒルを殺そうと飛び跳ねた。


間一髪、そいつの顔がエレベーターの扉の間に挟まる。

刃物がこすれあうような音を立ててギチギチと歯軋りをしている。マヒルをを襲うことをわかっていた僕は、すかさずエレベーターの閉じるボタンを押していた。


そいつの背中にナイフを深々とつきさす。ギピエエエエイイエエと断末魔の鳴き声をあげる。エレベーターが開き、困惑した顔のマヒルと目が合う。


「どういうことなの。ケイト。」


「話はあとだ、こいつにとどめを刺す。離れてろ。」


再びナイフを振りかぶる。


「なにをしてるんだ……?マヒル?」


マヒルはそいつをかばうように覆いかぶさった。


「やめて! この子を殺さないで! 」











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渇望のアニムス 夏目飛龍 @kiritsuguemiya

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