狂的夢想 /*ルナティック・ドリーム*/
月ノ瀬 静流
狂的夢想
ぴーひょろろ……。
頭上を
そろそろ海に近いはずだ。一本松の崖まで、あと少しだ。
潮の香りと波の音を期待しながら坂道を上っていくと、途中に
なんだか小腹が空いてきた。まだ陽も高いことだし、あそこで一休みしよう。
私は茶屋の
――私?
「私」は自分を「私」と呼んでいただろうか?
看板娘がやって来て、にこやかに注文を尋ねた。
綺麗に結われた黒髪に赤い
そんなこちらの様子が伝わったのか、彼女は心なしか頬を染めた。
とりあえず、この店のお勧めを頼んだ。
せっかくなので、外の景色を楽しみながら待つことにする。
「おまたせしました」と看板娘が
みたらし団子は以前、一度だけ食べたことがある。作れる職人が少ないため、とても珍しいものだと、父がもったいぶって
しかし、食べるとなると難敵だ。
途中まではいい。喉に串を刺さないように注意しながらも、正面からかぶりつける。
しかし最後の一個は不可能だ。
父と顔を見合わせ、
だから、団子の食べ方は分かる。
けれど、お茶はどうしよう。
僕は渋いお茶は苦手だ。砂糖を入れなければ、とても飲めない。
――僕?
心臓が大きく飛び跳ねた。
そうだ。「僕」だ。
「はっ、はははははは……」
僕は大声で笑いながら、狂ったように走り出した。
着たこともない
すぐに一本松の崖まで辿り着いた。
全速力で走ったのに息を切らすことはない。
眼下に荒れ狂う大波が見える。――僕がそうであれと願ったからだ。
潮の香りはしない。――僕が本物の海を知らないからだ。
――だって、これは夢なのだから。
僕は、崖から身を躍らせた。
🌔 🌕 🌖
人口の増加と反比例するように、地球には居住可能な土地が減ってきた。そこで月にドームを造り、一部の人間が移り住んだ。
僕の曽祖父もその一人だった。
初めは善き隣人であった月と地球の人類は、やがて主導権を争い始める。
……細かい経緯は知らない。僕が知っているのは、最終的に互いに互いの星を滅ぼし合ったということだけだ。
消滅に至る寸前、月政府は宇宙線エネルギーを利用した、半永久的に駆動可能なスペースシップを開発していたことを発表した。
それに乗れる数の人間だけでも助けようと言い出したのだ。
乗船できるのは、前途ある二十歳未満の子供たち――もちろん、ほんの一部の、だ。
政府高官だった父は、その貴重な枠に無理やり僕をねじ込んだ。
正直言って、どうでもよかった。僕にはそうまでして生き残りたいと思うほどの意志はなかった。ただ死ぬときに痛かったら嫌だな、と漠然と思った。
だから僕は、両親の嘆願を何の感慨もなく受け入れた。
僕は眠っている。巨大な艦に並べられた無数の生命維持装置の一つで。移住可能な星が見つかるまで老いることなく。
僕は夢を見る。
僕は何にでもなれる。好きだったコスチュームドラマの格好いい主人公にも。
願いはすべて叶う。
けれど、これは夢。茶屋の看板娘が僕に好意を寄せてくれたところで、それは僕の願望に過ぎない。
そして、夢だと気づいたときの喪失感と、孤独、絶望――。
何度、繰り返したことだろう。
もう、うんざりだ。
🌔 🌕 🌖
気づいたら、また茶屋の前にいた。
ひらひらと
「待っていたぞ」
不意に声がした。鈴を転がしたような音色だが、口調が似つかわしくない。
僕より少し年下か。
彼女は、二人分のみたらし団子と湯呑みを前に、手招きをしていた。
「一緒に茶を飲もう」
狼狽する僕を気にも留めず、少女はスタッと地面に降り立った。
そして、右手で湯呑みを掴み、左手を腰に当て、一気に茶をあおろうとする。
火傷する!
僕は駆け寄り、少女の手を掴んだ。彼女はきょとんと僕を見た。
「このポーズで飲むのが、茶の嗜みではないのか?」
「何、言ってんだよ!? 火傷するだろ!」
「知らなかった。これは熱い飲み物だったのか。けど、火傷はしないだろう? ――だって、夢なんだから」
――これが夢だと知っている?
心臓が早鐘を鳴らす。
「……君は何者だ?」
「私は〈
〈
そういえば、この艦の〈
「〈
少女の言葉など耳に入ってこなかった。そう、〈
「移住可能な星が見つかったのか!?」
この永遠の悪夢から抜けられる! 僕の胸が歓喜に満ち溢れてくる。
「いや、まだだ」
あまりにも端的な返事。
再び襲ってくる絶望に、僕は彼女の襟元を掴んでいた。
「星を見つけるのが、お前の仕事だろ! 何、くつろいでいるんだよ!」
少女は無表情に僕を見る。
「殴りたければ殴ればいい。どうせ痛くない」
いつの間にか僕の右手は硬く握られていた。僕は慌てて拳を開いた。星が見つからないのは彼女のせいじゃない。
少女は静かに嗤う。
「夢の中で人は神になれる。だから、いい夢だけを見ていればいい。……なのに、どうして夢じゃ駄目なんだろう」
そして、真っ直ぐに僕の視線を捕らえる。
「……どうして、生命維持装置の中で、人が死んでいくんだろう」
「なんだって……?」
「お前も崖から飛び降りた。……他の奴も同じ。何度も何度も絶望して、だんだん無反応になっていく。そのうち夢も見なくなり、鼓動を止める」
「……」
「お前が、最後の一人だ」
少女は、両手の中の湯呑みに視線を落とした。
「人とは変な生き物だな。人と人が争って星を滅ぼしたくせに、どうやら人は、人がいないと生きていけないらしい」
彼女が押し黙り、僕も言葉を見つけられない。
ぴーひょろろ……。
「君も淋しかったんだね」
僕はやっと言葉を出せた。
金髪がこくりと揺れた。偉そうな口を利く彼女が、歳相応の小さな女の子に見えた。
「もう独りじゃないよ」
そうだ。もう独りじゃない。
……そこで、気づいた。
独りじゃない。それは僕の望み。
つまり。
これもまた、僕の夢。
「はっ、はははははは……」
こんな夢を見るほどに僕は追い詰められていたのか。
優しくて、残酷な夢だ。
もう、解放してくれ……。
僕は笑う。狂ったように。
もう二度と夢など見るものか。
「待てっ! 私を独りにするなぁ!」
少女の叫び声と共に、目前に小さな平手が迫った。
避ける気などない。
想像通りの甲高い音が響く。けれど頬は痛くない。
僕は呟く。
「全部、夢だから」
少女の頬を涙が伝った。
「夢だと思っていてもいい! けど、独りにしないで……」
僕に平手を食らわせた手を静かに下ろし、少女は肩を震わせてしゃくりあげた。
金色の髪が揺れ、透明な涙が光る。
泣いている女の子に、どきりとする。
僕の好みは黒髪で、もう少し色気があるほうが良いのだけど――。
……………………………………。
ああ、そうか。彼女は夢ではないのか。
痛くもない頬が、急にひりひりしてきた。
🌔 🌕 🌖
「一緒に団子を食べよう」
甘いものは元気が出るという。正気に戻った僕を、彼女は驚いたように見上げた。
「それは、どうやって食べるのだ?」
かつての僕と同じ疑問。
苦笑しながら、僕は黙って団子を口に運んだ。
少女は僕を真似て、嬉しそうに串を掴む。
しかし、団子を口にした瞬間、動きが止まった。
「味がない……」
「え?」
「――当たり前か。……私は本物を知らない」
彼女は先がちょこんと見えた串を皿に戻し、目を伏せる。消えそうな声で「一緒に食べたかったな」と呟いた。
そのとき、僕はひらめいた。
「起きればいいんだ!」
どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう。
小躍りしそうな僕に、少女は目を丸くした。
「〈
この艦は、もともと宇宙開発用だ。充分な居住空間もあれば、宇宙食も合成できる。
「起きたら、星に着く前に寿命が尽きるかもしれないぞ」
「別に構わないよ」
僕は星に行きたいわけじゃない。
「起きて、どうするんだ?」
「本物の団子を作って、一緒に食べよう」
少女は、ぽかんと口を開けたまま一言もない。
「作り方はデータベースにあると思う。団子の材料は米の粉。
「材料がないぞ!」
慌てて反論する少女に、僕は少しだけ偉そうに笑う。
「あるよ。星に下りたときのために、農作物の種子が積んであったはずだ。水耕栽培なら艦の中でも可能だ」
「艦の中で米や大豆を育てて? ……馬鹿げている! キチガイだ!」
彼女は〈
星に着く前に乗員を起こすなんて、最大の禁忌だろう。
「キチガイでいいじゃないか。このまま寝ていても、僕は狂って死ぬだけだ」
「けど……!」
「僕たちは、生きるために艦に乗ったんだよ」
「……」
「僕は、やりたいことを見つけた。――それが、生き甲斐ってやつじゃないのか?」
「起きて、本物の団子を作ることが、か?」
「君と一緒に、本物の団子を食べることが、だよ」
少女の瞳が、まん丸に見開かれた。
「馬鹿だろ! ちっとも生産的でない!」
「そうかな?」
「そんなの愚かだ! 本物の団子を食べるために老いて死ぬんて、あり得ないだろ!」
「生きているってのは、きっと、馬鹿みたいなことに夢中になれることなんだ」
月での僕は、生きてなんかいなかった。ただ死んでいなかっただけだ。
少女は呆れたように空を仰いだ。
けれど、彼女が顔をおろしたとき、その目は楽しげに潤んでいた。
「一緒に起きてくれるかな?」
手を差し伸べる。
「どうせ夢を見るなら、私も現実の夢がいい」
僕の手をとり、少女が笑った。
ドームの窓から垣間見ていた、懐かしい太陽に似た笑顔を見ながら、僕は、僕を艦に乗せてくれた両親を想った。
さあ、目を醒まそう――。
狂的夢想 /*ルナティック・ドリーム*/ 月ノ瀬 静流 @NaN
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