狂的夢想 /*ルナティック・ドリーム*/

月ノ瀬 静流(PC不調)

狂的夢想

 ぴーひょろろ……。


 頭上をとんびがかすめていく。

 そろそろ海に近いはずだ。一本松の崖まで、あと少しだ。


 潮の香りと波の音を期待しながら坂道を上っていくと、途中に茅葺屋根サァチュ・ルーフが見えた。茶屋のハタが揺れている。

 なんだか小腹が空いてきた。まだ陽も高いことだし、あそこで一休みしよう。

 私は茶屋の暖簾カーテンをくぐった。


 ――私?


「私」は自分を「私」と呼んでいただろうか?


 看板娘がやって来て、にこやかに注文を尋ねた。

 綺麗に結われた黒髪に赤いヘアピンが良く似合う彼女は、可憐な花のように愛らしい。形のよい耳にかかった後れ毛にかすかな色香を感じ、思わずどきまぎしてしまう。

 そんなこちらの様子が伝わったのか、彼女は心なしか頬を染めた。


 とりあえず、この店のお勧めを頼んだ。

 せっかくなので、外の景色を楽しみながら待つことにする。緋毛氈赤いカーペットの敷かれた園遊床ベンチに腰掛ける。野点傘パラソルが良い具合に陽を遮ってくれた。


「おまたせしました」と看板娘がお盆トレイに乗せてきたのは、とろりとした茶色いたれソースがいかにも美味そうな、みたらし団子に濃緑色のお茶グリーンティ

 みたらし団子は以前、一度だけ食べたことがある。作れる職人が少ないため、とても珍しいものだと、父がもったいぶって化粧箱ギフトボックスを開けたのを覚えている。


 時代劇コスチュームドラマで見たままの、まさにあの不可思議な形状に感動した。

 しかし、食べるとなると難敵だ。

 途中まではいい。喉に串を刺さないように注意しながらも、正面からかぶりつける。


 しかし最後の一個は不可能だ。

 父と顔を見合わせ、ドラマで見たように串を真横に構えて歯で抜き取ると、行儀マナーにうるさい母が顔をしかめた。


 だから、団子の食べ方は分かる。

 けれど、お茶はどうしよう。

 僕は渋いお茶は苦手だ。砂糖を入れなければ、とても飲めない。


 ――僕?


 心臓が大きく飛び跳ねた。

 そうだ。「僕」だ。


「はっ、はははははは……」

 僕は大声で笑いながら、狂ったように走り出した。


 着たこともない和装キモノが手足に絡まることもなく、持ったこともない腰のロングソードに重さを感じることもなく――。


 すぐに一本松の崖まで辿り着いた。

 全速力で走ったのに息を切らすことはない。


 眼下に荒れ狂う大波が見える。――僕がそうであれと願ったからだ。

 潮の香りはしない。――僕が本物の海を知らないからだ。



 ――だって、これは夢なのだから。



 僕は、崖から身を躍らせた。



              🌔 🌕 🌖 



 人口の増加と反比例するように、地球には居住可能な土地が減ってきた。そこで月にドームを造り、一部の人間が移り住んだ。

 僕の曽祖父もその一人だった。


 初めは善き隣人であった月と地球の人類は、やがて主導権を争い始める。

 ……細かい経緯は知らない。僕が知っているのは、最終的に互いに互いの星を滅ぼし合ったということだけだ。


 消滅に至る寸前、月政府は宇宙線エネルギーを利用した、半永久的に駆動可能なスペースシップを開発していたことを発表した。

 それに乗れる数の人間だけでも助けようと言い出したのだ。


 乗船できるのは、前途ある二十歳未満の子供たち――もちろん、ほんの一部の、だ。


 政府高官だった父は、その貴重な枠に無理やり僕をねじ込んだ。

 正直言って、どうでもよかった。僕にはそうまでして生き残りたいと思うほどの意志はなかった。ただ死ぬときに痛かったら嫌だな、と漠然と思った。


 だから僕は、両親の嘆願を何の感慨もなく受け入れた。


 僕は眠っている。巨大な艦に並べられた無数の生命維持装置の一つで。移住可能な星が見つかるまで老いることなく。


 僕は夢を見る。

 僕は何にでもなれる。好きだったコスチュームドラマの格好いい主人公にも。


 願いはすべて叶う。

 けれど、これは夢。茶屋の看板娘が僕に好意を寄せてくれたところで、それは僕の願望に過ぎない。


 そして、夢だと気づいたときの喪失感と、孤独、絶望――。

 何度、繰り返したことだろう。


 もう、うんざりだ。



              🌔 🌕 🌖 



 気づいたら、また茶屋の前にいた。

 ひらひらとハタがはためいている。


「待っていたぞ」


 不意に声がした。鈴を転がしたような音色だが、口調が似つかわしくない。

 野点傘パラソルの陰に、その場にそぐわぬ金髪が揺れていた。見たこともない少女が園遊床ベンチに座っている。

 僕より少し年下か。

 彼女は、二人分のみたらし団子と湯呑みを前に、手招きをしていた。


「一緒に茶を飲もう」


 狼狽する僕を気にも留めず、少女はスタッと地面に降り立った。

 そして、右手で湯呑みを掴み、左手を腰に当て、一気に茶をあおろうとする。


 火傷する!

 僕は駆け寄り、少女の手を掴んだ。彼女はきょとんと僕を見た。


「このポーズで飲むのが、茶の嗜みではないのか?」

「何、言ってんだよ!? 火傷するだろ!」

「知らなかった。これは熱い飲み物だったのか。けど、火傷はしないだろう? ――だって、夢なんだから」


 ――これが夢だと知っている?

 心臓が早鐘を鳴らす。


「……君は何者だ?」

「私は〈管理者アドミニストレーター〉だ。現在、私の意識はお前の生命維持装置に繋がっている。夢をシェアしている状態だ」


管理者アドミニストレーター〉――自らも眠りながら、艦の保守管理をする責任者。

 そういえば、この艦の〈管理者アドミニストレーター〉は最年少でアカデミア入学を許された十三歳の天才少女と聞いていた。


「〈管理者アドミニストレーター〉権限でお前のログからこの茶屋を再現した。いいな、この雰囲気。気に入った」


 少女の言葉など耳に入ってこなかった。そう、〈管理者アドミニストレーター〉が現れたということは……。


「移住可能な星が見つかったのか!?」

 この永遠の悪夢から抜けられる! 僕の胸が歓喜に満ち溢れてくる。


「いや、まだだ」

 あまりにも端的な返事。


 再び襲ってくる絶望に、僕は彼女の襟元を掴んでいた。

「星を見つけるのが、お前の仕事だろ! 何、くつろいでいるんだよ!」


 少女は無表情に僕を見る。

「殴りたければ殴ればいい。どうせ痛くない」


 いつの間にか僕の右手は硬く握られていた。僕は慌てて拳を開いた。星が見つからないのは彼女のせいじゃない。


 少女は静かに嗤う。

「夢の中で人は神になれる。だから、いい夢だけを見ていればいい。……なのに、どうして夢じゃ駄目なんだろう」

 そして、真っ直ぐに僕の視線を捕らえる。


「……どうして、生命維持装置の中で、人が死んでいくんだろう」


「なんだって……?」

「お前も崖から飛び降りた。……他の奴も同じ。何度も何度も絶望して、だんだん無反応になっていく。そのうち夢も見なくなり、鼓動を止める」

「……」


「お前が、最後の一人だ」


 少女は、両手の中の湯呑みに視線を落とした。

「人とは変な生き物だな。人と人が争って星を滅ぼしたくせに、どうやら人は、人がいないと生きていけないらしい」

 彼女が押し黙り、僕も言葉を見つけられない。


 ぴーひょろろ……。

 とんびの声がこだまする。それは沈黙を嫌った彼女の思いか、僕の願いか。


「君も淋しかったんだね」

 僕はやっと言葉を出せた。

 金髪がこくりと揺れた。偉そうな口を利く彼女が、歳相応の小さな女の子に見えた。


「もう独りじゃないよ」


 そうだ。もう独りじゃない。

 ……そこで、気づいた。


 独りじゃない。それは僕の望み。


 つまり。

 これもまた、僕の夢。


「はっ、はははははは……」

 こんな夢を見るほどに僕は追い詰められていたのか。


 優しくて、残酷な夢だ。

 もう、解放してくれ……。


 僕は笑う。狂ったように。


 もう二度と夢など見るものか。


「待てっ! 私を独りにするなぁ!」

 少女の叫び声と共に、目前に小さな平手が迫った。


 避ける気などない。

 想像通りの甲高い音が響く。けれど頬は痛くない。


 僕は呟く。

「全部、夢だから」


 少女の頬を涙が伝った。

「夢だと思っていてもいい! けど、独りにしないで……」

 僕に平手を食らわせた手を静かに下ろし、少女は肩を震わせてしゃくりあげた。


 金色の髪が揺れ、透明な涙が光る。

 泣いている女の子に、どきりとする。

 僕の好みは黒髪で、もう少し色気があるほうが良いのだけど――。


 ……………………………………。


 ああ、そうか。彼女は夢ではないのか。

 痛くもない頬が、急にひりひりしてきた。



              🌔 🌕 🌖 



「一緒に団子を食べよう」


 甘いものは元気が出るという。正気に戻った僕を、彼女は驚いたように見上げた。


「それは、どうやって食べるのだ?」

 かつての僕と同じ疑問。

 苦笑しながら、僕は黙って団子を口に運んだ。


 少女は僕を真似て、嬉しそうに串を掴む。

 しかし、団子を口にした瞬間、動きが止まった。


「味がない……」

「え?」

「――当たり前か。……私は本物を知らない」


 彼女は先がちょこんと見えた串を皿に戻し、目を伏せる。消えそうな声で「一緒に食べたかったな」と呟いた。

 そのとき、僕はひらめいた。


「起きればいいんだ!」


 どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう。

 小躍りしそうな僕に、少女は目を丸くした。

「〈管理者アドミニストレーター〉なら僕を起こせるよね? 起きれば夢から解放される」


 この艦は、もともと宇宙開発用だ。充分な居住空間もあれば、宇宙食も合成できる。


「起きたら、星に着く前に寿命が尽きるかもしれないぞ」

「別に構わないよ」

 僕は星に行きたいわけじゃない。


「起きて、どうするんだ?」


「本物の団子を作って、一緒に食べよう」


 少女は、ぽかんと口を開けたまま一言もない。

「作り方はデータベースにあると思う。団子の材料は米の粉。たれソース醤油ソイソースと砂糖のはず。出来るよ!」


「材料がないぞ!」

 慌てて反論する少女に、僕は少しだけ偉そうに笑う。

「あるよ。星に下りたときのために、農作物の種子が積んであったはずだ。水耕栽培なら艦の中でも可能だ」

「艦の中で米や大豆を育てて? ……馬鹿げている! キチガイだ!」


 彼女は〈管理者アドミニストレーター〉。

 星に着く前に乗員を起こすなんて、最大の禁忌だろう。


「キチガイでいいじゃないか。このまま寝ていても、僕は狂って死ぬだけだ」

「けど……!」

「僕たちは、生きるために艦に乗ったんだよ」

「……」

「僕は、やりたいことを見つけた。――それが、生き甲斐ってやつじゃないのか?」

「起きて、本物の団子を作ることが、か?」


「君と一緒に、本物の団子を食べることが、だよ」


 少女の瞳が、まん丸に見開かれた。


「馬鹿だろ! ちっとも生産的でない!」

「そうかな?」

「そんなの愚かだ! 本物の団子を食べるために老いて死ぬんて、あり得ないだろ!」

「生きているってのは、きっと、馬鹿みたいなことに夢中になれることなんだ」


 月での僕は、生きてなんかいなかった。ただ死んでいなかっただけだ。


 少女は呆れたように空を仰いだ。

 けれど、彼女が顔をおろしたとき、その目は楽しげに潤んでいた。


「一緒に起きてくれるかな?」

 手を差し伸べる。


「どうせ夢を見るなら、私も現実の夢がいい」

 僕の手をとり、少女が笑った。


 ドームの窓から垣間見ていた、懐かしい太陽に似た笑顔を見ながら、僕は、僕を艦に乗せてくれた両親を想った。




 さあ、目を醒まそう――。

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