よるのにじ

柊らし

AM 2:00

 夜間警備のロボット・ヨルノは、国境基地の周辺を、あちらへ何歩、こちらへ何歩というように、いったりきたりをくりかえしながら、夜の荒野に目を光らせていた。

 荒野は、視界のかぎりつづいていた。基地のまわりには、町もなければ村もなく、二、三軒ぽつんと立っている家さえなかった。そして、その日は闇夜だったので、ヨルノはもう、さみしくて、さみしくて、泣けるものなら泣きだしたい気分になっていた。

(まるで、世界にひとりぼっちだ)

 そんなふうに考えると、ますます悲しくなってくる。

 ヨルノの仕事は、国境基地の人間たちが眠りについているあいだ、かわりに寝ずの番をすることだった。ヨルノの目は、闇の中でもよくみえたから、夜にまぎれて国境の壁をのぼろうとする密入国者や、基地にわるさをしようとする、あぶない思想のもちぬしたちを、それは上手にみつけることができた。

 人間たちには重宝されたが、ヨルノはふしあわせだった。夜明けがくると、守衛のおじさんが起きてきて、ヨルノの電源をオフにする。パチリ! つぎに目が覚めたときは、また、まっくらな闇の中だ。

(もう、暗いのは、たくさんだ。ひとりぼっちは、たくさんだ! いちどでいいから、お日さまの光をあびて、あざやかな世界をみてみたい)

 青い空、白い雲。そして、魔法のようにとつぜん空にあらわれるという、七色の虹。データベースの中でしかみたことのないそれらの景色を思うとき、ヨルノの胸は、かなわない願いに燃えた。

 もしも今日が晴れた晩なら、夜空にうかぶ月や星が、ヨルノの気持ちをなぐさめてくれたかもしれない。けれど、今夜はなにもなかった。空には、いままでみたこともないくらい厚くておもい雲がのさばり、星たちは、息をころして身をひそめていた。

 なにも動くもののない真夜中の世界では、自分が冷たい鉄のかたまりだと、いやでも思いしらされてしまう。

 夜明けはあとどのくらいだろう。時計機能をよびだして、すがる思いで、ヨルノは時刻をたしかめた。

 午前二時ちょうど。

 朝は、まだ、はるか彼方だ。

「もう、うんざりだ!」

 ひと声、悲痛なさけびをあげて、ヨルノは荒野へかけだした。日がのぼっても基地にはもどらず、このままどこかにかくれていよう。そうすればきっと、昼が迎えにきてくれる。

(ぼくの目は夜のためにつくられているから、太陽のつよい光をみたら、回路がショートしてしまうかもしれない。だけど、うつくしい景色をひと目みることができたなら、こわれたってかまうもんか)

 ところが、いくらも走らないうちに、ヨルノの足をとめる出来事がおこった。暗がりのむこうから、リヤカーをひいたクマの家族がやってきたのだ。

 ヨルノは、たいへん動揺した。

 まさか、と思って目をこらすが、暗視装置にうつった姿は、まぎれもなくクマだった。こげ茶色の毛なみと、ずんぐりした体つき。がた・ごと・がたと、車輪の音をリズミカルにひびかせて、荒野のはじから近づいてくる。

 家財道具が山づみのリヤカーをひっぱっているのは、体のおおきいオスのクマだ。おそらく一家の父親だろう。そのとなりには、懐中電灯をもった母親クマが、父親クマをはげましながら、地面を照らして歩いている。ごとごと揺れる荷台には、うりふたつの子グマが二頭、ハチミツつぼのあいだに丸まって、なかよく寝息をたてていた。


  ■不明なエラーです


 頭の中にうかぶダイアログ。視覚がとらえた情報を処理できなくて、CPUが泣きごとをいっている。あやうくフリーズしそうになるのをこらえて、ヨルノはみがまえた。

 ヨルノがおどろいたのと同じように、クマたちも、彼をみてとまどったようだった。

「おや、あんなところにだれかいるよ」

 と、父クマが声をあげた。

「ヒトかしら?」

 不安そうに、母クマがこたえた。

「そんなわけないだろう。ヒトはもう……うん、あれはどうやらロボットみたいだよ」

 父クマは、リヤカーをとめて、ヨルノの前にすすみでた。片手をあげて、愛想よく声をかけてくる。

「やあ、こんばんは!」

 ヨルノは、ふたたびフリーズの危機にみまわれた。警備ロボットの人工知能は、クマとの会話を想定してつくられてはいない。

 だが、ここでも彼はみごとに耐えた。ちょっとナイーブなところはあるが、そのぶん柔軟なAIなのだ。湯水のようにあふれるエラーをせきとめて、せいいっぱい、自然にきこえるあいさつをかえした。

「こんばんは」

 父クマは、タオルで汗をふきながら、ヨルノにむかってほほえんだ。

「どうもすみません、ちょっと、道をおたずねしたいのだけど。NASAへは、どういけばいいのかな?」

「ナサ?」

 意表をつかれて、おうむがえしにこたえてしまう。

「ナサとは、合衆国のNASA、ですか?」

「そうです、そうです」

 ほかにどのナサがあるんだい、あたりまえでしょう、といわんばかりに、父クマがうなずく。

「先日、サルがスペースシャトルの打ち上げに成功したといううわさは、ごぞんじですか? 近々、希望者をのせて、第二便、第三便の出航も予定されているとか。うわさがほんとうなら、これはまたとない引っ越しのチャンスです。そんなわけで、われわれもシャトルに乗せてもらうために、故郷の森をでて発射場へとむかっているのです」

 おいついてきた母クマが、横からしずかに言葉をそえた。

「この星は、子育てをするには、いい環境とはいえませんから」

 ヨルノは頭がくらくらしてきた。クマたちがなんの話をしているのか、さっぱり理解できなかった。

 とりあえず、NASAのスペースシャトルなら、ケネディ宇宙センターだろうと考え、GPSと通信して、だいたいの距離と方角をおしえた。

「だけど、合衆国に入るとなると、いろいろ手続きがめんどうですよ。とくにクマは、たぶん、前例がないし。それに、徒歩だと、いったいどのくらい時間がかかるか……」

 などどいうヨルノの注意を、きいているのか、いないのか、父クマはにこやかにうなずいた。

「いや、いや、助かりました」

 頭をさげて立ち去ろうとする父クマを、母クマがひきとめた。

「ねえ、あなた。この方に、なにかお礼をさしあげましょう?」

 母クマは、なぜか悲しい目でヨルノをみていた。父クマは、そうだなと答え、あごに手をあて、しばらくなにかを考えたのち、リヤカーの荷台からちいさな箱をとりだした。

「これは、北極にすむ親類が、せんべつにとくれたものです。なかなか貴重な品ですが、地球をはなれるわたしたちには、使いみちがありません。親切にしてくださったお礼に、これをあなたにさしあげましょう。どうぞ、おうけとりください」

 そういって、手わたされたのは、とても軽い箱だった。雪の模様のつつみ紙に、夜明けの海を思わせる、青いリボンがかけられていた。危険がないか確かめるため、X線をあててみた。しかし、箱の中からは、まったくなんの反応もなかった。

(この箱は、からっぽなんじゃないだろうか?)

 と、いぶかしんだものの、口にはだせず、ヨルノはただお礼をいった。

「ありがとうございます」

「こちらこそ、道案内、どうもありがとう」

 クマの夫婦はていねいにお辞儀をすると、リヤカーをひいて去っていった。ヨルノのそばを通るとき、荷台の上で夢をみていた子グマが一頭、ぱちりと目をさました。子グマは、寝ぼけまなこでヨルノをながめて、小首をかしげた。

「いたくない?」

 なんのことかと問いかえす間もなく、一行は夜のしじまに消えた。

 クマたちが去ると、あたりはふたたびしずけさにつつまれた。

(今のはいったいなんだったんだろう)

 なんだか、頭がぼうっとしていた。キツネにつままれたというのは、こんな心地をいうのだろうか。いや、この場合、つまんだのはキツネじゃなくてクマだろうか。

(もしかして、ぼくは、幻覚をみたんだろうか)

 そんな不安が、電子頭脳をよぎる。むかしむかし、まだ警備ロボットがなかった時代、ヨルノと同じような任務についていた人間たちは、退屈のあまり精神に不調をきたして、さまざまなまぼろしをみたという。ヨルノはだんだん、自分のみたもの、感じたことに自信がもてなくなってきた。

 空は、あいかわらず息苦しくなる雲でおおわれ、闇は、夜半につもる粉雪のように、しんしんとその深さをましていた。ヨルノの胸に、いっとき忘れかけていたさみしさがよみがえり、それは前よりもいっそうはげしい不安となって、心の内壁をどんどんと蹴った。

 いま何時だろう、と知りたくなって時計をみる。

 午前二時ちょうど。

 夜明けは、まだ遠い。

 ふいに、ヨルノは、手の中であわい光がまたたいているのに気がついた。視線をおとして、おどろいた。クマたちにもらった箱が、ぼんやり発光している。

 リボンをほどいてつつみをとくと、中から白い紙箱があらわれた。ヨルノがふたに指をかけたとたん、ふたは、ぽん! と、ひとりでにとびあがり、箱の中からいろとりどりの光る渦が、ぶわああああ、と天に舞いあがった。たつまきに水彩絵の具をとかしたら、こんな感じかもしれない。

 色はあっという間に空いっぱいにひろがって、あたりをいちめん七色に染めた。

(虹だ)

 と、ヨルノは思った。

 ほんとうは、オーロラという現象だったけれど。われを忘れてみとれるヨルノには、どちらでもよかった。

 オーロラのかがやきは、夜のシーツをはぎとって、闇にかくされていたものの姿をうかびあがらせる。そのむかし、国境基地とよばれていた廃墟。たおれて、くずれた国境の壁。そして瓦礫の山のまんなかで、空をみあげて放心している、頭におおきな穴のあいた、こわれかけの警備ロボット。

 頭に穴があいたとき、記憶の一部もいっしょにどこかへ消えてしまったから、ヨルノは覚えていなかった。ある真夜中、いつもの警備の最中に、東の空に、おばけみたいなキノコ雲がはえたこと。そのあと、たてつづけにおこった天変地異におそわれて、この世の時計が午前二時で止まったことを。

 まるでつじつまをあわせるみたいに、爆発で舞いあがった灰やちりは、太陽の光をさえぎって、地上を明けない夜にかえた。

 きれいだ、と、なにもおぼえていないことさえも、おぼえていないヨルノはつぶやく。さっきまでからっぽだった心の中は、きらきらかがやく虹色の光で、めいっぱいに満たされていた。オーロラの光が消えたあとも、ヨルノはしばらく身じろぎひとつしないで、だまって空をあおぎみていた。

 やがて、彼は仕事にもどった。さみしいなんて、もう、これっぽっちも思わなかった。

(夜明けがきたら、電源をオフにされるまえに、守衛のおじさんに「虹をみたよ」と自慢しよう)

 内心胸をときめかせながら、あっちへ何歩、こっちへ何歩、命令で決められたとおりに、いったりきたりをくりかえす。

 ヨルノにはみえない空の一角を、動物たちをのせたシャトルが飛んでいく。煤まみれの雲をつきぬけて、まだみぬ新しいすみかをめざして。

 シャトルのまるいガラス窓に顔をはりつけた動物たちは、ほろびた星をみおろして、おのおのの鳴き声をあげていた。


 さようなら、のあいさつだった。

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よるのにじ 柊らし @rashi_ototoiasatte

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