終.未来のために
先に足をとめた千尋は、やけに低い声で訊き返してくる。
「どうして、そう思ったの?」
振り返った俺の目に入ったのは、真意を探るような瞳だ。
「『未来の俺』の、メールアドレスだよ」
15cm@kakeyome.com
脳裏に思い浮かべて、先を続ける。
「『15cm』……さっき生活指導室の使用簿を書いたとき、一年五組のことを『15HR』って書いて、なにかが引っかかったんだ。多分、同じ十五だったから」
「『15cm』の『15』は、一年五組のことかもしれないって?」
「そう。んで、だったらあとに続くアルファベットは、センチメートルじゃないと考えられる。一年五組のCM……それがイニシャルなら――」
Chihiro Minagawa
「――おまえしか、当てはまらない」
それに俺は、本当なら最初から知っていたはずなんだ。
千尋には未来を知る力があること。
親父の件がそれを示していた。
なのに俺は、千尋が変なことを言ったせいだと千尋を責めて、その恥ずかしい記憶を葬り去ろうとするあまり、根本的な部分に考えが及んでいなかった。
(どうして千尋は、事故が起こる前にあんなことを言えたんだ?)
――知っていたんだ。
俺に完璧なテスト範囲を教えたみたいに。
「おまえは……未来がわかるのか?」
どこか現実感のない問いを、しかしそうとしか考えられない状況で、俺は告げた。
すると千尋は、フッと微笑む。
本当に久々に――四年ぶりくらいに見た、穏やかな笑顔だった。
不覚にも、ちょっとときめいてしまう。
(待て俺、今はそれどころじゃないから!)
自分を落ちつけるようにわざとらしい咳払いをしたら、クスリと笑った千尋が口を開いた。
「わたしにはね、見えるものが二種類あるの。ひとつは、あんたが言うように、少し先の未来。これは夢で見るの」
「す、少し先って、どれくらい……?」
「長くても半年先までかな。大体は、数か月以内に起こることを夢に見るよ」
「なるほど。だからテスト範囲があんな詳細にわかったんだな」
少し妙だとは思っていたんだ。
いくら過去に自分が経験したテストとはいえ、『高校一年時の一学期の期末テストの内容』を、ピンポイントにあそこまできっちり憶えていられるものかと。
もしかしたら答案用紙が残っていたのか? とも考えたが、面倒くさがりの俺がわざわざとっておくとも思えなかった。
『千尋がテストの夢を見たばかりだったから教えられた』って説明のほうが、はるかにしっくりくる。
「で? もうひとつ見えるものって?」
「人の寿命。一年で一センチ、これは
「……は?」
予想外なことを告げられ、思わず目をぱちくりさせてしまう俺。
それでも千尋はからかうことなく、淡々と説明を続ける。
「最初はね、自分に見えているものがなにを示しているのか、全然わかんなかったんだよ。人の寿命だってわかったのは、あんたのお父さん――おじさんが亡くなったときだった」
「あ……」
「わたしがいつも見てた長さと、享年が同じだったから。『ああそうか、これは寿命なんだ』ってわかった。――だから、あんたから離れたの」
「だ、だから……?」
今の台詞の一体どこにその説明があったのか、俺にはわからなかった。
気がつくと、千尋は顔をこわばらせたまま、制服のポケットから自分のスマホを取り出す。
それを印籠のように、俺の目の前に掲げた。
「これくらいなの、あんたの寿命」
「へ……?」
「十五センチ。ちなみにあんた、今何歳?」
「おまえと同じなんだから、わかってるだろ。十五だよ」
「もうすぐ誕生日だよね? でも、このままじゃ十六歳になれない」
「それって――」
ドクンと、大きく心臓が跳ねた。
「あんたはその前に死ぬの」
突然の宣告に、折れそうになる膝を必死にこらえる。
話す千尋の顔色も、なぜか青かった。
「おじさんの件ね、あんたにとってトラウマになったかもしれないけど、わたしにとってもそうだった。死ぬ運命を変えたいと思って助言しても、結果助けられないばかりか、遺された人の心に本来なら不必要だった痛みを与えてしまうこともあるって、学んだから」
一歩ずつ、千尋が近づいてくる。
「そのままあんたの傍にいたら、またよけいなことを言ってしまうかもしれないと思って、わざと別の中学に行ったんだよ」
「…………」
それは、誰にも責められる選択ではなかった。
死ぬとわかっている人の傍に居つづけるのは、誰だってつらいだろうと思う。
でも――
「――じゃあなんで、俺と同じ高校に? うちの母親から聞けば、さけられたはずだろ」
「諦められなかったから」
もう一歩近づいて、千尋はきっぱりと答えた。
その瞳に、たくさんの水をたたえて。
「基樹が十五で死んじゃうんだって。はいそうですかって。簡単には諦められなかったの! 中学ではずっと、どうしたらあんたを助けられるのか、考えてた。病死ならどうしようもないけど、事件や事故なら防げるかもしれないでしょっ? いろんなパターンを考えた。いろんなケースを想定して策を練った!」
「千尋……」
「でも、どんなに緻密なシミュレーションをしても、必ず失敗するの。どうしてかわかる?」
千尋はもう、至近距離で俺を見あげている。
「わ、わからん」
その迫力に気圧されて一歩さがったら、千尋は俺の胸倉を掴んで自分のほうに引き寄せた。
「あんたに、助かろうって意志がないからよ! 本人が心から助かりたいと思って全力を出さなかったら、死の運命はねじ曲げられないの!!」
「そ、そんなこと言ったって、俺は自分がもうすぐ死ぬなんて知らなかったし……」
「そう! だからね、まず基樹が自分の運命を知ることが、計画の第一歩だったの。さいわい、私が数か月前にやっと見れた基樹の死因は事故死だったから、しっかり注意してればやり過ごせるかもしれないでしょっ?」
(大体話が見えてきたぞ……)
俺は千尋の両肩に手を置いて、落ちつかせようとする。
「それでおまえは、『未来の俺』の振りしてメールを送って、俺を信じこませようとしたんだな。本当に未来にいるやつからのメールなら、俺も信じると思って」
「うん……ちゃんと気をつけないと死ぬ可能性があることを、伝えたくて……」
それはとても遠まわりで、そしてまぎらわしい方法だった。
俺を騙そうとしたことも、間違いない。
でも――
(全部全部、俺を生かすためにやってくれたこと……)
俺がなにも知らずにのうのうと生きているあいだに、千尋は俺のためにひとりで戦ってくれていた。
死の迫る恐怖と。
先を知りながら、誰にも告げられない孤独と。
どんなに頑張っても、無駄になるかもしれないのに。
俺よりも俺の生を諦めず、もがいてくれていたんだ。
「――――っ」
愛しさがとまらなくて、俺の手は自然と千尋の背中にまわった。
「ごめん千尋……っ。俺なんて、『おまえのせいだ』って言っちまったのを謝ることすらできなかったのに……」
泣きたくなんかないのに、目頭が熱くなる。
「いいんだよ、そんなの。あんたが十六歳になれたら、全部チャラだから!」
「千尋……!」
――と、なんだかいい感じで抱きあっていたときだった。
「…………ん? 基樹のスマホ、鳴ったんじゃない?」
「あ、ああ」
(チクショー、邪魔しやがって! 誰だ!?)
名残惜しかったが千尋から手を放して、ポケットのなかから自分のスマホを引っ張り出す。
どうせ母親だろうとほぼ決めつけて通知を見たとき、文字どおり俺の心臓はとまりそうになった。
送信者:
未来の俺
「え……?」
一体どういうことだろう。
このメールを送っていた犯人である千尋は、目の前にいる。
本人が自供したのだから間違いないし、千尋がスマホを操作したような素振りもなかった。
それでも、メールは届いている。
「…………」
俺が動けずにいると、「どうしたの?」と千尋が覗いてくる。
そして俺と同じように、動きをとめた。
「な、なんで……?」
「おまえじゃないんだな?」
「送ってないよ! てか今、あんたと話してたでしょっ。もっというなら抱きあってたでしょ!?」
「そうだよな……」
ふたりして顔を見あわせてから、視線は再び俺のスマホへ。
「ひ、開くぞ?」
「うんっ」
おっかなびっくりタップすると、現れたのは――
件 名:
高校生の俺に告ぐ
本 文:
彼女を信じてくれてありがとう
(あっ!?)
その短さを見て、俺は一通目のメールのことを思い出した。
あの文字化けしていたやつだ。
(もしかして……)
急いでメールアドレスを確認してみる。
やはり千尋が使っていたものとは違い、一通目のめちゃくちゃなほうと同じだった。
「でも今度は、文字化けしてない……?」
「え、文字化けってなによ?」
そこで千尋に一通目の内容を見せたが、「こんなメール送ってないわよ」とのこと。
そして次の瞬間、千尋の瞳がキラリン★と光った。
「ねぇ、もしかしてこれって、本当に未来から届いたメールなんじゃないのっ?」
「……ハァ!?」
「きっとそうよ! わたしが動き出したことで、基樹が生きてる未来が少しずつ現実味を帯びてきて――だから最初は文字化けしてたメールも、文字化けせずに届くようになったって考えたら、辻褄合わない!?」
「合ってるのか? それ……」
「ちょっと貸してよ」
「あ、おいっ」
千尋は俺の手からスマホを抜き取ると、女子特有の恐ろしい速さでフリック入力する。
「はい、送信!」
「おい待て、なにを送った!?」
「『あなたは未来の基樹ですか?』って。――あー、残念。戻ってきちゃった。こっちからは送れないみたいね」
「…………」
どこかはしゃいでるように見える千尋にジト目を送ると、千尋はまるで時間をくり返すかのように、再び俺に抱きついてきた。
「ねぇ、わかってよ基樹。わたしはやっと基樹に本当のことを話せて嬉しいの」
「あ、ああ」
「このメールだって、どこの誰が送ってるのか知らないけど、いいほうに受けとめたほうが運命に抗う力になる。そうでしょ?」
「――っ」
告げられて、ハッとした。
確かにそうなんだ。
俺はこれから、全力で自分の死の運命に立ち向かわなければならない。
さっき千尋にそう言われたけれど、正直まだ実感はわかない。
(死にたくない)
生きたい。
できることなら、千尋の傍で。
そう強く願いつづけるには、戦いつづけるには、きっとなにか助けが必要なんだ。
千尋の力は俺には見えなくても、このメールなら見える。
どこの誰が出しているのかわからなくても、このメールの存在が俺の『生』を引き寄せてくれる。
そう考えることは、確かに無駄ではなかった。
それに――
本 文:
彼女を信じてくれてありがとう
(そう、俺は、誰よりも千尋のことを信じたいんだ……!)
もう一度腕のなかの温もりを抱きしめて、宣言する。
「――ありがとう、千尋。俺はおまえの努力を絶対無駄にはしないから。一緒に乗り越えよう!」
「うんっ」
【了】
高校生の俺に告ぐ 氷円 紫 @himaru
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