6.疑惑
翌週になると、採点の終わった答案用紙が次々に戻ってきた。
俺が「しまった」と思ったのは、情けないことにそれからだ。
(ヤバ……調子に乗って解きすぎた!?)
今までとったこともないような高得点を連発し、嬉しいよりも冷や汗が出る。
なにせ、中間テストの結果は散々だったんだ。
なのに期末で突然こんなにも成績があがったら、不審がられるかもしれない。
――という俺の予想は、どうやら当たっていたらしい。
「羽柴、ちょっと来なさい」
放課後、帰ろうとしていた俺は、教室を出たところで担任の関口に呼びとめられた。
確か三十代半ばで、そこそこイケメンの関口は、女生徒に人気がある先生だ。
俺は特に好きでも嫌いでもないが、少なくともこうして個別に話しかけられたのは初めてのことだった。
近づいてきた関口は、俺の手に無理やりどこかの鍵を握らせて、
「生活指導室だ。先に行って、使用簿に私の名前を書いておきなさい。私はひとつ用事を足したらすぐ行くから」
一方的にそう告げると、俺の横を通りすぎる。
「え、ちょ……っ」
俺は一瞬大声で呼びとめようとしたが、廊下にいた何人かの生徒がこっちを振り返ったから、やめた。
変に噂を立てられるのも馬鹿らしい。
それに、呼び出された理由は大体予想がついていたから。
(関口のやつ、いつもは飄々としてるくせに、ちょっと顔がこわばってた……)
まさに「自分のクラスの生徒が、定期テストで不正をしていたらどうしよう?」といった表情に見えた。
――俺自身がそんな不安を抱えていたからかもしれないけど。
「…………チッ」
舌打ちひとつで
そこに呼び出されたのは初めてだったが、場所は知っていた。
使われる機会の少ない教室であるため、生活指導室や進路指導室のある廊下は人通りが少なく、あれこれサボるのにぴったりな場所なんだ。
だから、室内に入ったことはなかったが、近くまで行ったことは何度もあった。
(まさか、進路指導室より先に生活指導室に入ることになるとはな……)
鍵を開けて、なかに入る。
最近あまり使われていなかったのか、モワッとした空気が俺の顔面を襲ってきた。
長机ふたつでいっぱいの狭い部屋だから、空気が籠もりやすいのかもしれない。
俺は部屋のいちばん奥まで行って窓を開けてから、ドアまで戻ってくる。
関口が言っていた『使用簿』らしきものが、ドア横の電話台の上に置いてあったからだ。
それはなんの変哲もないノートだったが、開いてみるとクラスと名前が羅列されていた。
(32
先人に学習した俺は、『一年五組・羽柴』ではなく『15HR・関口』と書きこむ。
上に挙がっているのも全部先生の名前だったし、さっき関口も「私の名前を書いておきなさい」って言ってたから、これでいいだろう。
自分で書いた文字に満足して眺めていたら、ふと、なにかが脳裏に引っかかる。
(15HR、か……普段こういう書きかたしないから、新鮮に感じてるのか?)
――いや、それだけじゃない。
なにか、忘れているような……。
(なんだっけ?)
必死に脳内検索しているうちに、傍のドアが開いた。
俺がすぐ近くにいたからだろう、関口が驚いた声を出す。
「羽柴っ? どうした、座って待っててもよかったんだぞ」
「いや、ちょっと考えごとを……」
「あ、名前は書いてくれたんだな。じゃあ座って。羽柴にちょっと確認したいことがあるんだ」
頷いた俺は、おとなしくすすめられたパイプ椅子に腰かける。
その正面に座った関口は、やっぱりいつもと違う顔をしていた。
「――なんの話か、予想はついているか?」
「テストの点数が、急によくなったことですか? 俺自身も驚いてるけど……」
「カンニングではないんだな?」
「俺がそんな器用に見えますか? てか、もしやるなら中間からやりますよ」
これは本当のことだ。
俺はテスト中にカンニングをしたわけじゃない。
ただ、他の人よりも詳細なテスト範囲を知っていて、その部分を集中的に勉強しただけなんだ。
……人によってはそれもカンニングと見なすかもしれないし、俺だって罪悪感はバリバリにあるけど。
(でも、俺自身がテスト範囲を教えてくれって頼んだわけじゃないんだぜ!?)
それだけは、声を大にして言いたかった。
言えないけど。
関口はジッと、俺の目を見ていた。
「私だって、自分の生徒を疑いたくはない。ただ、羽柴に関しては、中間と比べても特別勉強量が増えたようには見受けられないと、他の先生たちから言われてね。担任としても、潔白を証明するならば証拠が必要だ」
「証拠?」
「羽柴の成績があがったのは、勉強方法を変えたからではないのか? もしそうなら、テスト勉強に使ったノートを見せてほしいんだ。他の生徒にも応用できるかもしれないしね」
「……っ」
(それはまずい、テスト範囲をピンポイントで勉強してたのがバレる……!)
だが今さら、いつもどおりに勉強してましたなんて言い訳は、通用しそうになかった。
なにより関口の目が、俺を逃がしてくれそうにない。
(クソっ、どうやってごまかす!?)
縋るように、メールひとつ来なくなったポケットのなかのスマホに手をやった。
そのときだった。
「わ、わたしのせい……ううん、わたしのおかげなんです!」
不意に窓のほうから声がして、あいていた隙間からひょこっと顔を出したのは――
「千尋っ?」
「わたしがテストのヤマを張って、基樹……羽柴くんに教えたんです。羽柴くんは馬鹿正直にそこだけ一生懸命勉強したんですけど、そしたらヤマが見事に当たっちゃって……!」
千尋も焦っているのか興奮しているのか、顔が少し赤らんで見えた。
関口は椅子から立ちあがって千尋の傍まで行くと、窓を全開にして千尋を見おろす。
「皆川、なぜきみがここに?」
盗み聞きしていたことを咎めるような、強い口調だった。
それでも、千尋も負けじとまっすぐに関口を見あげ答える。
「羽柴くんが呼び出されたところを見ていたから、気になって……あのっ、テストの点がさがって怒られるなら、まだわかります。でも、テストの点があがったからってカンニングを疑われるのは、理不尽じゃないですか!? 羽柴くんは、授業中は不真面目かもしれないけど、家では頑張って勉強してましたっ。わたしが保証します!」
「……待ってくれ。羽柴と皆川は仲がいいのか? 初耳だが」
関口が戸惑うのも無理はなかった。
(正直、俺だって全力で戸惑ってる!)
なぜ千尋が窓の外にいて、俺を庇おうとしているのか、さっぱりわからないんだ。
「そ、それは――」
うまく答えられない俺の代わりに、再び千尋が口を開いた。
「わたしと羽柴くんは、幼なじみなんですっ。ただ、『高校生になってまで女と仲良くしてるなんてバレるの嫌だ』って羽柴くんが言うから、学校ではあんまり話さないようにしてるだけで!」
「……本当か?」
探るような目で、関口が俺を見てくる。
俺はただ赤べこのように首を振りつづけるので精一杯。
――結果どうなったかというと、千尋の成績がトップクラスだったこともあり、俺の成績があがったのは千尋のおかげということで、納得してもらえた。
(それだけじゃ、ない)
そう、全部千尋のおかげなんだ。
関口から解放された頃には、俺はもう気づいていた。
『わたしがテストのヤマを張って、基樹……羽柴くんに教えたんです』
俺を助けるために、千尋が関口に語った言葉。
(あれは嘘なんかじゃ、ない)
全部本当のことなんだ。
だから俺は、並んで歩く帰り道、千尋に言ってやった。
「『未来の俺』って、おまえなんだろ……?」
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