17 小さな赤いきらめき

 ひと晩ぐっすり眠ったあと、ラウロはかもめの声に耳を傾けた。そして港の宿に顔を出した。なにくわぬ顔で。


 思った通り、宿の主人と常連客はあからさまに背を向けた。

 どういうわけか、それでもかまわないと思った。


 オルランドが近づいてきた。ラウロはそこで、ルイジが運に見放されていたことを知った。


 死体が見つかったのは港から離れた、人通りの少ない倉庫の脇だった。館の窓から飛び降りたときのまま、下穿き1枚という姿で、ルイジは仰向けに倒れていた。頭部に殴られたようなあとがあり、乾ききっていない血が路面にこびりついていた。


 なぜそんなことになったのか。首をひねるラウロに、オルランドは言った。


「左手の人差し指が切り落とされていたそうだ」


 逃げるとき、ルイジはあの指輪を自分の指にはめようとしていた。


 誰にやられたのかはわからない。追い剥ぎか、それとも彼を憎んでいた人物か。

 

 指輪は簡単には抜けなかったのではないか。誰かが、それを奪うためにルイジの指ごと切り落とすところを、ラウロは思い浮かべた。あのとき、街路には夕日が残っていた。たとえ暗がりに逃げ込もうと、ルビーは太陽の光を反射し、血のように輝いたはずである。追う者にとっては格好の目印だったろう。


 ルイジの連れは、街はずれの宿で死んでいるところを見つかった。ベッドに横たわったまま、脇腹から血を流し、金の入った袋を両手で握りしめていた。


 心になんの感情も湧かないことに、ラウロは驚いた。指輪が誰の手に渡ったのか、思いをめぐらせてみたが、それもどうでもいいことだった。牢に閉じ込められていたあいだに、心を根城にしていた何かが流れ出てしまったのだ。あの赤い石への執着が完全に消えていた。



 *



 街は午後の光を受けてぎらぎら輝いていた。宿を出て、通りを歩いているうちに、思いもよらなかった考えが胸に浮かんだ。

 戸惑い、立ち止まる。

 だが、それは自然な感情から出た考えだった。


 キアラの居所を突き止めなければ。


 パントゥルノの屋敷にはすでにいないが、街のどこかにまだいるはずだ。彼女を捜し出し、この手で買いあげるのだ。


 それは自分がキアラの所有者になることを意味する。つまり、解放してやることも可能だ。一生を奴隷や愛妾として過ごすより、誰かのもとに嫁ぎ、正式に妻となる生き方のほうが、あの娘にはふさわしい。愛人である男と、その妻とのあいだで苦しむ暮らしには、にどと戻らせたくなかった。


 奴隷が自身を解放するには、普通、かなりの金がかかる。キアラがひとりでそれだけの金を貯めるのは難しいだろう。恐らく、自由を獲得するのは、人生の最後の数年間でしかない。


 自分なら、それを与えることができる。




 入港したばかりの船が人や貨物を吐き出し、午後の船着き場は大賑わいだった。商館から運び出される梱や樽、馬、歩きながら抱擁しあう人でごった返し、いっとき身動きがとれなくなる。ラウロも立ち止まり、混雑がおさまるのを待つ。


 キアラに会ったら話さなければならないことを考えた。娘にとってなにが幸せかは、実際のところわからない。彼女をさがすこと、それが救いにつながるのを願うこと。できるのはそれしかなかった。


 港には帆船が停泊していた。広大な空を背景にくっきりと浮かびあがる巨大な姿を見ているうちに、不安は消え失せ、青空に似た晴れやかな気分が訪れていた。再び歩き出す頃には、笑みさえ浮かべていた。


 小さな赤いきらめきが、すぐ横を通り過ぎたことにも気づかなかった。



 *



 血の色をしたその光は、太陽を浴びてさらに強く、激しく輝いたが、若者とは反対方向に流れ去り、港にあふれる人波に飲み込まれて消えた。




〈了〉

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シチリア島奇譚 橋本圭以 @KH_

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