16 簡単に死なれちゃ困るんだ

 ラウロは港に停泊しているカタロニア商船に、乗組員として登録した。出港は2週間後。行き先はマルセイユ。危険な海域ではないのが嬉しかった。以前なら、食事と賃金さえもらえれば、海賊が横行するダルマチア沿岸でも北アフリカでも喜んで赴いたところだ。


 あの日。


 レモは、なにか食べさせ、眠る時間を与えようとした。ラウロにはそのどちらも必要ではなかった。むしろ、起きて話を聞かなければならなかった。


 日付を知らされ、愕然とする。

 少なくとも1カ月は経過したと思っていたが、牢にいたのはたったの4日間だった。



 *



 4日間。


 そのあいだ、薬種商は彼をさがして歩いた。


 グリエルモ・パントゥルノが死んだ。どうやら殺しらしい。噂を聞いたとき、レモの頭にもキアラのことが浮かんだ。だが、下手人が判明したという話は出ない。代わりに、同じ日に泥棒が侵入したという話を聞いた。


 ラウロについては、誰も彼の姿を見かけておらず、居所を知る人もいない。

 

(泥棒ってのは、ひょっとして・・・・・・)


 レモは館へ赴いた。裏口で、道を掃いていた下女をつかまえた。事件のことは、たずねるまでもなかった。しゃべりたくて仕方がなかったようだ。薬種商が取り出したエジプト産の媚薬に目を輝かせつつ、下女は数日前の夕暮れの出来事を話してくれた。


 盗賊はふたり組、ひとりは窓から逃げ、もうひとりはその場で縛りあげられた。

 顔立ちと服装からして、やはりラウロのようだ。


 盗人がどこへ連れて行かれたかはわからない、と女は言った。


 女たちが集まってきて、情報を補った。おかげで、自分からなにひとつ質問することなく、レモはことの次第を知ることができた。


「キアラが変だったの。ぼうっとして、話しかけても答えないし。座ったまま、なんにもしゃべらなくて、どこも見てないみたいだった」


「奥様はキアラを、どこかの奴隷商人に売り払ったわ。頭のおかしい役立たず、と言って」


「キアラは、もとは奥様が東方の商人から買った奴隷だったの。でも旦那様があの娘をたいそう気に入っちゃったでしょ。で、奥様はキアラにつらくあたるようになったの。嫉妬してたのよ」


 奥方は、娘の服や靴を汚物の桶に捨て、彼女の食事に大量の塩を混ぜさせた。そして食べないと見るや叱責し、最後には必ず、役にも立たない虫けらとなじった。


「みんなあの娘のことが好きだったのに」


 ここへきて、レモは思った。

 キアラが毒殺しようと狙っていたのは、その奥方ではないだろうか。なのに、なんの手違いが生じたか、死んだのはパントゥルノだった。


「ひょっとして、パントゥルノの旦那は最近、喉を痛めてなかったかい?」

「そういえば、亡くなる前に、朝の冷気で喉をやられたって言ってた。奥様の咳止めの薬を飲んでたよ」


 下女らは、奥方の悪口をまくしたてた。声を抑えつつもしゃべりまくるとは、驚くべき技だ。解放されたときには、太陽は傾いていた。エジプト渡りの媚薬は、在庫がからになってしまった。


 パントゥルノ家の男たちは、町の司法長官と敵対している。彼らが泥棒を司法長官に突き出すとは考えにくい。盗人は恐らく、どこぞの牢でこづきまわされているだろう。

 少なくとも、グリエルモ・パントゥルノの殺害に関しては無実である男だった。


 葬儀がはじまった。打ち鳴らされる鐘の音を聞きながら、レモは館に関わりのある人間を訪ね歩いた。愛用の麻袋を開け、中身をもったいぶって説明すれば、相手は秘薬の効用に気を取られつつ、質問に答えてくれた。グリエルモの息子の屋敷に、今は使われていない牢獄があると聞いたのは、その日の午前だった。





 煮た野菜が湯気をたてている。まともな食べ物を見るのは久しぶりだが、空腹は感じなかった。


「あの牢番には、病気の孫がいるんだ。貧しくて、ろくに医者にも診せてやれなかったらしい。痛み止めの薬を調合してやると、すぐにおまえさんが閉じ込められていた牢の扉を開けてくれた」


 老人も逃げた。孫といっしょに、午後の船に乗ったはずだ、とレモは言った。


 ラウロは黒っぽい小瓶を見つめた。牢の外に埋めたのを、物乞いの子供に金をやり、こっそり掘り出させて持ってこさせたのだ。

 レモがパントゥルノの妻のために売った、咳止め薬の瓶にまちがいなかった。


「グリエルモ・パントゥルノは、誰に殺されたかもわからないまま、名士として送られた。息子は、もうすぐ島を離れる。盗人が逃げたとわかっても、たいした騒ぎにはならないだろう」


 織物商が死んだ経緯は、キアラに聞くことができない以上、推測を巡らせるしかない。

 レモから買った毒薬を、彼女は小瓶に混ぜ、奥方に渡す。だが、女はそれをすぐには服用しない。たまたま咳がひどくなっていたパントゥルノが、そうとは知らずに書斎に小瓶を持ち込む。そして倒れる・・・・・・苦悶に歪んだ男の顔を見たとき、キアラは悟る。自分が愛人を殺してしまったことを。


 宿のおかみがやってきて、テーブルにワインの壺を置き、無表情のまま引っ込んだ。

 沈黙のあと、ラウロは言った。


「なぜ助けてくれたんだ。おれは大司教の墓を荒らした。それに、司祭を殺してはいないけど、殴って怪我させたのはおれだ。石棺に閉じ込められなくても、ほうっておけば、いずれ死んでいた。言い逃れはできない。あんたはおれのせいで宿を追い出された。なのに、どうしてさがしてくれたんだ?」


 レモは壺をつかんで、ふたりぶんの酒を注いだ。


「村の農場主に、息子がひとりいた。生意気ながきで、女をつくっちゃ遊んでた。どこぞの娼婦に妙な病気をうつされて、治療が必要だった。

 父親とは、つきあいがあってね。おれは医者が言った薬を出した。薬瓶を間違えたのに気づいたのは、倒れたという知らせを受けたあとだった。彼の息子は恐ろしい苦しみかたをしたらしい。吐かせようとしたが、遅かった。

 それからしばらくして、襲われた。くるべきものがきたと思ったよ。たまたま農夫がふたり通りかかり、父親を取り押さえてくれたから、足だけですんだ。だが、殺されてもよかったんだ」


 宿の外を、行商人の物憂げな呼び声が通り過ぎていく。


「毎日、村の教会へ通い、祈りをささげたよ。だが、目を閉じると見えるんだ、あのがきが」


 酒を飲み干して、レモは腰掛けから立ちあがった。


「人間に、簡単に死なれちゃ困るんだ。そういえば、おまえはあのがきによく似てるよ」


「いつパレルモに出発するんだ。船まで見送りたい」


 振り返った薬種商は笑みを浮かべていた。


「いや、村へ帰るよ」

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