六
「なるほど西洋剣術。珍しいから見世物としては悪くない。だが、そんなひらひらと踊りめいた動きなど、鎧兜さえ叩き割る俺の破現流の敵ではないわ」
「試してみるかい、先生さん?」
長剣を青眼に構えた康之介に対し、蔵人は胸を開いた半身の構え。
「はぁあっ!」
キィン!
甲高い金属音が響いた。
だが、鍔迫り合いにはならない。
蔵人は敵の一撃を素早く払い、受け流しただけだ。
「……ば、馬鹿な……。俺の剛剣が……。あり得んわぁっ!」
叫びと共に、斬撃が繰り出される。
一撃一撃が鉄をも断ち切る重い振り下ろし。
しかしその全てが、まるで虫でも払うような軽やかさで、蔵人の長ドスに弾かれて流されてしまう。
いや、むしろ蔵人が優雅に舞う蝶で、康之介がそれを力で叩き潰そうとするかの如き動きだった。
「なるほど。あんたの太刀筋は悪くない。兜も切れるってのも嘘じゃないんだろう。けどな、そんなのは無駄な力、無意味な技だぜ」
「黙れ!」
蔵人は口調も軽い。
前哨戦の疲れなど、僅かも滲んでいない。
「これも親父の話だがな。西洋でも昔は城持ち国持ち同士が覇を競う戦国時代があって、大槍大鎧の武者同士がぶつかり合ってたんだそうだ」
仰々しい長刀に、冷ややかな視線を向ける。
「……黙れ」
「けど、鉄砲が広まってそんなものは廃れた。代わりに生まれたのは平服のまま街中や長旅の船上で戦うための剣や素手の技よ」
ドスの切っ先が、小刻みに揺れ動く。
「鎧を貫く必要はない。鍔迫り合いも無用。その手の技は、日本じゃ昨今ようやく芽吹いたばかりだが、向こうに百年の蓄積がある」
「黙れぇっ! ただの無宿者如きが、俺の剣を、俺の全てを……愚弄するなぁっ!」
大上段から、康之介の剣が襲う。
ふわりと広がり翻った縞合羽が、切っ先を絡め取る。
鉄を断ち割る剣も、風をはらんだ布は切れない。
剣術の常道にない事態に、康之介の反応が遅れる。
そこへ、蔵人の刃が襲いかかる。
蛇が巻き付くが如く、敵の武器の力を受け流しながら遡る独自の動き。
一瞬の後、紫電の速さで蔵人が飛び退く。
「……うお……ぁっ!」
康之介の呻きは、その後だった。
己の全てと呼んだ長刀を取り落とし、痩身長躯が音を立てて倒れた。ただ、微かな土埃が舞い上がっただけ。
「ああ、そうさ。俺は、無宿者だよ。あんたみたいな侍でも、侍崩れでもない。だから誇りなんてくだらねぇ代物に、押しつぶされたりしねえのさ」
動かぬ康之介を見下ろし、蔵人は呟いた。
そのまま、切っ先を勘兵衛へと向ける。
「ひっ……。た、頼む! い、命だけは……」
腰を抜かし、みっともなく尻で地面をずりずりと擦って後ずさる勘兵衛。
「あんたは火元だが、もう俺に飛ばす火の粉は尽きた。後の始末は、この町の人間に任せるさ」
振り向いてお涼が頷くのを確かめると、蔵人は再び眼帯を着けた。
「その目……綺麗なんだから隠さなくてもいいのに」
お涼が、呟く。
「ありがとうよ。けど、じろじろ見られたり邪推されたりするのが面倒なんでな。こっちの方が煩わしくない」
子を残したくないと言った理由を、お涼は理解した。
左右で異なる色の目は、父と母からそれぞれ受け継いだもの。
気ままな彼にして「煩わしい」と呼ぶ異相が継承されるのを忌避したのだろう。
「本当に、あんたさえよかったらずっとこの町にいてくれても……」
懇願というよりは、ほんの僅かの未練が言わせた言葉。
「言っただろ? 俺は無宿者だ。宿無しだからじゃねえ。この碧い片目以外にゃ宿命もない。だから、無宿者よ」
蔵人は笑い、三度笠と荷物を受け取る。
「親父は西洋から天竺やルソンまで旅をして、日の本までたどり着いたそうだ。俺も、どこまで行けるかはわからねえが、足の向くまま気の向くまま、どこまでも行ってみたいのさ。まずは大坂や江戸。全国巡り尽くしたら、今度はその外だ。蝦夷地、琉球、唐天竺から西洋までな!」
両腕を広げて天を仰ぎ、蔵人は朗らかに宣言した。
閉ざされた日本に踏み込んだ者がいるのだ。
逆におさらばする事だって不可能ではないだろう。
地位も身分も、法の庇護もない。しかし束縛もない。
それが、蔵人にとっての「無宿」の意味だ。
「それじゃあおさらばだ。もう二度と会う事もねえだろうが、達者でな」
振り返りもせず言い残し、縞の合羽を翻して歩き出す。
この時代、まだ「自由」という日本語はない。
福沢諭吉が「Liberty」の訳語として広めるのは、これよりおよそ二〇〇年の後である。
しかし、言葉はなくともその思いを胸に抱き、生きる者はいる。
留まる土地なく、仕える主なく、宿命もない。
(終)
蔵人天下無宿 葛西 伸哉 @kasai_sinya
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