五
翌日は、空一面が煙ったような薄曇りだった。
光は弱いが雨の気配も遠い。そんな曖昧な天気。
まだ朝も早いうちから、お涼の旅籠の前には男たちが集まっていた。
「おや、わざわざそっちからお出ましたぁ、手間が省けたな」
玄関からお涼を伴って現れた蔵人は、縞合羽姿--ただし、三度笠と振分荷物はお涼の手にある。
「てめえがそのまま勝ち逃げしちゃあ、こっちの面目が立たねえんでな。ほれ、もう旅支度済ませてるじゃねえか」
手下を率いる勘兵衛が、挑発する。
「俺の方から殴り込みかけるつもりだったのさ。別に何の義理もねえからこの街を離れたって構わねえんだが、てめえみたいな屑を残しておくと、何日か寝覚めが悪くなるんでな」
「……その程度の理由で、俺とやろうってのか?」
「ああ。ぐっすり眠れてすっきり目覚める。旅暮らしにゃあ大切な事だぜ」
片眉をつり上げる勘兵衛に、蔵人は口元だけで笑う。
「昨日と同じと思うなよ。先生、お願いします!」
呼びかけながら、官兵衛自身は退いた。
群がる
「昨日はいなかったな。あんたが、こいつらの用心棒か?」
「赤岩康之介。浪人だ」
浪人。その一語を特に強める。
主もなく、身を持ち崩してはいるが士分であると誇示するように。
「た、頼んますよ、先生。何しろあいつ、見た事もない技使いますからね」
昨日蔵人にのされ、しかし傷の浅かった
「ならば、まず貴様らがかかっていけ」
「へ?」
康之介の言葉に、破落戸はぽかんと口を開いた。
「見知らぬ技で手強いのなら、貴様らが見本の捨て石になれ」
鞘ごとで
「そ、そんな! あんた、用心棒なんだろ?」
「俺を雇ってるのは勘兵衛の旦那だ。貴様らを大切にする道理などない」
破落戸は泣きそうな顔で振り返るが、勘兵衛は無言で頷くだけだ。
「ははっ! 用心棒の先生も屑で助かったぜ。心置きなくぶっ倒せる」
「ほざけ。勝つためにはあらゆる手を尽くす。それが兵法というものだ。そちらが無手の技でも油断はせん」
康之介は、枯れた声で告げる。
「それじゃあ昨日と同じじゃない。あんたに合わせて剣の腕で、しっかり勝ってやるよ」
宣言すると、蔵人は眼帯を外した。
閉ざしていた瞼が滑らかに開く。
瞳があった。
それも、鮮やかに透き通る碧い瞳が。
「……その目……」
お涼は、息を呑む。
「技を天狗から教わったってのも、親父から学んだってのも、どっちも本当でな。要するに親父が天狗扱いされてたのさ」
「南蛮人って訳か……」
指摘したのは、勘兵衛だ。
三代家光の定めた法により、西洋との交流は厳しく制限されている。
しかし四方が海だ。港はともかく、全ての岸や浜に常に見張りが立っている訳でもない。
漂着や密入国などが絶無かと問われれば、誰にも保証などできない。
「蔵人ってのも、親父がつけた名だ。おかしなもんでな。親父の国でも男にクロードって名前を使うんだとよ」
鞘を、捨てる。
蔵人の構えは、奇妙だった。
右手一本でドスを突き出した半身の構えで、左手は縞合羽の裾をつかんで広げている。胸を開くのは、本邦のいかなる武術の定石にも当てはまらない。
「さて、捨て石の子分ども。用心棒の先生が後から言い訳できねえよう、しっかり試しの相手を務めてもらうぜ」
「こ、このぉっ!」
挑発を受けて、
ひらり!
合羽を翻して敵の視界を惑わし、攻撃を繰り出す。
斬りつけるのではない。
肘の伸縮と手首の返しを巧みに使い、最短の軌道をたどる神速の突き。
手の甲、肩、太股。
瞬時に三箇所を傷つけられ、破落戸は屈みこんだ。
「野郎っ!」
勘兵衛の手下は、蔵人が何をしたのか理解できない。
だから正しく怯える事ができず、闇雲に襲いかかっていく。
三人、四人。
数を増やして取り囲んでも無駄だ。
縞合羽が軽やかに踊る。男たちの刃が蔵人に触れる事はなく、ただ正確な刺突の連撃を受け、即座に倒されていく。
「……な、何だ? その技は……?」
文官崩れとはいえ、元侍だ。勘兵衛には、蔵人の剣術の異様さが理解できた。
「合羽ってのは元々西洋の言葉なんだとよ。国によってカッパとかケェプだとか少し呼び名は変わるが、こんな風に外套を使う剣術もあるって事さ。徒手の
左右色違いの目を細め、蔵人は笑う。
既に、立っている
全員が蔵人の技の前に打ち倒されていた。
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