四
夜--。
夕餉を済ませた蔵人は風呂を使っていた。
熱い湯に裸体を浸し、旅の疲れを洗い流す。
この規模の小さな旅籠には入浴施設がないのが普通だが、ここは老舗という事もあって珍しく小さな湯船が備わっていた。最も、沸かすのは久しぶりという話だったが。
「ん?」
ふと、気配を感じた蔵人は右目を閉じて、振り返る。
「入るよ」
蔵人が返答する前に、お涼が入ってきた。
裸だった。
滑らかで精妙な、曲面の組み合わせ。まだ未熟さを残す膨らみかけの乳房と、適度な張りを持ちながらも細い腰。
真白い肌の中で、頬だけがほんのり
「……何だ?」
「あ、あのさ。よかったら、背中流そうか?」
「不要だ。風呂は、ひとりでゆっくり浸かりたいんでね」
蔵人はあっさりと断る。それでも、お涼は立ち去らない。
「傷でもあるんじゃないかと思ってたけど、そうじゃないんだね。ますますいい男だよ」
風呂場だから、さすがに鍔の眼帯も外している。
ただ閉ざされているだけで、蔵人の顔は綺麗なものだ。
ただ、引き締まった身体には無数の傷跡があった。肩、腕、胸、腿--いずれも古く、そして命に関わるような深手の跡ではない。
修練の中で刻まれたものだというのは、お涼にも推測できた。
蔵人の端整な顔に、拗ねたような困ったような色が滲む。そのまま顔を背けたが、お涼は割り込むように湯船の中に入ってきた。
狭さに押され、自然に身体が密着する。
蔵人の背に、柔らかいものが押し当てられた。
「何のつもりだ?」
静かな声が、問う。
「よかったら……その……抱いておくれよ」
湯以上に熱く、潤んだ声が、後ろから耳に囁きかける。
「色仕掛けならよしな。金でも情でも、用心棒を受けるつもりはねえ。あくまで俺の勝手気ままで動くだけだ」
「そうじゃないよ! あたしが……惚れたって事さ。これは……そう、あたしの勝手気ままだよ」
「生憎だが、それでもお断りだ。抱く気はねえよ」
「
「お前なぁ。そんなのは言われなきゃわかんなかったって」
お涼の告白に、蔵人は苦笑いを浮かべた。
「お前だからって訳じゃない。相手が誰でも、俺は抱かない。万一にも、子が残るような真似はしたくねえのさ」
「無宿渡世の割には真面目なんだね。そんなの、気にしなくていいのに」
お涼の指が筋肉の肩から背中を、そっとなぞった。筋肉に満ち、皮膚がピンと張り詰めた男の身体だった。
「そんな立派な考えじゃねえよ。俺の血を引く子なんてのが、嫌なのさ」
「……あ……」
思い当たり、お涼もそれきり口を噤んだ。
医学の未熟な時代である。
事実以上の病が、親から子に受け継がれると考えられていた。
故郷を離れ無宿になる理由は、罪科だけとは限らない。業病を背負った者が逐われる事もあるのだ。
「いいよ……。あたしは、それでも」
決意を込め、小さな声で告げる。
だが、蔵人はふっと笑った。
「気持ちは嬉しいけどな。多分、あんたの考えてるような
「それならそれでいいよ。気持ちが堅いなら、もう抱いてとは言わない。けどさ。少しだけ……こんな風にしていたい」
蔵人の背に、身体を預ける。肩に、頬を乗せる。
「その程度なら、勝手にしな」
「嬉しいよ。あんたがあたしの、勝手を許してくれて」
勝手--その言葉が蔵人にとって価値あるものだと、お涼も察していた。
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