7.潜入/たった一人の

 その夕方。俺は様々な準備をし終えて、街外れの工場の前で様子を見ていた。

 夕時を示す黄昏は曇天で遮られて見えやしない。初夏だというのに暗いのは、なんというか不思議な気持ちだ。


『薬品工場……じゃないんですよね?』

「あぁ」


 スマートフォンの中のディーアの疑問はネットの情報である。

 この工場は、一般社会では薬品工場という扱いらしい。勿論、その業務は実際に稼働している。嘘を吐くためには多少なりとも建前を見せる必要があるからだ。

 ただメインは違い、実際のところはクローン人間生成の工場だ。

 しかも、様々な人種や生物のクローン製造を実験するものではなく、たった一種のクローンを製造する一点特化式の工場——例えば、ラーメンの会社が一種類しか即席麺を作らないようなものだ。勿論、味も一種類。ラベルも。価格も。

 それは一見してみれば損に感じるだろうが——安定した質というものは、世の中の基準さえ達していれば相応の需要がある。


『ですから、幾つもの戦場を乗り越えてきた兵士の細胞さえあれば、クローン兵士は安泰、と……いうことですよね?』

「そういうことになるな」


 クローン技術の専門家ではないから多少の誤解はあるかもしれないけど、クローン技術を複製技術とするならば、その本質と才能は継承される確率が高い。

 勿論、自我形成は環境の差も出てくるため変動はするだろうが、人間の潜在能力のパラメーヤーはそう大きな変化を生むことはないだろう。

 第一、潜在能力のメーターは人によりけりとナギサは語る。

 才能というのは、言ってしまえばそのメーターの効率が良い事に過ぎない。だから、努力で補うことは当然できるし、天才と呼ばれる人物はメーターの量と効率が非常に良いのだろう。

 そういう意味では——今から行う事は、そんな努力と才能で作り上げられた天才に、凡才が挑むという愚行。決して褒められない自殺行為だ。


『……本当に行くのですか? 危険ですよ……』

「そうであっても、やらないといけない事でもある。法では裁けない。誰もあいつを知らない。なら……少しでも怒りを覚えた自分がやるべきだ」


 結局のところ、スマートフォンから会話しているディーアが指摘している通りで危険なのだ。それを俺の幼稚な理由で無理に通そうとしている。

 しかし——まぁ、自分がいかに凡才であろうとも——世間一般で言う『普通』であったとしても、何かしらに怒りを覚えるのは間違いじゃないはずだ。ここで死のうが、ここで人道から外れようが。

 ——この感情は、俺にとっての最大の武器でもある。


「さぁ、人生初の人殺しを始めようか」


 この決意は、断じて衝動的なものではない。

 そうであるという確信は、今この右手に握られた鉄の感覚が教えてくれた。



     ①②③



 侵入するにあたり、重要なのは自分という存在の価値である。俺はナギサの都合のいい足枷であり、ナギサが俺を救出するために手を出したという事実が証明となる。


『それでは、行ってきます……気をつけてくださいね?』

「あぁ。頼む」


 ディーアがスマートフォンから移動する。俺の目には見えない世界に彼女は生きている。現実が如何に固形物的にも、彼女からすればそれはあってない物。

 工場の管理システムに潜んだ彼女をよそに、俺は俺として活動を開始する。


「…………」


 俺は無防備を晒すように堂々と胸を張り——と思うがそのつもりで薬品工場の玄関を跨いだ。そして当然としてある監視カメラへ目を向ける。

 そしてニヤリと、ピースサインを送って、薬品工場へ向かって走り出す。

 これで一つ目の仕込みは完了だ。


「さて……」


 向こうからすると、してやられたターゲットがわざわざ敵陣へ赴いた状態である。しかも挑発行為を受けて、だ。

 そうとなれば聞こえてくるのは——物騒な軍靴のドラムである。


「頼むぞ……」


 薬品工場の正面口の中で二つ目の仕込みを起動させるために、右肩に左手を触れさせた。


「——やつはどこだ?」


 同じ顔をした男がアサルトライフルを構えながらも玄関へゾロゾロと駆けつけて来た。誰もかれもが首を振っている姿は滑稽だ。

 ——効果は出ている、か。

 スーツの右肩に取り付けた黄色のワッペンに触れつつ、俺は息を潜めて彼らの目の前で立っていた。

 ナギサの関連で、魔術師と交流をした際に頂いた『認識阻害ワッペン』の効力である。一時的に世界からの認識を誤魔化す事ができる、この手のプロの作ったお遊びチープアイテムだ。

 俺は魔術は使えない。だが魔道具と呼ばれる、魔力を持つなら者なら誰でも使えるツールのおかげで、こんな摩訶不思議な現象を引き起こせるのだ。

 ——まぁ、消耗品だけど。

 道具に付与された魔力の量は少なく、見積もっても30分が限界である。

 効力が実証された今、これ以上の時間をかける必要はない。死んだ彼と同じ顔をした別物達の合間を抜けて施設へ侵入する。

 ——ディーアから……施設の内部構造データ。偽りなければ、敵は三階か。

 送られてきた施設図を見やり、俺はその目的地へ向かい走り出す。その目的は——この事件の始まりにして、彼の親。元凶の抹殺なのだから。



     ①②③



「確認しておきたいことがある」


 初夏だというのに暗さが残る窓の光景を背に、人型の影は僕にそう問いを投げかけてくる。


「なんだい、イザ? まさか、この期に及んで協力する気が無くなったは無しだぜ?」

「それはない。なに、端的な好奇心だ」


 人間を観察し己が選択で命を奪う死神は、これから行われるだろう命のやり取りに意味を見出したいのだろう。

 誰かが死ぬ。それゆえに彼は好奇心を抱く。


「100の始まり……イーの名を持つ男は何者だ?」

「古い傭兵だよ。しかし同時に自分の持つ価値を最大に理解している先人でもある」


 叡智の簒奪者ウィズダム・ピラーより得たデータにも種類がある。

 例えば脳髄に刻まれた記憶。

 例えば肉体に宿した経歴。

 であれば、更に踏み込めば遺伝子情報にまで干渉も可能だ。

 それに加えて僕には情報屋という経歴ゆえの情報網がある。これだけの糧があれば、その正体を見つけるのに苦労はない。


「彼はある組織によって仕立てられた超能力兵士、というものだ。元々はどの戦乱でも生き残る完璧な兵士を作る計画だったらしいね。ついでに齢は79歳だ」

「異能を持つ兵士か……確かに当時の戦争体系上、異能の持ち主が一個小隊いればその場の状況は変えられそうだが」

「戦争全てを変えることは無理だろうがね。ただ、その戦況を多少でも良くしようとしたのだろう。問題は、その計画が最初からズレていたことだ」


 自分は当時の人間ではないし、彼らの想いを推し量ることは不可能だ。ただ、世界規模の最悪が終わった後に残されたのは、最悪への禍根と対策を考える思想のはずだ。

 彼の生まれた経緯はきっと、これから起こるであろう戦争でも生き残ることができる、そんな人の生存性を求めるためである。

 人間は戦争を乗り切ることができる。奇しくもそれは日本が見せた高度経済成長と同じ、人間の可能性と成長の願いである。

 だからこそ。


「彼は確かに超能力を有している。しかし、それは戦場では役に立たない——自分と同質の遺伝子を持つ者への『共感能力シンパシー』だ」

「限定的な能力、か」

「前提から間違っていたのさ。大方、家族と交感できる能力に目をつけられたのだろうけど……結果的に、彼は能力もなしに兵士としての道を歩んだ」


 これだけであれば、過去の技術不足が招いた悲劇となるはずだ。ただ、恐ろしいのは目的からはズレたこの兵士が、異様にも戦線を生き残る術を身に着けていたことだ。


「彼は努力の人だ。自身に使える超能力が無い事を受け止め、だからこそ人としての能力を行使して生き延びた。記録によれば、自身を仕立てた組織が無くなった後も――彼は戦い続けたのさ。そういう意味では目的は達成した」


 決して戦争は多かったわけではない。世界規模の戦争は彼の活動時期にはない。

 だが傭兵として転戦し続け、自分の技術のみで生き残ってきた彼はまさしく歴戦の戦士である。


「だが、そんな彼にも傭兵として終わる時が来る。端的に言えば身体を壊したらしくてね。今から十年前に戦線から離脱している。その後の記録は情報網にはないが……まさか、自身のクローンを造っているとは。まさに大器晩成。その使えない能力は真に使える能力へと昇華された」

「なるほど……ではなぜ、お前は狙われたのか。ここまでの話でお前と一の関係性が見出せない」


 イザが心底不思議そうにこちらを見てくるので、彼の気づきの悪さに呆れを覚えるがそれを顔に出さないように努める。


「イザ。人間の関係性なんて一触即発のものだ。例え繋がりが無くとも、自分が関知せずとも関係の糸は紡がれる。加えて、彼は向上心に溢れた老人だ。クローンを作る理由を考えれば、僕とクローンを戦わせる理由は自ずと解る」

「……お前と戦わせ、クローンの経験値にしたのか」

「そゆこと。僕のネームバリューも上がってきたってわけさ。そしてまんまと利用された」


 経験値は共感され蓄積し、クローンのレベルは高まっていく。ネズミ算のように経験値を得る数も増え、その性能の向上は更に高まっていく。

 元の基礎レベルが高いのも厄介だ。ここに戦闘経験、知識が増え続けるのだから最終的には最強の兵士が量産できるようになるわけで。

 イザが渋い顔をしてるのは、そんな人並みに強敵である集団に挑む凡人を想ってこそだろう。


「待て。それなら尚のこと日並 通が危険なのではないか?」

「大丈夫とは思うよ。通君は人並みであって人並みじゃない。彼は僕のことを異常だと言うけど、彼もまた異常さ——なにせ」


 こればかりは僕も感服する。それゆえにそんな彼を応援する。


「彼は、決めた事を最後までしっかりとこなす……そんな、『普通りそう』の人間だからね」


 普通の体現者——日並 通が魅せる、誰かにとっての普通りそうを形にする人間の可能性。

 それこそが僕が彼に惹かれる理由であり、同時に彼を右腕にしている理由。

 普通であり、異常であり、どちらの立ち位置でも存在し得る蝙蝠の如き存在。風見鶏である自分にとって、彼は中途半端で羨ましい存在なのだから。



     ①②③



 若いクローンの兵士と共にその部屋へ入る。白の壁、白の天井、点在する武器の装飾。

 そんなシンプルにして武骨な部屋に、目標はいた。


「——そうか。ならばもう一度探せ。ネズミとて捌けぬではないだろう?」

「はっ!」


 年の差しか変わりがない二人の会話が終わると、若い方の兵士がそそくさと去っていくのが見えた。

 二人きりになった室内。俺は少しの震えが残る右手で拳銃を引き抜き、そっとその銃口をイーに向ける——。

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第三世界のナギサ 紅葉紅葉 @inm01_nagisa

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