6.脇役/普通

 彼が恐らくの元へいる頃。

 僕は悠々自適にコーヒーを飲んでいた。今日は自分で淹れたので砂糖増し増しだ。


「ナギサ」

「なんだい、イザ? 今になって願い事を断るのは無しだぜ?」

「いや、そのことではない。お前に頼まれたことだ。快く引き受けるが……本当に良いのか?」


 同席していた死神のイザが、不思議そうに聞いてくるので一度、コーヒーカップを机に置いて一息を吐いた。


「あの男……日並ひなみとおるはお前と違い、特筆した能力を持たない。お前との関わりがなければ、他の人間に紛れてしまうぐらいに、だ。お前がやつを重要視してるのは良いが、あいつはお前じゃない。もう少しあいつへの配慮が必要だろう」

「おー、かつては人への加減がよく解らずに使い潰しかけたイザが、配慮の二文字を言うようになるとは……使い潰されかけた甲斐があるよ」

「……戯れるな。答えろ」


 どうやら少し琴線に触れたらしく、その声音は更にドスが増す。バスキーボード並だね。

 流石に彼の鎌で首を刎ねられると僕でも死ぬので、少しばかり真剣になって答えてあげよう。


「必要ないよ。というか、彼は自身を卑下しすぎている。彼は普通だが、平凡じゃない」

「異能も、魔法も使えないというのにか?」

「それは、人間が人間以上の力を求めた結果、生まれた異常な能力だ。外付けのハードディスクだよ。パワードスーツとか、銃とか剣とか……それらと同じ。人の枠からはみ出た力さ」

「……何が言いたい?」

「君には難しいだろうから直接答えるけども、通君は何もできない無能じゃないということだよ。あくまで人の範疇に収まってる――逆に言えば、人としては寧ろエリートなのだよ」


 わざとらしくコーヒーカップを持ち上げて、腕を組み悩む素振りを見せるイザの注目を向けさせる。


「いいかい? 人は元来、その肉体を使って文明を築いてきた。脳髄をこねくり回して学を形成した。それらは一切、異常なことではない。それこそが人間の能力であり、基礎に値する――もし彼の本質を名詞で当てはめるなら『普通』なんだ。人類が二千年を超えても形成してきた、時代に沿った平均値を表した形。日常のルールに並行してまかり通る、人間の願望が定めた理想値だ」


 逆に言えば、誰もが最低でもそこに至りたいと焦がれるラインだ。普通、だなんて簡単に言うが、それは酷く曖昧で判別がつかない。

 今でこそ人身売買や奴隷制度は悪法とされるけど、人類史からすればそれが定まったのは近年だ。それが『普通』だった。それと同じ。


「まぁ、人によって価値観は違うから『普通』の定義も変わってくる。トマトが嫌いな人にとって、トマトを食べることは普通じゃないし、好きな人にとってそんな人は普通じゃない。嫌だよねー、人間は根源的に差が生まれてる。これじゃ平和は訪れないわけだよ」

「日、並、通、か……以前お前が言っていた、名は体を表すとはまさにその通りらしいな」

「ひどいよね? 僕の風見鶏かざみどりという名前だって、時代の風を誘い見守る、という観測者を示す名前なんだよ? ほんと、嫌になっちゃうよ」


 ……まぁ、これに関してはどうにかなってるのでこれ以上の言及は不要だ。

 名は体を表すけど、それは絶対的なものじゃない。体を表しているに過ぎないのだから、上辺だけだ。

 決して本質を、中身を示してるわけじゃない。


「通君の『普通』の振幅は、定める対象によって変わる。今はどうやら僕の『普通』の定義が基準になってくれているらしい。さて問題だ。僕の性格は、人を酷使して自身は楽をするという奴隷制度における主人に近しいと自尊してるんだけど、そのような人間が求める『普通』とは何か?」

「……なるほど。自分よりは確実に下であり、従順であり、されど無能であらず……か」

「そういうこと」


 厳密には、それだけではない――認めたくはないけど、彼はある意味では自身の願う理想の体現者でもある。

 異常が常となる僕にとって、彼は自身が夢抱く『普通』を歩む存在だ。自分が永遠に享受できない、そんな幻想の形。

 だからこそ、僕は彼を隣に置く。僕の『普通』の基準が適しているから、だけじゃない。幸福を諦めた人間の瞳に映る別の幸福は、嫉妬や羨み以上に慈しみを覚えるのだ。


「だが、彼はその『普通』を逸脱した行動をとろうとしている。僕はそれを応援したい」

「なぜだ? 『普通』を逸脱するならば、お前にとっては扱いきれない部分も出てくるはずだ。なのになぜ望む?」


 イザは心底想像がつかないようで、僕を訝しんだ瞳を向けてくる。

 仕方がないことだ。死神は人間よりも上位の存在だから、人間のその辺りのロマンを理解するのは難しいだろう。

 彼が最初期に配分を違えて僕を酷使したのだって、結局は自分の『普通』に従ったに過ぎない。『普通』とは、結局は他者に求める最低理想値なのだから。


「だって、銀河鉄道がレールの上を走るより、空を走る方が夢があるでしょ?」


 現実に即した『普通』が、異常に冒されて『普通』を逸脱するなんて、夢があるに決まっている。

 それが人生を縛る運命のレールから逸脱するなんて、最高のエンターテイメントだ。いいじゃないか、悪が正義を成すように味のある物語になるだろう。


「だからこそ、君に頼んでるんだよ。生憎と、人間ってのは精神の適応能力は高いくせに、肉体の適応能力は低いんだ。僕みたいに二十年も変化してきたら、そりゃ銃弾を躱したり、狙撃のサイトを目視することもできるけど……彼は変化を始めたばかりのヒヨコだ。だからこそ見守ってほしい」

「納得し、了解した。しかし、ナギサ……お前、存外に愛が伝わりづらいな。道理でプロポーズするのに二十年かかったわけだ」

「それは今関係ないだろ!?」


 すごーく痛い点を突かれた。通君よりも関係が長いからなぁ……こう、僕の本質を皮肉とかに使われるのはダメージがでかい。

 とまぁ、これが裏方に回った主役の役目というわけだ。このことは彼には伝わることはないだろうけど、舞台裏だってこうやって回っているのさ。

 そして――ここでは虚栄を張るために、彼を都合の良い奴隷として扱ったが、真実を語ろう。

 彼は、都合のいい相棒だ。自分を最大に理解してくれるし、理解しようとしてくれる。だから気兼ねなく僕らしく振る舞えるし、僕は主役としてスポットライトの下にいられる。

 主役だけの舞台より、脇役が輝く舞台の方が面白いように。ならばこそ、脇役と主役が役割を交換しても、また一つの輝きに見えるだろう。

 言葉にするつもりはない。だからこそ心の内でこう囁こう――頑張れよ、通君。

 新人類だろうが、クローン人間だろうが、人間である限り、人は一人で立つことさえままならないのだから。

 そういう意味でも、僕と君は人類の在り方に似ているんだからね。

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