5.分岐/異常へ歩む
「不服そうだね」
事務所に戻り、俺の淹れたコーヒーを口を含んだナギサはそう語る。
その服は新たなシャツに変わっており、先程まで殺人をしていたとは思えないほど清々しい装いだ。それが尚更、なぜか胸が痛い。
「なぜそう思うんですか」
「味が悪いよ、味が。それに、砂糖が入ってない」
「それは意図的です……どう悪いんですか」
「あれだね。しょっぱい」
……涙など出していない。
それでも料理という物は製作者の想いが反映しやすい厄介なものだ。自分が無自覚と思い込んでいることでさえ、簡単に露わにする。
たとえそれが、コーヒーを淹れるという単純な作業でも。
「……ナギサ」
俺は、あえて彼をそう呼ぶ。
社会人になるにあたり、俺は彼を尊敬する先輩だけでなく、彼に心を許す友人としての一面を持つようになった。
だからこそこれは、自分の中の本心を、彼への疑念を問い質す
「なぜ殺したんだ? あいつは生きようとしていた。クローン人間という道具ではなくなっていた」
「じゃあ逆に問おう。なぜ生かそうと思うのか。考えてみてよ通君。君は、拉致されたんだ。君が彼に、想いを寄せる必要はない」
「俺はあいつと対話した。あいつは望みを持った。あんただって解っているだろう」
「解っているよ。君はやはり優しいね。銃口を向けられても、その後が良ければ許してしまえるんだ」
ナギサは見透かすように俺を語る。大きなお世話だ。
「あの時、殺す必要はなかった」
「君にはね。でも、僕にはある。大事な右腕を傷物にされるところだったんだ。たとえ君が許しても、僕は許さない」
「……あんたはそうやって、機械のように物事をこなすんだな」
「それが僕の役目だ。始末屋ってそんなものだよ」
ギリッと、自分の歯が音を鳴らしたのが耳に届いた。
知ってはいた。この男は自分の行いを絶対に正しいと断じ、人の感情、思想を考慮に入れない人間だ。それでも、少しでも人情はあると思っていたのだ。
「彼は役割を果たした。クローンとして、傭兵として。彼の選択は愚弄できない。だから僕は人間を殺す剣ではなく、生命を刈る鎌を使った。僕なりの敬愛を込めてね」
「……敬愛?」
「死とは、生きるものが得られる終わりである――その死を、せめて僕の手でしたくなったのさ」
これ以上、この男と会話をしていると頭が痛くなる。
俺は痙攣する右腕を汚れたスーツのポケットに忍ばせて、彼に背を向けようとし――
「――そうだ。これとこれ、あとこれを君に渡しておくよ」
そう言ったナギサの声で、動きを止めた。
ナギサが自分の机に置いていたのは三つの文明の機器。一つは翡翠色のスマートフォン。一つは黒と青色のUSBメモリ。一つは黒い拳銃。
「ディーアが君の声が聞きたいらしいからね。あとUSBメモリは、ピラーで吸い取ったデータだからレポート製作に役立つだろう。この拳銃は……選別だ」
先二つの言葉の意味は理解できる。ディーアは自分に懐いているから解るし、USBメモリはナギサの振るう
だが拳銃――
「コルト・ガバメント。銃弾もほとんど入っている。今回の一件もあるから、護身用で持っていた方が良い。あと僕はこれ以上、この一件に関わるつもりはないから。
芝居がかったような言葉を言い放って、ナギサはツンとそっぽを向いて俺の視線から表情を隠した。
何か企んでいるか、それとも――と考えるが、どちらにせよこの心臓に沸き立つ熱を冷やす必要がある。そのためにはナギサは必要がない。
それらを受け取って俺は事務所をあとにする。その黒の拳銃だけ、僅かにだが熱が残っているような気がした。
①②③
翌日。天気予報を確認し、夕方から雨が降り始めることを確認する。梅雨だ。
俺は正午の間に借りているアパートの一室から出て、途中で幾つか物を購入し、ある場所へ向かう。
「よう。半日ぶりか」
廃工場の奥。半日前にはここで縛られて座らせていた場所へ眠る、数時間だけの男の居場所へ。
死体はない。ナギサが懇意にしている
――あくまで陰陽道の知識なのだが。
魂の概念は見かた次第では解釈が変わる。魔法であれば魂は魔力の心臓と言われるし、キューブであれば素材にされている。
言ってしまえば――ここから先は独り言だ。
「……約束の物を買ってきた。飲むだろ?」
傭兵が最後に沈んだ場所へ、買ってきた缶コーヒーとタバコの箱を供える。
「俺とすれば、是非とも俺特製のコーヒーを持って来たかったんだが……今、少し事務所に戻る勇気がなくてな。悪い。代わりに俺のおすすめのブランドの缶コーヒーを購入した。130円と少しお高めだが、いい味してるぞ?」
答えはない。
死ぬというのはそういう物だって、ナギサの横でいたら否が応でも知ってしまっていた。
幼い頃に飼っていた犬の死なんて、有象無象の中の一つでしかないように、100の死もこの世界の砂粒と同じ矮小なものなのだろう。
「あとこれ……お前が吸っていたタバコのメーカーの物だと思うが、買ってきた。美味しいと言っていたし、お前の言葉を信じて吸ってみる」
水色の箱から白色の紙の筒を取り出して口に咥える。この感覚は嫌いじゃない。子が授乳する際に使う感覚、というのはこれに近しいのかもしれない。
ライターで先端を焼き、火を灯したそれを口に咥えてみる。
「ぅっ……ケホッ、カハッ!」
想像通り、気管に煙が入り込みむせる。
この学生時代の消防訓練を思い出す感覚は嫌いだ。もしくは墓の煙を吸うような、少なくとも呼吸器官に砂が混じるような息苦しさが。
「はぁ……くそ」
ーー大人になれば吸えると思っていたんだがなぁ。
ーー結局、どこまでも自分は自分のままなのだ。
だからこそ、この経験は自分にとって有意義であると信じる。
「やはり、俺には早かったらしい……でも、この咥える感覚は好きだ。それだけは、覚えておくよ」
火のついたタバコを吐き捨てて、それを踏みつぶし鎮火する。燻る煙がせめて彼の魂を連れて行ってくれることを信じる。
弔いの儀は終わり、もう一本だけタバコを取り出して他は全て100に譲る。残された一本を人差し指と中指で挟み口へ。火はいらない。
「これはもらっていく。正直、使いたくはないが……やると決めたから。それなら、お前の使っていた武器のほうが気分がいい」
腰にあるベルトのホルダーに仕舞った、一発だけ排出された黒の拳銃を軽く触れ、傭兵の形見を頂戴する。
ナギサからもらったUSBメモリに眠っていた、この一件の全てを閲覧した。黒幕も、100という生存し続けたクローンのことも、愛用していたタバコのメーカーも何もかもを。
ナギサはこれ以上、この一件には手を出さないと宣言をした。それは即ち――
「じゃあ、行くよ。また、ここへ戻ってくるさ」
心残しを呟いて、彼のいた場所をあとにする。
時刻は午後の三時。雲行きも怪しくなっている。それが今は、好都合だった。
風に水気が含まれる初夏。俺はまた一歩、異常へ近づくために歩みを進める。
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