4.戦闘/命をカける
一般人である俺の視点でその駆け引きを追えるのは、彼らの体面だけだ。
感情はなく、浮かぶ表情でその心を読み取るしかない。
だから、きっとナギサはこの戦いを愉しみ、
生きる――それだけのために。
「――シッ!」
最初に動いたのはナギサだ。
廃工場の床に落ちた歴年の埃が多少舞う。
右手に握られる得物――光の質量と熱量を纏った万物を裂く剣を振り上げながら、前方へ跳躍。遠心力と重力を持って必殺の一撃を繰り出さんとする。
そこにあるのは、絶対的な愛剣への信頼と確証する結末。対峙するナイフを切り裂けるという、先の戦いで知ったであろう事実だ。
「…………」
しかし無言。それにして不動。
対峙すべき100は動きを見せない。依然として左手でナイフを握りしめ、受け止めようとする態勢。
――死ぬつもりなのか。
そう思えるぐらいに慎重に、彼はナイフを前に出す。
「――サッ!!」
慢心もなく、油断もない。一撃をもとに、傭兵を殺さんとする簒奪の刃。
それがナイフを切り裂いた瞬間に、100は動く――
「――ッ!」
ナイフは力を失う。それは質量を持った青銅の剣によるものではなく、使用者が手放したからだ。
刃が交差する瞬間に、100は左手に握られたナイフを放棄し自由になる。
そのような行動を余地などできず、ナギサはもはや攻撃性を失った短刀を無意味に切り裂き、ほんの数秒の隙を見せる。
忘れてはならない。
ナギサが傭兵との戦闘で経験値を積んだように、100もまたナギサへの経験値を積んでいることを。
「ハァッ!!」
振り降ろされた剣を振り上げようと、ナギサは躍起になるだろう。
剣を信じるばかりに忘れる、それを捨てるという選択。キューブの弱点である、オンリーワンである特徴も重なり、ナギサは攻撃の継続を選択せざる負えない。
その選択肢の中に、100の右手が活きる。握られた拳銃。添えられた人差し指。
「グッ――!?」
ゆえに、その一撃は通る。
銃撃の可能性はナギサに警戒を与える。止める手段はある。だが、それが音を発する瞬間を認識しないとならない。
意識は二分割され、剣を持つ右手は100の自由になった左手による掌打を諸に受けた。
強引に自由になる右手。弾き飛ばされた簒奪者の剣はその形を奪われ、元の立方体の姿に戻り、廃工場の床に転がり落ちる。
「シィッ!!」
勢いは止まらない。加速する反撃の熱に終わりはない。
掌打により跳躍が後方に向いたナギサに対し、100は前進しつつも右手の拳銃で殴り掛かる。
近接戦闘。肉体に接着した銃弾を、止める術をナギサは持たない。
異能とは認識。認識には時間を有する。
であれば、認識する時間の猶予を与えない距離で撃てば、ナギサを殺すことは――可能。
「――ッ!!」
しかし、引き鉄は引かれない。
元より引き鉄に指はかかっておらず、グリップだけを強く握りしめられていた。
銃口を中心に胸を全力で殴られたナギサは、先程の掌打の勢いと共に後方へ吹き飛ばされて柱へ背中から激突する。
「ナギサッ!?」
「イテテテテ……あー、大丈夫だよ
ナギサは腰を手で叩きながら笑みを浮かべる。恐ろしい話、そこに強がりなどない。
あれは本当に楽しんでいるのだ。
「しかしナンセンスだ……撃てばよかったじゃん。もしかしたら、仕留められたかもよ?」
「……必要はない。お前のことだ、とっくの前に音を掴んでいるだろう」
「イエス! ご名答だね。そ、最初の君のおかげで音は掴んでいる。一か八かになるけど、たぶんその銃は使えなくなっていたと思うよ」
ふざけた言い回しだが、これでもナギサは100の行動を褒めている。
同時に脅しだ。ナギサの言い方はハッタリのようにも聞こえるし、逆に真実を語っているようにも聞こえる。
曲を知っていれば、イントロでその曲を理解できるように。一度聞いた銃声は、しばらくは忘れない。あとは反射神経。一か八かは、まさにそこだろう。
「そうか。そうであれば……まだこの銃には利用価値がある」
「それが君の回答か。よろしい。生に縋れよ人間初心者。君の右手に持つ物は、命を奪い命を確保する手段だ。それを捨てないのであれば、君は人間として真っ当だよ」
逆に言えば、命を奪う手段を弾かれたナギサは真っ当ではない。
……いや、だからこそ異常者なのだ。人は自分の命のために武器を持つ。自分の使命のために武器を持つ。自分のために武器を持つ。
ナギサが武器を再び持つ時こそ、彼が100と同じ土俵に立つ瞬間。次の交錯が、恐らく最後の駆け引き――
「――ハッ!!」
先に仕掛けるのは、ナギサだ。白髪の下の樹海の瞳が100を完全に捉えている。
しかし両手に武器は無い。一方で100は右手に拳銃がある。脅しがあるといえ、それ自体が武器であることには変わりない。
傭兵の右腕が上げられる。方向はナギサの頭部。真っ直ぐに迫ってくる目標ゆえ、狙いは正確。問題は……指を折るか否か。
同時にナギサの右腕が上げられる。銃口を抑えるように。手を開いて、招くように。
「……ッ!」
100の息の音が聞こえた。あぁ、同じタイミングで俺の驚きの籠った息も吐き出される。
忘れていたつもりはない。ただ、それをナギサが使用するとは思っていなかった。
風見鶏ナギサの流儀。それは相手に合わせた能力の使用を制限すること。勿論それは自身の負担を軽くするためもあるが、それ以上に戦闘行為に独特な敬意を持つ。
――曰く、命の駆け引きとは競り合うから輝くのだと。
「イザよ――」
だからこそ、
伸ばされた右腕。
言葉が紡がれ――同時にランプに照らされた影が湧き立ち、それは彼の右腕に集まっていく。練られ荒ぶる風のように、それは細く形状を整える。
形は成された。白き姿だから目立つそれは、形容するならば、きっと、死神の鎌が最も相応しい。
「クッ――!?」
咄嗟に生まれたそれに、100の表情がやっと歪む。
鎌は鎌だが、その大きさはナギサの背丈と同じぐらいに大きい。人間等身大の影の大鎌を前に、右手の指に力が入る。恐怖ゆえの震えか、好機を感じてからの緊張か。
それでも――もう終わりだ。
「薙げッ!!」
ナギサの声を掻き消すように銃声が響いた。キィンと脳髄に銃声が響き、俺は歯を噛みながらもその交錯の行く末をこの目で見終える。
時が止まっていた。ナギサの影の大鎌は100の腰の後ろにある。主人が重心を捻るだけで、その刃は嬉々として血液のシャワーを楽しむだろう。
一方で、100の銃撃は確かにナギサを捉えていたはずだ。しかしナギサの身体に傷はない。
「避けた――か」
「君は生きるために戦っている。相打ちではなく、勝つために銃弾を放った……僕はそれを信じただけだ」
ナギサが無理矢理に笑みを浮かべた。
生物を殺す手段は数あれど、迫り来る敵を必殺する方法は少ない。心臓は内臓のため判別が難しく、首も狙い撃つには的が小さい。
だからこそ、100は選んだ。生物が露出させる弱点を。
しかし、敵対者の表情は笑みしか刻まれることはない。そこに傷などなかった。
「とんだ男だ……予測が的中したとは言え、銃弾を肉体運動だけで躱すとはな」
「僕とて四十もの君を殺したからね……あぁそれでも君だけだったよ、僕に手傷を負わせたの。それを免じて遺言を言ってもいいよ」
死刑宣告に近しい言葉をナギサが放ち、100は少しばかり黙る。
「……あの男のコーヒーは、美味いのか?」
「あぁ。僕が保証しよう」
「そうか、それは……残念だ」
視線だけが俺に向けられていた。名残惜しく残す遺言は、きっと彼の本音であったのだろう。
傭兵でも、複製でもない、人間としての原始的な欲求を露わにして――
「さようならだ」
白地のTシャツに鮮血が飛び跳ねる。
目の前で人が死ぬのはこれが初めてではない。でもその光景だけはジリジリと目に刻まれる。
幼き日の悲しみなど、とうにそれに塗り潰されていた。
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