scene:04 崩れゆく時間(その2)
一方、仲村マリナは星空に君臨していた。
少なくともマリナ自身の認識ではそういうことになっている。
――正確な表現を期すなら、飛空式で空を舞う魔導士、アトロ・パルカに襟首を
その状態で仲村マリナは胸の前で腕を組み、胸を張って堂々と正面を見据えているのだった。
しかし襟首を
ナメられたら終わり――その言葉が骨の髄まで染みこんでいるマリナとしては根源的な忌避感がある。
――何か良い方法は無いか。
そう考えた末の〝仁王立ち〟であった。
実際にどう見えるかは別として、マリナ自身はそれなりに威厳は守られたと考えていた。
故に、マリナは自身を運ぶ魔導士へ、あくまで対等な立場を強調するよう自然に話しかける。
「あとどれくらいでしょうか?」
「すぐだ!」アトロが
「撃ち落とされたりしませんか?」
「向こうのロジャーとかいうのに念話を飛ばしてある。そもそも
「
「……貴様、今ここで手を離しても良いのだぞ?」
「冗談です。それくらい察してください」
「
「あらあら」とケイトが
騎士というからには、修道服の下に剣でも隠しているのかと思ったが、それはあくまで立場だという。〔教会〕が教義を守るために保有する暴力装置――それが自分だと、ケイトは語った。
つまり彼女は剣ではなく、召喚した〝バケモノ〟で役割を果たすということだ。
マリナの解釈を聞いたケイトは「違いますぅ、棲獣ですぅ」と口をすぼめて不満そうだったが。
しかし、とマリナは横目で馬面のコウモリを見やる。
イカのバケモンもそうだが、コイツも夢に出てきそうな外見だ。聖職者なら天使でも召喚すればいいだろう。何を思ってこんな
――カナリアでも召喚してくれれば
「なに? はっきり申せ!」
唐突に張りあげられたアトロの声に、
「どうかなさいましたか?」
「航天船からの念話だ。しかし要領を得ん。何ぞ厄介ごとらしいが……」
「厄介ごと?」
「あそこ、何か飛んでませんか~?」
ケイトが指差した先には巨大な鳥の影がある。鳥の影は言うまでもなく航天船だ。
――だが、その周囲で月明かりを反射して
よくよく見れば、航天船の周囲を縦横無尽に飛び回る光は、町へ火や雷撃を放っている。
つまり――
「魔導士か――いやアレは、」
「そこの魔導士、止まれ!」
頭上から浴びせかけられる制止の言葉。
途端、上空から飛来した
天馬の背には藍染めの
――騎士だ。
マリナはスカートの両裾をつまんで
そんなマリナの態度には見向きもせず、騎士はアトロへ
「我は月光騎士団、団長アラン・ビスマルカ・マッケインである。
――貴様、どこの魔導士だ」
「シュラクシアーナでありますっ」
アランと名乗った騎士の
恐らく事前に答えを用意していたのだろう。若干、緊張しているのは気になるが、騎士がそれに気づいた様子はない。
「我が主、リーゼ・ヘルメシア・シュラクシアーナ・マイトナー子爵へ危急の連絡がございます。通して頂きたい」
「それはこの
アランは担いでいた
その先には、〔爆裂式〕で地上を焼き払う魔導士と、同じ様に何らかの〔固有式〕で
「然様にございます」
「よかろう」アランは
「〔教会〕の人間であります」
「〔教会〕ぃ……?」
「誠に申し訳ありませんが、我々は詳細についての回答する権限を持ちません。
子細は我が主へ、どうか」
〔教会〕の単語を聞いた途端に眉をひそめたアランへ、アトロは即座に言葉を
アランは「なるほど」と、つまらなさそうに口角を上げ、三人を流し見る。
その沈黙はシュラクシアーナ子爵の使いに手を出すデメリットを計算しているのかもしれない。仮面をした魔導士に、
だが王室枢密院顧問官に籍を置くというシュラクシアーナに
貴族たちが王政府を脅威に感じていないのは、この短い間に見聞きした限りでも明らかだ。
――だが同時に『王の権威そのものは有用だ』と考えてもいる節がある。
つまり彼は今、他の貴族から王政府への反逆を大義名分にして責め立てられる可能性を危惧しているのだろう。
長い沈黙ののち、アランは
「
◆ ◆ ◆ ◆
「来たか」
中央管制室――天球の座では既にリーゼが待ち構えていた。
金仮面の下に表情を隠し、玉座で謁見に応じる王族のように船長席へ腰掛けている。膝をつき、臣下の礼をとるアトロやマリナを泰然と受け止める姿に、普段の子供らしさは
――いや、こちらこそが普段の彼女なのか。
時々忘れてしまうが、これでもコイツは一つの家を束ねる〝貴族の長〟なのだ。
「アラン騎士団長殿」
〔
「
「我は職務を果たしたまで。――されど厚意を
「ただ、申し訳ないが先に我が従僕からの報告を聞いておきたい。
「承知。――されど我も辺境警備の任を担う者。事情の把握のため同席させて頂きたく」
「構わぬ」
仮面から唯一覗いている口元だけで会釈し、リーゼはマリナたち三人に問う。
「何があった?」
「皇帝陛下とバラスタイン辺境伯が誘拐されました」
アトロの言葉に、騎士アランの
詰問するような視線がリーゼへ飛ぶ。が、リーゼはそれを無視して続きを促した。
「……それは既に聞いた。状況を説明してくれ。
「まさしく。――ですが回廊へと転移する際、皇帝陛下と辺境伯のみが転移し我々は取り残されたのです」
「二人だけが転移――?
なら〔門〕か〔鍵〕に何らかの細工があったと?」
「ご賢察の通りにございます。人為的な細工の痕跡がありました」
「下手人の目星は?」
「皆目見当もつきませぬ」
アトロの意識が、その隣でひざまずくマリナへ向けられたのが分かった。
こいつ二百年も生きてて
目の前で貴族然と胸を張る十歳を見倣って欲しい。
そんなマリナの
「下手人は門を細工することで、お二人を自身の望む場所へと転移させて誘拐を図ったのでしょう」
「何の為に?」
「申し訳ありません。そこまでは……」
アトロは伏せていた顔を上げ「ですが!」と声を張りあげた。
「このままでは帝国と王国の戦争の火種になりかねません。
すぐさま出口を見つけ出し、誘拐犯からお二人をお救いする必要がありましょう」
「アラン騎士団長殿」
リーゼは騎士へと金仮面を向けた。
仮面越しでも伝わってくる、相手を
「王室枢密院顧問官としてお頼み申し上げる。この件、どうか内密に願いたい。
――理由は言わずともよろしいな?」
「承知」
アランは神妙な面持ちでリーゼの言葉に応じる。
〝王室枢密院〟という立場を強調されては是非も無いのだろう。
たった今、リーゼの言葉は王政府、ひいては王室の言葉となったからだ。
王国の政治的内情はともかく、表向きは肯定以外の選択肢は無いはずだ。
それでもリーゼは船長席から立ち「かたじけない。アラン騎士団長の働きは、しかと陛下へとお伝えしよう」と大きく
「後ほど詳細をお話しいたす。――誰かアラン殿を客間へご案内しろ」
◆ ◆ ◆ ◆
「後ほど我が主が参ります。
「うむ」
航天船の客間。
月光騎士団団長――アラン・ビスマルカ・マッケインは
「お食事もご用意いたしますか?」
「いらぬ。子爵が来るまで一人にしてくれ」
すげない言葉に、従僕は黙礼と共に部屋を後にする。
背後に扉が閉められる音を聞き、アランはひと息をついた。従僕の
それとなく客間を見回す。
居住空間が限られているであろう航天船においても、その一室は貴族を迎えるに
アランは僅かばかり劣等感を刺激され、自分を
とはいえアラン自身も男爵位を
つまりこの差は、地方貴族と宮廷貴族の差ということである。
不愉快だな、生まれの差というものは。
誰も見ていないのを良いことにアランは紅茶を一気に飲み干し、その勢いのまま〔
――魔導式による盗聴を防ぐためである。
アランは
『いかがなさいましたか、若様』
「む……?」
応えた月光騎士団魔導士の『若様』という言葉に引っかかる。
確かに、アランが家督を継承したのは最近のことであり、それまでは『若様』と呼ばれていた。しかし既に爵位を継承した身。爵位で呼ばぬなら『御館様』『団長殿』と呼ぶべきである。
まあ、たかだか〔士族〕でしかない魔導士に期待しても仕方が無い。
それに今はそんな細かい事を気にしている場合ではないのだ。
アランは「若様はやめろ。団長と呼べ」と軽く注意して本題に入る。
「至急、家へ念話を
『航天船で何かございましたか?』
「ああ、皇帝が誘拐されたそうだ」
『皇帝……? 皇帝――! 皇帝というのはまさか』
「そうだ。憎きルシャワールの平民皇帝だよ」
アランは自身が手に入れた情報に改めて身を震わせる。
マッケイン家はアランを含めてとある派閥に属していた。
派閥筆頭はエッドフォード伯爵家。
――いわゆる〝開戦派〟と呼ばれる一団である。
「どうやら海路で王都へ向かうというのはガセだったらしい。
王家秘蔵のアイホルト回廊の入り口がこんな田舎町にあったとはな」
開戦派は宮廷内に潜む者達から『皇帝はガラン大公の護衛を受けて海路で王都へ向かう』という情報を得ていた。現在、派閥内では海路を進む帝国の船団を襲撃すべきか否か議論が交わされているはずである。
だがもし、皇帝が秘密裏にアイホルト回廊を抜けようとしていたという事が本当ならば、話は大きく変わる。
ましてや何者かに誘拐されたとなれば――
「皇帝が誘拐された事実をエッドフォード伯の耳に入れておけ。
アランはその角張った
まったく開戦派の誰かは知らんが、
開戦派の内情は一枚岩とは言いがたい。領地拡大を狙う旧来の大貴族、硬直した権力体制の変革を望む新興貴族、戦乱に乗じて領地獲得を狙う騎士侯の一団――そういった主義主張の異なる貴族達が『戦争の再開』という利害の一致から手を結んでいるだけなのだ。
当然、派閥内での足の引っ張り合いなど日常茶飯事。
皇帝誘拐が派閥内に秘して行われたとなれば、何者かが派閥内の勢力図を変えようと画策した可能性がある。
期せずして得たこの情報。
誰に伝えるかで派閥の、ひいてはアラン自身の未来が変わる。
そしてアランは、その相手にエッドフォード伯を選択した。
伯の敵対勢力が画策したものであれば、この情報で伯の信頼を得られるだろう。仮に皇帝誘拐が伯の手によるものだったとしても『他の貴族へ情報が漏れぬよう取り計らった』と恩を売ることもできる。多少の問題があったとはいえ、
いや、何もエッドフォード伯に重用される必要も無いのだ。
開戦さえすれば、幾らでも栄達の機会は転がっていよう。
アランはおもむろに立ち上がり大鏡へと近づく。
鏡に映る〝男爵〟の姿。
大貴族たちが決めた法により、辺境の警備で生涯を使い潰すことが決まっている自分の姿。我が子らにも同じ人生しか用意できぬ
そんな運命、断じて許容するものか。
誰のどんな意図で
そしていつかは、この航天船すらも――
客間の大鏡には、アランの不敵な笑みが映し出されている。
◆ ◆ ◆ ◆
「ひとまず、彼は満足したようですね」
その声は、航天船中央管制室〔天球の座〕に白々しく響いた。
声を発した主――ロジャー・シュラクシアーナ・ベーコンは軽く手を振って、天球に映し出されたアラン騎士団長の映像を消させる。
映像は、客間にある
別室にいる魔導士が念話の応用で映し出しているそうだ。騎士アランの魔導干渉域は部屋の内側にのみ展開されている為、部屋の外側から難なく
マリナからすれば古典的な方法だが、
問題は別のところにある。
「あのまま情報を漏らしてよろしいのですか?」
「漏れない」
断定。
船長席に腰掛けるリーゼがマリナ達の背後にある一室を指し示す。
「アラン騎士団長が話しているのは
彼が飛ばしている念話に介入し、こちらの回線に
「よく気づかれませんね」
「〔開戦派〕の騎士は自分たちだけで戦える気でいる……。魔導士の顔や名前なんて覚えていない。――もちろん、互角の戦争をした事のある貴族は別だけどな」
「戦いを知らないからこそ戦いたがる、という事ですね」
リーゼの怒りとも
――が、すぐに『慢心だなこれは』と自身を戒めた。
騎士たちが味方との連携すら軽視しているのは、連携が必要とされるような場面が無かったという事だろう。『戦いを知らない』と評したが、王国の歴史を聞く限り、周辺諸国との小競り合い程度は幾らでもあった。それでもこんな稚拙な手に引っかかるという事は、多少の策は軽く蹴散らせるほどの圧倒的な強さがあるということでもあるのだ。
「とはいえ明日には気づかれる。
リゼが――、じゃなくて。我が足止めするにも限界がある」
「別にぃ、いいんじゃないですかぁ~?」
リーゼの言葉にケイトが応える。
「明日の朝にはぁ、結果はでちゃってるわけですし~」
どこか楽しそうな声。
隣に立つアトロが
だがマリナはむしろ、ケイトの微笑みには好感を覚えていた。
絶望的な状況を嘆くだけの人間は害悪だ。
なぜならその悲観的な感情を他者に伝染させ、味方の能力を著しく制限してしまう。エリザの救出を第一に考えているマリナからすれば、そんな人間は障害以外の何物でもない。思わず
状況が悪ければ悪いほど、まずは笑うべきなのだ。
しかし、分かっていてもそう簡単にいかないのが人間というもの。
マリナの隣で俯き、考え込んでいる男がそう。
ロジャーと呼ばれている金仮面の一人だ。
「しかし、皇帝陛下と辺境伯が
この事実が王国に漏れても、帝国に漏れても戦争は免れません。下手をすれば連邦を含めた三国間の戦争にも成り得る……。先ほどの芝居も、私から提案させて頂いた事ではありますが、本当に騙し切れているのか。あの騎士の行動も、実は監視を承知した上でのブラフで本当は――」
「ロジャー・シュラクシアーナ・ベーコン」
見かねたマリナが止めるよりも早く、
声の主であるリーゼは、ロジャーのそれと同じ金仮面をコツコツと指で叩いてみせる。
「思い出せ。
我らシュラクシアーナは悩める者ではない。思考し、前へ進む者だ。
それを教えてくれたのは貴様だぞ? ロジャー」
「……お見苦しいところをお見せしました」
深々と腰を折るロジャーに頷きを返し、リーゼは艦長席から飛び降りる。
――その際、わずかに手が震えていたのをマリナは見逃さなかった。
そうだ。
エリザが
今だって、内心穏やかではないはずだ。それでも動揺を見せないのは、この場に〔帝国〕の魔導士と、〔教会〕の棲洞騎士がいるからだろう。かつて〔王国〕と戦った二つの勢力を前に、弱みを見せることは許されまい。
マリナはかつて〔ニッポン防衛戦線〕で強要された数々の任務を思い出す。
『お前が失敗すれば何人が死ぬと思う?』と脅され、泣きながら
マリナはリーゼへ道を譲るフリをして、魔導士と修道女の視線を遮る位置に立つ。
彼女の握り締めた拳が隠れるように。
「まずは状況を整理しよう。――ロジャー!」
名を呼ばれたロジャーが、マリナたち三人を管制室の奥に座する会議卓の前へ招く。
自動人形の配置を話し合ったのだろう。会議卓にはガルメンの地図が広げられ、その状況が書き込まれていた。
リーゼが会議卓の首座へつくのを待って、ロジャーがペンを取った。
「お二人が回廊へ転移したのは?」
「半刻前だ」
アトロの答えを聞いて、ロジャーがガルメンの町北西部にあるアイホルト回廊の『門』の位置に時刻を書き込む。
「
「恐れ入りますがその根拠を伺いたく。何か経路に関して情報が?」
「いちお~、教会の方で毎年回廊の点検をしてるんですけどぉ、半年前の点検の時には細工の形跡はありませんでしたぁ」
ケイトは回廊の門のあたりを指でなぞり、
「今回の護送計画が立ち上がったのはひと月前ですしぃ、新しい経路を開拓するのはまず無理かなぁって~。ならきっと元々ある経路のうち、使われてないものを流用してるはずですぅ」
「未使用ルートのリストはございますか?」
マリナの問いに、ケイトはにこりと
「うちでぇ、保管してるリストがありますよ~。ここにぃ」
ケイトはロジャーへ「念写投影できますかぁ?」と声をかけ、会議卓に備え付けられていた伝念管を借り受ける。彼女が先端の蓄魔石に魔力を通すと、会議卓上に膨大な文字が浮かび上がった。
ケイトの記憶から抽出されたアイホルト回廊の経路一覧である。
「これを
ケイトは自身の意識に条件を組み込んで情報を絞り込んでいく。膨大な文字列が次々に消えていき、条件に当てはまる経路だけが残された。
だが、
「――それでも256ある、か」
リーゼが苦々しく呟く。
「全ての出口に網を張るのは不可能ですね。皇州も含まれておりますし」
「
「いずれにしても対処できるのは基本的に我々です。助けを求めるにしても王国貴族のうち信用できる者は今回の護送計画に
「まずは他に手がかりを得るべきだな。少なくとも数カ所に絞り込まなくては」
リーゼの言葉に皆が
一人を除いて。
「それはぁ、良いんですけど~」
例外――ケイト・リリブリッジが立てた人差し指を自身の
「ふたりとも死んじゃった時のことも話しておきませんかぁ?」
沈黙が流れる。
航天船が風に震える音。階差機関がカチリカチリと魔導式を制御する音。普段なら気にも留めないそれらが妙に大きく聞こえる。あまりに唐突な静けさに、管制官の一人が会議卓へチラリと視線を飛ばしてくるほどだった。
沈黙を破ったのはロジャーだった。
「
「それは無い。少なくとも、ヒロトは生きている。」
アトロが断言する。
理由を問おうとしたマリナに「メイド。武器を出してみろ」とアトロは顎をしゃくった。
命令口調に苛立ちつつも、マリナはスカートからSPASを取り出す。
「おいやめろ突きつけるな……この通り、メイドと辺境伯との契約も生きている。内部では既に5~6刻は経過しているはずだ。これだけ
「なら、誰が二人を殺すというのでしょうか?」
マリナの問いに、ケイトが
「回廊にいる魔獣がぁ、みんな食べちゃうかもって~」
「ハッ――」
ケイトの答えをアトロは一笑に付した。
「
「う~ん……まあ、回廊の外にいる魔獣相手ならそうでしょうけどぉ」
「――何が言いたい?」
「えっとぉ」
ケイトは考え込むように人差し指でふっくらとした唇を触り、
「見て
会議卓上に二つの念写画が投影される。どちらも映っているのは同じ生き物。
それは真っ白なタランチュラを思わせる魔獣だった。その横にミニチュアサイズの修道服が映っている。このミニチュアが人形ではなく人間ならば、タランチュラの大きさはおよそ四階建てのビルに匹敵するだろう。
これこそが回廊の名前の由来ともなった魔獣――〔アイホルト〕だという。
「ご
それに繁殖力がとっても
「そのような場所を皇帝陛下の護衛経路に選ばれたのですか?」
「今回使おうとしてた経路では駆除済みですのでぇ」
駆除済み。
ティーゲルであればマリナも相対したことがある。隙を突いて動きを止めれば対戦車ランチャーで何とか倒せるという相手だ。それが十頭がかりでようやく倒せる魔獣が、昆虫並みの繁殖力をもって増え続けていたという。
――それを、駆除?
マリナは心の中で〔教会〕への警戒度を二段階ほどあげる。
「まあ~その駆除の方法が問題だったんですけどぉ」
「
「
でもダゴン派の人達がちょっと……」
ケイトの説明によれば、アイホルト回廊がブリタリカ王家へ譲渡された頃から、毎年、王家が使用する回廊内部の魔獣駆除を教会は請け負っているのだという。
その際、アイホルトを駆除するために、彼らの天敵となる魔獣を〔回廊〕に放ったらしい。お陰でアイホルトは王家が使用する経路に近寄らなくなったのだと。都合の良いことにこの魔獣は、アイホルトにのみ寄生して衰弱死させる事に特化しているため、人類種からすれば脅威になり得ない。
だが、
「それで、最初の念写画の話に戻るんですけどぉ」
ケイトは片方の念写画を指差し、
「こちらは王家に回廊を譲渡した頃に駆除したアイホルトですぅ」ケイトは投影された念写画に指を横に滑らせ「そしてこっちはぁ、ここ数年で駆除されたアイホルトなんですけどぉ」
「何か違うのか?」
「実はこの子、皮膚表面に〔陽光操作式〕を発現させられるようになってましてぇ」
「陽光操作?」リーゼが顎に手を当て首を捻る。「〔凝集陽光〕でも放つのか?」
「いえ~? 周囲の景色に溶け込んで姿を隠してしまうんです。まあ、簡易的なものなので熱源探査さえすれば見つかっちゃうんですけどねえ。一昨年にはそれで二百頭くらいは駆除したかなぁ」
「多いな……」リーゼが金仮面をさすり「つまり大量のアイホルトが回廊内部に潜んでいるから
「ああ、全然違いますぅ~」
ケイトは苦笑し、リーゼの誤解を訂正する。
「彼らはぁ、この回廊内の生態系において頂点に立つ存在――
――いいえ、だったはずですぅ。
本来なら身体を進化させる必要はありません。
「何が言いたい?」
リーゼの問いに、ケイトは微笑みを返した。
「我々〔教会〕の結論はこうです――
彼らはぁ進化を迫られるほどに追い詰められ、果ては餌の乏しい場所にまで追い立てられてしまった――自分たちよりもぉ、強い魔獣によって」
「待て待て――そんな魔獣、どこから湧いてきたんだ?」
「もちろん、回廊で新しく生まれたんですよ~」
「新しく?」
「ダゴン派が魔獣を放ったのはもう100年以上前ですしぃ、中では千年は経ってるわけで~。魔獣は
えっとつまり、とケイトは
「〔
冗談ではない。
その場にいる全員の表情が、同じ心情を示していた。
「ちなみに、今年の駆除の際はアイホルトは一頭も現れませんでした。
去年まではうじゃうじゃ居たのにおかしいですよねぇ~」
「まさか、食い尽くされた……と?」
「はい~。絶滅しちゃったんじゃないかなぁ~」
もったいないですよねえ、とケイトは口を
「今のアイホルト回廊は魔獣アイホルトですら生き残れない魔窟なわけでぇ……。
わたしたちは覚悟すべきなんですよぉ。
陛下も辺境伯も〔
メイド in 異世界≪ファンタジア≫ 忍野佐輔 @oshino_sasuke
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