scene:04 崩れゆく時間(その2)


 一方、仲村マリナは星空にしていた。


 少なくともマリナ自身の認識ではそういうことになっている。


 ――正確な表現を期すなら、飛空式で空を舞う魔導士、アトロ・パルカに襟首をつかまれ運ばれているというべきだろう。

 その状態で仲村マリナは胸の前で腕を組み、胸を張って堂々と正面を見据えているのだった。


 何故なぜこんな体勢なのかと言えば、ひとえにアトロの体が小さくマリナの胴体を抱えられなかったからである。

 しかし襟首をつかまれて運ばれる姿は、母猫に運ばれる子猫のようでカッコが悪い。

 ナメられたら終わり――その言葉が骨の髄まで染みこんでいるマリナとしては根源的な忌避感がある。


 ――何か良い方法は無いか。

 そう考えた末の〝仁王立ち〟であった。


 実際にどう見えるかは別として、マリナ自身はそれなりに威厳は守られたと考えていた。

 故に、マリナは自身を運ぶ魔導士へ、あくまで対等な立場を強調するよう自然に話しかける。


「あとどれくらいでしょうか?」

「すぐだ!」アトロが魔素調合面レギュレータの下から叫ぶ。そうでもしないと、風が強く声が届かないのだ。「遠くに航天船が見えるであろ!」

「撃ち落とされたりしませんか?」

「向こうのロジャーとかいうのに念話を飛ばしてある。そもそもあれ汎人種ヒューマニィの魔導式に撃ち落とされると思うか?」

わたくしに殺されかけたではありませんか」

「……貴様、今ここで手を離しても良いのだぞ?」

「冗談です。それくらい察してください」

やつ、本当に落としてやろうか……」


「あらあら」とケイトがのんな声をこぼす。彼女は彼女で、自身が召喚した巨大なコウモリの背に乗っていた。嘴があるのに馬面で、全身が鉱石じみた鱗に覆われている――生き物の闇鍋のような魔獣だ。


 せいどう騎士、ケイト・リリブリッジはいわゆる〝召喚士サモナー〟だという。


 騎士というからには、修道服の下に剣でも隠しているのかと思ったが、それはあくまで立場だという。〔教会〕が教義を守るために保有する暴力装置――それが自分だと、ケイトは語った。

 つまり彼女は剣ではなく、召喚した〝バケモノ〟で役割を果たすということだ。

 マリナの解釈を聞いたケイトは「違いますぅ、棲獣ですぅ」と口をすぼめて不満そうだったが。


 しかし、とマリナは横目で馬面のコウモリを見やる。

 イカのバケモンもそうだが、コイツも夢に出てきそうな外見だ。聖職者なら天使でも召喚すればいいだろう。何を思ってこんなよだれをボタボタ垂らすバケモンを召喚するのか。

 ――カナリアでも召喚してくれればわいらしいのに。


「なに? はっきり申せ!」


 唐突に張りあげられたアトロの声に、てのひらの中へカナリアが潜り込んでくる妄想をしていたマリナは現実に引き戻された。


「どうかなさいましたか?」

「航天船からの念話だ。しかし要領を得ん。何ぞ厄介ごとらしいが……」

「厄介ごと?」

「あそこ、何か飛んでませんか~?」


 ケイトが指差した先には巨大な鳥の影がある。鳥の影は言うまでもなく航天船だ。


 ――だが、その周囲で月明かりを反射してきらめく物体は何か?


 よくよく見れば、航天船の周囲を縦横無尽に飛び回る光は、町へ火や雷撃を放っている。

 つまり――


「魔導士か――いやアレは、」

「そこの魔導士、止まれ!」


 頭上から浴びせかけられる制止の言葉。

 途端、上空から飛来した天馬ペガサスが三人の前に立ち塞がる。

 天馬の背には藍染めのかっちゅうを身にまとい、長大なせんを担いだ男。


 ――騎士だ。

 マリナはスカートの両裾をつまんで挨拶カーテシー――をするフリをしてスタングレネードを手の中へ隠した。ロジャーから渡された〔衝撃低減装具〕にはアトロに頼んで魔力をじゅうてん済み。いざとなれば目くらましをした隙に、三人それぞれ散り散りに逃げる他ないだろう。


 そんなマリナの態度には見向きもせず、騎士はアトロへせんを突きつける。


「我は月光騎士団、団長アラン・ビスマルカ・マッケインである。

 ――貴様、どこの魔導士だ」

「シュラクシアーナでありますっ」


 アランと名乗った騎士のすいに、アトロは即座に答える。

 恐らく事前に答えを用意していたのだろう。若干、緊張しているのは気になるが、騎士がそれに気づいた様子はない。


「我が主、リーゼ・ヘルメシア・シュラクシアーナ・マイトナー子爵へ危急の連絡がございます。通して頂きたい」

「それはこの動く死体アンデッドどもについてか」


 アランは担いでいたせんで地上を指し示す。

 その先には、〔爆裂式〕で地上を焼き払う魔導士と、同じ様に何らかの〔固有式〕で動く死体アンデッドを溶かしている騎士の姿があった。


「然様にございます」

「よかろう」アランはおうよううなずき、そのまま視線をアトロからケイトへと向ける。「……だが他の二人はなんだ?」

「〔教会〕の人間であります」

「〔教会〕ぃ……?」

「誠に申し訳ありませんが、我々は詳細についての回答する権限を持ちません。

 子細は我が主へ、どうか」


〔教会〕の単語を聞いた途端に眉をひそめたアランへ、アトロは即座に言葉をかぶせた。あくまで自身達は子爵の使いであることを強調しつつ、目を伏せて敵意が無いことをアピール。


 アランは「なるほど」と、つまらなさそうに口角を上げ、三人を流し見る。

 その沈黙はシュラクシアーナ子爵の使いに手を出すデメリットを計算しているのかもしれない。仮面をした魔導士に、つるされたメイド、そして魔獣にまたがる修道女。こんな怪しすぎる三人組など、普通なら問答無用で連行ではなかろうか。


 だが王室枢密院顧問官に籍を置くというシュラクシアーナにけんを売れば、王政府への反逆に成り得る。


 貴族たちが王政府を脅威に感じていないのは、この短い間に見聞きした限りでも明らかだ。

 ――だが同時に『王の権威そのものは有用だ』と考えてもいる節がある。

 つまり彼は今、他の貴族から王政府への反逆を大義名分にして責め立てられる可能性を危惧しているのだろう。


 長い沈黙ののち、アランはせんを背に収めた。


動く死体アンデッドの鎮圧も一段落したところだ。我も子爵へ面通り願いたい。案内しろ」



    ◆ ◆ ◆ ◆



「来たか」


 中央管制室――天球の座では既にリーゼが待ち構えていた。

 金仮面の下に表情を隠し、玉座で謁見に応じる王族のように船長席へ腰掛けている。膝をつき、臣下の礼をとるアトロやマリナを泰然と受け止める姿に、普段の子供らしさはじんも無い。


 ――いや、こちらこそが普段の彼女なのか。

 三重偉業の再現者ヘルメシアにして王室枢密院顧問官、シュラクシアーナ子爵家現当主のリーゼ・ヘルメシア・シュラクシアーナ・マイトナー。

 時々忘れてしまうが、これでもコイツは一つの家を束ねる〝貴族の長〟なのだ。


「アラン騎士団長殿」


騎士甲冑サーク〕のかぶとを脇に抱え騎士としての礼を取るアランへ、リーゼは重々しく声をかける。


動く死体アンデッドの鎮圧協力、感謝する。月光騎士団ならびにマッケイン家へは後日、改めて礼をさせて頂きたい。無論、この度の助力は王室へもお伝え致そう」

「我は職務を果たしたまで。――されど厚意をにもいたしません。ありがたく頂戴いたします」


 いんぎんに腰を折るアランに対し、リーゼはうなずきだけを返す。


「ただ、申し訳ないが先に我が従僕からの報告を聞いておきたい。しばしお待ちいただけないだろうか」

「承知。――されど我も辺境警備の任を担う者。事情の把握のため同席させて頂きたく」

「構わぬ」


 仮面から唯一覗いている口元だけで会釈し、リーゼはマリナたち三人に問う。


「何があった?」

「皇帝陛下とバラスタイン辺境伯が誘拐されました」


 アトロの言葉に、騎士アランのそうぼうが大きく見開かれた。

 詰問するような視線がリーゼへ飛ぶ。が、リーゼはそれを無視して続きを促した。


「……それは既に聞いた。状況を説明してくれ。

 巨鈍魔トロール動く死体アンデッドに追われ、〔回廊〕へ向かったのではなかったか?」

「まさしく。――ですが回廊へと転移する際、皇帝陛下と辺境伯のみが転移し我々は取り残されたのです」

「二人だけが転移――?

 なら〔門〕か〔鍵〕に何らかの細工があったと?」

「ご賢察の通りにございます。人為的な細工の痕跡がありました」

「下手人の目星は?」


 アトロの意識が、その隣でひざまずくマリナへ向けられたのが分かった。

 こいつ二百年も生きててうそを吐くと不安になるのか? 

 目の前で貴族然と胸を張る十歳を見倣って欲しい。


 そんなマリナのあきれを察したのか、アトロは何とか言葉をつなぐ。


「下手人は門を細工することで、お二人を自身の望む場所へと転移させて誘拐を図ったのでしょう」

「何の為に?」

「申し訳ありません。そこまでは……」


 アトロは伏せていた顔を上げ「ですが!」と声を張りあげた。


「このままでは帝国と王国の戦争の火種になりかねません。

 すぐさま出口を見つけ出し、誘拐犯からお二人をお救いする必要がありましょう」

「アラン騎士団長殿」


 リーゼは騎士へと金仮面を向けた。

 仮面越しでも伝わってくる、相手をすくめるような視線。


「王室枢密院顧問官としてお頼み申し上げる。この件、どうか内密に願いたい。

 ――理由は言わずともよろしいな?」

「承知」


 アランは神妙な面持ちでリーゼの言葉に応じる。


 〝王室枢密院〟という立場を強調されては是非も無いのだろう。

 たった今、リーゼの言葉は王政府、ひいては王室の言葉となったからだ。

 王国の政治的内情はともかく、表向きは肯定以外の選択肢は無いはずだ。


 それでもリーゼは船長席から立ち「かたじけない。アラン騎士団長の働きは、しかと陛下へとお伝えしよう」と大きくうなずいた。立場と爵位からゴリ押ししつつも、面子を潰さぬように相手を立てる。マリナは貴族や皇族の対応に詳しいわけではないが、少なくとも十歳でこれだけ出来るのなら上等だろう。


「後ほど詳細をお話しいたす。――誰かアラン殿を客間へご案内しろ」



    ◆ ◆ ◆ ◆



「後ほど我が主が参ります。しばしこちらでお待ちください」

「うむ」


 航天船の客間。

 月光騎士団団長――アラン・ビスマルカ・マッケインはおうよううなずき、客間のソファに腰をおろした。そのままシュラクシアーナ家の従僕から供された紅茶を口に運ぶ。たかが半刻とはいえ動く死体アンデッドを狩り続けていたからだろう。ケルティックの茶葉がやたら甘く感じられた。


「お食事もご用意いたしますか?」

「いらぬ。子爵が来るまで一人にしてくれ」


 すげない言葉に、従僕は黙礼と共に部屋を後にする。

 背後に扉が閉められる音を聞き、アランはひと息をついた。従僕のそうぼうはつまりシュラクシアーナの監視の目。そんなものにさらされていては落ち着けない。


 それとなく客間を見回す。


 居住空間が限られているであろう航天船においても、その一室は貴族を迎えるにさわしい格式と、見る者を楽しませる豪華さを保っている。それだけにとどまらず、巨大な一枚鏡まで使って広々とした空間を演出していた。鏡の製造には魔導式ではなく純粋な工業力、技術力が必要となる。ここ百年ほどはヴェネジア伯がその技術を独占している為、それなりに値が張る代物だ。少なくともマッケイン家では、ここまで巨大なものは手が届かない。


 すがは王室枢密院顧問官の船――といったところか。

 アランは僅かばかり劣等感を刺激され、自分をすように口角を上げる。


 とはいえアラン自身も男爵位をたまわってはいるし、子爵と男爵には権力も権威もそこまで大きな差は無い。ましてやシュラクシアーナ家は〔騎士〕を排出しておらず、そうした家は一段下に見られるのが常。


 つまりこの差は、地方貴族と宮廷貴族の差ということである。


 不愉快だな、生まれの差というものは。

 誰も見ていないのを良いことにアランは紅茶を一気に飲み干し、その勢いのまま〔騎士甲冑サーク〕が持つ魔導干渉域の範囲を大きく広げた。

 ――魔導式による盗聴を防ぐためである。


 アランは騎士甲冑サークに搭載された〔伝声式具〕を起動させ、随伴魔導士へとつなぐ。


『いかがなさいましたか、若様』

「む……?」


 応えた月光騎士団魔導士の『若様』という言葉に引っかかる。

 確かに、アランが家督を継承したのは最近のことであり、それまでは『若様』と呼ばれていた。しかし既に爵位を継承した身。爵位で呼ばぬなら『御館様』『団長殿』と呼ぶべきである。


 まあ、たかだか〔士族〕でしかない魔導士に期待しても仕方が無い。

 それに今はそんな細かい事を気にしている場合ではないのだ。

 アランは「若様はやめろ。団長と呼べ」と軽く注意して本題に入る。


「至急、家へ念話をつなげ。騎士甲冑サークの式具では届かん」

『航天船で何かございましたか?』

「ああ、皇帝が誘拐されたそうだ」

『皇帝……? 皇帝――! 皇帝というのはまさか』

「そうだ。憎きルシャワールの平民皇帝だよ」


 アランは自身が手に入れた情報に改めて身を震わせる。

 マッケイン家はアランを含めてとある派閥に属していた。

 派閥筆頭はエッドフォード伯爵家。

 ――いわゆる〝開戦派〟と呼ばれる一団である。


「どうやら海路で王都へ向かうというのはガセだったらしい。

 王家秘蔵のアイホルト回廊の入り口がこんな田舎町にあったとはな」


 開戦派は宮廷内に潜む者達から『皇帝はガラン大公の護衛を受けて海路で王都へ向かう』という情報を得ていた。現在、派閥内では海路を進む帝国の船団を襲撃すべきか否か議論が交わされているはずである。


 だがもし、皇帝が秘密裏にアイホルト回廊を抜けようとしていたという事が本当ならば、話は大きく変わる。

 ましてや何者かに誘拐されたとなれば――


「皇帝が誘拐された事実をエッドフォード伯の耳に入れておけ。くいけば開戦の口実にもなろう」


 アランはその角張ったほおを綻ばせる。

 まったくくやってくれたものだ。


 開戦派の内情は一枚岩とは言いがたい。領地拡大を狙う旧来の大貴族、硬直した権力体制の変革を望む新興貴族、戦乱に乗じて領地獲得を狙う騎士侯の一団――そういった主義主張の異なる貴族達が『戦争の再開』という利害の一致から手を結んでいるだけなのだ。


 当然、派閥内での足の引っ張り合いなど日常茶飯事。

 皇帝誘拐が派閥内に秘して行われたとなれば、何者かが派閥内の勢力図を変えようと画策した可能性がある。


 期せずして得たこの情報。

 誰に伝えるかで派閥の、ひいてはアラン自身の未来が変わる。


 そしてアランは、その相手にエッドフォード伯を選択した。

 伯の敵対勢力が画策したものであれば、この情報で伯の信頼を得られるだろう。仮に皇帝誘拐が伯の手によるものだったとしても『他の貴族へ情報が漏れぬよう取り計らった』と恩を売ることもできる。多少の問題があったとはいえ、いまだエッドフォード家の権勢は衰えてはいない。伯の信頼を勝ち取り、失われた〔えんつい騎士団〕の後釜に納まる事が出来れば上々だ。


 いや、何もエッドフォード伯に重用される必要も無いのだ。

 開戦さえすれば、幾らでも栄達の機会は転がっていよう。


 アランはおもむろに立ち上がり大鏡へと近づく。

 鏡に映る〝男爵〟の姿。

 大貴族たちが決めた法により、辺境の警備で生涯を使い潰すことが決まっている自分の姿。我が子らにも同じ人生しか用意できぬない男。


 そんな運命、断じて許容するものか。

 誰のどんな意図でされた事であろうと、マッケイン家の為に利用させてもらう。

 そしていつかは、この航天船すらも――

 

 客間の大鏡には、アランの不敵な笑みが映し出されている。



    ◆ ◆ ◆ ◆



「ひとまず、彼は満足したようですね」


 その声は、航天船中央管制室〔天球の座〕に白々しく響いた。

 声を発した主――ロジャー・シュラクシアーナ・ベーコンは軽く手を振って、天球に映し出されたアラン騎士団長の映像を消させる。

 

 映像は、客間にある一通鏡マジックミラーの裏側から見たものだという。

 別室にいる魔導士が念話の応用で映し出しているそうだ。騎士アランの魔導干渉域は部屋の内側にのみ展開されている為、部屋の外側から難なくのぞができるとのこと。


 マリナからすれば古典的な方法だが、異世界ファンタジアではそうでもないのだろう。現にアランという騎士は安心しきっている。リーゼは「がら鍍金めっきを塗ったような偽物ではなく、本物の偏光がらなんだ」と自慢げだったが、正直マリナとしてはマジックミラーだろうが光アイソレータだろうが量子ステルスシートだろうが用が足りれば何だって良い。

 問題は別のところにある。


「あのまま情報を漏らしてよろしいのですか?」

「漏れない」


 断定。

 船長席に腰掛けるリーゼがマリナ達の背後にある一室を指し示す。

 硝子がらす窓の向こうには、幾人かの金仮面。


「アラン騎士団長が話しているのはうちシュラクシアーナの技官だ。

 彼が飛ばしている念話に介入し、こちらの回線につなげている」

「よく気づかれませんね」

「〔開戦派〕の騎士は自分たちだけで戦える気でいる……。魔導士の顔や名前なんて覚えていない。――もちろん、互角の戦争をした事のある貴族は別だけどな」

「戦いを知らないからこそ戦いたがる、という事ですね」


 リーゼの怒りともあきれともつかない疲労の声に、マリナはいやで同調を示す。

 ――が、すぐに『慢心だなこれは』と自身を戒めた。


 騎士たちが味方との連携すら軽視しているのは、連携が必要とされるような場面が無かったという事だろう。『戦いを知らない』と評したが、王国の歴史を聞く限り、周辺諸国との小競り合い程度は幾らでもあった。それでもこんな稚拙な手に引っかかるという事は、ということでもあるのだ。


「とはいえ明日には気づかれる。

 リゼが――、じゃなくて。我が足止めするにも限界がある」

「別にぃ、いいんじゃないですかぁ~?」


 リーゼの言葉にケイトが応える。


「明日の朝にはぁ、結果はでちゃってるわけですし~」


 どこか楽しそうな声。

 隣に立つアトロがあきれたような目つきでケイトを見上げた。長い付き合いなのだろう。その瞳には呆れと諦観の色がある。

 だがマリナはむしろ、ケイトの微笑みには好感を覚えていた。


 絶望的な状況を嘆くだけの人間は害悪だ。

 なぜならその悲観的な感情を他者に伝染させ、味方の能力を著しく制限してしまう。エリザの救出を第一に考えているマリナからすれば、そんな人間は障害以外の何物でもない。思わず拳銃スチェッキンの引き金が軽くなってしまうというもの。

 状況が悪ければ悪いほど、まずは笑うべきなのだ。


 しかし、分かっていてもそう簡単にいかないのが人間というもの。

 マリナの隣で俯き、考え込んでいる男がそう。

 ロジャーと呼ばれている金仮面の一人だ。


「しかし、皇帝陛下と辺境伯が長命人種エルフに拉致されたとは――、想定しうる最悪の事態です。

この事実が王国に漏れても、帝国に漏れても戦争は免れません。下手をすれば連邦を含めた三国間の戦争にも成り得る……。先ほどの芝居も、私から提案させて頂いた事ではありますが、本当に騙し切れているのか。あの騎士の行動も、実は監視を承知した上でのブラフで本当は――」

「ロジャー・シュラクシアーナ・ベーコン」


 見かねたマリナが止めるよりも早く、いさめるような声が飛んだ。

 声の主であるリーゼは、ロジャーのそれと同じ金仮面をコツコツと指で叩いてみせる。


「思い出せ。

 我らシュラクシアーナは悩める者ではない。思考し、前へ進む者だ。

 それを教えてくれたのは貴様だぞ? ロジャー」

「……お見苦しいところをお見せしました」


 深々と腰を折るロジャーに頷きを返し、リーゼは艦長席から飛び降りる。

 ――その際、わずかに手が震えていたのをマリナは見逃さなかった。


 そうだ。

 エリザが動く死体アンデッドに囲まれていると聞いて一番取り乱したのはコイツだった。


 今だって、内心穏やかではないはずだ。それでも動揺を見せないのは、この場に〔帝国〕の魔導士と、〔教会〕の棲洞騎士がいるからだろう。かつて〔王国〕と戦った二つの勢力を前に、弱みを見せることは許されまい。


 マリナはかつて〔ニッポン防衛戦線〕で強要された数々の任務を思い出す。

『お前が失敗すれば何人が死ぬと思う?』と脅され、泣きながら銃把じゅうはを握った十歳の自分自身を。


 マリナはリーゼへ道を譲るフリをして、魔導士と修道女の視線を遮る位置に立つ。

 彼女の握り締めた拳が隠れるように。


「まずは状況を整理しよう。――ロジャー!」


 名を呼ばれたロジャーが、マリナたち三人を管制室の奥に座する会議卓の前へ招く。

 自動人形の配置を話し合ったのだろう。会議卓にはガルメンの地図が広げられ、その状況が書き込まれていた。

 リーゼが会議卓の首座へつくのを待って、ロジャーがペンを取った。


「お二人が回廊へ転移したのは?」

「半刻前だ」


 アトロの答えを聞いて、ロジャーがガルメンの町北西部にあるアイホルト回廊の『門』の位置に時刻を書き込む。


長命人種エルフの行動可能時間、経路内部の魔獣の掃討、皇帝と辺境伯の護衛――それらを加味して内部時間で約二日、こちらの時間では4~5刻程度で出口へ到達するであろうな」

「恐れ入りますがその根拠を伺いたく。何か経路に関して情報が?」

「いちお~、教会の方で毎年回廊の点検をしてるんですけどぉ、半年前の点検の時には細工の形跡はありませんでしたぁ」


 ケイトは回廊の門のあたりを指でなぞり、


「今回の護送計画が立ち上がったのはひと月前ですしぃ、新しい経路を開拓するのはまず無理かなぁって~。ならきっと元々ある経路のうち、使われてないものを流用してるはずですぅ」

「未使用ルートのリストはございますか?」


 マリナの問いに、ケイトはにこりとほほんで自身の額を小突く。


「うちでぇ、保管してるリストがありますよ~。ここにぃ」


 ケイトはロジャーへ「念写投影できますかぁ?」と声をかけ、会議卓に備え付けられていた伝念管を借り受ける。彼女が先端の蓄魔石に魔力を通すと、会議卓上に膨大な文字が浮かび上がった。

 ケイトの記憶から抽出されたアイホルト回廊の経路一覧である。


「これを長命人種エルフの行動可能時間で絞り込んでぇ……」


 ケイトは自身の意識に条件を組み込んで情報を絞り込んでいく。膨大な文字列が次々に消えていき、条件に当てはまる経路だけが残された。

 だが、


「――それでも256ある、か」


 リーゼが苦々しく呟く。


「全ての出口に網を張るのは不可能ですね。皇州も含まれておりますし」

すが鬼人種オーガの巣窟に飛び込まないだろうが……いや、北部からそのまま長命人種エルフの勢力圏に抜ける可能性も捨てきれない、か……」

「いずれにしても対処できるのは基本的に我々です。助けを求めるにしても王国貴族のうち信用できる者は今回の護送計画にんでいるガラン大公と、開戦派と敵対しているカスティージャ公がせいぜいでしょうから」

「まずは他に手がかりを得るべきだな。少なくとも数カ所に絞り込まなくては」


 リーゼの言葉に皆がうなずく。

 一人を除いて。


「それはぁ、良いんですけど~」


 例外――ケイト・リリブリッジが立てた人差し指を自身のほおにあてて微笑んだ。


「ふたりとも死んじゃった時のことも話しておきませんかぁ?」


 沈黙が流れる。

 航天船が風に震える音。階差機関がカチリカチリと魔導式を制御する音。普段なら気にも留めないそれらが妙に大きく聞こえる。あまりに唐突な静けさに、管制官の一人が会議卓へチラリと視線を飛ばしてくるほどだった。


 沈黙を破ったのはロジャーだった。


長命人種エルフが皇帝陛下を殺す理由があると?」

「それは無い。少なくとも、ヒロトは生きている。」


 アトロが断言する。

 理由を問おうとしたマリナに「メイド。武器を出してみろ」とアトロは顎をしゃくった。

 命令口調に苛立ちつつも、マリナはスカートからSPASを取り出す。


「おいやめろ突きつけるな……この通り、メイドと辺境伯との契約も生きている。内部では既に5~6刻は経過しているはずだ。これだけっても生きているなら、ヒロトがくやったということだろう」

「なら、誰が二人を殺すというのでしょうか?」


 マリナの問いに、ケイトがほほむ。


「回廊にいる魔獣がぁ、みんな食べちゃうかもって~」

「ハッ――」


 ケイトの答えをアトロは一笑に付した。


長命人種エルフがついていてか? しかも二人についているのは恐らく〔渡り鴉ヴォーラン〕どもだ。連邦最強の部隊だぞ? 大抵の魔獣なぞ片手間で退けるであろ」

「う~ん……まあ、そうでしょうけどぉ」

「――何が言いたい?」

「えっとぉ」


ケイトは考え込むように人差し指でふっくらとした唇を触り、


「見てもらった方が早いかなぁ……。本当はダメだけど、念写投影しますねぇ」


 会議卓上に二つの念写画が投影される。どちらも映っているのは同じ生き物。

 それは真っ白なタランチュラを思わせる魔獣だった。その横にミニチュアサイズの修道服が映っている。このミニチュアが人形ではなく人間ならば、タランチュラの大きさはおよそ四階建てのビルに匹敵するだろう。


 これこそが回廊の名前の由来ともなった魔獣――〔アイホルト〕だという。


「ごぞんない人にも簡単に説明するとぉ、この〔アイホルト〕を駆除するには帝国の〔ティーゲル〕が十体は必要だとされてます~。

 それに繁殖力がとってもすごくて、生き物の身体……特に人類種が好きなんですけどねぇ、お腹に卵を産みつけちゃうんですよぉ。一回で大体、数百羽はかえっちゃうかなあ。

 ひなので結構強いんですよね~」

「そのような場所を皇帝陛下の護衛経路に選ばれたのですか?」

「今回使おうとしてた経路では駆除済みですのでぇ」


 駆除済み。

 ティーゲルであればマリナも相対したことがある。隙を突いて動きを止めれば対戦車ランチャーで何とか倒せるという相手だ。それが十頭がかりでようやく倒せる魔獣が、昆虫並みの繁殖力をもって増え続けていたという。

 ――それを、駆除?

 マリナは心の中で〔教会〕への警戒度を二段階ほどあげる。


「まあ~その駆除の方法が問題だったんですけどぉ」

汝等なれらせいどう騎士が駆除したと聞いているが、何かしたのか?」

修道会わたしたちは何もぉ? 普通に一匹ずつ潰して回ってましたし。

 でもダゴン派の人達がちょっと……」


 ケイトの説明によれば、アイホルト回廊がブリタリカ王家へ譲渡された頃から、毎年、王家が使用する回廊内部の魔獣駆除を教会は請け負っているのだという。

 その際、アイホルトを駆除するために、彼らの天敵となる魔獣を〔回廊〕に放ったらしい。お陰でアイホルトは王家が使用する経路に近寄らなくなったのだと。都合の良いことにこの魔獣は、アイホルトにのみ寄生して衰弱死させる事に特化しているため、人類種からすれば脅威になり得ない。


 だが、


「それで、最初の念写画の話に戻るんですけどぉ」


 ケイトは片方の念写画を指差し、


「こちらは王家に回廊を譲渡した頃に駆除したアイホルトですぅ」ケイトは投影された念写画に指を横に滑らせ「そしてこっちはぁ、ここ数年で駆除されたアイホルトなんですけどぉ」

「何か違うのか?」

「実はこの子、皮膚表面に〔陽光操作式〕を発現させられるようになってましてぇ」

「陽光操作?」リーゼが顎に手を当て首を捻る。「〔凝集陽光〕でも放つのか?」

「いえ~? 周囲の景色に溶け込んで姿を隠してしまうんです。まあ、簡易的なものなので熱源探査さえすれば見つかっちゃうんですけどねえ。一昨年にはそれで二百頭くらいは駆除したかなぁ」

「多いな……」リーゼが金仮面をさすり「つまり大量のアイホルトが回廊内部に潜んでいるから長命人種エルフでも足をすくわれかねないという話か?」

「ああ、全然違いますぅ~」


 ケイトは苦笑し、リーゼの誤解を訂正する。


「彼らはぁ、この回廊内の生態系において頂点に立つ存在――

 ――いいえ、だったはずですぅ。

 本来なら身体を進化させる必要はありません。こんぱくの損傷そのものも、ある意味で安定してますからぁ、普通なら何万年ってもあのままのはず。それに魔獣の駆除が済んでいるはずの王室ごようたしの経路に大量に出没するのもおかしい。餌がありませんから~」

「何が言いたい?」


 リーゼの問いに、ケイトは微笑みを返した。


「我々〔教会〕の結論はこうです――

 彼らはぁ進化を迫られるほどに追い詰められ、果ては餌の乏しい場所にまで追い立てられてしまった――自分たちよりもぉ、強い魔獣によって」

「待て待て――そんな魔獣、どこから湧いてきたんだ?」

「もちろん、回廊で新しく生まれたんですよ~」

「新しく?」

「ダゴン派が魔獣を放ったのはもう100年以上前ですしぃ、中では千年は経ってるわけで~。魔獣はこんぱくが不安定ですから、互いの魔力にアてられやすいですし……。安定していた魔獣の生態系を崩す何かが出てくれば当然、せいそくする魔獣たちは生き残る為に自身の身体を変質させるでしょう」


 えっとつまり、とケイトはほおに人差し指をあててほほむ。


「〔教会うち〕が放った魔獣のせいですね、えへへ☆」


 冗談ではない。

 その場にいる全員の表情が、同じ心情を示していた。


「ちなみに、今年の駆除の際はアイホルトは一頭も現れませんでした。

 去年まではうじゃうじゃ居たのにおかしいですよねぇ~」

「まさか、食い尽くされた……と?」

「はい~。絶滅しちゃったんじゃないかなぁ~」


 もったいないですよねえ、とケイトは口をとがらせる。


「今のアイホルト回廊は魔獣アイホルトですら生き残れない魔窟なわけでぇ……。

 わたしたちは覚悟すべきなんですよぉ。

 陛下も辺境伯も〔渡り鴉ヴォーラン〕たちも、みーんな食べられちゃってるかもって」

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メイド in 異世界≪ファンタジア≫ 忍野佐輔 @oshino_sasuke

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