5 彼の隣




「亜莉子ーー頑張れーー!」


 1年生のクラス全員リレー。応援席最前列で緑の旗を振る俺の耳に、その声ははっきりと飛び込んできた。


 亜莉子――

 その名前の女の子は、緑組に1人だけ。そのことはちゃんと分かっていた。


 「アリス」というアカウントからリプが飛んできた翌日、応援団の権限を利用して、先生から緑組の生徒の名簿を手に入れた。


「高橋君なら大丈夫だと思うけど、個人情報だからちゃんと管理するようにね」

 先生がそう言って渡してくれたので、けっこう罪悪感があった。すいません、超個人的な理由で使います……


 1年生の女子。

 大貫亜莉子/オオヌキ アリス

 読み仮名が振ってあって助かった。「アリコ」と勘違いするところだったよね。

 実在することが分かって、どんな子だろうと、余計気になるようになっていた。




「アリスーー! あきらめるなーー!」


 そして体育祭。

 応援の声が響く中、トラックを走る緑のバトンを握りしめた女子の姿。

 最初に思ったのは「足、遅ぇ」ってこと。あ、このままじゃ抜かれちゃう……。


 でも、彼女はすごく一生懸命だった。

 不器用そうに両手を力いっぱい振って、顔を真っ赤にして走る小柄な女の子。

 その姿がかわいい、と思った。顔はよく分かんなかったけど。


 だからそのあと、つい目で追ってしまって、何度か本人と目が合った。ヤバイと思ったけど、うまくやり過ごせたと思う。多分。

 

 走ってない時もかわいいな、とか思ったこと、バレてないといいんだけど。




返信先:@ichiharu_lampsさん

今日はお疲れさまでした。勝てなくて残念でしたが、楽しかったです(*'▽')

↪ ⇄ ❤



 放課後、このリプが飛んできた。

 こっちからなにかメッセージを送ってみようかと、迷っている時だった。


 メッセージの最後に添えられた顔文字が、本人の笑った顔を思い起させたので、微笑ましかった。


 さて、まずは彼女のフォロワーになろう。

「よろしくお願いします」と挨拶をして「今日は残念でしたね」と続けてみようか。


――それから。


 顔も分かっていることだし――



◆ ◆ ◆



 本当に、先輩はそこにいた。

 何日か前に、恵華と並んで座ったベンチ。

 そこに、制服姿の彼がいる。


 後姿を、そっと見つめる。

 さっぱりとした短髪。アイロンをかけられて、パリッとした白いシャツ。意外と広い背中。そして、相変わらず姿勢がいい。

 そのきちんとした姿に緊張しながら、私は彼に近づいた。


「おはようございます。高橋先輩」




 体育祭後のSNSでのやり取りは、びっくりするほど長く続いた。


アリス

返信先:@ichiharu_lampsさん

今日はお疲れさまでした。勝てなくて残念でしたが、楽しかったです(*'▽')

↪1 ⇄ ❤1


イチハル

返信先@alice_A_aliceさん

今日はお疲れさまでした。悔しかったねー!フォロバしました。よろしくお願いします

↪1 ⇄ ❤1


アリス

返信先:@ichiharu_lampsさん

フォロバありがとうございます(*'▽')

ずっと無言フォローですいませんでした(>_<)

↪1 ⇄ ❤1


イチハル

返信先@alice_A_aliceさん

全然大丈夫だよー

↪ ⇄ ❤1


 ここで会話は終了かと思ったんだけど――


【イチハルさんからメッセージがあります】


の通知。まさかのダイレクトメッセージ。頭が突然の事態に追いつかないまま、メッセージ画面を開く。


『いきなりDMすいません。今日はお疲れさまでした。高2が情けなくて、勝てなくてごめんね』

『そんなことないです! 1年生もリレー優勝できなくてすいません(>_<) それにとっても楽しかったです』


 そこからうちの高校の行事の話とか、先生の批評とか、自分たちの趣味の話。

 会話は途切れなかった。

 強張っていた私の頬は、ちょっとずつ緩んでいく。


 大貫さん、と先輩がさりげなく呼ぶので、やっぱり素性はバレているようだ。

 でも、別にいい。むしろ嬉しい。

 私のこと、知ってもらえたんだ、って。興味を持ってもらえたんだ、って思ったから。


『大貫さんもLamps好きなの?』

『最近聴き始めました♪』

 もちろん、先輩の影響です。プロフィール欄に、好きだって書いてあったから。

『じゃあ、最初のころのアルバムは聴いてない?』

『まだ聴いてないです(>_<)』

『よかったら今度貸してあげるよ』




 そして、今日。6月とは思えないほどの、すっきりとした晴天の月曜日。

 登校時間より、ずいぶん早く家を出て、先輩と待ち合わせた公園に急いだ。

 かなり余裕をもって到着したはずだけど、そこにはすでに先輩の姿があった。

 

 先輩の背中に声をかける。おはようございます、と勇気を出して。ただの挨拶に、こんなに力がこもったのは初めてだ。


 先輩が振り返る。

「おはよう」

 切れ長の目が、にっこりと笑う。

 

 うん、やっぱりカッコいい。

 私の心臓は、暴走気味だ。


 初めての対面。

 スマホ越しじゃなくて、顔と顔を合わせての、初めての会話。

 私は今、どんな風に思われているんだろう。

 先輩は、私のことをどう思ってここに呼んでくれたんだろう。


 ふと恵華の言葉を思い出して、顔が熱くなった。

 先輩とダイレクトメッセージで長話をしたことを伝えると、彼女は電話でこう言ったのだ。

「すごい、ちょー脈ありじゃん!」

 そう思って、いいんでしょうか?


「暑いねー」

 先輩の額には汗が滲んでいた。シャツの背中にも、うっすらと。

 それを見ると、隙のなさそうな先輩のことが少しかわいく思えた。


「すいません、お待たせして」

「全然待ってないよー」

 ベンチに近づいたものの、私は途中で立ち止まった。

 ……このあとどうすれば?


 すると、私の心を読んだように、ぽんぽんと自分の隣のスペースを叩いて、

「ここ、どうぞ」

と先輩が言う。


 全くもう、そういうところ、カッコよすぎませんか?


 おずおずと先輩の隣に座った。

 一春先輩が近い。体育祭の時よりも、そしてもちろん、スマホの画面越しに眺めるだけだった時よりも、ずっと。


 これからだよね。

 これからたくさん話がしたい。

 私はきっと、もっともっと先輩のことを好きになっていく。


 かばんからCDを出して、先輩が私に差し出した。

 それを受け取る時にばっちり目が合って、2人して少し笑ってしまった。


 ――できれば。

 気を遣ってばかりの先輩の「特別」になれたらいいな――

 


 恋に落ちたのは、新緑の季節。

 少しでも彼のことが知りたくて、SNSで追いかけた。

 15センチの画面越しに、ただ憧れていた春の日々。

 そして――陽射しの力が、うんと強まったこの初夏に、私は初めて彼の隣に座りました。


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【書籍化】恋に落ちた私は、彼のフォロワーになった 風乃あむり @rimuro

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