4 特別な1日




 体育祭の日は、ちょうど気持ちのいい感じの曇り空だった。

 暑すぎず、暗すぎず、雨の心配もしなくてすむぐらいの、穏やかな曇天。


 玉入れ、5人6脚、綱引きなど「その他大勢」のための競技に私はこっそり出場し、その合間に応援席で先輩の姿を目で追った。

 応援席といっても、土のグラウンドに石灰で白いラインをひいて、競技を行うスペースと分けただけ。そしてそこに各自が持参したビニールシートを敷くという、雑なやつだけど。


「頑張れーー!」

「あーー惜しいっ」

「よぉしゃっ!」


 1年生と2年生の席を隔てるのも1本のいびつな白いラインだけ。

 その向こうから、イチハル先輩の声が聞こえる。

 信じられないくらい近い、と思った。

 いつもはスマホの画面の中で、文字だけの姿を追いかけている人。遠くから眺めているだけの人。

 その人が、今、ほんの数メートル向こうで一生懸命になっている。笑っている。友だちとふざけ合っている。


「緑組ーー頑張れーー!」

 先輩が出る競技は、他の子たちに混じって私も声を張り上げた。

 障害物競走で、ぶら下がったパンに飛びつくかわいい姿。

 棒倒しの時は、体操着の袖をまくり上げて、ガチだった。

 応援合戦は、旗手。弓道で鍛えたのだろうしなやかな腕の筋肉で、力いっぱい緑色の旗を翻す。


「緑組、勝つぞーーーー!」

 先輩のこの声をしっかり覚えておこう。SNSの文字が声になって聞こえてくるように――


 体育祭、1年生全員参加の最後の種目は、クラス全員リレー。

 入場の準備をしてください、という放送が入り、ぞろぞろと応援席の同級生が立ち上がる。


「頑張れよーお前ら」

「バスケ部で抜かれた奴はあとで罰ゲームだぞ!」

「1位狙えるよー!」


 周囲の先輩たちが激励してくれて、私たちの多くは控え目に、一部のノリのいい男子が派手に応えた。

 不思議だな。普段の生活の中で話したことのない人たちが、こうやって励まし合ってる。


 応援席でスニーカーを履きながら、イチハル先輩の姿を確認した。

 先輩も隣の2年生のブースから出て、応援団らしく声を張り、1年生を送り出してた。男子も、女子も、分け隔てなく。


 体育祭という、不思議な空気。


 同じチームにいるってだけで、声をかけたり、励ましたり、ハイタッチしたり、慰めたり、そんなことができる特別な日。


 この特別な1日が、どうか私に、チャンスを与えてくれますように――

 祈るように、口を結んだ。

 



「なーんて思ってたけど、そんな都合のいい話あるわけないよねー」

 リレーが2位で終わって、そのあとの2・3年生のメイン競技も、最終種目の色別対抗リレーもつつがなく終わって、優勝もできなくて、残念だねってみんなと軽く慰め合って、更衣室で着替えて、教室で担任から連絡聞いて、解散。今ここ。

 そしてフツーに恵華と2人で帰ります。


「チャンスなんか待ってないで、自分で話しかけに行けばよかったじゃん」

「無理」

「即答か」

 自転車を押す恵華の脇を歩いている。学校から駅までの道は住宅街のほぼ1本道で、車の通りも多くない。

「だって無理でしょ」

「そぉ?」

「だって、ホントにカッコよかったよ、先輩」

「そーだっけ?」

「応援旗振ってたじゃん」

「いや、他の人も振ってたし」

「……棒倒しでも真っ先に飛び出してた」

「特に活躍してなかったよね?」

「……声が大きかった」

「そりゃ、応援団だからね」

 もーーーー!!

「恵華は先輩の魅力が分かってない! あんなカッコいい人には、簡単に話しかけられないの!」

 うーん、と恵華は首を捻る。そんなにカッコいいかな、と失礼な独り言をぶつぶつ言ってるので、軽く腕をひっぱたいておいた。




 家に帰ると、いつも通り弟妹たちが騒がしく出迎えてくれた。


「おねーちゃん! 体育祭どうだった?」

「楽しかったよー、菜留なるは今日も小学校楽しかった?」

「うん、まぁまぁかなー」

 小学4年生の女子ともなると、なかなかませたご発言をする。

「でも、ありすは運動神経悪いから、本当は面白くなかったんだろっ」

 菜瑠の双子の兄である留唯るいは最近生意気でメンドくさい。まぁ、殴りかかるフリをすると、高い声で騒いで逃げていくところは、まだまだかわいいけど。


「おねーちゃん、お帰りー! 夕飯にするよー!」

 台所からはお母さんの声がした。返事をしながら階段を登り、自分の部屋で制服を脱ぐ。


 家に帰ると、私は「お姉ちゃん」になってしまう。大貫亜莉子という私に「お姉ちゃん」のラベルが貼られて、その役割を果たすことを期待される。


 6歳年下の双子の弟妹の面倒を見るのは嫌いじゃないけど、私がつい学校で恵華に甘えてしまうのは、家での反動なのかもしれないな。


 先輩もきっと、自分に貼られたラベルを意識して、みんなに気を遣っている人だ。

 部長候補、とか。いつでもしっかりしてる高橋君、とか。

 そういうラベルを気にしないで、甘えられる存在が、先輩にはいるのだろうか? 私に恵華がいるみたいに。

 もしもいないなら、私がそういう存在になれたらいいのに――


 部屋着に着替えて、かばんの中からスマホを取り出す。ほとんど条件反射的にSNSのアイコンをタップし、タイムラインを流し見る。


イチハル 2時間前

今日はおつでした~

↪2 ⇄ ❤27


 この呟きから、かなりの人数の会話が始まっていた。優勝できなくて残念だったとか、打ち上げは明日にしよう、とか。

 先輩のタイムラインはいつもより盛り上がっていた。普段はイチハル先輩と絡みのないような人も、どんどんトークに参加している。

 スマホの画面の向こうに、体育祭後の熱気を感じた。


 今日という特別な日なら――

 私の胸にもまた、その熱気のほんの一欠片がくすぶった。


 こんな日だから――私も、一歩先輩に近づいてもいいんじゃないだろうか。

 この間とは違って、自然に、そっと。


 今日1日を振り返る。

 恵華には言えなかったけど、本当は、何回か先輩と目が合った。

 その度に私の心臓は跳ね上がってしまい、きっとほっぺだって赤くなっていた。

 1日中視線で姿を追いかけてたから、当然起こり得ることなんだけれど、その都度いちいち動揺してしまう。


 でも、先輩の対応はそつがなかった。

 にっこり笑って、すぐ目線をどこかに移す。

 それだけ。

 こちらにプレッシャーもかけないけど、こちらに興味もない、そういう仕草。

 胸が、痛かった。


 恵華の言う通りだ。まずは私のことを知ってもらいたい。

 そうじゃなきゃ、なんにも始まらない。



返信先:@ichiharu_lampsさん

今日はお疲れさまでした。勝てなくて残念でしたが、楽しかったです(*'▽')

↪ ⇄ ❤



 人生最大の勇気を出して、返信ボタンをタップした。


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