第四章 パンケーキと勾玉
文奈と付き合い始めてから彼女といろんな場所に遊びに出掛けた。クリスマスにはオレンジパークに行ったし、バレンタインデーには展望台に行った。
しかし、彼女が一番喜ぶのは此処、考古学博物館だ。他の場所では九分咲きの笑顔も此処では満開だ。二人は特別展が催される度に足を運んでいる。ほとんど考古学博物館に来た事が無かった雷五郎もすっかり常連客だ。
「いっちゃん、勾玉作りに行こう」
春に来た時は青銅鏡を作ったが、今回は勾玉を一緒に作ろうと約束していた。
白い滑石を耐水ペーパーで削りながら文奈と話す。彼女と話していると時間が経つのは早い。艶が出るまで磨くと紐を通して完成だ。
表面が滑らかに仕上がり、光沢のある勾玉に雷五郎は満足する。
「いっちゃん、上手だね」
文奈に褒められると更に嬉しくなり、頬が緩む。
黒い紐に通した勾玉を文奈は首に掛ける。
「可愛い」
雷五郎はニヤけそうになるがそれを堪える。そして、リュックサックの中に自分の勾玉を仕舞う。小学生の時に作った勾玉は失くしてしまったが、この勾玉は絶対失くさないようにしようと彼は思った。
その後二人はカフェで昼食を取る事にした。彼女に手を掴まれ、店まで歩いて行く。未だに緊張してしまう。
博物館内のカフェに辿り着き、窓際の席に座ると彼はオムライス、文奈はドリアを注文する。
ジャズが流れる店内で雷五郎は文奈の顔に見惚れていた。
「いっちゃんはどんな埴輪が好き?」
文奈はグラスに入った水を飲むと首を傾げる。突然の問い掛けに雷五郎は一瞬返答に困ってしまう。
「踊る埴輪かな」
特別その埴輪が好きという訳ではないが、真っ先に思い付いた物を答える。
「踊る埴輪可愛いよね。私は円筒埴輪が好き!」
相変わらず雷五郎には彼女の好みが理解出来ない。
暫くして料理が運ばれてくると二人は食べ始める。
デミグラスソースが掛かった黄色い玉子にスプーンを刺す。中から橙色に輝くチキンライスが顔を覗かせる。スプーンを口に運ぶとふわふわする玉子とチキンライスが絶妙に混ざり合う。
食事を終え満足すると雷五郎は文奈と特別展を見て回る。未だに彼には展示物の良さが分からない。文奈はいつもと同じように楽しそうにそれを見ている。気が済んだようで特別展示室を出た彼女は雷五郎の手を握る。
「パンケーキを食べたら帰ろうか」
博物館の後は最近商店街に出来たパンケーキ屋に行くという約束をしていた。雷五郎は頷くと彼女と博物館を出る。
パンケーキ屋のクロッカスは大通りにある。雷五郎が事前に下見をしているので味は心配ない。
店内に足を運ぶと女性店員のいらっしゃいませ、という声が聞こえてくる。空いている席に座り、メニュー表を二人で眺めた。雷五郎はすぐに注文する物を決める。一方、文奈は写真を見ながら迷っている。結局彼女は苺とブルーベリーのパンケーキを頼んだ。
文奈はベリーソースをパンケーキに付けながら無邪気な笑顔でパンケーキを口に運ぶ。
「美味しい」
文奈は口元を手で隠しながら微笑む。
雷五郎はバターとメープルシロップが染みこんだふんわりとしたパンケーキを頬張る。このシンプルな味が彼は好きだ。
「そういえば今夜雪が降るらしいね」
文奈はそう言うと白いティーカップを両手で持って紅茶を飲む。
「今夜は冷えそうだな」
今朝の天気予報では夜から雪が振ると言っていた。雷五郎は窓越しに外の景色を眺める。しかし、雲を見ても雪が振りそうな気配はまだ感じられない。
会計を済ませてマフラーを巻きながら店を出ると店内との温度差に雷五郎は思わず身震いをしてしまう。
彼女を家まで送るために北へ歩いていると彼はある事に気付く。
「あれ? 勾玉は?」
彼女の首にある筈の物がいつの間にか失くなっている。彼女も首を触るとその事に気が付いた。
「いつの間に失くなっちゃったんだろう……」
悲しげな彼女の表情を見て雷五郎は探しに行こうとするが引き止められる。
「何処で落としちゃったか分からないし、きっと見付からないと思うから探しに行かなくてもいいよ。雪が降る前に帰ろう?」
彼女は灰色の雲が立ち込める空を見上げる。晴れていた筈の空はいつの間にか曇っていた。雷五郎は頷き、彼女を家まで送る。
彼女が家の中に入ったのを確認すると自宅に帰らず商店街の方へ戻って行く。
商店街のタイルの上を彼は目を皿のようにして見る。しかし、勾玉は見付からない。そして、クロッカスの前に辿り着く。店の扉を開け、店員に勾玉の落し物が無いか尋ねる。しかし、店員は首を横に振るだけだ。
更に商店街を南に進み、商店街を抜けると博物館に向かう。勾玉はまだ見付からない。博物館にも行くが結局勾玉は発見出来ないまま博物館から出て来る事になった。沈んだ顔付きで歩道を歩いていると背後からエンジン音が聞こえてくる。
黒いスクーターが彼の側で停まると靜也が声を掛けてくる。下を見ていた雷五郎は思わず顔を上げる。
「暗い顔してどうしたの?」
雷五郎は彼に訳を話す。
「じゃあ、俺も手伝うよ」
靜也はスクーターから降りると手でスクーターを押しながら視線を滑らせる。
「ありがとう」
二人で懸命に捜すも勾玉は出て来ない。
すると突然軽快な音楽が流れる。靜也は上着のポケットから携帯電話を取り出すと電話に応答する。
「母さん、ごめん。今すぐ帰るから! 今日は囲碁をしてた訳じゃないって。いっちゃんの捜し物を捜すのを手伝ってたの!」
短いやり取りを終えると彼は携帯電話を仕舞いながらスクーターに跨る。米を配達したのはいいが、配達先の高齢者と囲碁の対局を始めてしまい、なかなか帰ってこないという事が彼には何度もあった。そのため母親に囲碁をしているのかと思われてしまった。
「ごめん、次の配達があるから俺もう帰るよ。勾玉見付かるといいな」
彼はそう言い残すとスクーターで走り去って行く。
静寂に包まれた道を雷五郎は一人で歩く。その時、白い物が降ってくる。雪だ。次第に雪の勢いは増す。今夜は積りそうだ。彼はそう思った。そうなると雪が積もる前に勾玉を見付けなければならない。もし道端に落ちていたなら雪が積もれば勾玉は雪に埋もれてしまう。それに加え、白い勾玉を雪の中から捜し出すのは困難だ。
日が傾き始めて辺りは徐々に暗くなり始める。気温が下がり、吐く息が白くなっている。だんだん捜索が難しくなってきた。彼は商店街の方へ足を進める。アーケードの下は昼間のように明るい。彼処なら夜でも地面がよく見える。
次は商店街を探そうと歩いていると遠くの方から人影が見える。
「いっちゃん!」
文奈だ。彼女は彼の元へ駆け寄る。
「文奈、何で此処に居るんだよ」
「お母さんに頼まれて魚を買いに来たの。そしたら配達から帰って来た佐久間君に会って、いっちゃんが勾玉を捜してる事を教えてくれたの」
文奈は手袋をした手で雷五郎の素手を握る。冷え切った手に温もりが伝わる。
その後、二人で商店街を捜し回ったが、何も変わらなかった。
「見付けられなくてごめん。魚が傷むといけないし、風邪を引くといけないから諦めよう」
気が付けば商店街の店は殆ど閉店してしまいシャッターが閉まっている。
「折角捜してくれたのにごめんね……」
文奈は俯く。
「文奈が謝る必要なんて無い。これあげるから元気を出して」
雷五郎はリュックサックを下ろすと自分の勾玉を取り出して彼女の首に掛ける。文奈は驚いて彼を見上げる。
「いいの……?」
雷五郎は無言で頷く。
「あの時と同じだね」
文奈は懐かしむように雷五郎を見ていた。
「え?」
雷五郎には訳が分からない。
「覚えてない? 小学生の時に私が博物館で迷子になって泣いてた時に勾玉をくれたでしょ?」
彼は確かに一度だけ小学生の時に考古博物館に訪れ、勾玉を作った。勾玉は失くしてしまったと思っていたし、彼女と話した記憶も残っていない。
「ごめん、全然記憶に無い……」
すると文奈はコートのポケットから家の鍵を取り出す。それには勾玉が付けられていた。少し形の悪いそれは彼が小学生の時に作った勾玉だった。それを見た彼は朧気だが記憶が蘇る。
「ずっと失くしたのかと思ってた」
文奈は無言で首を横に振る。
「いっちゃん、あの時より痩せたでしょ?」
雷五郎は頷く。あの時の雷五郎は今のように筋肉は無く、ただ太っていただけだった。
「それに背が伸びてたからびっくりしちゃった」
彼は元々背が高かったが、中学に入ってから更に伸びていた。
「中学に入ってから三十センチ以上は伸びたからな。……文奈、帰ろうか」
雷五郎は彼女の手をそっと握る。あの時も文奈の家族を見付けるために手を繋いで歩いていた。
「迷子にならないように家まで送っていってあげるよ」
雷五郎は冗談交じりに言う。
二人は人気の無い商店街をゆっくりと歩き始めた。
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料理と花と考古学 万里 @Still_in_Love
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