機械少女
武市真広
機械少女
機械少女
「ついに、ついに完成したぞ!」
科学者の伊藤はそう叫んだ。
広い研究室には、彼と”彼女”以外誰もいない。堆く積み上げられた資料や乱雑に置かれている工具。
伊藤の声に反応する者は誰もいない。”彼女”はただ焦点の定まらない瞳を床に向けている。
伊藤は”彼女”の顔をまじまじと見つめた。
そして、両手で”彼女”の頬にそっと触れてみた。不自然な暖かさ。どれほど巧緻に作っても、人間の温もりだけは完璧に再現できなかった。
”彼女”は伊藤が作ったロボットだった。
見た目だけなら本物の人間と少しも変わらない。街を一人で歩いていたとしても、誰も不自然には思わないだろう。
伊藤にとって「身体」を作ることは容易かった。人工の皮膚自体は他の研究者によって既に生成されていたし、人間に近い動きだって高名な技術者によって再現されていた。伊藤はそれら既存の技術を応用したに過ぎない。
彼が最も苦悩し、数年以上の歳月を費やしたのは、「心」だった。いかにして”彼女”に人の心を与えるか。伊藤は寝食を忘れて研究した。何日も徹夜し、様々な本を渉猟した。科学に止まらず、哲学や歴史といった分野に至るまで。
機械に心を与えることなど不可能だ。その常識を打ち破るために伊藤は必死に研究を続けた。何度も諦めそうになったが、その度に彼女との思い出を追憶し、自らを奮い立たせた。
伊藤は努力の末に、ついに”彼女”に心を入れることに成功した。
彼女──早紀は伊藤の恋人だった。彼が大学生の時に同じゼミで知り合い、実は同じ街の同じ学校の出身だったことがわかって意気投合した。そして少しずつ親密になっていった。
だが、伊藤が院に入った年に早紀は突然病で亡くなってしまう。伊藤は最期の時を彼女の家族と共に看取った。彼女は安らかな顔で亡くなった。ベッドの上に横たわる彼女の手をそっと握って、伊藤は静かに泣いた。その時の彼女の手の感触を、彼は生涯忘れない。彼女の家族は、悲しみに沈む伊藤を慰め、今まで娘を大切にしてくれたことに礼を述べた。彼は何も言わないままただ泣き続けた。
食事も喉を通らず、彼はすっかり窶れてしまった。大学を休むということはなかったが、どこか虚ろで、教授の話なども耳に入っていなかった。見かねた大学の友人が、何か没頭できることをやれと言葉をかけた。それが彼にとっての新たな希望となった。
伊藤は当時最先端であった人工知能の研究に没頭していった。そこに機械工学やロボット工学などの要素を加え、人工知能を搭載したアンドロイドを作ろうとしたのだ。今は亡き彼女を作ろうとした。それはもう現実逃避だった。彼女の死を受け入れられず、彼女を作り上げることで、彼女を独占したかった。
同期からは変人呼ばわりされ、教授陣からも苦笑を受けても、伊藤は全く気にしなかった。ただもう一度、彼女を手に入れたくて。
卒業後、研究室に残った伊藤は研究により没頭した。同情した学長の計らいで、彼専用の研究室も与えられた。
苦心の末、伊藤はついに”彼女”を完成させたのである。
伊藤は”彼女”の電源を入れた。程なくして起動したことを確認する音声が流れる。
人間らしい自然な首の動きと共に、定まっていなかった視点が、ただ一点伊藤の目に固定された。
動きは限りなく人間に近いが、やはりどこか違和感があった。「生きている目」ではないのだ。伊藤もそのことを感じつつも、正常に動くか見守った。
何度も動作の過程で失敗してきた。ある時は立ち上がれずに倒れてしまったり、小刻みに震えて動かなくなったりした。しかし、今回は上手くいった。”彼女”は二本の足で立ち上がり、伊藤の前で腕を伸ばしてみたり、手を握って指を動かしたりした。動作は実に滑らかで、従来型のロボットとは比較にならないほど人間に近い動きだった。しかし、機械は機械だ。どこまで人間に近づけても「人間味」に欠けていた。
心の奥から、実験が失敗した時とはまた別の悲しみがこみ上げてきた。言葉では表現できない悲しみである。最後の部品を組み入れた時、彼は歓喜のあまりに飛び上がった。だが今はどこにも喜びはない。
「今日は良い天気ですね」
生前の彼女の声を元に作った機械音声が響く。
「ああ」
伊藤は”彼女”とどう話せばいいのかわからなかった。完成した時、彼女と何を話そうか。そんなことはまるで考えていなかった。
「ご機嫌いかがでしょうか?」
「僕は元気だよ。君はどう?」
「私も元気です」
あくまでも紋切り型の挨拶に過ぎない二人の会話はここで途切れた。
作り物の心は、彼女の心ではない。機械の脳が作り出したものに過ぎない。
完成した”彼女”は傍から見れば完璧なロボットだった。人間そっくりで、誰もロボットとは疑わない。
だが伊藤はこれ以上ないほどの空虚を感じていた。精巧にできた”彼女”を見つめても、あの頃の懐かしさは感じられなかった。
そして伊藤は、死んだ彼女と再会して再び自分のものにすることなど到底できないのだと悟った。必死で作り上げた”彼女”は本物の彼女と程遠く、ただの機械に過ぎない。あの温もり、あの瞳、あの心、全ては過去にしか存在しない。再び作り出せるものではないのだ。
「早紀……」
伊藤は寂しそうに呟いた。
失ったものは帰ってこない。伊藤もそのことは理解していた。しかし理解していても、受け入れることができなかった。
「神様も酷いことをなさる」
伊藤が自嘲気味にそう呟くと、”彼女”は不自然な感じに首を傾げた。
テストついでに”彼女”と一緒に書類を整理して、散らかっていた道具類も片づけた。乱雑だった部屋が、かなり広くなったように感じた。こんなに広い研究室を自分のために貸し与えてくれた学長に、伊藤は改めて感謝したくなった。
彼女が死んでから空いていた心の穴は、結局埋めることができなかった。彼女をもう一度独占することで、心の隙間は埋まると思っていた。でも現実は違った。”彼女”を作り上げても、隙間は埋まらなかった。
”彼女”を完成させた今、伊藤は目標を失った。
完成した”彼女”を見て貰おうと、伊藤は”彼女”を連れて研究室を出た。
伊藤が研究室にずっと引きこもっていたために、仕事以外殆ど伊藤と顔を合わせたことがなかった同僚たちは驚いた。
そして彼の後ろを付いて歩く、人間そっくりの”彼女”を見てさらに仰天した。
あの研究室に伊藤以外は”彼女”しかいないことは周知の事実だった。しかしその余りにも人間と変わらない姿に、同僚たちの多くが”彼女”が本当にロボットだとはとても信じられなかった。
「ついにできたんですね」
後輩の研究員が早速祝いの言葉を述べた。伊藤も返礼したが、内心ではあまり嬉しくはなかった。今回も失敗かと思ったその時、もしかするともう完成することはないと直覚した。彼女を作ることなど不可能だ。どれだけ精巧に作ったとしても、それは彼女ではない。結局、失ったものは帰ってこないという答えに行き着くために、ただ無駄に時間を使ったに過ぎなかった。もう”彼女”を作るのは止めて、ロボットとも関わらないで生きていこう。そんなことを考えている間にも”彼女”は他の研究員に話しかけられたりして、一人ずつ応対していた。複数人に話しかけられても応対した時には、拍手が起こったりもした。
「いやぁ、これは凄い」
伊藤よりもかなり年上の研究員がそう声を上げると、他も同意して頷いた。
伊藤はあてもなく歩き出した。”彼女”も話を途中で遮って、付いてきた。
ちょうど昼下がり。大学の構内は昼休み中の学生で賑わっていた。
外に出て、太陽の眩しさに思わず、立ち眩みがした。
こうして外に出歩くのは久しぶりだった。
近くにあったベンチに腰掛け、何気なく空を見上げてみた。晴天に大小さまざまな大きさの雲が浮かんでいる。
”彼女”も伊藤の隣に座り、同じく空を仰いだ。
「あのさ。俺、君のことが好きだ」
なぜこんなことを呟いたのか、伊藤自身にもわからなかった。ただ口をついて出た言葉がそれだった。
「……私もです」
「君は早紀だが、早紀じゃない」
「……」
意味がわからないのか黙り込む”彼女”。
「敬語はやめにしてくれ」
「わかりました」
「君の心は早紀の心じゃない」
「ええ。私は彼女じゃないもの」
「見た目はそっくりなのにな」
「貴方が似せて作ったから。でも中身は全く違う。私は到底彼女にはなれない。人間の命は一度きりで、かけがえのないもの」
「失ったものをもう一度手に入れたかった」
「人は死から逃れられないわ」
「君は不死身のようだが」
そう言って伊藤は軽く笑いながら、”彼女”の顔に目をやる。
「私も貴方のメンテナンスがなければ、いつか動かなくなるわ」
面白いことを言うものだなと思いながら、ふとこれからどうしようかと考えてみた。
もうロボットは作らない。大学の研究員としてやっていく以上はロボットとは切っても切れない縁となるだろう。しかしもう関わりたくもない。どこか地方の高校で、理科でも教えて生きていきたい。
そんなことを考えてはみたが、今一つ決めかねている。
「俺はこれからどうしようか」
さり気なく呟いてみる。
「……貴方がいないと、誰も私をメンテナンスできないわ」
「そんなことはないさ。やり方さえ教えれば、誰にだってできる」
「私を作ったのは貴方よ」
「だから?」
「貴方がいなきゃ駄目よ。例え他の人にメンテナンスの方法を教えても必ず何か問題が起きてくるわ」
「……うん」
思わず生返事で返す。
「私寂しいわ」
意外な一言だった。
アンドロイドの口からそんな言葉が聞けるとは予想外で、伊藤は機械に彼女の面影を見た気がした。
「……君とはずっと一緒だったからね」
「ええ。貴方が私を作ったのだから。だからね、私寂しいのよ」
”彼女”にそう言われてしまえば、さっきの考えも揺らぎかけてきた。
「遠くになんて行かないで。貴方と会えなくなるのは寂しいから」
「機械だけど、私は心を持ったロボットよ。離れ離れは嫌」
「わかった。どこにも行かない。側にいるよ」
”彼女”は少し微笑んで、それ以上は何も言わなかった。
通りがかる学生は、特に”彼女”を怪しむ様子もなく、二人の前を通り過ぎていく。
「ずっと側にいて」
「うん」
心にはぽっかりと穴が空いたままだが、希望が消えた訳ではない。
具体的な形ではないが、伊藤は漠然とした「何か」に希望を抱いた。
”彼女”はただ静かに笑ったまま。伊藤も笑顔で返した。
終
機械少女 武市真広 @MiyazawaMahiro
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