商業
関東においてこれまでの秩序を乱す。実質的な下剋上。守護や有力な家臣以外のものが国を乗っ取る動きを始めたのが北条早雲の伊豆侵攻。その切っ掛けとなったのが大地震に伴う津波被害。被災した地域の中には早雲(ないし今川)と関わりの深いモノがおり、流行り病などで苦しむ被災者のために様々な救援物資を持って伊豆に入り、その後、早雲は天災よりも酷いことを伊豆の民に……。もっともそこは早雲。税率を下げるなど民に対し広く徳を施すことにより、(たぶん)円滑に伊豆をまとめ上げることに成功したのでありましたが……。そんな国の行く末を左右し兼ねない災害によって税を巻き上げる資格を失ってしまっては適わないと川の上流から下流に至るまでつるはしともっこを背負い奔走する元親。そんなある日。
(……ここを活かさなくては、折角のコメを捌くこともままならぬ……。)
と目を付けた場所。それが土佐中部の河口地帯に拡がる浦戸港。
浦戸は古くは平安時代。国司として赴任するため土佐に入った紀貫之が最初に上陸した場所として彼の紀行文『土佐日記』にも登場する古から活用されて来た天然の良港。土佐の国は海の交通が発達していた瀬戸内や紀淡海峡に出る陸路の全てが急峻な山に阻まれていたこともあり、太平洋岸を船で行き来する海の道がメインルート。この道を活用するためにはこの浦戸の港を安全なモノとしなければならない。そこで問題となるのが浦戸の立地条件。たしかに浦戸の港内部は東西に深く入り組み、波も穏やか。理想的な寄港地であったのでありましたが、その浦戸から一歩外に出るや否や太平洋の荒波に揉まれることとなり、加えて土佐は大津波により幾度となく被災。それは浦戸の港も同様のこと。中に深く入り組む構造であったことが災いし、湾内に侵入した津波が行き場を失い。更に高さを増した津波による被害が絶えなかった。
(津波に弱いとは言え、これだけの物資を陸の道で処理することは出来ぬのであるのだから……。)
と元親は浦戸と太平洋とを結ぶ桂浜に浦戸最初の港湾整備となる突堤を築くのでありました。のちに『元親波止』と呼ばれることとなる。残念ながら太平洋の荒波により消失してしまうこととなってしまったのでありましたが。ここから読み取れることとしましては、この時代。中央政府があって無いような時代であったため記録として残されてはおりませんが、このような大規模な港湾整備をせざるを得なかった事情。南の海からの某かの災害がここ浦戸に遭ったから元親は港を守るために手を打たざるを得なかった。のでは無いか……。
では何故こんな危険なところに物資の集積地を設けなければならなかったのか?につきましては、浦戸より便利な太平洋を航行すのに耐え得るだけの船が入ることの出来る『天然の港』が存在しなかったことに加え、一生の内。一度あるか無いかの天災を除いては安全な場所であったから。そもそも港は海に面しているため安全では場所では当然無い。それを承知の上で活動をする場所であるから何かあっても基本的には自己責任。
とは言え土佐一国の主として収まることになった長谷部家が「何かあっても……。」と言い張るわけにはいかず。(税を取り立てる理由を失うことになりますので。)
(トップに立つのも大変だな……。)
と元親の水との闘いの日々は続くのでありました。
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