裸足で行かざるを得ない
オカワダアキナ
裸足で行かざるを得ない
(2016/12/10 イースタンユースのライブから想起したもの。「裸足で行かざるを得ない」は1996年のシングル曲)
「レッドアイひとつ」
キャッシュオンデリバリーのカウンターでおれがそう注文したつぎのしゅんかん、うしろから千円札が二枚にゅうっと突き出された。女の手だ。
「ふたつで」
それ払いますよ、と女の子が笑う。表情は少々ぎこちない。が、チェスターコートがなかなかしゃれている、いまタグを切ったばかりといったふうだ。しつけ糸がついていないかおしりをたしかめる。OK、ちゃんと切ってある、少なくともハサミは持っているワカモノだ。
土曜の渋谷のHUBなんてこういう輩ばっかりで、クリスマス前だから街も人も浮かれきっていて、とはいえおれだって財布のなかみが心もとないわけで、「じゃ、おことばに甘えるね」と言ってみせ、二分後には女の子とかちん、とグラスをぶつけていた。
「二杯目はおれが払うよ」
「二杯目があるんですか?」
「一杯目しだいだね」
人種も性別も問わず、というほどではないが、ヨルのシブヤでちょっと酒飲みたい、そんなカテゴライズ、なんとなく20代が中心、地下の店は土地柄と円高により外国人が目立つ。席は埋まっているからカウンター近くに立ったままで、立食パーティーみたいだと思う。はじめまして、ごきげんいかが。
「ひとりですか」
「ひとりだから声かけたんじゃないの?」
「いちおう確認です。私もひとりです」
「奇遇だ。話が合いそうだね」
おにいさん面白いねと女の子は笑う。20代前半くらいか。ずいぶん歳下だろう。
女の子が話すには、なにやらクリスマスのDJイベント(!)に参加しているそうで、制限時間までに街で男の子を何人かナンパしてきて証拠の写真を撮ってこいというゲームなのだそうだ。それをすぐ白状してしまう不慣れがいいと思った。
「どうしてひとりで飲みにきたんですか?」
「そこのクアトロでライブみてきた帰りで、のどがかわいたから。ひとりでパッと飲んでパッと帰るのが好きなんだ」
ふうんと女の子がうなずく。
「こんなふうに思わぬ出会いもあるからですか?」
「ないね。ひとりで飲むときは誰ともしゃべらないようにしてる」
「もしかしていま迷惑ですか?」
「いや、きみは数少ない例外」
あっ嬉しい、と女の子が笑う。これじゃどっちがナンパかわからねえなと思う。
「なんのライブ?」
「イースタンユース」
「知らない」
「そういうバンドがあって」
むかしからいるバンドで、三人組、ベースが最近変わった。さけぶような歌。男子畢生危機一髪っていうアルバムが好き。
「ねえ、名前教えてくださいよ」
女の子が言う。名前。
「——」
反射的に言ってしまったのは、もうこの街にいないおまえの名だった。意味なく嘘をついてしまうのは、おまえの嘘つきがうつったのだろう。ちょいとおまえのふりをしてみる。
イースタンユースの「極東最前線」は毎年年末におこなわれるライブイベントで、いつも行けずにいた。12月の土日はいつだって思いきり仕事が忙しく、お城を眺めるシンデレラのため(いや王子さまとよぶには相当に無理のある禿げたおっちゃんたちなのだけど)。
「今はめでたく無職でしょ」
そう言っておまえは笑った。ボーダーのTシャツ。互いに仕事を辞めたばかりで、昼間からビールを飲んでいた。
「まんをじして行こう。チケットとっといてあげるよ」
9月のことで、夏が名残惜しそうに光や熱を風に残していた午後だった。すいすい飲むくせにいつのまにか許容量をこえてしまったおまえは真昼の公園で吐いてしまい、そのハタ迷惑さが、しかし、いとしかった。ゲロをふいてあげたイキオイで、いっかいだけ、キスをした。味なんて覚えていない。
おまえはおれのことを好きだ好きだと言うけどそれだけで、バイトが入ったと約束をドタキャンしてはどこぞの誰かと泊まりに行ってしまう。まったく顔色をかえずに嘘をつく。
どうして嘘がうまいんだろうねと皮肉を言ったら、
「ふだんから嘘ばかりついているから、自分でもどれが嘘なのかわからないんだ」
とすました。つまり自分で自分をだますのが得意だったようで、そうしているうちに自分のこころみたいなものが制御できなくなってしまい、スイミンヤクに頼りきりでふわふわしていたり鬱々としていたりした。
「チケットなくしちゃうから、自分のぶんは自分で持ってて」
秋の日、あらかじめおれにチケットを渡しておいたのは、伏線だったのだろうか? おまえは12月の少し前にいなくなってしまい、ライブはひとりで行くはめになった。ぶらっといなくなってしまったおまえが今、どこでどうしているのか、知らない。共通の知り合いもわからないと言う。たぶん東京にはいないんじゃないかなと誰かが言った。東京の戦争に疲れたと言っていた気がする。
そうして2016年12月10日、イースタンユースの「極東最前線」。75年前のおととい、太平洋戦争がはじまったこととはなんの関係もない。一曲目は「砂塵の彼方へ」だった。砂塵。
「へえ、絵を描くんですか」
アクリルで描くことが多い、たまに油もやる。おんなのひとを描くのが好き。描いたキャンバスが部屋にどんどんたまっていく。売ってお金にしたいけど、なかなかうまくいかない。東京は、戦争みたいなものだから。
「すごいですね」
「手を動かしているのが好きなんだ」
おまえの名前、おまえの年齢、おまえの好むこと、なんだって言える気がした。おれはいっさい絵を描かないが、おまえの話はいくらだってできる。ここにいないおまえのことを自分のことみたいにしゃべってみると、おまえの不在が薄まるんじゃないかって、いや、そんなことはないな。ますますかなしくなるだけだ。ここにおまえはいない。おれ、何やってんだろう。
「きみがDJやってるの?」
「全然、趣味ですけどね」
女の子は照れくさそうに笑った。
「仕事は別にあるんだね?」
「はい。自衛隊です」
「自衛隊?」
「陸上自衛隊。前はミサイルを迎撃する部署にいましたよ」
「すごい、女の子なのに」
「すごいのかな。うん、まあ、倍率はすごいかもしれない。スクランブルになると基地から一歩も出られないんですよ、けっこうヒマで」
「でもいざというとき撃ち落とさなけりゃいけない」
「そうです。でも集団生活がつらくて、更新は迷ってますね」
「更新?」
「3年更新なんですよ」
「兵隊ってそんな契約社員みたいな感じなんだ」
「自衛隊は兵隊じゃないですよ」
女の子が笑った。そうだね。きみは兵隊じゃないし、おれも兵隊じゃない。いなくなったあいつもそうだろう。おれたちは誰とも戦争しない。
「ふうん、自衛隊であってDJでもあるんだ」
「や、DJは趣味ですけど」
「カラフルでうらやましいよ」
おまえがいなくなって、12月はよく晴れていて、しかし風がつよくて寒い。おまえとケバブ屋のにおいのするセンター街を、酔っ払って肩を組んで歩いたことを思い出す。夏っていつ終わったんだっけ? そういえばイースタンユースは今日、「夏の日の午後」もやった。おまえと一緒にライブに出かけていたら、あるいはもう一度キスしたかもしれない。照明の明滅がこぼれるフロアで、音にまぎれて。血管の浮くおまえの手。そこからうまれるぐにゃぐにゃした絵。おまえがいなくなって、絵が残った。
「私こういうふうに声かけるのってほとんど初めてで。こんなにリラックスしてしゃべれるとは思わなかったです」
自撮り棒というもので証拠写真とやらを撮る。やれやれ、これじゃ吉野のことを笑えねえぞと思う(イースタンユースのいまのアー写、吉野が自撮り棒で撮ったふうの間抜けなものについて、おまえとさんざん笑ったことだって思い出してしまうんだ)。
「そりゃよかったね」
「なんでですかね?」
おれが女というものをあまり好きじゃないからじゃないかなと思うが、さすがに言わない。そんな開示は立食パーティーでは無用だ。きょうみのないものとは適切な距離がおけるという世のコトワリで、あえて言わないことは嘘ではない。タクシーの運転手や美容師とは屈託なく話せるのと似ているかもしれない。利害関係のない気楽。
「さっきお願いした人とはあんまり話がはずまなくて。難しいもんですね。明るい感じの人で、××さんって名前もかわいくて」
「え?」
××。それはおれのあだ名だ。
「写真は笑ってくれたんですけどね」
そうして向けられたiPhone7の画面には、紛うことなきおまえの顔。HUBのグラスを持って、いつもの笑み。たれ目が糸になっている。ちくしょう、レッドアイというところまで、かぶった。
「このひともう帰っちゃった?」
「どうかな。一時間くらい前だから」
二杯目はナシだ、ごめんね。女の子にそう言って、階段を駆け上がる。22時を過ぎた渋谷は22時的にざわめいていた。
「——」
名前をつぶやいてみる。姿なんて見えないし、返事もない。そりゃそうだ。砂塵の彼方へ。そうなのだろう。
「生きてるだけで上出来」
それはさっき吉野がMCでぼやいた言葉で、おれの言葉ではない。禿げつつあるあたま。そうして吉野は最後の曲を歌い始めたのだ、「2017年も『裸足で行かざるを得ない』」と言って。
おまえは兵隊じゃないし、おれも兵隊じゃない。おれたちは誰とも戦争しない。そういうことになっている。裸足で行かざるを得ない。のか?
ところでレッドアイはビールとトマトジュースをステアしたカクテルで、赤い目の二日酔いが迎え酒に飲むからそういう名だという。おまえもおれもいまだ酒が抜けていないらしいな。嘘じゃないよ。
〈了〉
裸足で行かざるを得ない オカワダアキナ @Okwdznr
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