第3話 かなたの海

 雨が降り続いている。

 季節外れの長雨に、冬の海は荒れ狂い、大波を投げかけては岩を削る。天を割るかのごとき雷鳴は、赤や紫、青や緑の閃光をもって小島を抉った。船は波に翻弄される木の葉のよう、鉛色の海に攫われたかと思うと、木っ端となって再び島に流れ着く。

 内海の孤島の住人、鬼たちは嵐によって島に閉じ込められていた。時化も気難しい海流もものともせずに船を操る鬼たちであったが、大嵐が相手では為す術もない。

 漁に出られぬ今、食糧は底をつきかけている。人魚たちが苦労して運んで来る魚や貝、島の洞穴で育つ苔や打ち上げられる海藻を齧っては、糊口を凌いでいる有様だった。

 この長雨はどうしたことじゃ。

 猿どもの港が沈んだらしいぞ。

 人魚たちも海の変化に困っておる様子。

 ――若、

 ――殿。

 何が起こっておるのじゃ。我らはどうなってしまうのじゃ。

 車座になった長老たちが嘆き、頭を抱える。鬼たちの長は巌のごとく口を閉ざし、鋭く彫りの深い目で墨色の空を睨みつけていた。

 父王とて、天の機嫌を取ることはできまいて。

 彼は伸び放題の髪をばりばりと掻いて、広間を辞する。鬼たちが住まう島の奥、山頂に近いところに設けられた広間から住処の洞穴地区に降りるには、吹き曝しの隘路を抜けねばならない。爺様の一人二人は飛ばされてしまうやもな、と彼は不謹慎な笑いに口元を歪ませた。

 大波に備えて高台に設けられた洞穴地区を抜け、人魚の池に向かう。

 池と呼ばれているそれは、正確には池でも、湧水でもない。島の中腹にある水面を指して、池と呼んでいるにすぎぬ。

 深く潜ってゆくと、池は井戸のごとく狭い縦穴であると知れる。やがては横穴となり海に抜けるのだが、人魚でもない限り、池から海に出ることは不可能だろう。

 この池は、かつては人魚の女王と姫が鬼たちと見える場として使われていた。今は、尾を失って二本の脚を得た人魚の姫が暮らしている。

 海面の上昇に伴って溢れた水が、洞穴をちょっとした水溜りに変えていた。姫は着物が濡れることも厭わずに縁石に腰掛け、芥子色の袴を勇ましくたくし上げて、むき出しの脚を池に浸している。

 水を跳ね上げる音を聞きつけたか、姫がゆるりと振り返った。

 尾を失い、魅了の眼を失い、呪縛の声を失った人魚の姫は、悲嘆に暮れることもなく鬼と人魚の仲介役を務めていた。失った呪力の代わりにか、非常に勘が鋭くなり、天候や漁の結果、ヒトどもの動向をぴたりと言い当て、未来を報せる夢を見る。姫が尾を失ったことを嘆く声は多かったが、新たな不思議の力の獲得を寿ぐ声もまた、多かった。


「若。お話がございます」


 青水晶の両の眼は、他の人魚と違って瞳を有し、彼に焦点を結ぶ。珠を転がす声

は、彼の耳を甘くくすぐる。


「……話、とは?」


 涼やかな声が背筋にまとわりつくようで、彼はぶるりと肩を震わせた。雨に濡れ、冷えたせいだと姫が思ってくれると良いのだが。


「この長雨の件にございます」


 話といえば、そのことしかあるまいに。水滴がまろぶように冷えた頬をなぞり、滑り落ちてゆく。


「……聞こう」




 つながったわ、と翅を震わせ、スカートを膨らませて小人は言いました。

 うん、と頷いて、彼は空を見上げました。

 砂に覆われ、黄色く濁る、空を。




 夢で見たのです、と切り出した人魚の姫に、彼は知らず身を乗り出していた。


「予知か」


 止む気配のない長雨と大風に鬼たちは困り果て、参っていた。このまま飢死という緩慢な滅びを待つか、それを厭うならば自死を選ぶしかないとまでに追い詰められている。冷えと飢えのために病に伏せる者、不調を訴える者が増える中、姫の夢が何がしかの助けになるのではと、一条の光明を目にした思いであったのだ。


「判りませぬ。この世のものとは思えぬ景色でした」


 姫の答えは、どうにも不可解なものであった。予知ならば、遠き日のことにせよ、明日のことにせよ、見慣れた光景が夢に現れることだろう。この世とは思えぬ景色からどうして、うつつの長雨を連想しよう。


「光る蝶が、いえ、翅の生えた小人と申しましょうか、珍妙な生き物が言うのです。海の国はそちらか、長雨に見舞われる国はそちらか、と」

「答えたのか」


 姫は疲れたように、深海の色の髪を揺らした。


「夢の中で呼びかけられるなど、初めてのことゆえ……。申し訳ございませぬ」

「いや、いい。責めておるのではない」

「向こうは、薄ぼんやりと黄色い霞を帯びた、明るいところでした。それから……小人の他にもう一人、子どもがいました」


 要領を得ぬ話に、彼は口を曲げた。夢というには明瞭で、かといって予知というには曖昧にすぎる。第一、何の示唆も感じられぬ。


「子どもは、真珠の髪と、炎のような眼をしていて、わたくしに手を差し出しました」

「手を取ったのか」

「いえ……恐ろしくて。所詮夢だと、お笑いになりましょうが」


 まだ夢とも予知とも断じることはできぬ。彼は背を預けていた岩壁から身体を離した。

 雨が止むまでは、あるいは姫が明らかな示唆を夢に見るまでは、何としてでも耐えねばならぬ。天の機嫌に抗う術はなくとも、鬼たちを死なせるわけにはゆかぬ。ゆくゆくは王として立つ彼の、なけなしの意地であった。


「若。子どもは……扉を開けてください、と言ったのです」

「とびらを、あける?」


 岩ばかりのこの島に、扉と呼べそうなものはわずかしかない。流木を組んだ病人用の小屋か、或いは、鬼たちの財宝を守る岩戸か。どちらにせよ、夢に現れた子どもが開けろとぬかすには、生臭すぎる。

 困惑を悟ったか、姫が表情を曇らせて目を伏せた。

 その膝の上で揃えられた白い手に浮かぶ、不思議な文様に目が止まった。水滴が辿った跡だろうか、季節にはまだ早いが、桜の花弁が舞い降りたかのように見える。


「お役にたてず、申し訳ございません」


 姫はそっと袖を引いて手を隠した。見てはならぬものだったのかと、彼は気づかぬふりをし、さりげなく目を逸らした。


「いや、よい。気にするな」


 彼はつとめて明るく声をかけると、洞穴を後にした。犬のように身体を震わせて水滴を振り飛ばし、ねぐらへと足を向ける。




 雨は降り続き、風はすべてを切り裂かんと舞った。大波は怨嗟の唸りを上げて島に押し寄せ、墨を流したかのごとき黒雲が不穏を孕んで轟けば、嘲笑うように稲光が閃く。

 穏やかな内海が荒れることは珍しく、このような大嵐は最長老でさえ見たことがないと言う。

 浜へ寄れば潮騒が軽やかに踊り、沖へ出れば麗しい人魚の姉妹が唄う。海鳥が鋭く羽ばたき、星々が夜空を彩る。勝手知ったる内海が見せた突然の激情に鬼は圧倒され、島は重苦しい雰囲気に包まれていた。若い鬼たちの強情もいつしか萎れ、年嵩の鬼たちは天の怒りだと地に伏した。

 島を、鬼たちを手招きし、死へと誘うのは雨風ではない。緩やかな諦念と絶望だ。




 扉を開けてください。

 毎夜のように小人と子どもは姫の夢に現れて、訴えた。

 恐怖は薄れたが、眠っている気がしないのだと呟く姫の白い面には隈が浮き、珊瑚のごとき手を覆う不思議な文様は日に日に濃さを増している。


「その文様は、どうしたのだ」


 堪らず尋ねた彼に、姫は力なく首を振るばかり。


「判らぬのです。夢を見るごとに色濃くなり、広がって……脚にも、腹にも現れました」


 袴から覗く足はびっしりと、文様が埋め尽くしていた。手指も首筋も、姫の肌に薄青の筋が浮かばぬ箇所はない。

 夢よりも、己の変化に怯える姫を、彼はただ見つめることしかできぬ。不甲斐なさに唇を噛み締めながら。固く握った拳を震わせながら。


「……若、わたくしは」


 姫の身体を覆う文様、それは、見紛う事なき鱗であった。

 姫がかつて有していた尾にも、光を弾く美しい鱗があった。しかし今、姫を覆う鱗の文様は人魚のものとは異なる武骨なもので、人魚に戻るというよりは全く別の何かに変じようとしているようにしか見えぬ。

 彼が躊躇しながらも抱いた思いを、語り部の老爺ならば朗々と口にしたであろう。

 龍のごとき鱗であるな、と。




 ガラス瓶に頬を寄せると、海鳴りがびりびりと耳を震わせました。

 かなたは大嵐、こなたは砂嵐。

 どこがどうして捻れてしまったのか、誰に知ることができるでしょうか。

 彼とて、ただ本能のままに「そのとき」を待っているだけなのですから。




 父王に呼ばれたことを、訝しむことはなかった。ようやっと、と思う気持ちさえあった。肩をすくめて急な坂道を上り、隘路を抜け、集会に使う広間を横目に山頂の洞穴に向かう。

 鬼たちの長、父王は堂々たる体躯を窮屈そうに折り畳み、鹿の毛皮の敷物に座していた。

 促されて、腰を下ろす。濡れた着物が身体にまとわりついて不快だったが、雨の音も風の音も、王の洞穴の中からは遠い。


「人魚の姫が、夢を見たそうだな」

「はい」

「手足に鱗が生えたとか」

「……生えた、というより、刺青を施したかのように、鱗の文様が浮き出ております」

「ときに、息よ。稲妻は龍の化身とも言うな」


 その真意を掴み損ね、はあ、と彼は曖昧に頷く。

 父王は黙ったまま、背後の岩壁に視線を投げた。

 採光窓から岩壁の向こう側、つまり王の洞穴の裏側へ抜けられることを彼は知っていた。そこは島の裏側、海から見上げれば岩山が雲に届けとばかりにそそり立つのみであるが、手がかり、足がかりが刻まれており、岩肌に沿うようにして山を下ることができる。万一の時の脱出路として用意されたものらしいが、幸い、この通路が使われたことは一度もない。


「封印の話を、しておこうと思う」

「……はい」


 虚を突かれ、返事が遅れた。

 古きカミが悪しきものを封じた際、要石として置いたのが鬼たちの住むこの島であると、語り部の老爺は得意気にのたまう。しかし、王の実子である彼でさえ一度も目にしたことがない封印とやらは、何がしかの例え話なのだろうと思っていた。


「お前は信じておらぬようだが、封印は確かに在る。悪しきもの云々というのは、口実だが」

「では、何が……」


 言い終わらぬうちに、答えが閃いた。

 扉を開けてください。人魚の姫が夢で何度も告げられたという言葉が、全身に染みわたるようだった。

 予め知っていたかのように自然に、口が動く。


「……天地を守るもの」


 父王は頷いた。龍だ、と低い声は、雷鳴に溶ける。


「龍が目覚めようとしている」




 龍、と目を丸くしたのもわずかのこと、人魚の姫は封印の間に踏み入ることを了承した。


「やはり、予知であったのだな」


 姫を連れて王の洞穴へと向かう最中、彼は言った。雨風に紛れて姫には届かなかったのだろう、返答はない。

 姫が飛ばされぬよう、縄で互いの腰を結んであるせいで、いささか歩き辛い。風にあおられるか細い体躯の風上を歩くよう苦心しながら、彼は急な岩山を上った。

 普段から素足で暮らす鬼と違い、姫はまだ二本の脚で歩くことに慣れておらぬ様子で、父王の洞穴に着くまでにはずいぶん時間がかかった。

 父王は黙ったまま姫に目礼し、姫が採光窓を出る手助けをした。


「こんなところに……封印への道があったのですね」


 吹き曝しの岸壁は氷のごとく冷えていた。逆巻き、島にぶつかっては砕け散る荒波、形相が変わるほどに吹きつける暴風、容赦なく体温を奪う痛いほどの雨。満足な灯りもない中、わずかな手がかり足がかりを探りながら山を下るのは、姫には至難の業であろう。彼は姫に背を向け、屈んだ。


「負ぶされ。ぬしには無理だ」


 真珠の頬に朱を刷き、姫は沈黙する。青水晶に炎が閃いたのも一瞬のこと、姫は大人しく彼の首に細い腕を回した。鱗の文様は脈動に合わせ、明滅している。


「しっかり捕まっておれ。風がきつい」

「……はい」


 背に負ぶさった姫を右手で支え、左手を岸壁に沿わせ、彼はそろそろと島を下った。目を開けているのも苦しいほどの雨が力を奪い、気力を萎えさせてゆく。しかし、この大雨を止めるには、龍の力に縋るしかないのだと、身体の奥の方で奇妙に冷静に受け止めている彼がいた。人知を超えるもの、龍であれば或いは、と。

 カミや封印や悪しきもの、見たことのないそれらの存在を頭から疑っていながら、同じく目にしたことのない龍の存在はどうしてか受け入れられる。その矛盾を質している猶予は彼には残されていなかった。もし、伝承が偽りであったなら、龍の存在が架空のものであったならば、鬼も人魚もヒトどもも、みな仲良く滅びるしかない。海に還ってゆくしかない。

 けれども、生き残る術があるのなら。

 背にある、孤高の温もりを生かすことができるのなら。

 島での退屈な、しかし平穏な暮らしを続けることができるのなら。

 カミや仏、龍、何でもよい。信じて救われるというなら、信じよう。

 どうかこの雨を、止めてほしい。

 ――儚きものたちに、救いを。




 絶壁を伝い降り、巧妙に隠された横穴を潜り抜けた先に、封印はあった。

 髪から衣から手足から、絞っても絞りきれぬほどの滴を落としつつ、彼と人魚の姫は封印を前に立ち尽くす。


「これが封印、か?」


 黒く、丸い板状のものが、床に置かれている。墨を凍らせて丸くくり抜いたもののようだと彼は思ったが、氷ならば融けるだろうし、墨ならば流れるだろう。そのような様子も見せず、黒く丸く平たいものはしんと、洞穴の床に在った。

 注連縄も石像も鳥居も、これが封印であると示すようなものは何一つ置かれておらず、碑があるわけでもない。洞穴には彼らが通ってきた横穴以外に開口部はなく、天井は高いが窮屈さを感じる。

 光苔が薄ぼんやりと光を放つ中、狐につままれた思いで彼は黒く丸いものの傍らに膝をついた。彼の背から降りた姫も訝しげに、封印を覗き込む。

 濡れそぼった深海の色の髪が、肩から落ちる。その先から雨粒がひとつ、黒き封印の表面に垂れた。




 ――近づくはめざめ、さらば眠りのとき。

 ガラス瓶の中で少女の声が歌い、彼は額に押し当てた瓶を通じて、なにかが近づいてくのをはっきりと感じていました。

 なにか。

 熱くつめたく、激しくおだやかで、硬くやわらかく、彼を包むもの。

 水。

 海。

 ――近づくはわかれ、いざ往かん、かなたの海へ。

 その鼓動が、高らかに響く歌が、彼の呼吸と重なったとき。



 ふたたび、しずくが落ちてきたのです。




 彼は手を伸ばしてそのしずくを受けました。

 来たわ、小人がガラス瓶を輝かせて叫んだとき、彼は身体が砂でできているかのようにさらさらと、足のほうから溶け落ちてゆくことに気づきました。痛みはありません。怖くもありませんでした。

 小人が翅を震わせてガラス瓶から飛び出し、きらめく星の砂の軌跡を曳いて空に舞い上がりました。かつて大地を飛び立った、機械たちのように。はるか宙の果てを目指した列車のように。

 光はただ真っ直ぐに、上を目指していました。

 ――あめつちをまもるもの。

 呼ばれて彼は、紅い眼で天を射抜きました。




「若!」


 水滴を受けた封印は、太陽もかくやとばかりに輝いた。風が溢れ出し、封印の間を駆け巡る。

 光と呼び合うように文様が鮮やかさを増し、姫は慄いたように後ずさった。姫を背後に庇いつつ、怯むまいと光を睨みつけた彼は、光芒の中に双つの赤いものを見分けた。

 紅玉よりもなお、紅く赤く燃え立つそれは、


「……天地を守るもの」


 思いがけず零れたのは、感嘆のためか、それとも畏怖のためか。

 目の前が真っ白に染まる直前、彼は龍の紅い双眸を見た。

 砂に覆われた大地を見た。

 苦しげに咳き込む白い肌の人々を見た。

 砂埃に覆われ、青みを失った空を見た。

 見たこともない衣を纏う、白い髪の子どもを見た。

 その紅い両の眼を、見た。


「……龍」


 ひどく懐かしい、そのいきものを呼んだ。




 海は凪ぎ、空は水際の橙から天頂の藍へと様相を変えてゆく。目を射る一番星の輝きに、我に返った。

 彼は海に浮かんでいた。右の腕にはしっかりと、人魚の姫を抱いている。姫はまだ気を失っていたが、鱗の文様はすっかり消えており、呼吸も穏やかだった。

 全身が痛みもなく動くことと、見慣れた峻険な峰がすぐ近くにあることを確かめ、ようやく安堵の息をつく。

 夜を間近に控えた海は、長雨のせいでひどく濁っていた。雨雲のない夕焼け空だけが高く澄むさまを、彼は言葉もなく見つめる。

 終わったのか。龍のおかげなのか。龍はどこへ行った? 答えの返らぬ問いはもう、意味を持たない。

 陽が沈み、夜の闇が急速に海を覆い始めたことに気づき、彼は姫を抱いたまま島へと泳ぎ始める。島に近づくにつれ、雨風にさらわれたのだろう品々が目につくようになり、彼は知らず頬を緩めた。

 手拭い、筵、椀、しゃもじ。鍋蓋や布。徳利や杯、手桶、ありとあらゆる小物が浮かぶ海を泳ぐのはどうしてか、心が浮き立った。彼のものらしい釣竿を見つけ、腰帯に手挟む。泳ぎづらいが、気に入りの品だ。手放すのはちと惜しい。

 姫と釣竿を肩に担いで島に上がると、割れんばかりの歓声が彼を包んだ。海からの高い声は、人魚たちだ。

 鬼たちが、人魚たちが、嵐の終焉と彼らの帰還を祝っているのだった。

 崖崩れを招きかねない大音声に、肩の上で人魚の姫が身じろぎする。身体を起こし、夜の闇に染まりゆく空と凪いだ海を見つめる青水晶が、やがて太陽よりも明るく眩い笑みに輝いた。

 彼は居心地悪そうに手足を動かす姫には構わず、居並ぶ鬼たちの最奥、未だ唇を一文字に引き結んだままの父王に向けて力強く一歩を踏み出した。




 ――星の砂を小瓶にひとつ、光の粉をひとさじ、龍のひげを一本。

 それは、天をなだめ、水を呼び、地を治めるまじない。

 力あることばひとつ、胸に携えて旅に出た少年は、澄みわたる青空と、さんさんと降り注ぐ陽光を取り戻しました。

 重く垂れこめた雨雲、世界を焼き尽くさんとひらめく雷光。矢のように降り注ぐ豪雨、小島を今にも飲み込まんとする高波と大渦。

 嵐の中で、異形の青年と、青水晶の眼を持つ娘がしっかりと手を握り合って、龍と化した彼を見つめるさまを彼は確かに見たのです。

 龍、と彼を呼び、頼もしげに微笑んだ青年と、白く細い手足に光る鱗をまとう娘を。

 こちらの砂嵐が去ったということは、あちらの大雨も去ったのでしょうか。彼にはもう、知るすべがありません。

 彼は外套を脱ぎました。防塵ゴーグルとマスク、手袋を次々に外し、足元に置いて、軽くなった身体いっぱいに、息を吸い込みます。

 そして、彼は生まれ育った町へと向けて、一歩を踏み出しました。


 太陽にきらめく白い蝶が、彼の頬をくすぐって飛んでゆきました。




< 完 >

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あめつちをまもるもの 凪野基 @bgkaisei

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