第3話 異聞
草原にそびえ立つ白亜の城があった。
城壁は高く、門は固く、城は天高く伸びる塔を束ねるようにして形成されており、神々しさを兼ね備えている。
名をエレスティア。月の娘を意味する太古の昔にエルフと人がともに築いたとされる都であった。
かつては王の住んだ都であるが、戦もながらく起きなければ、王も必要となくなり、領主と名を変え民草に寄り添って暮らしていたのである。
平和な生活であった。
もちろん、過去系なのだから全てはもう存在しない。
全ての原因たるは魔王と名乗る男のせいだ。
こけた頬に青白い肌。鋭く尖った顎に、ぎらついた瞳は黄金色。角張った帽子をかぶり、漆黒の衣に身を包み、裏地の赤いマントを羽織った長身の男である。
黒衣の男は魔術師であった。
もちろん、魔術師はエレスティアにも存在はしていたが、黒衣の男の魔術は並大抵のものではなく、また、もとより術の基盤が異なり、抵抗するすべもなくエレスティアの魔術師は悉く打ち倒された次第なのである。
男は言った。
『我は魔王なり。魔術において我に並ぶものなし!』
その声にならばと立ち上がったものがいた……。
◇ ◇ ◇ ◇
「で、剣士が出た、と……」
十兵衛部屋の隅に腰をおろし、三池典太を掴んで抱えてそう言った。
「そう。国一番の剣士たちがね」
「けれども、様子を見るに。皆死んだようだの」
十兵衛こういう時はドライに物を言う節がある。もっとも、彼自身悪気はないわけだが。
姫は重い表情を俯け、下唇を噛みしめてから十兵衛に顔を向けた。
「ええ。彼、アルゴスを除いて全滅よ」
彼と紹介されたのは床で死にかけている老人であった。
老人は姫の紹介に頭を下げようとしていたので、十兵衛「よいよい」と手を前にして動きを抑えさせた。
頭でも下げられようものならあの老人の寿命は数分と持たなくなると思えたからである。
「それで、その男、どのような術を使った……いや、剣術というべきかな。その爺の傷は刃物の傷だろう」
「剣士たちを屠ったのは魔王ではないわ。彼の下部。異界の武人たち……」
十兵衛は「ほお」と頬を緩めた。武人と聞き興味がわいたのだ。
「続きを話してくれ」
◇ ◇ ◇ ◇
この世界には異界より魔物を呼ぶ術がある。
俗にいう召喚術というものであるが、本来、これは異界に住まう魔物や妖精を一時的にこの世界に適用させてやり使役するというものだ。
ある時ある召喚士が異界とは一つではないことを理解した。
世界は一つではなく、数多に存在し、数多の生物、数多の人間が世界には存在していると知れたのである。
後に、異界学と呼ばれる学問へとなっていくこの出来事であるが、これを召喚に応用した術こそが異界より一時的に人を呼び寄せるすべなのである。
当初こそ時間も時代も曖昧であったが、何人もの人間を異界より呼び、彼らの言語、彼らの世界、彼らの歴史を知って行くにつれ、次第に誰を呼ぶかという事まで術に組めるようになっていった。
もっとも、エレスティアの地でその学問を追及していたわけではない。
問題は、魔王がその術を駆使し、異界の武人を手下において城を僅か四名で陥落させたということだ。
魔王が呼んだのは馬術に長けた槍斧の使い手。レイピアで鎧の隙間を的確に突く軽装の剣士。姿の見えない術を駆使する姿なき暗殺者。そして、魔術だけでなく、腰の剣で鎧の兜ごと両断してみせる魔王その人。
◇ ◇ ◇ ◇
「待たれよ。その口ぶり、もしや、魔王も異界より来たものか?」
姫はこくりと頷いて返した。
「なるほどなぁ……だがしかし、そやつら時間が過ぎれば帰るのだろう? 召喚とはそういうものと言っておったではないか」
「それは、術者の力量にもよるの。つまり、召喚士の魔力が強ければ強いほど長くこの世界に残れるってわけ。私の見積もりでは、魔王の魔力からして魔王自身は一年ほど。他はここ一週間程度、といったところね」
「…………なるほど、そこまではなんとなしに理解した。では、何故その爺が怪我を負っているのか。何故、この村には女子供しかおらぬのかを説明願おうか」
「それは、アルゴスを含む剣士たちが命がけで私たちを逃がしたから」
「黄泉比良坂……あいや、関ヶ原の島津と言ったところかのう」
十兵衛がそう思案したのは俗にいう島津の捨て奸というものであった。
いわゆるトカゲのしっぽ切り戦法である。十兵衛前に述べた黄泉比良坂も古事記に記された物であり、上に言う捨て奸と同じく追いかけてくる者を別の何かで足止めし、その間に逃げるというものだ。
つまり、彼らがやったのはそういう事だろう。
十兵衛はしかしと、顎を擦る。
「それで、逃げ切れたという訳では無かろう。その爺は血を流しておる。敵も馬鹿ではあるまいて。ここはすぐ突き止められよう。では、何故、ここは襲われぬ」
「ここは私の家の守護の聖地。ここにおいては私たちはかの者たち以上の加護を受け、魔王すら寄せ付けないの」
「寺……のような場所かの。分からんが、敵はここに攻めてこぬのだな?」
姫はこくりと頷いた。
「ならば問題なかろう。俺が見たところここは畑もある。水もある。力仕事はちと苦しかろうが、半年一年と生きていくぶんには何も問題なかろうて」
「上の姫様が……捕えられておるのです」
死にかけの爺が苦しげに呻いた。
その言葉に、にこやかであった十兵衛の笑みが消える。
「逃げる時、魔王に捕まってしまったのでございます」
爺が最期の力を振り絞るように、明瞭な言葉を発した。
「命は?」
十兵衛も立ち上がり、爺の側に歩み寄った。この老人の命が尽きんとしていると察したのである。
「まだありましょう……ですが、いずれはあの魔王の憑代にされるでしょう」
「憑代? どういう事だ」
その言葉に、姫が眉をひそめながら口を開いた。
「魔王はこの世界に来ようとしているのです」
「どういう事だ?」
「今、魔王は呼ばれているだけ。一年もすれば帰らねばならなくなる。けれども、あの魔王はこの世界を手に入れたいと言っていた。つまり、この世界に永住するつもりなの」
「して、そのこととお前の姉とどう関係がある」
「この世界に人を呼ぶには門を通らねばならないのよ。その門はいわば天秤。片方の世界から一定量借りたのであれば、返さねばならない。バランスが大事なの。でも、アイツがしようとしているのは、その門を通らない召喚……否、転生なの」
「まだ分からん。俺は妖術に詳しくないからな」
「つまり、魔王は、私の姉に種を宿し、そこから生まれてこの世界に再び戻ろうとしているの」
「…………なるほど」
「分かってないわね」
十兵衛頬を掻き、首をひねり、後頭部で結んだ髪を弄って「すまぬ」と謝った。
「だが、お前の姉が危ういというのは分かった」
「剣士様」
老人が目を剥き出し、十兵衛を見上げる。
「どうか! ……どうか、姫様たちをお助け下さいませ!」
十兵衛は思案するでもなく、顔を真っ赤に血相変えて血管を浮かばせる老人の肩に手を置いた。
「そう力むな……この柳生十兵衛三厳。賊を倒すのは得意でな。それに、剣にもちと自信がある。お前は安心して眠るとよい」
十兵衛がそう言うと、老剣士は「おお」と安どの声を漏らし、緩やかに瞳を閉じた。
老人を覆っていた布がすうと下がり、動かなくなったのを見て、十兵衛は両手を合わせて頭を下げてみせる。
横でその様を見ていた姫はどういう表情をすればいいのか分からないと言った具合におどおどとしていた。
その様は年相応の娘のそれである。十兵衛何も言わず、踵を返し、一度部屋を出て扉の側に背をつけ腕を組んだ。
背後の部屋から泣き声が聞こえる。
その音の振動を背に感じながら、響きが無くなるまで瞳を閉じることにした。
「ここにいたのね」
真っ赤に泣きはらした顔で部屋から出てきた姫を十兵衛は「おう」と迎えた。
「そういえば、私、名前を言っていなかったわね」
「ふうむ……言われればそうだな」
「私は、レメノア。レメノア・エノメノン・ノクスナノーツと言うの」
ノーノーと十兵衛は一言聞いた途端頭が痛くなりそうであった。
「すまんが、お前は姫と呼ばせてもらう。悪いな。俺にお前の名は言えそうにない。舌がまわらん」
「別にいいわよ」
「俺は柳生十兵衛三厳。十兵衛と」
「十兵衛……一つ尋ねてもいいかしら?」
「ああ」
「魔王の名前も『じゅうべえ』なのよ。何か知らない?」
「おお。なるほどなぁ……とはいえ、じゅうべえという名前くらいはどこにでもあるでなぁ」
「そう。アナタの国だと普通なのね」
「まあ、そうだな」
「いえ、それだけ聞きたかったの」
「いくつか聞いてもいいか?」
「ええ」
「俺はどれほどこの世界に居れるのだ」
「……一週間、くらいだと思う。アナタは、私が呼んだの。見様見真似だけど、私の一族は魔力がある一族だからある程度の事はできる。きっと、私より、姉さんの方が長くアナタをこの世界に留めておけるのだろうけれども……」
「一週間か……いや、良いとも」
「それより、良かったの? 私たちを助けるなんて……」
「女子供を助けずしてなにが士道か……ふふん」
十兵衛にこりと笑い、突っぱねたもみあげを擦る。
「それはそれとして、俺は何故こうも若返っておる……俺、四十路だぞ?」
「四十路って40代!? アンタ、おっさんじゃないの!」
姫は十兵衛を指差して喚いた。
「だから、何故、若返っておるのか聞いておるんだ」
「ああーこっちに呼ぶときに召喚物にされるわけだから、最適化されるとか何とか……」
「分からんな」
「私にも分かってないのよ」
「さようか……む、そうだ。もう一つだけ聞かせてくれ」
「何?」
「お主の城とやら、ここからどれくらいかかる?」
十兵衛異界忌憚 舞辻青実 @aomington
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